2021-04-28 東京大学
1. 発表者:
多田 真理子(東京大学医学部附属病院 精神神経科 助教)
笠井 清登(東京大学大学院医学系研究科 脳神経医学専攻 精神医学 教授/
東京大学医学部附属病院 精神神経科 科長/東京大学国際高等研究所ニュー ロインテリジェンス国際研究機構(IRCN)主任研究者)
國井 尚人(東京大学医学部附属病院 脳神経外科 助教[特任講師(病院)])
2. 発表のポイント:
◆ 1秒につき数十回の音刺激を数分にわたって連続して聞く際に、人間の脳が行う高度な情報処理に伴って生じる聴覚ガンマオシレーション(注1)という脳波反応が、脳全体に広がるネットワークから発生することを明らかにしました。
◆ 聴覚ガンマオシレーションは、認知機能に関わる前頭葉や頭頂葉にまで広がる脳全体の複雑なネットワークから発生することを世界で初めて発見しました。
◆本研究成果は、統合失調症などの精神疾患の脳内メカニズムの理解に役立つ可能性があり、今後の診断、治療法開発研究への応用が期待されます。
3.発表概要:
ガンマオシレーションは、神経細胞が発する信号のひとつで、脳の情報処理基盤に関わると考えられてきました。特に、音を聞かせた時にみられる聴覚ガンマオシレーションは、中枢性聴覚疾患や精神疾患において低下していることが知られていましたが、単純な音に対する反応であるため、長年、聞くことに特化した脳部位(側頭葉の聴覚皮質)から発生すると考えられてきました。また、通常の研究で用いられる脳波計では、頭皮上から信号を検出するため、脳内発生源の全容を知ることは困難でした。
東京大学医学部附属病院精神神経科の多田真理子助教、笠井清登教授、脳神経外科の國井尚人助教(特任講師(病院))らの研究グループは、聴覚ガンマオシレーションが認知機能に関わる前頭葉や頭頂葉にまで広がる複雑なネットワークで発生することを明らかにしました。これは、難治性てんかん(注2)の手術治療前に、てんかんの発生源を正確に診断する目的で、脳表面に多数の電極を直接設置した患者さんのご協力により実現した研究です。疾患の影響を最小限にするために、てんかん発生源が異なる患者さんの計測データを組み合わせて解析を行いました。突然起こるてんかんの異常脳波を逃さず記録するため、患者さんは入院病棟で電極を留置したまま過ごします。この研究は同大学医学部倫理委員会で審査を受け、病棟で脳波記録中の方のうち、自由意志に基づく研究参加にご協力頂いた方を対象に行いました。
この結果は、統合失調症などの精神疾患で低下している聴覚ガンマオシレーションの発生メカニズムの理解につながり、将来の診断や治療の開発に役立つことが期待されます。
なお、本研究は、革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明プロジェクト「候補回路型・双方向トランスレーショナルリサーチによる脳予測性障害の回路・分子病態解明(領域代表者:小池進介)」による支援を受けて行われ、米国科学誌「Cerebral Cortex」(オンライン版:日本時間4月28日)に掲載されます。
4.発表内容:
① 研究の背景
ガンマオシレーションは、神経細胞が発する信号のひとつであり、脳の情報処理基盤と関係すると考えられてきました。特に音を聞かせた時に得られる聴覚ガンマオシレーションは、中枢性聴覚疾患や統合失調症などの精神疾患の患者さんで低下していることが繰り返し報告されており、認知機能との関連が議論されてきました。聴覚ガンマオシレーションの発生メカニズムは十分にわかっておらず、これまでの研究では、頭皮上の脳波信号から発生源を推定する方法により、聞くことに特化した脳部位(側頭葉)が関与するとされてきました。しかし、頭皮上の脳波信号から発生源を推定する方法は、細かな部位の同定が困難であることが知られており、用いられる推定方法によって観察される発生源が一定していませんでした。聴覚ガンマオシレーションと認知機能の関連を理解するためには、より複雑な発生メカニズムを調べる新たな研究が必要でした。
② 研究内容
東京大学医学部附属病院精神神経科の多田真理子助教、笠井清登教授、東京大学医学部附属病院脳神経外科の國井尚人特任講師らの研究グループは、聴覚ガンマオシレーションの発生メカニズムについて、次のような方法で調べました。
難治性てんかんの手術治療前に、てんかんの発生源を正確に診断する目的で、脳表面に多数の電極を直接設置し計測する臨床技術(高密度皮質脳波計測)を用いて、覚醒した状態のヒトの脳全体から発生する聴覚応答信号を観察し、解析を行いました(対象:8名)。突然起こるてんかんの異常脳波を逃さず記録するため、患者さんは入院病棟で電極を留置したまま自然に過ごします。この研究は同大学医学部倫理委員会で審査を受けた後、病棟で脳波記録中の方のうち、ヒトの認知機能に関わる脳内ネットワークを調べる研究について説明をし、自由意志に基づき参加にご協力いただいた方を対象に行いました。
その結果、聴覚ガンマオシレーションが、従来知られていた側頭葉だけでなく、認知機能に関わる前頭葉や頭頂葉にまで広がるネットワークで発生することを脳波信号の周波数解析(位相:周期のどの位置に信号が存在するか、周波数特性:単位時間当たりの繰り返し回数の特徴)から確認しました(図1)。この脳全体に広がるネットワークは、側頭葉・前頭葉と頭頂葉の2系統に分かれており、聴覚系で知られる2つの並列する情報処理の回路と関連する可能性が考えられました(図2)。さらに音開始後から50ミリセカンド(※ 1ミリセカンド=0.001秒)までにみられる早期成分と150ミリセカンドから500ミリセカンドまでにみられる後期成分で信号の周波数特性が異なることを発見しました。統合失調症では、聴覚ガンマオシレーションの後期成分が先に低下し、病気の進行とともに早期成分も低下することが報告されており、今回の結果により聴覚ガンマオシレーションの早期成分と後期成分で発生メカニズムが異なることも初めて明らかになりました。
③ 社会的意義
今回の研究では、聴覚ガンマオシレーションが、従来考えられていたよりも、複雑なメカニズムを持ち、脳全体に広がるネットワークから発生していたことを明らかにしました。聴覚ガンマオシレーションは、中枢性聴覚疾患とともにさまざまな精神疾患で低下することが知られており、特に治療が難しい認知機能障害との関連が考えられている生物学的指標の代表的なもののひとつです。聴覚ガンマオシレーションは単純な音を聞かせることで得られる信号であるため、モデル動物で分子レベルの発生メカニズムを調べることも可能です。聴覚ガンマオシレーションの発生メカニズムの理解が進むことで、精神疾患の新しい診断や治療の開発に役立つことが期待されます。
5.発表雑誌:
雑誌名: Cerebral Cortex(オンライン版:4月28日)
論文タイトル:Global and parallel cortical processing based on auditory gamma oscillatory responses in humans
著者:Tada M*, Kirihara K, Ishishita Y, Takasago M, Kunii N, Uka T, Shimada S, Ibayashi K, Kawai K, Saito N, Koshiyama D, Fujioka M, Araki T, Kasai K.
DOI番号:10.1093/cercor/bhab103
6.問い合わせ先:
<研究内容に関するお問い合わせ先>
東京大学医学部附属病院 精神神経科
助教 多田 真理子(ただ まりこ)
<広報担当者連絡先>
東京大学医学部付属病院 パブリックリレーションセンター
東京大学国際高等研究所 ニューロインテリジェンス国際研究機構 広報担当
<AMED事業に関するお問い合わせ先>
国立研究開発法人日本医療研究開発機構 疾患基礎研究事業部疾患基礎研究課
革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明プロジェクト
7.用語解説
(注1)聴覚ガンマオシレーション
ガンマオシレーションは神経細胞が発する信号のひとつです。今回の研究では、聴性定常反応(Auditory steady-state response:ASSR)と呼ばれる脳波信号について調べました。これは、音を一定の頻度周波数で聞かせた時に、その周波数に脳波信号が同調する現象で、特に40Hz(ガンマ帯域)の頻度で音を聞かせた時に、信号が大きくなり、聴覚ガンマオシレーションとよばれます。
(注2)難治性てんかん
てんかんとは、脳内の神経細胞の異常な活動により、突然、意識障害やけいれんなどの発作を起こす脳の病気です。薬物療法が広く行われますが、適切な薬物療法にもかかわらず、患者さんにとって支障の大きい発作が続いている場合、難治性てんかんと考えられ、手術治療の適応となる場合があります。てんかんに対する外科的治療は国際的に認められていますが、高度に専門的な診療を要するため、日本では専門施設で診断をし、適応の判断がなされます。
8.添付資料:
図1:脳全体に広がる聴覚ガンマオシレーション
脳の表面に設置した多数の電極から聴覚ガンマオシレーションの発生を調べたところ、聞くことに特化した脳部位(側頭葉)だけでなく、認知機能に関わる前頭葉や頭頂葉にまで広がるネットワークで発生することを明らかにしました。
図2:側頭葉・前頭葉と頭頂葉の2系統のネットワーク
脳全体に広がるネットワークの周波数特性を調べたところ、40Hzと80Hzをピークとする側頭葉・前頭葉と40Hzをピークとする頭頂葉の2系統に分かれました。