2020-09-17 理化学研究所
理化学研究所(理研)革新知能統合研究センター目的指向基盤技術研究グループ認知行動支援技術チームの阿部真人特別研究員は、生物に広く見られる「レヴィウォーク[1]」と呼ばれる行動パターンが脳などのシステムの臨界現象[2]から生じ、情報処理における機能的利点を持つことを発見しました。
本研究成果は、脳内の神経活動における臨界現象と行動や認知機能の関係の解明や、人工の自律エージェント[3]の開発に向けた知能の基本原理の解明に貢献すると期待できます。
ランダムウォークの一種であるレヴィウォークという行動パターンは、細胞から昆虫、魚、鳥、ヒトを含む哺乳類まで、生物の移動に普遍的に見られることが報告されてきました。しかし、レヴィウォークをする生物的な仕組みとその機能的利点は未解決でした。
今回、阿部特別研究員は、レヴィウォークが脳の臨界現象から生じ得ることを提案し、その情報処理的側面や行動の柔軟性といった機能的利点を、数理モデル[4]とデータ解析を用いて明らかにしました。
本研究は、科学雑誌『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America』の掲載に先立ち、オンライン版(9月14日付)に掲載されました。
左から、数理モデルの枠組み、2次元空間におけるレヴィウォーク、入力に対する行動の変化
背景
多くの生物は、移動するという特徴を持っています。近年、移動パターンの定量的な解析が進み、興味深いことに、ランダムウォークの一種である「レヴィウォーク」が、細胞から昆虫、魚、鳥、人を含む哺乳類にまで共通して見られることが明らかになってきました。さらに、物理的な空間における移動にこのパターンが見られるだけでなく、人が頭の中で単語を検索する際にも似たパターンが見られるという報告もあります。レヴィウォークは、直線の移動距離がべき分布[5]に従い、まれに極端に長い直線移動が現れるという特徴があります。
なぜこれほどまでに共通したパターンが見られるのかという疑問に対し、レヴィウォークには餌などのターゲットを探索する効率が良いという利点があるという説が提案されてきました。しかし、探索効率の優位性はさまざまな条件によって変化し得ることや、レヴィウォークは複雑な環境との相互作用でも生じることなどから議論が分かれており、レヴィウォークをする生物的な仕組みとその機能的利点は未解決でした。
研究手法と成果
本研究では、レヴィウォークが脳内で自発的に生成されるという先行研究による報告と、レヴィウォークの特徴である、べき分布が一般に臨界点[2]付近で出現するという事実に基づき、「レヴィウォークの機能的利点はシステムの臨界現象から生じる」という仮説を立てました。そして、移動パターンを生成する神経ネットワークの数理モデルを構築し、ダイナミクスの安定な同期状態(システムの相互作用が強い)と不安定な非同期状態(システムの相互作用が弱い)の境の臨界点付近で生じる、レヴィウォークの機能的な側面を探りました(図1)。
図1 臨界点付近で生じるレヴィウォーク
(a)移動するエージェントの数理モデル。神経システムのダイナミクスから行動が生じると仮定している。
(b)相互作用が弱い場合、システムは不安定で、通常のランダムウォークを示す。
(c)相互作用が中程度で、不安定状態と安定状態の境界付近、すなわち臨界点付近にあるときレヴィウォークが生じる。レヴィウォークでは、まれに極端に長い直線移動が現れる。
(d)相互作用が強い場合、システムは安定で、直線移動が生じる。
結果、臨界点付近で出現するレヴィウォークが、情報を符号化するための大きなダイナミックレンジ(識別できる入力の大きさ)と、近場の探索と遠くの新しい場所の探索を入力に応じて切り替える柔軟性を持つことが分かりました(図2)。さらに、これらの数理モデルによる予測を、先行研究で公開されているショウジョウバエの幼虫のレヴィウォークのデータに非線形時系列解析[6]を適用して検証したところ、データからもレヴィウォークが臨界点付近で生じ、大きなダイナミックレンジと高い柔軟性を持つことが明らかになりました。これらの結果は、一般的に生物の移動で観察されているレヴィウォークが、臨界点付近で生じることと、これらの機能的利点に基づいて説明できる可能性があることを示しています。
図2 レヴィウォークが持つ二つの機能的利点
(a)システム内部に入力を与えたときの移動パターンの変化。
(b)ダイナミックレンジ(移動パターンの変化が起きる入力の大きさ)の範囲。グレーの臨界点付近で最大化される。
(c)入力の種類を変えた場合の行動の切り替え。
(d)入力の種類を変えたときの行動の変化の大きさ(柔軟性)。(b)と同様に、グレーの臨界点付近で最大化される。
今後の期待
本研究で示した情報処理能や行動の切り替えの柔軟性は、認知機能と関連すると考えられます。脳における臨界現象と行動パターンや認知機能の関係を深く理解することで、行動パターンから脳に関連した病気、例えば認知機能低下を早期発見するためのシグナルを抽出することや、認知機能低下を防ぐための介入手法の開発に対して基礎的な知見を与えると期待できます。
さらに、生物は、本研究で示した臨界現象に基づく仕組みとその機能的利点からレヴィウォークという「戦略」を採用していると考えられるため、その知見を応用することで、柔軟性を持つ人工的な自律エージェントを設計することができるかもしれません。
補足説明
1.レヴィウォーク
ランダムウォークの一種。通常のランダムウォークと異なり、直線の移動距離がべき分布に従うため、まれに極端に長い直線移動が現れる特徴を持つ(図1c)。
2.臨界現象、臨界点
「臨界点」とはシステムの二つの性質の異なる相の境界のこと。本研究では、安定な同期状態と不安定でカオス的な非同期状態の境界を指す。臨界点では一般的に、「臨界現象」と呼ばれる、物理量が発散するなどの特異的な現象が起こる。近年の研究から、脳は、臨界現象を示す臨界点付近で機能しているのではないかと考えられている。
3.自律エージェント
環境内を探索し、環境から得た情報と自身の内的なルールによって行動する個体のこと。生物は自律エージェントだといえるが、人間が命令を与えるコンピュータ内のAIは自律エージェントとはいえない。
4.数理モデル
現象を支配するルールを記述した方程式のこと。ルールを仮定し、方程式の振る舞いを調べることで現象を理解しようとする。本研究では、神経活動のルールを記述した方程式から生じる振る舞いを調べている。
5.べき分布
確率変数xの確率密度関数の裾が、x-a(a>1)で緩やかに減衰する分布のこと。多くの小さな値が現れる一方、まれに桁違いに大きな値が現れる。
6.非線形時系列解析
時系列データを確率過程ではなく、非線形(例えば、少ないときは増えるが、多くなると減るような、状態に依存してルールが異なる性質のこと)な数理モデルから生成されたデータとして解析する手法。
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金若手研究「VRを用いた人における探索行動パターンの定量化と認知機能の予測手法開発(領域代表者:阿部真人)」による支援を受けて行われました。
原論文情報
Masato S. Abe, “Functional advantages of Lévy walks emerging near a critical point”, Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 10.1073/pnas.2001548117
発表者
理化学研究所
革新知能統合研究センター 目的指向基盤技術研究グループ 認知行動支援技術チーム
特別研究員 阿部 真人(あべ まさと)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当