自己と他者の報酬情報が脳内で処理・統合されるメカニズムの一端を解明
2018/09/18 自然科学研究機構 生理学研究所,日本医療研究開発機構
概要
ヒトの意思決定やモチベーションは、自己が得る報酬(金銭や社会的地位など)に加え、他者が得る報酬によっても左右されます。しかし、他者の報酬が脳内のどの細胞の、どの細胞同士のつながりの、どのような働きによって処理されるのか、その詳細は未だ明らかになっていません。自然科学研究機構生理学研究所の磯田昌岐教授と則武厚助教、二宮太平助教の研究グループは、自己と他者の報酬情報が、進化的に新しい脳領域である大脳新皮質の内側前頭前野細胞にて選択的に処理されることを発見しました。そしてそれらの情報は、進化的に古い脳領域である中脳のドーパミン細胞に送られ、そこで自己の報酬の主観的価値が計算されることを突き止めました。今回の成果は、ヒトを含む霊長類動物において、主観的な価値判断が脳内のどのようなメカニズムによって実現されるのかを解明していく上で、大きな足がかりになると期待されます。本研究結果は、Nature Neuroscience誌(2018月9月17日号オンライン)に掲載されます。
研究成果
自分の得るものよりも他人の得るものの方が気になってしまう。そういう経験は、皆誰しもが持っているのではないでしょうか。例えば、同じような仕事をしている同僚がいたとします。彼の給料が気になり、それが自分より高いとわかると羨んだり、自分の給料はこれまでと変わらないのに仕事への意欲が下がったりすることがあります。このように、自分が得る報酬の価値が他人の得る報酬によって影響されることは日常的によくあることです。では、それは一体どのような背景で生じているのでしょうか?
自然界に限らず、実社会においても報酬的資源(金銭や社会的地位など)には限りがあります。このため、他人が報酬を得ると自分が報酬を得る機会を失うという競争原理がはたらくのではないかと考えられます。また、そもそも報酬の価値には絶対的な基準がありません。このため、自分の報酬の価値を他人の報酬と比較して決定しがちであるという心理的な背景もあるでしょう。これまで、自己の報酬価値に関する研究は、進化的に古い脳である中脳のドーパミン細胞を中心に、積極的におこなわれてきました。しかし、これまでの研究のほとんどは、他者の存在しない非社会的な実験環境でなされてきたため、他者の報酬情報と自己の報酬情報が脳のどの領域でどのように処理・統合され、最終的に自己の報酬の主観的価値が計算されるのかについては、未だよくわかっていないのが現状です。
この疑問を解決するヒントとなるのが、社会の複雑化と共に発達を遂げた、大脳新皮質という進化的に新しい脳領域です。我々は、この中でも特にドーパミン細胞と密な解剖学的結合を有し、自己と他者の情報処理に関わるとされる内側前頭前野に着目しました。そして、ドーパミン細胞と内側前頭前野細胞とのやりとりが、自己と他者の報酬情報の処理・統合において重要なのではないかという仮説を立てました。この仮説を検証するため、サルを対象とした新たな実験系を構築し、以下の方法により研究を進めました。
まず我々は、ヒトと同じようにサルにおいても自己の報酬価値が他者の報酬情報によって影響を受けるのかどうかを調べました。この目的のため、対面する二頭のサルを用いた「社会的古典的条件づけ」という新たな行動学的手法を考案し、自己と他者に与える報酬(ジュース)の確率を操作しました。
結果、当然のことながらサルでも人間と同様、自分が報酬を受ける確率が高まれば高まるほど、報酬に対する期待行動が増えます。しかし一方で、自分が受ける報酬確率は一定であるにも関わらず、他者の報酬確率が高まれば高まるほど、自己の報酬に対する期待行動が減少することを見出しました。これは、サルが自分の受ける報酬の情報そのものだけに注視しているのではなく、他者の受ける報酬情報も考慮した報酬の価値(主観的価値)判断をしていることが、サル自身の行動に現れていることを意味しています。興味深いことに、目の前の他者を物体(ジュースを回収するボトル)に置き換えると、このような主観的価値の違いは生じなくなりました。
続いて、ドーパミン細胞と内側前頭前野細胞による自己と他者の報酬情報の処理様式を明らかにするため、二つの脳領域から単一神経細胞活動*1を記録しました。さらに、領域間における情報処理の方向性を特定するため、二つの脳領域から局所電場電位*2を同時に計測しました。
結果、内側前頭前野では、自分が受ける報酬情報か、他者が受ける報酬情報かによって、神経細胞ごとに選択的に各々処理されていることがわかりました。一方ドーパミン細胞では、自己や他者の報酬情報そのものではなく、両者を統合した結果である、報酬の主観的価値が処理されていることがわかりました。さらに、自己と他者の報酬情報は、主に内側前頭前野からドーパミン細胞のある中脳に向かって流れることがわかりました。これらの結果から、内側前頭前野の神経細胞によってモニターされる自己および他者の報酬情報が、中脳のドーパミン細胞に送られて統合され、そこで自己の報酬の主観的価値が計算されていると考えられます。これらの発見は、進化的に古い中脳のドーパミン細胞による自己報酬の評価が、進化的に新しい内側前頭前野の神経細胞によって影響を受ける可能性を示唆しています。
磯田教授は、「サルもヒトと同じように他者の報酬情報を参照して自己の報酬価値を変えることを示すことができました。自他の報酬情報処理をめぐる内側前頭前野と中脳の神経細胞の働きの違いや、二つの領域間を流れる情報の方向性を明らかにできたことは画期的です。これらの成果は、ヒトを含む霊長類動物において、主観的価値判断のメカニズムを神経ネットワークの観点から解明していく上で大きな足がかりとなるでしょう。」と話しています。
また、則武助教は、「進化的に古い中脳のドーパミン細胞が他者の報酬情報を計算にいれた自己中心的な価値表現をしているのとは対照的に、進化的に新しい内側前頭前野の神経細胞が、自己と他者の報酬情報を切り分けて処理していることに驚きました。今後は、二つの脳領域に加え、それらとつながりのある他の脳領域も解析対象に加えながら、より複雑な社会的意思決定や行動決定における大脳皮質と皮質下領域の機能連関を詳しく調べていきたいと思います。」と話しています。
本研究は文部科学省科学研究費補助金および日本医療研究開発機構(脳科学研究戦略推進プログラム)「 社会的な意思決定と行動制御のシステム的理解に向けた研究手法の開発」の支援を受けて行われました。
- *1 単一神経細胞活動記録:
- 一つの神経細胞の活動電位を細胞間隙に配置した電極から記録する方法。これにより、一つの神経細胞の活動タイミングや活動パターンがわかる。
- *2 局所電場電位:
- 神経細胞間隙に配置した電極から、その周辺にある神経細胞の集団電位を記録する方法。電極近傍の神経細胞集団の活動タイミングや活動パターンが記録できる。
今回の発見
- サルが他者の報酬情報を参照して自己の報酬の主観的価値を変えることを明らかにしました。
- 内側前頭前野の神経細胞が、自己と他者の報酬情報を細胞ごとに選択的に処理することを明らかにしました。
- 中脳のドーパミン細胞が、自己と他者の報酬情報を統合して報酬の主観的価値を処理することを明らかにしました。
- 内側前頭前野から中脳へ向かう情報の流れが、報酬の主観的価値の計算に重要な役割を果たしていると考えられました。
図1 実験デザインとサルの行動結果を表す模式図
A.社会的古典的条件づけ。報酬条件を示す図形が1秒間提示されたのち、まず他者に報酬結果が与えられ、その1秒後に自己に報酬結果が与えられる。B.自己の報酬の主観的価値は、自己の報酬量に比例する。C.自己の報酬の主観的価値は、他者の報酬量に反比例する。自己の報酬量は客観的には変わらないことに注意。D.他者の代わりに物体(ボトル)を置くと、主観的価値の変化は生じない。この図では、研究成果の概要を模式的に表すため、自己と他者に与えられる報酬を「量」の違いとして図示したが、実際の実験では報酬の「確率」を操作したことに注意。
図2 脳活動の解析結果を表す模式図
内側前頭前野では、自己と他者の報酬情報はそれぞれ異なる神経細胞によって処理される(赤色の神経細胞と青色の神経細胞)。中脳のドーパミン細胞は、自己の報酬の主観的価値を処理する(黄色の神経細胞)。図中の青い矢印は内側前頭前野細胞から中脳ドーパミン細胞に対して情報の流れがあることを示す。
この研究の社会的意義
うつ病では、自己と他者の様々な属性を比較して、自己の価値を健常者以上に低く評価してしまう傾向があります。ドーパミン細胞や、その活動を制御する他の神経細胞の機能解明を進めることにより、うつ病のメカニズムの解明や、それを改善する薬物治療の研究に新たな展開がもたらされることが期待されます。
パーキンソン病は、中脳のドーパミン細胞が変性脱落することにより発症します。今回の研究成果から、ドーパミン細胞と社会的認知機能の関連性が示唆されました。実際に、パーキンソン病では他者の心の推定が困難になるという報告があります。しかし、パーキンソン病における社会的認知機能障害のメカニズムは現在も明らかにされていません。我々は、ドーパミン細胞と内側前頭前野細胞をつなぐネットワークが重要な鍵を握るのではないかと考えています。本研究成果が契機となって、当該研究が加速されるのではないかと期待されます。
論文情報
- 論文タイトル
- Social reward monitoring and valuation in the macaque brain
- 著者情報
- Atsushi Noritake1,2,3, Taihei Ninomiya1,2 and Masaki Isoda1,2,3*
-
- Division of Behavioral Development, Department of System Neuroscience, National Institute for Physiological Sciences, National Institutes of Natural Sciences, Okazaki, Japan.
- Department of Physiological Sciences, School of Life Science, The Graduate University for Advanced Studies (SOKENDAI), Hayama, Japan.
- Department of Physiology, Kansai Medical University School of Medicine, Hirakata, Japan.
- 掲載誌
- Nature Neuroscience 2018年 9月17日オンライン掲載
お問い合わせ先
研究について
自然科学研究機構 生理学研究所 認知行動発達研究機構部門
教授 磯田 昌岐 (イソダ マサキ)
広報に関すること
自然科学研究機構 生理学研究所 研究力強化戦略室
事業に関すること
国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)
戦略推進部 脳と心の研究課