2024-12-04 東京大学,京都大学,科学技術振興機構,ステラファーマ株式会社
発表のポイント
- 液体のりに使われているポリビニルアルコールが、今まで実用性がないとみなされ薬の成分から取り除かれていた化合物(鏡像異性体)の効果を劇的に向上させることを発見しました。
- 本発見により、臨床で使われる薬剤をはるかに超えるがんへの選択的集積性と滞留性を実現し、ホウ素中性子捕捉療法のマウス実験で根治レベルの治療効果を得ることに成功しました。
- 本成果を膵臓がん等の難治がんの治療に応用するために産学共同研究を推進しています。
ポリビニルアルコールにより「役に立たない」成分が活躍
概要
東京大学大学院総合文化研究科の小成田翔大学院特別研究学生、野本貴大准教授らは、液体のりに使われるポリビニルアルコール(PVA、注1)を、今までがん治療には有用でないとされていた化合物に加えるだけで、臨床で使われている薬よりもはるかに優れたがんへの選択的集積性と滞留性を示すことを発見しました。この発見を、京都大学複合原子力科学研究所の鈴木実教授の協力のもとホウ素中性子捕捉療法(BNCT、注2)に応用したところ、マウスの皮下腫瘍をほぼ消失させることに成功しました。今回開発した薬剤は従来のBNCT用薬剤と比較して正常組織への移行性が極めて低く、BNCTの適応拡大につながることが期待されています。本技術の実用化を目指し、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)次世代がん医療加速化研究事業(P-PROMOTE)の支援を受け、東京大学とステラファーマ株式会社(BNCT用医薬品を製造販売する企業)が共同研究を推進しています。
発表内容
<研究の背景>
BNCTは、熱中性子とホウ素原子(10B)が衝突した際に生じる核反応を利用してがん細胞を殺傷する治療法です(図1A)。現在は、「切除不能な局所進行又は局所再発の頭頸部(とうけいぶ)癌」に対して薬事承認が取得されており、従来の方法で治療できなかった再発性、浸潤性のがんに対しても根治が見込めると期待される治療法で、その適応拡大が強く求められています。この適応拡大の鍵を握るのが、がんに選択的に集積し留まる薬剤の開発です。現在、臨床では、L-ボロノフェニルアラニン(L-BPA)というホウ素薬剤が用いられています(図1B)。L-BPAは、LAT1というがん細胞上に多く発現しているアミノ酸トランスポーター(注3)を介して細胞に入るため、がん細胞に選択的に集まることが知られています。一方で、L-BPAは別のアミノ酸トランスポーター(ATB0,+, LAT2)からも細胞に入ることができます。そのため、がんの発生箇所によってはがん細胞と同程度のL-BPAが周辺の正常細胞にも入ってしまい、BNCTのメリットを生かせず、開発対象外となっているがん種もあります(図1C)。
図1. (A) BNCTの概要。(B) L-BPAの特徴。LAT1, LAT2, ATB0,+を介して細胞に入る。(C) 腫瘍の発生箇所によるBNCTの実施可否。相当な量のL-BPAがATB0,+, LAT2を介して正常細胞にも入ってしまうと、がん組織に熱中性子を当てる際に正常組織でも核反応が生じてしまうため、BNCTの適用が困難になる。
<研究の内容>
そこで、本研究チームはL-BPAの鏡像異性体(注4)であるD-ボロノフェニルアラニン(D-BPA)に着目しました(図2A)。D-BPAはL-BPAと比べてがん細胞に集まらず、劣ったホウ素薬剤としてみなされ、深く研究されることのなかった化合物でした。本研究チームはこのD-BPAにPVAを混ぜると「スライムの化学(注5)」と同様の化学結合が形成され(図2B)、さらにはD-BPAのがんへの集積量が従来の化合物(例えば本研究チームが2020年に開発したPVA-L-BPA(注6))と比較しても極めて高くなることを発見しました(図2C)。さらに、PVAに結合したD-BPA(PVA-D-BPA)はがん細胞への選択性を従来の薬よりも大幅に高くできることが分かりました(図2D)。マウス皮下腫瘍モデルにおけるBNCTでは、PVA-D-BPAはL-BPAよりも著しい抗腫瘍効果を示しました(図2E)。
図2. (A) L-BPAとD-BPAは鏡像異性の関係。(B) PVAとL-BPAまたはD-BPAを水中で混合するとPVA-L-BPAとPVA-D-BPAを作ることができる。(C) マウス大腸がんモデルに対して薬剤を静脈注射した時のがんへの薬剤集積。(D) がんと正常組織の薬剤濃度比。この値が高ければ高いほど適用可能性が高くなる。(E) BNCTによる抗腫瘍効果。1回の治療でPVA-D-BPAは著しい治療効果を示した。
この意外な結果が得られた理由を詳しく調べたところ、D-BPAはL-BPAと比較してLAT1以外のアミノ酸トランスポーターからは細胞に入らず、LAT1からは選択的に細胞に取り込まれるものの、その効率は極めて低いことが分かりました。一方、PVA-D-BPAは、LAT1介在型エンドサイトーシスという経路で細胞に取り込まれるようになり、がん細胞内に入る効率が2倍以上向上することが明らかになりました。また、そのようにして細胞内に入ったPVA-D-BPAは徐々に分解してD-BPAとなり、がん細胞から出て行きづらくなることが分かりました(図3)。これらのPVAによる取り込み効率の増大効果とD-BPAの高い細胞内滞留性が組み合わさることで、PVA-D-BPAは非常に高いがん選択的集積量を示すことが本研究で明らかになりました。
図3. PVA-D-BPAが今までの薬剤よりも高い腫瘍選択的集積性を示す理由。
<今後の展望>
PVA-D-BPAは、従来の薬剤では十分な効果を得られなかったがんに対しても有効な薬剤となることが期待されます。東京大学、ステラファーマ株式会社、医療用PVAの製造を行う三菱ケミカル株式会社の三者でBNCT用薬剤のPVA製剤の実用化に向けた共同研究を進めています(関連情報プレスリリース①)。また、AMED P-PROMOTEの支援を受けて東京大学、大阪医科薬科大学、ステラファーマ株式会社がD-BPAのような特殊なホウ素化合物の製剤化の研究を推進しています。
〇関連情報:
「プレスリリース① ステラファーマ、三菱ケミカルグループ、東京大学が共同研究契約締結〜ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)用ポリビニルアルコール(PVA)製剤の実用化を加速〜」(2023/12/11)https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/news/topics/20231211150000.html
発表者・研究者等情報
東京大学 大学院総合文化研究科
野本 貴大 准教授
小成田 翔 大学院特別研究学生
京都大学 複合原子力科学研究所
鈴木 実 教授
論文情報
雑誌名:Journal of Controlled Release
題名:Poly(vinyl alcohol) potentiating an inert D-amino acid-based drug for boron neutron capture therapy
著者名:Kakeru Konarita, Kaito Kanamori Minoru Suzuki, Daiki Tokura, Shota Tanaka, Yuto Honda, Nobuhiro Nishiyama, Takahiro Nomoto*(*:責任著者)
DOI:10.1016/j.jconrel.2024.11.017
URL:https://doi.org/10.1016/j.jconrel.2024.11.017
研究助成
本研究は下記の支援により実施されました。
- 日本医療研究開発機構(AMED)次世代がん医療加速化研究事業(P-PROMOTE)(課題番号JP24ama221236)
- AMED産学連携医療イノベーション創出プログラム(ACT-M)(課題番号JP20im0210121)
- AMED橋渡し研究プログラム(TR-SPRINT)(課題番号JP19lm0203023)
- 科学技術振興機構(JST)創発的研究支援事業(FOREST)(課題番号JPMJFR215E)
- 科研費「基盤研究(B)(課題番号JP22H02916)」、「若手研究(課題番号JP20K20196、JP18K18383)」、「特別研究員奨励費(課題番号23KJ0923)」
- 共同研究費 ステラファーマ株式会社
用語説明
(注1)ポリビニルアルコール(PVA)
PVAは液体のりの成分として使われており、また生体適合性の高い材料として古くから研究されてきた物質で、医薬品の添加物としても使用されています。PVAは多くのヒドロキシ基(-OH)を持ち、複数のヒドロキシ基がL-BPAやD-BPAのボロン酸と呼ばれる構造と水中で結合を形成します。
(注2)ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)
BNCTは、ホウ素原子と特殊な放射線(熱中性子)の間で発生する核反応により生じるアルファ粒子とリチウム反跳核によりがん細胞を殺傷する方法です。ホウ素原子と熱中性子そのものの体に対する影響は小さく、核反応により生じるアルファ粒子とリチウム反跳核の移動する距離は細胞1個分の大きさ(10 µm)程度であるため、がん細胞にホウ素を選択的に集積させることができれば、がん細胞だけを選択的に殺傷することができます。2020年には日本で「切除不能な局所進行又は局所再発の頭頸部(とうけいぶ)癌」に対するBNCTが、世界で初めて保険適用を認められました。
(注3)アミノ酸トランスポーター
細胞がアミノ酸を細胞内に取り込むためのタンパク質です。様々なアミノ酸トランスポーターがあり、それぞれ異なるアミノ酸を取り込みます。LAT1アミノ酸トランス ポーターは、正常組織ではほとんど発現しておらず、多くのがん細胞で発現しているため、LAT1を標的とした薬剤の開発が近年進められています。
(注4)鏡像異性体
同じ分子式・構造式を持ちながらも、鏡に映したような立体配置の関係にある物質のことを指します。分かりやすい例として、手の形を挙げることができます。右手と左手は同じ形ですが、同じ向きで重ね合わせることはできません。なお、L-アミノ酸とD-アミノ酸は鏡像異性の関係にあり、我々の体を構成するアミノ酸のほとんどはL-アミノ酸です。近年、D-アミノ酸も体の中に存在しており、それらがどのような役割を果たしているかを調べる研究が進められています。
(注5)スライムの化学
洗濯のりとホウ砂を混ぜるとスライムを作ることができます。これは洗濯のりに含まれるPVAとホウ砂の間にボロン酸エステルという結合が形成されるからです。本研究のL-BPA、D-BPAとPVAの間の結合にもボロン酸エステルが使われています。
(注6)PVA-L-BPA
PVAとL-BPAを水中で混合するとPVA-L-BPAという複合体が形成され、L-BPAのがん集積性・滞留性を大幅に向上できることを2020年に野本准教授らの研究グループが発見しました。この技術に鏡像異性体を取り入れることで今回の研究成果につながりました。
参考URL:https://sites.google.com/view/nomoto-lab/research
ホウ素中性子捕捉療法に使用される薬剤の治療効果を飛躍的に高めることができる代謝制御型薬物送達システム
論文URL:https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.aaz1722
Nomoto T. et al., Poly(vinyl alcohol) boosting therapeutic potential of p-boronophenylalanine in neutron capture therapy by modulating metabolism. Science Advances (2020).