2023-10-31 東京大学
発表のポイント
◆ 含水率99%の均一なゲルが濃厚なゲルと希薄なゲルの2相に分離するゲル・ゲル相分離(Gel-Gel Phase Separation, GGPS)を世界で初めて発見しました。
◆ ゲル・ゲル相分離が生じたゲルはスポンジ状の構造を持ち、水を99%含むにも関わらず油のように水を弾く疎水性を示しました。水分量が多いほど、ゲル・ゲル相分離の度合いが顕著であり、より水となじみにくくなるという直感に反した結果が得られました。
◆ ゲル・ゲル相分離が生じたゲルは高い細胞親和性を持つことから、生体に埋め込むと周囲の細胞が入り込む足場となり、組織再生を促す材料としての医療応用が期待されます。
従来の均一で透明なゲルと、99%の含水率をもつゲル・ゲル相分離材料(GGPS)
発表概要
東京大学大学院工学系研究科の酒井崇匡教授、石川昇平助教、作道直幸特任准教授と、同大学大学院医学系研究科の北條宏徳准教授、理化学研究所生命機能科学研究センターの岡田康志チームリーダー(東京大学大学院医学系研究科・大学院理学系研究科 教授)、北海道大学大学院先端生命科学研究院のLi Xiang准教授の研究グループは、水溶性高分子(注1)であるポリエチレングリコール(PEG)(注2)(関連のプレスリリース①)の網目が大量の水を保持したPEGハイドロゲルにおいて、新しい相分離現象(注3)「ゲル・ゲル相分離」(Gel–Gel Phase Separation, GGPS)を発見しました。ハイドロゲル(以下、ゲルと省略)は、多くの水を含む固体の材料で、ゼリーや寒天などの食品をはじめ、ソフトコンタクトレンズや止血剤などの医療機器としても用いられている私たちになじみの深い材料です。ゲル・ゲル相分離は、含水率99%程度の大量の水を含む状態でゲルを効率的に作ることで誘起されました。ゲル・ゲル相分離により、希薄ゲルの中に100 µm程度の濃厚ゲルの繊維状網目が張り巡らされ、細胞外マトリックス(注4)類似のスポンジ構造を持つ「ゲル・ゲル相分離材料」が形成されました。驚くべきことに、ゲル・ゲル相分離材料は疎水性(注5)を示しました(図1)。PEGはドラッグデリバリー(注6)、組織工学(注7)、診断など多様な医学的用途に広く利用されており、その有用性から50万報を超える学術論文が出版されていますが、今回発見されたような疎水性スポンジ構造の自発的な形成過程の観察例はありませんでした。さらに、ゲル・ゲル相分離材料をモデル動物の皮下に埋め込んだところ、周囲から細胞が入り込み、血管を含む脂肪組織が形成されました。このような、特異的な生体組織親和性は従来のPEGゲルでは全く見られません。これらの結果より、生体内において細胞が入り込み、その場で組織再生を促す足場材料としての可能性が示されました。本研究成果は、「Nature Materials」のオンライン版で公開されました。
図1:ゲルを作製する際に含まれる水の量を増やせば増やすほど、相分離が進行してゲルは白濁し、疎水性微粒子をより吸着するようになる。
発表内容
〈研究の背景〉
組織工学とは、人間の組織や器官の再生、修復を目指す学問領域です。特に、病気や老化により機能を失った組織を再生するためには、適切な足場が必要となります。足場とは、細胞が定着し、増殖するための基盤のことを指します。しかし、組織工学における足場材料の開発は、多くの課題を抱えています。
足場材料として、コラーゲン(注8)やゼラチン(注9)などの生体由来材料があります。これらは生体内で自然に存在する物質であるため、生体親和性が高く、細胞の定着や増殖を支えます。しかし、生体由来の足場材料は、異物反応(注10)や感染症のリスクを抱えています。特に、動物由来のコラーゲンやゼラチンはウイルス感染の可能性があり、その使用は制限されています。このような背景から、生体由来でない、人工合成された足場材料の開発が求められています。しかし、合成物質は生体親和性が低く、細胞が定着しにくいという問題があります。生体親和性を高めるために適切な化学修飾(注11)を行うことも可能ですが、生体由来の足場と比較すると生体親和性に乏しいのが現状です。また、用いる材料が複雑化すると、臨床試験に向けた許認可のプロセスが複雑化し、実用化が難しくなるという問題もあります。
〈研究の内容〉
研究グループは、99%の水と1%の合成高分子PEGからなる、生体親和性を持つゲル材料を開発しました。このゲルは、新たに発見された「ゲル・ゲル相分離」(Gel–Gel Phase Separation, GGPS)という現象を利用して作られました。ゲル・ゲル相分離を示したゲル(ゲル・ゲル相分離材料)は、希薄ゲルの中に、100 µm程度の濃厚ゲルの繊維状網目が張り巡らされた細胞外マトリックスに類似のスポンジ構造を有しています。研究チームは、ゲル・ゲル相分離材料をモデル動物の皮下に埋め込む実験を行いました(図2)。その結果、周囲から細胞が入り込み、血管を含む脂肪組織が形成されました。
図2:通常のPEGゲルとゲル・ゲル相分離材料をマウスの皮下に2週間埋め込んだ。その結果、PEGゲルにおいては、ゲル自体にも生体組織にも際立った変化は見られなかった。一方、ゲル・ゲル相分離材料は生体内で分解され、分解された場所には血管と脂肪組織が形成された。
PEGは、その生体親和性から医療分野で広く利用されており、一般に親水性(注12)です。一方で、PEGの親水性が高いため、PEGゲルは細胞親和性が低く、組織再生足場としては不適切だと考えられてきました。また、PEGゲルは10 nm程度の網目構造の高分子からなり、10 µm程度の大きさを持つ細胞が入り込めるスペースがありませんでした。しかしながら、ゲル・ゲル相分離により、PEGゲルは疎水化し、また100 µm程度のマトリックス構造を形成しました。つまり、ゲル・ゲル相分離の発見によって、PEGゲルの組織再生足場材料としての可能性が一気に広がりました。
ゲル・ゲル相分離は、多くの水を含む環境で、希薄な高分子によってゲルを形成した時に生じます。ゲル・ゲル相分離の程度は、水分量が多いほど顕著になり、より水となじみにくい疎水性のゲルが形成されます。その結果、「ゲルの含水量が多ければ多いほど、水となじみにくくなる」という、直感に反する結果が得られました。この結果は、化学構造から予測されるPEGの特性を、3次元の網目構造の形成により変えることができることを示しています。一般に、高分子の性質は、化学構造によって定まり、高分子の分子量や、分子の形に依らないとされてきました(図3)。実際に、「PEGが親水性であり、細胞付着性に乏しい」のは、高分子化学の領域では常識とされています。今回の発見は、この常識を覆すものであり、高分子化学にパラダイムシフトをもたらす可能性があります。
図3:通常、PEGは親水性であることが知られている。例えば、PEGのモノマー(基本単位)であるエタノールCH2CH2OH、1本の鎖状のPEG (CH2CH2O)N、分岐構造を持つPEGの全てが重合度Nによらず親水性である。さらには、PEGの3次元的な網目構造が水を保持したPEGゲルも同様に親水性であることが知られていた。本研究では、ゲル・ゲル相分離(GGPS)によって世界で初めて水になじみにくいPEGゲルの合成に成功した。
〈今後の展望〉
この研究は、組織工学の新たな可能性を切り開きました。開発されたゲル材料(ゲル・ゲル相分離材料)は、生体由来の材料の持つ感染リスクを排除し、同時に合成材料が抱える生体親和性の低さという問題を解決する可能性を秘めています。その結果、安全性と効果性を両立した新たな組織再生材料として、広範な医療分野での応用が期待されます。特に、ゲル・ゲル相分離材料は、皮下組織の再生を促進することが示されました。これは、慢性創傷や糖尿病性足潰瘍などの治療に役立つ可能性があります。これらの病気は、患者の生活の質(QOL)を著しく低下させ、治療費の増大をもたらす大きな社会問題となっています。この新たなゲル材料の応用により、これらの病気の治療方法が大きく進歩することが期待されます。
ゲル・ゲル相分離材料の開発には、医療分野で広く利用されているポリエチレングリコール(PEG)が使用されています。従って、既存の製造プロセスや規制への対応が比較的容易であり、実用化への道のりも近いと期待されます。
ゲル・ゲル相分離により、これまでに想像もできなかった特性をゲルに付与できることがわかりました。ゲル・ゲル相分離は、PEG以外の高分子材料へ応用できる可能性があり、今後、想像を超える新たな機能を持つ高分子材料の開発が期待されます。
〈論文公開までのエピソード〉
ゲル・ゲル相分離の発見は、2016年頃に遡ります。人工硝子体用のゲル(関連プレスリリース②)を作るために、極端に含水率の高いゲルを作製する研究を行なっていた学生が、ゲルが白く濁っていることに気付いたのがきっかけです。研究グループは、当時、水によく溶けるはずのPEGが、しかも低濃度で不溶化することに困惑しました。
PEGと水の2成分系は、これまでに50万報もの学術論文で調査されてきた「やり尽くされた物質」です。そのような物質で、ゲル・ゲル相分離のような不可思議な新発見の現象が起きたことは、査読のプロセスを非常に困難にしました。というのも、ゲル・ゲル相分離が本当に発生していることを、査読者に納得させることが難しかったためです。そこで、顕微鏡のプロフェッショナルである岡田チームリーダーに協力を仰ぎました。まさに百聞は一見にしかず。岡田チームリーダーが撮影した顕微鏡写真を加えることで、査読者たちを納得させることができ、論文が受理されることとなりました。
〈関連のプレスリリース〉
①「コロナワクチンや化粧品にも使用される ポリエチレングリコールの体内動態解明に貢献
―将来の医療や製品開発に革新的なインパクトをもたらす可能性―」(2023/04/06)
②「世界で初めて長期埋め込み可能な人工硝子体を開発」(2017/03/10)
発表者
東京大学
大学院工学系研究科
酒井 崇匡(教授)
作道 直幸(特任准教授)
石川 昇平(助教)
大学院医学系研究科
北條 宏徳(准教授)
理化学研究所 生命機能科学研究センター 細胞極性統御研究チーム
岡田 康志(チームリーダー)
<東京大学 大学院医学系研究科・大学院理学系研究科 教授>
北海道大学 大学院先端生命科学研究院
Li Xiang(准教授)
論文情報
〈雑誌〉Nature Materials
〈題名〉Percolation-induced gel–gel phase separation in a dilute polymer network
〈著者〉Shohei Ishikawa, Yasuhide Iwanaga, Takashi Uneyama, Xiang Li, Hironori Hojo, Ikuo Fujinaga, Takuya Katashima, Taku Saito, Yasushi Okada, Ungil Chung, Naoyuki Sakumichi* & Takamasa Sakai*
〈DOI〉10.1038/s41563-023-01712-z
〈URL〉https://www.nature.com/articles/s41563-023-01712-z
研究助成
この研究は、日本学術振興会(JSPS)研究員研究助成金(課題番号20J01344)、若手研究(課題番号19K14672)、基盤研究(B)(課題番号22H01187、22H02135)、基盤研究(A)(課題番号21H04688)、新学術領域研究(課題番号19H05794、19H05795)、学術変革領域研究B(助成番号20H05733)、JST さきがけ(課題番号JPMJPR1992)、JST CREST(課題番号JPMJCR1992、JPMJCR1852、JPMJCR20E2)、JST FOREST(課題番号JPMJFR201Z、JPMJFR225N)、ムーンショット型研究開発事業(課題番号JP22zf0127002、JPMJMS2025)、およびデータ創出・活用型マテリアル研究開発プロジェクト(課題番号JPMXP1122714694)の支援により実施されました。
用語解説
(注1)水溶性高分子:大きな分子の化合物で、水に溶ける性質を持つもの。糖類やタンパク質、ポリエチレングリコールが水溶性高分子の一例。
(注2)ポリエチレングリコール(PEG):新型コロナワクチンなど、多くの医療や工業製品に使われる水溶性の合成高分子化合物のこと。
(注3)相分離現象:物質が2つ以上の異なる相(状態)に分かれる現象のこと。例えば、ドレッシングの油と水が自然に分離して2相に分かれるのも相分離現象の一例。
(注4)細胞外マトリックス:細胞の外側に存在し、細胞間の空間を満たす構造物。細胞の形状の保持や、細胞同士の情報伝達に役立つ。
(注5)疎水性:水をはじく性質のこと。例えば、油は水をはじく性質を持つため、疎水性である。
(注6)ドラッグデリバリー:薬物を体内の特定の部位に効率的に運ぶ方法のこと。
(注7)組織工学:人工的に組織や器官を作り出す科学の一分野。これを用いると、病気や損傷により失われた体の部位を修復または置換することが可能となる。
(注8)コラーゲン:体内に自然に存在するタンパク質で、皮膚、骨、軟骨、筋肉などに存在し、構造を支える役割がある。
(注9)ゼラチン:動物の骨や皮から作られるタンパク質で、食品や製薬の分野で使用される。
(注10)異物反応:体が自分自身とは異なる物質を異物と認識し、反応を起こすこと。例えば、埋め込まれた医療デバイスや移植された臓器に対する反応などのこと。
(注11)化学修飾:化合物の構造を特定の目的のために変更するプロセス。例えば、物質の溶解性や反応性を改善するために行われる。
(注12)親水性:水と親和力が高い性質。物質が水と容易に混ざり合う、または水を吸収する傾向があることを意味する。
Nature Materials:https://www.nature.com/articles/s41563-023-01712-z
プレスリリース本文:PDFファイル