2020-03-05 京都大学iPS細胞研究所
ポイント
- これまでに報告された腎前駆細胞注1の拡大培養法注2において、骨形成因子(bone morphogenetic protein; BMP)7注3の代替となる低分子化合物として、JAK阻害剤注4として知られるTCS21311を同定した。
- TCS21311を既報の拡大培養法に加えることで、マウス胎仔由来の腎前駆細胞とヒトiPS細胞由来の腎前駆細胞の増殖が促進された。
- 化合物を用いた腎前駆細胞の安定的な供給法の開発は腎臓再生研究の進展に大いに貢献することが期待される。
1. 要旨
慢性腎臓病(chronic kidney disease; CKD)の問題の解決に向けて、iPS細胞から作製される腎前駆細胞を用いた再生医療の開発研究が盛んに行われています。しかし、これまでの腎前駆細胞の拡大培養法は増殖因子(または成長因子)と呼ばれる高価なタンパク質を用いたものがほとんどで、低分子化合物を用いた、より低コストの腎前駆細胞の拡大培養法の開発が期待されています。
辻本 啓 大学院生(京都大学CiRA増殖分化機構研究部門)、長船 健二 教授(京都大学CiRA増殖分化機構研究部門)らの研究グループは、低分子化合物のスクリーニングを行うことにより、腎前駆細胞の拡大培養法に用いられる増殖因子の一つであり、腎前駆細胞の増殖に重要な働きを担うシグナル分子である骨形成因子(bone morphogenetic protein; BMP)7を代替する化合物として、TCS21311を同定しました。
BMP7の代わりに低分子化合物TCS21311を用いて拡大培養されたマウス胎仔由来の腎前駆細胞は、培養皿上で糸球体や尿細管といった腎臓の組織を有する腎臓オルガノイドへと分化しました。さらに、BMP7を含む既存の拡大培養条件にTCS21311を加えることで、マウス腎前駆細胞とヒトiPS細胞由来の腎前駆細胞の増殖を促進することが本研究によりわかりました。
この研究成果は、2020年2月26日に米科学誌「Biochemical and Biophysical Research Communications」で公開されました。
2. 研究の背景
CKDに対して、iPS細胞から作製される腎前駆細胞を用いた再生医療開発に向けた研究が盛んに行われています。長船教授らの研究グループは、ヒトiPS細胞から分化誘導した腎前駆細胞を急性腎障害(AKI)モデルマウスに移植し、CKDへの移行を抑制する治療効果を得たことを以前に報告しておりました(CiRAニュース:2015年7月22日「ヒトiPS細胞由来の腎前駆細胞をつかった細胞移植で急性腎障害(急性腎不全)マウスに効果」)。iPS細胞から腎前駆細胞を作製するとコストが高くなるため、腎前駆細胞自体を増やす、拡大培養という技術の開発が期待されています。しかし、これまでに報告された腎前駆細胞を拡大培養する方法は、増殖因子(または成長因子)とよばれる高価なタンパク質製剤を使用するものがほとんどで、ヒトに移植するための大量の腎前駆細胞を準備するにはコストが高くなることが懸念されています。そのため、安価な低分子化合物を用いた腎前駆細胞の拡大培養法の開発が望まれています。そこで、長船教授らの研究グループは、低分子化合物のスクリーニングを行い、腎前駆細胞の拡大培養においてBMP7を代替する化合物の同定によって、BMP7の作用機序の解明と拡大培養法を改良することを目指しました。
3. 研究結果
図1 TCS21311の化学構造
1) マウス腎前駆細胞の拡大培養系においてBMP7を代替する化合物を同定した BMP7は発生期の腎前駆細胞では、Smad1/5シグナル注5と、MAPKシグナル注6を調整することで、腎前駆細胞の増殖と分化のバランスを取っていることが知られていました。実際にBMP7が無い条件で腎前駆細胞を拡大培養すると、腎前駆細胞の増殖は著しく低下しました。研究グループはまず、マウス腎前駆細胞を拡大培養する際に必要とされるBMP7を使わずに拡大培養できる化合物を見出すために、約4,000種類の化合物を用いてスクリーニングを行い、JAK阻害薬として知られる低分子化合物TCS21311を同定しました(図1)。
2) 腎前駆細胞の増殖におけるBMP7とTCS21311の作用機序の一部を明らかにした
RNAシーケンシング解析注7を行った結果、BMP7は腎前駆細胞の拡大培養系において炎症反応をはじめとするさまざまな重要な働きをするシグナル経路であるJAK-STAT経路を抑制していることがわかりました。さらに、リン酸化タンパク質の解析でTCS21311は、BMP7と同様にJAK-STAT経路の抑制に加えSmad1/5経路の活性化を行なっていることがわかりました。
3) TCS21311の腎前駆細胞増殖促進効果を発見した
他のJAK阻害剤に比べてTCS21311が突出して細胞増殖効果が強かったことから、マウスの腎前駆細胞を既存の拡大培養培地に加える検討を行ったところ、TCS21311を既存の拡大培養培地に加えることで、拡大培養の効率が上げることが分かりました。さらに、ヒトiPS細胞から分化誘導した腎前駆細胞も既存の拡大培養培地に加えることで、拡大培養の効率を上げることがわかりました(図2)。
図2 TCS21311はヒトiPS細胞由来の腎前駆細胞の細胞増殖を促進する。
4. まとめ
本研究では、腎前駆細胞の拡大培養系において、BMP7の代替となる低分子化合物を探索し、JAK阻害剤として知られるTCS21311を同定しました。さらに、TCS21311を既報の拡大培養法に加えることでマウスの腎前駆細胞とヒトiPS細胞由来の腎前駆細胞の増殖を促進することを見出しました。この発見によって腎前駆細胞の増殖機構の解明が進むと考えられます。さらに、化合物を用いた腎前駆細胞の低コストかつ安定的な供給法の開発は腎臓再生研究の進展に大いに貢献することが期待されます。
5. 論文名と著者
- 論文名
Small molecule TCS21311 can replace BMP7 and facilitate cell proliferation in in vitro expansion culture of nephron progenitor cells - ジャーナル名
Biochemical and Biophysical Research Communications - 著者
Hiraku Tsujimoto1, Toshikazu Araoka1, Yohei Nishi1, Akira Ohta1, Tatsutoshi Nakahata1,
Kenji Osafune1 - 著者の所属機関
- 京都大学iPS細胞研究所(CiRA)
6. 本研究への支援
本研究は、下記機関より資金的支援を受けて実施されました。
- 国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の再生医療実現拠点ネットワークプログラム
「技術開発個別課題」 - 京都大学インキュベーションプログラム
7. 用語説明
注1)腎前駆細胞
ヒトやマウスでは発生期の腎臓にのみ存在し、糸球体と尿細管に分化することによって腎臓の機能の最小単位であるネフロンをつくる前駆細胞のこと。
注2) 拡大培養
細胞の性質をたもったまま増殖させることを目的とした培養法のこと。
注3) BMP7
TGF-βファミリーに属する分泌性のタンパク質であり、様々な細胞の増殖と分化に関わっていることが知られている。
注4) JAK阻害剤
免疫や細胞の増殖、分化、細胞死などに関わっている細胞内シグナル伝達経路であるJAK-STATシグナルを阻害する化合物の総称。臨床では免疫抑制剤として用いられることがある。
注5) Smad1/5シグナル
転写調節因子であるSmad1/5を介した細胞内シグナル伝達経路のこと。BMP7はこの経路を活性化することが知られている。
注6) MAPKシグナル
代謝、増殖、分裂、運動、細胞死など、細胞のさまざまな機能に関与するセリン/トレオニン・キナーゼを介した細胞内シグナル伝達経路のこと。BMP7によっても活性化することが知られている。
注7) RNAシーケンシング解析
高速シーケンサーを用いてRNA のシーケンシング(配列情報の決定)を行い、細胞内で発現するトランスクリプトーム(細胞内の全転写産物・全RNA)の定量を行う解析方法。