忘却の脳内メカニズムの鍵を発見~記憶・学習障害の治療法開発への新たな期待~

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2018-10-09 群馬大学,東洋大学,佐賀大学,日本医療研究開発機構

群馬大学大学院医学系研究科神経薬理学分野の白尾智明教授らの研究グループは、忘却の脳内メカニズムの鍵を発見しました。
私たちの脳は、記憶をシナプスと呼ばれる神経細胞のつなぎ目に蓄えています。学習するとシナプスで長期増強という現象が起こり、シナプスが強固につながります。反対に、ものを忘れる時はシナプスで長期抑圧という現象が起こり、シナプスのつながりが弱くなります。脳の発達が盛んな幼弱期には長期増強と長期抑圧が頻繁に起こりますが、成熟脳では長期抑圧はあまり起こらなくなります。しかし、大きなストレスが加わったマウスや、自閉症スペクトラム障害、認知障害などの病気のモデルマウスでは、成熟後も長期抑圧が起こりやすくなっています。
群馬大学は、白尾教授が1985年に発見した、シナプス可塑性に重要な働きをするタンパク質「ドレブリン」の研究で、長年世界をリードしてきました。生まれたばかりの脳のドレブリンは体の他の細胞と同じE型ですが、発達に伴い神経細胞に特有のA型が増えてきて、成熟するとほとんどがA型になります。私たちの研究グループでは、A型ドレブリンを作れない遺伝子組み換えマウスの海馬では、E型ドレブリンが作り続けられるために、成熟後も長期抑圧が起こることを明らかにしました。この結果から、正常の成熟脳で長期抑圧が抑制されているのは、ドレブリンがE型からA型に変わるためであることが分かります。また、病気の脳で長期抑圧が起こりやすくなるのは、A型のドレブリンが欠乏してE型のドレブリンが増加するためではないかと推測されます。
今回の発見は、成熟に伴う脳機能変化の理解を深めるのみではなく、病気の脳に見られる記憶・学習障害の病態解明や治療法の開発に繋がることが期待されます。
本研究成果は、中央ヨーロッパ夏時間の2018年10月8日5時00分(日本時間の2018年10月8日12時00分)に細胞神経科学に関する世界的学術誌「Frontiers in Cellular Neuroscience」(フロンティアズ・イン・セルラー・ニューロサイエンス)に掲載されました。

ポイント
  • 忘却の脳内メカニズムの鍵を握る現象―シナプスの長期抑圧現象の調節メカニズムを解明―
  • 自閉症スペクトラム症候群、認知症などの病態の理解や治療法開発に繋がる重要な発見
研究の背景

私たちの脳は、神経細胞から神経細胞へと電気信号を伝達することによって働いています。神経細胞間のつなぎ目はシナプス(注1)(図1)と呼ばれます。シナプスでは、信号伝達が長期間にわたって起こりやすくなる長期増強と、逆に信号伝達が起きにくくなる長期抑圧が起こり、その結果、学習や忘却が起こります。つまり、記憶はシナプスの機能変化として脳に蓄えられます。この機能をシナプス可塑性といいます。
近年のマウスを用いた研究によれば、脳の発達が盛んな幼弱期には長期増強(注2)(図1)と長期抑圧(注3)(図1)が頻繁に起こりますが、正常の成熟脳では長期抑圧はあまり起こらないことがわかっています。それに反して、大きなストレスが加わったマウスや、自閉症スペクトラム障害(注4)や認知障害(注5)などの病気のモデルマウスでは、成熟後も長期抑圧が起こりやすくなっていることが知られています。記憶・学習能力が正常な脳では、なぜ成熟すると長期抑圧が起こらなくなるのかについては、今までほとんど分かっていませんでした。
忘却の脳内メカニズムの鍵を発見~記憶・学習障害の治療法開発への新たな期待~
図1.シナプス、長期増強、長期抑圧の説明

研究成果

白尾教授が30年以上前に発見したドレブリン(注6)は、記憶や忘却に重要な働きをするタンパク質です。群馬大学はこのドレブリンの研究で長年世界をリードしてきました。生まれたばかりの脳のドレブリンは体の他の細胞と同じE型(ドレブリンE)ですが、成熟した神経細胞では、ドレブリン遺伝子の選択的スプライシング(注7)のパターンが変わって、神経細胞に特有のA型(ドレブリンA)を作るようになります。私たちの研究グループでは、A型ドレブリンを作らない遺伝子組み換えマウスを作製し、記憶・学習に重要な脳部位である海馬から作成した急性スライス標本(注8)を用いて、ドレブリンAを作れないマウスでは、ドレブリンEを作り続けて、成熟後も長期抑圧が起こることを明らかにしました。長期抑圧はそれを引き起こす受容体との関連でNMDA型グルタミン酸受容体(注9)依存性と代謝型グルタミン酸受容体(注10)依存性に分かれますが、ドレブリンAがないと引き起こされる長期抑圧は代謝型グルタミン酸受容体依存性長期抑圧のみでした(図2)。
この結果から、A型ドレブリンは代謝型グルタミン酸受容体依存性長期抑圧が起こるメカニズムを抑制していると考えられます。そして、病気の脳で長期抑圧が起こりやすくなっているのはA型のドレブリンが欠乏しているためではないかと推測されます(図3)。

図2.成熟ノックアウトマウスで起こる長期抑圧(LTD)はNMDA型グルタミン酸受容体の阻害薬APV存在下でも出現するが、代謝型グルタミン酸受容体の阻害薬MPEP存在下では出現しない。したがって、成熟ノックアウトマウスで起こる長期抑圧は代謝型グルタミン酸受容体依存性の長期抑圧であることが分かる。

図3.脳においてドレブリンがE型からA型に変化する生物学的意義

今後の展開

長期抑圧は、忘却に必須の現象と考えられていますが、その異常亢進(過剰に生じている状態)は、記憶・学習の妨げとなります。実際に、長期抑圧が亢進していると推察される脆弱性X症候群(注11)では記憶・学習障害があります。また、アルツハイマー病(注12)のような認知症でも、長期抑圧が亢進していることが示唆されています。したがって今回の発見は、脳機能の理解を深めるのみではなく、記憶・学習障害が出現する脳機能障害の病態解明や治療法の開発に繋がることが期待されます。

共同研究者

白尾 智明(しらお ともあき):群馬大学 大学院医学系研究科 神経薬理学分野 教授
花村 健次(はなむら けんじ):群馬大学 大学院医学系研究科 神経薬理学分野 准教授
山崎 博幸(やまざき ひろゆき):群馬大学 大学院医学系研究科 神経薬理学分野 助教
安田 浩樹(やすだ ひろき):佐賀大学 医学部 生理学分野 教授
児島 伸 彦(こじま のぶひこ):東洋大学 生命科学部 生命科学科 教授
﨑村 建司(さきむら けんじ):新潟大学 脳研究所 フェロー

論文について
英文タイトル:Drebrin isoforms critically regulate NMDAR- and mGluR-dependent LTD induction
タイトル和訳:ドレブリンアイソフォームは、NMDA型グルタミン酸受容体および代謝型グルタミン酸受容体に依存性の長期抑圧(LTD)の誘導を決定的に調節する
著者:安田 浩樹§、児島 伸彦§、花村 健次、山崎 博幸、崎村 建司、白尾 智明*
(*責任著者;§共同第一著者)
掲載誌:Frontiers in Cellular Neuroscience
その他

本研究成果は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業における基盤研究(A)「アクチンによるシナプス機能制御とその高次脳機能における役割」(研究代表者:白尾 智明)、基盤研究(B)「アクチン動態に基づく新たなシナプス可塑性モデル」(研究代表者:白尾 智明)、基盤研究(C)「ストレス誘発性不安緩衝における海馬歯状回抑制性細胞の重要性」(研究代表者:安田 浩樹)及び日本医療研究開発機構(AMED)再生医療実用化研究事業「創薬のためのインビトロ脳機能評価法の確立と標準化ヒト神経細胞の開発」(研究代表者:白尾 智明)によって得られました。

用語解説
(注1)シナプス:
神経細胞と神経細胞のつなぎ目でシナプス前部とシナプス後部よりなる。神経線維を伝わってきた電気信号によりシナプス前部から神経伝達物質という化学物質が放出される。この化学物質がシナプス後部にある受容体に結合し、次の神経細胞で電気信号が形成されることにより、神経細胞間を情報が伝達される。
(注2)長期増強:
シナプスにおいて、神経細胞間の情報伝達効率が長期に渡って増強する現象。記憶や学習の細胞レベルでの基盤ではないかと考えられている。
(注3)長期抑圧:
シナプスにおいて、神経細胞間の情報伝達効率が長期に渡って低下する現象。記憶の消失(忘却)の細胞レベルでの基盤ではないかと考えられている。
(注4)自閉症スペクトラム障害:
神経発達症(いわゆる発達障害)のひとつで、言語を含む社会的コミュニケーションや対人関係の持ち方に独特さがあり、活動が興味のある特定の狭い範囲に限定されやすい、などの特徴がある。
(注5)認知障害:
精神疾患のひとつで学習、記憶、理解、問題解決に障害をきたしている状態。
(注6)ドレブリン:
細胞の形を作っている骨格であるアクチン線維を安定化させる。また、もうひとつの骨格である微小管とアクチン線維を結合させることができる。シナプスで働いている多くの重要なタンパク質を安定化させる機能がある。アルツハイマー病ではドレブリンが消失していることが有名である。
(注7)選択的スプライシング:
DNAから転写されたmRNA前駆体からmRNAを作る際に、切り取られる部分が選択的に変わることを言う。この選択的スプライシングのパターンにより、同一のDNAから異なったタンパク質を作ることが可能になる。
(注8)急性スライス標本:
動物から素早く脳を取り出したのち、400mm程度の厚さで切った標本のこと。生きた神経細胞のネットワークを保存した状態で、実験を行うことができる。
(注9)NMDA型グルタミン酸受容体:
グルタミン酸受容体のうちNMDA(N-メチル-D-アスパラギン酸)により選択的に活性化されて、イオンを通すことによりシグナル伝達が行われる受容体。
(注10)代謝型グルタミン酸受容体:
グルタミン酸受容体のうちGタンパク質と呼ばれる三量体タンパクを介してシグナル伝達が行われる受容体。
(注11)脆弱性X症候群:
X染色体のFMR1遺伝子の異常に起因する遺伝疾患で、自閉症スペクトラムなどの精神発達障害や認知障害を起こす。治療法がなく、進行性のある慢性疾患である。
(注12)アルツハイマー病:
65歳以上の高齢者に好発する進行性の認知障害を伴う慢性疾患で、治療法はない。発症前から出現する老人斑、発症とともに著減するシナプスへのドレブリン集積、そして病気の後期に出現する神経原線維変化をホールマークとする病態像を示す原因不明の疾患。
本件に関するお問い合わせ先
研究について

群馬大学 大学院医学系研究科 神経薬理学分野 教授 白尾 智明 (しらお ともあき)

取材対応窓口

群馬大学 昭和地区事務部 総務課 広報係
東洋大学 総務部 広報課
佐賀大学 総務部 総務課 広報室

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