2025-01-27 東京大学
発表のポイント
◆ ポリマーの液-液相分離を利用して、人工細胞内に「細胞核」に相当する区画構造を構築することに成功。
◆ 人工細胞の「細胞核」でのmRNA合成(転写)と人工細胞の「細胞質」でのタンパク質合成を空間的に分離することに成功。
◆ 生命システムの理解や、効率的なタンパク質合成および物質生産への応用が期待される。
人工的な細胞核の内部での転写と、外部(細胞質)でのタンパク質合成を別々に行う人工細胞
概要
東京大学大学院工学系研究科の友原貫志大学院生(研究当時)、皆川慶嘉助教、野地博行教授らの研究グループは、人工細胞の中に「細胞核」に相当する区画構造を構築し、遺伝情報の転写とタンパク質合成を空間的に分離して再現することに成功しました。生命の最小単位である細胞を人工的に構築する試みは、生命システムの理解や有用物質生産への応用を目指して世界中で研究が進められています。特に、真核生物(注1)の特徴である細胞核の区画化は、遺伝情報の発現を精密に制御する上で重要な役割を果たしていますが、これまでの人工細胞研究では十分に再現できていませんでした。本研究では、天然変性タンパク質(注2)および2種類の合成ポリマーの液-液相分離(注3)を組み合わせることで、この問題を解決し、細胞核の内部での遺伝情報の転写と外部でのタンパク質合成を空間的に分離することに成功しました。
この成果は、生命システムの基本原理や生命の起源の理解に新しい知見を提供するとともに、産業用酵素や医薬品の開発といった応用的展開も期待されます。
発表内容
生命システムの構成論的な理解を目指す合成生物学の分野では、細胞の基本機能を人工的に再構築する「ボトムアップ型人工細胞」の研究が世界的に進められています。この研究アプローチでは、生命現象の再現に必要な要素を細胞サイズの微小区画内に再構成することで、生命システムの本質的な理解を目指します。その研究意義として、生命現象に必要な最小限の化学システムを特定し、生命の起源に対する実験科学的考察を行うという理学的な側面に加え、細胞に頼らない大規模かつ高効率な分子スクリーニングへの応用といった工学的な側面も挙げられます。
これまでの研究により、遺伝子発現や遺伝子複製、区画の成長と分裂といった個々の基本的な細胞機能が試験管内や微小区画内で再構成されつつあります。しかし、これらの機能を単一の微小区画内で同時に稼働させる際には、さまざまな生化学反応が互いに干渉することなく進行する必要があります。この課題に対して、本研究グループは真核細胞の細胞核に着目しました。真核細胞では、細胞核の区画化により、その内部でのDNAからRNAへの転写反応と、外部でのRNAからタンパク質への翻訳反応という2つの重要な反応を空間的に分離して制御しています。
本研究グループは、天然変性タンパク質の液-液相分離によって形成する液滴(コアセルベート)を細胞核としての内側の区画として、デキストランとポリエチレングリコールによる液-液相分離を外側の細胞表面膜としての区画として利用することで、この区画化を人工的に再現することに成功しました。さらに、特異的なペプチドタグ(注4)を用いることで、転写反応に必要なDNAおよび転写酵素を内側の区画に効果的に集積させる手法を開発しました(図1)。これにより、内側の区画でDNAからRNAへの転写を行い、合成されたRNAが外側の区画に拡散して、そこでタンパク質合成が行われるという一連のプロセスを実現することができました(図2)。
図1:転写反応と翻訳反応の空間的な制御
人工細胞核(IDP相)と人工細胞質(Dex相)をそれぞれ転写反応と翻訳反応の反応場として機能化させた。人工細胞核(IDP相)では、転写酵素およびDNA結合タンパク質に特異的なペプチドタグを付加することで、ともに転写反応に必要な転写酵素とDNAを濃縮するように設計されている。転写反応の結果人工細胞核で合成されたmRNAは、人工細胞質(Dex相)中で翻訳因子によって翻訳され、蛍光タンパク質が合成される。なお人工細胞の外部はPEG相に囲われている。
図2:経時的な転写反応(a)と翻訳反応(b)の進行
(a)、(b)ともに上段は人工細胞の外部を示すPEG相(赤)と人工細胞核を示すIDP相(シアン)の顕微鏡画像を示す。(a)の下段では分子ビーコン(注5)を使用して転写反応によるRNAの合成を顕微鏡で観察した。RNAの合成に伴う分子ビーコンの蛍光の経時的な増強を確認した。画像は視認性向上のためコントラスト調整済み。(b)下段では翻訳反応によるGFP(緑色蛍光タンパク質)の発現を顕微鏡で観察した。スケールバーは10 µmを示す。
この人工細胞システムでは、細胞核内外を隔てる膜がないためRNAなどの分子を自由に出入りさせられる一方で、特定の分子を各区画に選択的に濃縮させることもできます。また、水溶液の単純な混合操作だけで作成でき、生体分子の活性を維持しやすい環境で機能を再現できるという利点も持ちます。研究グループは、人工細胞核における転写反応(図2a)と人工細胞質での翻訳反応の接続の結果として蛍光タンパク質の経時的な発現(図2b)に成功し、各区画での反応を可視化することで、システムの動作を実証しました。
本研究成果は、ボトムアップ型人工細胞研究における重要な一歩となります。開発された技術は、生命システムの基本原理の解明に貢献するだけでなく、さまざまな分野に応用が可能です。例えば、タンパク質の生産効率を向上させる新しい方法として、医薬品開発や産業用酵素の製造への応用が考えられます。また、この人工細胞システムを用いることで、細胞内での遺伝子発現制御メカニズムの研究や、新規薬剤のスクリーニング系の開発などへの応用も期待されます。さらに、膜を持たない区画構造による生化学反応の制御という観点は、原始的な生命システムがどのように複雑な細胞構造を獲得していったのかを理解する上で、生命の起源に関する研究としても重要な成果となります。
発表者・研究者等情報
東京大学大学院工学系研究科
野地 博行 教授
皆川 慶嘉 助教
友原 貫志 研究当時:博士課程
論文情報
雑誌名:Nature Communications
題 名:Artificial cells with all-aqueous droplet-in-droplet structures for spatially separated transcription and translation
著者名:Kanji Tomohara, Yoshihiro Minagawa, Hiroyuki Noji*
DOI:10.1038/s41467-024-55366-9
URL:https://www.nature.com/articles/s41467-024-55366-9
研究助成
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 CREST「長鎖DNA合成と自律型人工細胞創出のための人工細胞リアクタシステム」研究領域(No.JPMJCR19S4)、同 GteX「超並列たんぱくプリンタシステムの開発」研究領域(No.JPMJGX23B1)、同 ASPIRE「日英共同による人工光合成細胞システム開発」(No.JPMJAP24B5)、科研費「基盤S(No. JP19H05624)」の支援を受けて行われました。
用語解説
(注1)真核生物:
核膜で囲まれた細胞核を持ち、ミトコンドリアなどの細胞小器官を有する生物の総称。動物、植物、菌類などが含まれ、原核生物と比べてより複雑な細胞構造を持つ。
(注2)天然変性タンパク質:
酵素など特定の3次元構造に折りたたまれて機能を発揮するタンパク質と対照的に、生理的条件下で3次元構造をとらないタンパク質。分子間でのさまざまな相互作用ネットワークにより液-液相分離が進行し、コアセルベートと呼ばれる液滴を形成する。
(注3)液-液相分離:
均一な液体混合物が異なる組成を持つ2つの液相に自発的に分離する現象。天然変性タンパク質のように単一のポリマーだけで濃厚相と希薄相に相分離する場合と、デキストランとポリエチレングリコールのように2つの組成のそれぞれの濃厚相に分離する場合がある。
(注4)ペプチドタグ:
特定のタンパク質同士を結びつけるために使われる短いアミノ酸配列の一種であり、DNA配列を遺伝子的にタンパク質に組み込むことで、簡単にタンパク質に付加可能。今回使用したペプチドタグは、ジッパーのような構造で互いにかみ合う性質を持ち特異的に結合する。一方で、他の分子やタンパク質とはほとんど結びつかないため、この特性を利用して特定のタンパク質同士を選択的に結合させることができる。今回のシステムでは一方のペプチドタグをIDPに付加し、もう一方のペプチドタグをIDP相に取り込みたいタンパク質に付加している。
(注5)分子ビーコン:
特定のDNAやRNA配列を検出するための核酸プローブで、蛍光色素と消光剤を組み込んだ環状構造を持つ。ターゲット配列がないときは蛍光が消えた状態だが、配列と結合すると形が変わり、蛍光を発して検出可能になる。これにより、試料中の特定の遺伝子やRNAの存在をリアルタイムで確認できる。
プレスリリース本文:PDFファイル
Nature Communications:https://www.nature.com/articles/s41467-024-55366-9