静止画が動いて見える錯覚現象によって解き明かされる動きの知覚

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2023-12-05 基礎生物学研究所

私たちの身の回りには動いているものが数多くあります。そして私たち自身も動いていて見ている世界は常に動いていますので、動きを上手く知覚できないと生活することができません。これらの動きは脳内で情報処理をされて精度よく知覚されると考えられていますが、そのメカニズムは大きな謎とされています。動きの知覚を研究するにあたって、基礎生物学研究所神経生理学研究室の小林汰輔特任助教(現 玉川大学研究員)と渡辺英治准教授は、「静止しているのに動いて見える錯視」に着目して研究を行いました。比較的単純なパターンの繰り返しで構成される錯視には脳が動きを捉えるためのエッセンスが隠れていると考えたのです。
研究グループは、ひとつのシンプルな仮説を立てました。動きの知覚を引き起こす最小ユニットデザインがあり、その最小ユニットの足し合わせで動きを知覚しているのではないかという考え方です。この仮説を足し算則と呼びます。この足し算則は、今回の研究に先駆けて行われたAIをヒトの知覚モデルとして活用した実験で示唆されたアイデアです。
足し算則が正しいかどうかを検証するために、4色で構成されている「静止しているのに動いて見える錯視」の錯視画像を3色に分解し、被験者に様々な3色デザイン、4色デザインを提示し、これらのデザインが引き起こす知覚的な運動速度を計測しました。その結果、3色デザインから得られたデータと仮説を元にした数式によって4色デザインの知覚速度を精度よく予測できることがわかり、足し算則による動きの情報統合が脳の普遍的な仕組みであることが示唆されました。この発見は視覚情報処理の理解に寄与すると期待されます。本研究成果は2023年11月30日にScientific Reports誌に掲載されました。
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図:錯視画像と知覚される動きの足し合わせのイメージ

【研究の背景】
静止画があるにもかかわらず動いて見える不思議な錯覚があります。この現象は1979年にフレイザーとウィルコックスによって初めて報告され(参考文献1)、現在では立命館大学の北岡明佳教授による『蛇の回転錯視』という作品として広く知られています(図1)。
fig1.jpg図1:蛇の回転錯視。立命館大学の北岡明佳教授の作品。白青黒黄の4色デザインの錯視でとても大きな動きの錯覚が生み出される。4色の並び順によって右回転や左回転が決まる。
蛇の回転錯視は図2(C)の4色の錯視にあたりますが、とても大きな動きの錯覚を生み出します。”経験的に”多くの人は図2(A)や(B)のような3色デザインの錯視に比べ図2(C)の方がより大きく見えると言われています。
この現象の発生原因は異なる明るさをみたときの神経細胞の応答の違いによるものと考えられています。この偽の動き情報の発生原因は光を受け取る眼球や眼球に近い脳のより浅い場所に潜んでいると考えられており、そこで検出された偽の動き情報がより脳の奥まで情報が伝播されることで実際に動物が動いて見えると認識します。脳の奥に進むほど眼球上の各神経細胞で検出した光の情報が集約、そして統合されるのですが、この統合が脳の各領域でどのように行われているのかについては錯覚のみならず、視覚の研究分野全体においても未だにわかっていません。
そこで、本研究グループはこの錯視現象を通して、動き情報の統合メカニズムを調べる心理実験を行いました。
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図2:錯視画像と知覚される動きの足し合わせのイメージ。3色で構成された画像(A)と(B)はそれぞれ異なる方向に動きが生じます。(C)の画像では(B)の模様の向きを反転させて(A)と組み合わせて動きの向きを同じにすることでより大きな動きを生じさせています。本研究では、(C)の知覚速度は(A)と(B)の知覚速度の足し合わせで簡単に求めることができるという仮説を検証しました。

【研究の成果】
本研究グループが考える足し算則が成立するのであれば、図2で示したような3色錯視画像の知覚を測定すれば、4色錯視画像の知覚は自動的に計算で予測できるはずです。そのうえで実際に4色錯視画像の知覚を測定して予測と本当の知覚データとを比較することで足し算則を検証できます。
実験では、5名の被験者に対して心理実験を行い、提示した錯視画像の知覚速度を計測しました(図3)。刺激は3色で構成された錯視画像と4色で構成された錯視画像を用いて、画像を提示したときに左と右、どちらに回転して見えるかを被験者に答えてもらいました。このとき、画像は停止したまま提示させるのではなく、意図的に左か右に様々な速度で回転させており、この実験では、錯視の動きと実際に回転させる動きをキャンセルさせる条件を調べることで錯視画像の知覚速度を計測しました。
fig3.jpg図3:(A)心理実験の様子と(B)その実験で得られた心理曲線。今回実験で着目した錯覚現象は目で直接見るのではなく、目の端で見た場合に生じます。そのため実験では画面中央の十字を見てもらうように指示しました。そして、実験では1つの刺激に対して様々な速度で回転させた状態で画像を提示したときにどちらに回転しているか答えてもらい、最終的に左回転したと答えた確率を集計して(B)のようなグラフを作成します。左と答えた確率が50%のときが錯視の動きをキャンセルさせる回転速度を示すのですが、人によっては「回答に困ったら右と答えよう」と考える人がいるなど、正しい速度が計算できない可能性があります。そのため、鏡対象の刺激も用意して実験で同時に2つの画像の心理曲線(Bの赤と青)を作成します。最終的にはこの2つのグラフが離れている距離からキャンセルさせる速度を算出して、答えの偏りを打ち消すようにしています。
先述の足し算則に基づいて、3色の画像の知覚速度から4色の画像の知覚速度を求めたところ、図4のように知覚速度をうまく予測できていることがわかりました。グラフを見てもわかるように、この錯視の知覚速度は個人差が大きく、未だにそれを説明することは難しいです。しかし、今回の検証で示した足し算の情報統合は個人差のない普遍的な仕組みであることが分かりました。
fig4.jpg図4:実験結果。4色の刺激(図2参照)を被験者に提示しました。実験では4色の刺激のうち、1つの色の輝度を変化させて、そのときの知覚速度を計測しました(赤線)。縦軸は知覚速度、横軸はその変化させた色の輝度を表しています。グラフは被験者ごとに示されています。 実験結果に個人差はありますが、色の輝度の変化に相関して錯視の速度が変化している様子が見てとれます。黒線が3色の錯視画像の実験データから計算された予測値で、実測値である赤線とよく一致しており、足し算則が成立していることが分かります。
図4の各グラフの左端の点は白黄黒の組み合わせで、右端の点は白青黒の組み合わせに対応しており、それぞれ逆方向の動きの知覚を生み出していることが分かります。図1の蛇の回転錯視では、図2(C)のように2つの3色デザインが巧みに組み合わされて、大きな動きの錯覚を生み出しているのです。

【今後の展望】
動きの知覚能力は交通事故を未然に防ぐなど、危険予測をする上でとても重要な能力です。しかし、この能力は現時点では視力検査のような単純な検査を行うのみで測ることは難しく、引き続き基礎的な研究によって脳の仕組みを解き明かしていく必要があります。
今回の研究によって複雑に絡み合う動きを知覚する脳のメカニズムの1つを特定することができましたが、この実験は今回着目した仮説が、人工ニューラルネットワークを視覚シミュレータ(参考文献2, 3)として用いて事前に検証したことがきっかけで立案されました(参考文献4)。心理実験は多くの労力が必要となるため、これまでより慎重に検証を進める必要がありましたが、このような人工ニューラルネットワークの利用方法によってより円滑に研究が進展する場面も出るようになります。また、人工ニューラルネットワークそのもので何が行われているかを調べる解析技術を開発することによって、人では直接調べることができない知見を見つけることも可能になるでしょう。心理実験のような実際に人に参加してもらう実験とコンピュータシミュレーションの2つのアプローチの両輪によって、脳の仕組みの理解を深めることが期待されます。

【発表雑誌】
雑誌名 Scientific Reports
掲載日 2023年11月30日
論文タイトル“Integration of motion information in illusory motion perceived in stationary patterns”
著者: Taisuke Kobayashi and Eiji Watanabe
DOI: https://doi.org/10.1038/s41598-023-48265-4

【参考文献】
1. Fraser & Wilcox, Nature (1979) https://doi.org/10.1038/281565a0
2. Watanabe et al., Front. Psychol. 9 (2018)
https://doi.org/10.3389/fpsyg.2018.00345
(プレスリリース:https://www.nibb.ac.jp/press/2018/03/20-2.html)
3. Kobayashi et al., Sci. Rep. 12 (2022) https://doi.org/10.1038/s41598-022-07438
(プレスリリース:https://www.nibb.ac.jp/press/2022/03/10.html)
4. Kobayashi & Watanabe, arXiv (2021) https://doi.org/10.48550/arXiv.2106.09979

【研究グループ】
本研究は基礎生物学研究所 神経生理学研究室の小林汰輔 特任助教と渡辺英治 准教授(超階層生物学センターAI解析室及び総合研究大学院大学兼任)による成果です。

【研究サポート】
本研究は、文部科学省科学研究費助成事業などのサポートを受けて行われました。

【本研究に関するお問い合わせ先】
玉川大学 脳科学研究所 嘱託研究員
研究当時:基礎生物学研究所 神経生理学研究室 特任助教
小林 汰輔(コバヤシ タイスケ)

基礎生物学研究所 神経生理学研究室 准教授
基礎生物学研究所 超階層生物学センター AI解析室 室長
総合研究大学院大学 准教授
渡辺 英治(ワタナベ エイジ)

【報道担当】
基礎生物学研究所 広報室

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