「乾燥しても死なない細胞」の死の回避システムスイッチON!

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Pv11細胞の乾燥耐性遺伝子発現制御ネットワークの発見

2020-03-23 慶應義塾大学,山口東京理科大学,理化学研究所,農研機構

慶應義塾大学理工学部生命情報学科の山田貴大助教と舟橋啓准教授、大学院理工学研究科の比企佑介(修士課程 1 年)、山陽小野田市立山口東京理科大学の広井賀子教授、カザン大学の ElenaShagimardanova 博士、理化学研究所の Oleg Gusev ユニットリーダー、農研機構の RichardCornette 上級研究員、黄川田隆洋主席研究員らのグループは、乾燥によってもたらされる死を回避し、水を与えられることで細胞分裂を再開する Pv11 細胞の乾燥耐性を構成するシステムである遺伝子間の制御関係、遺伝子発現制御ネットワーク(※1)の同定を世界で初めて行いました。この結果、Pv11 細胞は乾燥による死を回避するために、転写因子 NF-YC(※2)とその下流のノイズ除去及びシステムの ON/OFF を調節する遺伝子制御を用いて乾燥時における様々な障害を克服する遺伝子の発現誘導、すなわち乾燥耐性システムのスイッチを ON にすることで対処していることを見出しました。これらの成果から、乾燥耐性システムを構成する転写因子のモジュールのうち、乾燥耐性を持たない別の生物で欠損しているものを遺伝子導入することで、乾燥による死から解放された新たな生命の創生が期待されます。
本研究成果は学術雑誌 PLOS ONE への掲載に先立ち、同誌 Web サイトにてオンライン速報版が 3 月 19 日(米国東部時間)に公開されました。

1.本研究のポイント
・常温で乾燥しても細胞増殖能を保持したまま死の回避が可能なネムリユスリカの胚由来培養細胞である Pv11 細胞の時系列遺伝子発現量解析を行い、乾燥耐性遺伝子制御ネットワークを発見した。
・乾燥時における死をもたらすタンパク質の変性や酸化ストレスを抑える遺伝子や DNA の障害を修復する遺伝子である乾燥耐性関連遺伝子群の発現を、転写因子 NF-YC が制御する。
・NF-YC による乾燥耐性関連遺伝子群の制御には、これら遺伝子群の発現を安定して ON にするためのフィードフォワードループ(※3)及びポジティブフィードバック(※4)制御が存在する。

2.研究背景
干からびても死なないことで有名なネムリユスリカから作られた培養細胞である Pv11 細胞は、高濃度のトレハロースで処理することで増殖能力を維持したまま常温で長期間乾燥保存することができます。これまでに Pv11 細胞は、通常の生物では対処しきれない乾燥時に起きるタンパク質の変性や酸化ストレスを抑える遺伝子や DNA の障害を修復する遺伝子を高発現させることで、死を回避することが分かっていました。しかし、これらの遺伝子群の発現を Pv11 細胞がどのようにして誘導することができるのか、すなわち乾燥による死を回避するための遺伝子制御システムはベールに包まれていました。そこで本研究グループは、Pv11 細胞に対するトレハロース処理および、再び水を与えた際の詳細な時系列遺伝子発現量を RNA-seq データとして取得し、これを解析することで乾燥耐性
機構を支えるシステムである遺伝子制御ネットワークの同定を試みました。Pv11 細胞は、乾燥によるストレスを寛容できる状態や細胞分裂再開が可能な状態への移行のために、これらの処理を受けたという情報を、転写因子と呼ばれる遺伝子が順々に伝える、さながら伝言ゲームのような情報伝達方法で乾燥耐性関連遺伝子に伝えていると考えられます。本研究では、乾燥耐性機構を支える遺伝子制御ネットワークを統計解析により推定し、情報伝達の最初の起点となる転写因子、そしてその転写因子から乾燥耐性関連遺伝子の発現を誘導する遺伝子制御関係を明らかにすることで、乾燥耐性機構のON/OFF を調節する遺伝子制御システムを見出しました。

3.研究内容・成果
まずトレハロース処理前及び処理後 12、24、36、48 時間、その後乾燥 10 日間、そして再水和後、3、12、24、72 時間後の Pv11 細胞を用いて total RNA を採取し、RNA-seq により全遺伝子の時系列発現量を定量しました。
得られた遺伝子発現量データを元に、これらの処理に応答した遺伝子間の遺伝子制御ネットワークを統計解析により推定しました。ここから乾燥耐性を持たないショウジョウ
バエの公知の遺伝子制御ネットワークと比較することで、Pv11 細胞の乾燥耐性に特異的な遺伝子制御ネットワークの同定を行いました。得られた遺伝子制御ネットワークから、乾燥耐性関連遺伝子群全体の発現誘導を行うことができる最上流の転写因子として、NF-YC が見つかりました。NF-YC は、NF-Y という転写因子のサブユニットの一つです。これまでにシロイヌナズナやイネなどの植物に、NF-YCを初めとした NF-Y を構成する転写因子を遺伝子導入することで、通常では耐えられない完全な水の遮断による干ばつストレスに対して萎れなくなることが示されています。すなわち、この植物において乾燥耐性を発揮する上で決定的な転写因子と、進化的由来を同じくする動物の NF-Y サブユニットが、動物由来の Pv11細胞の乾燥耐性においても、重要な役割を担うことを世界で初めて明らかにしました。
NF-YC から乾燥耐性関連遺伝子群への情報伝達の仕組み全体に注目すると、複数のフィードフォワードループと、それらの間にポジティブフィードバック制御が存在することが明らかになりました。フィードフォワードループ制御は、遺伝子発現において一過的な入力をカットして持続的な入力のみ出力に伝える、いわばノイズカットフィルターの役割を持つことが示されています。さらにポジティブフィードバック制御は入力の強弱に応じて安定した出力の ON/OFF の切り替えを調節する役割を持つことが示されています。すなわち、これらの制御を利用して、ノイズに左右されず、応答すべき刺激を正確に反映する機構を作り上げていると考えられます。
以上のことから、Pv11 細胞の乾燥耐性機構は、NF-YC を起点とした安定した乾燥耐性関連遺伝子の発現調節を精密に行うことで、死なない状態と通常状態の切り替えによって成り立っていることがわかりました(図 1)。


図 1 NF-YC を起点とした乾燥耐性関連遺伝子の発現 ON/OFF システムの概念図

4.今後の展開
本研究により、乾燥しても死なず水を与えると細胞分裂を再開するために必要な遺伝子発現を誘導するシステムの存在が示唆されました。今後は、乾燥耐性に重要な役割を担うと示唆した NF-YC やフィードフォワードループ及びポジティブフィードバック制御を構成する転写因子のモジュールをゲノム編集技術などにより機能不活化・活性化させることで再水和後の細胞分裂が再開しなくなるかを実証していきます。このような実証実験により、乾燥による死の回避を成り立たせるシステムに必要最小限の転写因子セットのモジュールが明らかになれば、このモジュールを導入することで、乾燥ストレスという情報を処理し、死を回避することができる細胞を生み出せる可能性が高まります。
このように乾燥耐性という Pv11 細胞の持つ機能発揮の原理を、単一の遺伝子の有無ではなく高度に秩序化された遺伝子間の制御関係に基づくシステムとして捉えることで、さながら素子によって構成される電子回路のように乾燥耐性機能を扱うことができるようになります。この乾燥耐性の設計図を元にすれば、貴重な遺伝資源や保存が難しい食品および医療や工業で利用可能な酵素や抗体などを対象に、冷凍保存に代わる常温乾燥保存という新たな生体物質・細胞保存技術の開発へとつながると期待されます。

※本研究は日本学術振興会科学研究費助成事業(JP22128001、JP17H01511、18H02217)、欧州委員会研究開発・イノベーション枠組プログラム Horizon 2020 マリーキュリー・アクション(MSCA) RISE (DRYNET; Grant no. 734434)、国際共同研究パイロット事業(ロシアとの共同公募に基づく共同研究分野) 、ロシア科学共同研究グループ基金(17-44-07002)などの助成や支援を受けて行われました。

<原論文情報>
タイトル:Identification of a master transcription factor and a regulatory mechanism fordesiccation tolerance in the anhydrobiotic cell line Pv11
タイトル和訳:乾燥耐性細胞系列 Pv11 細胞の乾燥寛容性を駆動するマスター転写因子と
遺伝子制御メカニズムの同定
著者:山田 貴大 1、比企 佑介 1、広井 賀子 2、Elena Shagimardanova3、Oleg Gusev3,4、Richard Cornette5、黄川田 隆洋 5,6、舟橋 啓 1
1慶應義塾大学 2山陽小野田市立山口東京理科大学 3カザン大学 4理化学研究所
5農研機構 6東京大学
掲載誌:PLOS ONE (DOI: 10.1371/journal.pone.0230218)

<用語説明>
※1 遺伝子発現制御ネットワーク
遺伝子と遺伝子の間の相互作用を表現するネットワーク
※2 NF-YC
Nuclear Transcription Factor Y を構成するサブユニットの一つで植物における乾燥耐性への関与が示されている転写因子
※3 フィードフォワードループ
転写因子 A とそれが制御する転写因子 B、および A と B が共に制御する C によって構成される遺伝子制御構造。転写因子 A に対する一過的な入力をカットして、持続的な入力のみを転写因子C に伝えるノイズ除去フィルターとしての役割を持つことが報告されている。
※4 ポジティブフィードバック
転写因子 A の活性が最終的に転写因子 A 自身の活性を促す遺伝子制御構造。
転写因子 A に与えられる入力の強弱に応じた、安定した出力の ON/OFF スイッチとしての役割を持つことが報告されている。

※ご取材の際には、事前に下記までご一報くださいますようお願い申し上げます。
※本リリースは文部科学記者会、科学記者会、各社科学部等に送信させていただいております。
・研究内容についてのお問い合わせ先
慶應義塾大学 理工学部 生命情報学科 准教授 舟橋 啓(ふなはし あきら)

山陽小野田市立山口東京理科大学 薬学部 薬学科 教授 広井賀子(ひろい のりこ)

農研機構 生物機能利用研究部門 新産業開拓研究領域 生体物質機能利用技術開発ユニット
主席研究員 黄川田 隆洋(きかわだ たかひろ)

・本リリースの配信元
慶應義塾広報室

公立大学法人山陽小野田市立山口東京理科大学広報課

理化学研究所広報室 報道担当

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