2020-03-25 首都大学東京,理化学研究所,横浜国立大学,名古屋市立大学,信州大学
ナノサイエンスにおいて巨大分子は重要な構成単位ですが、巨大分子の構造と物性を制御することが難しく、ナノ構造を組み立てて、その機能を調べた例はほとんどありません。首都大学東京大学院 理学研究科の伊與田正彦 客員教授(名誉教授)、西長亨 准教授、理化学研究所 開拓研究本部 内山元素化学研究室の村中厚哉 専任研究員、内山真伸 主任研究員(東京大学 大学院薬学系研究科 教授)、横浜国立大学 大学院環境情報研究院の大谷裕之 教授、名古屋市立大学 大学院システム自然科学研究科の青柳忍 教授、信州大学繊維学部の小林長夫 特任教授らの研究グループは、チオフェン(図1左)注1)分子を環状に連結した6T4A-4Bu(図1右)リング型分子に酸化処理注2)を施すことで、世界で前例のない二重ドーナツ型構造の巨大超分子(図2)注3)を作ることに成功しました。この二重ドーナツ型分子の特性を詳しく調べた結果、磁界中では分子リングに沿って回転するように電気が流れるという、電気回路に使われるコイル注4)と同じ性質を示すことを見出しました。この特性により、6T4A-4Buは磁気に応答する単分子素子として、各種の応用開発が期待できます。
図1 左:チオフェン、右:6T4A-4Bu分子の構造式(Sは硫黄原子、Buはブチル基)
ポイント
1) 巨大環状分子を用いるナノ構造体の構築に成功しました。
2) 70個の共役π電子を有する二重ドーナツ型巨大超分子の構造と電子状態を明らかにしました。
3) チオフェンから作った二重ドーナツ型巨大超分子が磁界中で環電流特性を示すことを見出しました。
4) 本研究の成果は、磁気に応答する単分子素子として、各種の応用展開が期待できます。
■本研究成果は、近日中に米国化学会が発行する英文誌Journal of the American Chemical Society に掲載されます(2月27日付けでオンライン版には掲載されています)。なお、本研究の一部は、JSPS科研費JP26288040、JP18K05418、JP19K05076の助成を受けたものです。
研究の背景
マテリアルサイエンスによって、新しい機能をもつ物質がつくり出されていますが、その中でも周囲の環境の変化や外界からの刺激に応じて自ら応答するスマートマテリアルが注目を集めています。また、ナノサイズの分子機能材料を用いるナノサイエンスは、21世紀において鍵となる新原理と新技術の探索を続けています。しかしながら、分子機能材料のもつ秘められた可能性を最大限に引き出すのは、一般に用いられている化学物質を組み合わせるだけでは不十分で、従来とは異なる電子状態をもつ分子の物性・機能の研究が必要とされています。本研究では、非常に大きな分子が作る二重ドーナツ型巨大超分子を用いることによって、磁気に応答する新しい単分子素子の開発を目指しました。
研究の詳細
チオフェン(図1左)は、ベンゼンと同様に自然界にも存在する環状分子で、チオフェンを直線状に連結した導電性の高分子化合物(オリゴチオフェン、ポリチオフェン)は、発光ダイオードや有機EL、電界効果トランジスタ、太陽電池など、幅広い用途に応用できます。このようなチオフェンの機能を更に拡張するために、今回6個のチオフェンを環状に連結した6T4A-4Bu(図1右)リング型分子を合成し、酸化処理を施したときの分子特性を詳しく調べました。酸化処理により分子内の電子が1個だけ不足したラジカルカチオン注5)の状態にすることで、新しい磁気的・電気的な特性が現れることを期待しました。光吸収注6)や電子スピン共鳴注7)、磁気円偏光二色性注8)などの各種測定の結果、6T4A-4Buのラジカルカチオンは溶液中で2個の分子が組み合わさったダイマー注9)を形成することが分かりました。溶液から結晶を作り、大型放射光施設SPring-8注10)でのX線回折注11)により結晶構造を調べた結果、6T4A-4Buのラジカルカチオンは結晶中で図2 ① に示す二重ドーナツ型の巨大超分子を形成することが分かりました。分子リング内部に取り込まれた小分子(CH2Cl2)の磁界中の挙動を核磁気共鳴注12)で調べたところ、通常よりも高い磁界に対して共鳴吸収を示しました。この結果を理論計算で解析することで、6T4A-4Buのラジカルカチオンは、分子内の70個もの共役π電子注13)により、磁界中で6個のチオフェンでできた分子リングに沿って回転するように電気が流れる環電流注14)特性を示すことを明らかにしました(図2 ②)。この特性は、6T4A-4Buの二重ドーナツ型分子が1ナノメートル(10億分の1メートル)程度の大きさの超分子コイルとして働くことを意味します。
図2 二重ドーナツ型の構造をもつ6T4A-4Bu分子のダイマー。①X線解析より得られた結晶構造(内部に2分子のCH2Cl2を含む)。②外部磁界(青色の矢印)に応答して、70個ある共益π電子による環電流(黄色の矢印)が分子リングに流れる。このとき環電流の大きさと向きは、外部磁界の時間変化率に依存する。
研究の意義と波及効果
本研究の大きな成果は、チオフェンを直線状に連結した従来の分子では絶対に発現し得ない二重ドーナツ型の分子構造と環電流特性を、チオフェンを環状に巧みに連結して組み合わせた超分子πダイマーにおいて初めて見出した点にあり、チオフェンなどの有機分子を基盤とする分子エレクトロニクス技術の発展に大きく貢献するものです。
用語解説
注1)チオフェン
化学式C4H4Sで表される炭素原子4個と硫黄原子1個が5角形状に結合してできる有機分子(図1左)。
注2) 酸化処理
酸素など電子を受け取りやすい物質(酸化剤)の作用などにより、対象分子から電子を奪い取る処理。
注3) 超分子
複数の分子が分子間相互作用により規則的に集合した安定な化学種。
注4) コイル
導線を環状やらせん状などに巻いたもので、電磁石や発電機、モーターなどに利用される電気回路内の素子。
注5) ラジカルカチオン
奇数個の電子を持つ陽イオン性の分子で、偶数個の電子を持つ中性の分子を酸化処理することで得られる。
注6) 光吸収
物質の紫外、可視、近赤外領域の光の吸収の大きさを測定する実験で、分子内の電子の光励起エネルギーに関する情報などが得られる。
注7) 電子スピン共鳴
磁界中に置いた物質の電子スピン(電子が磁界に応答して2つの状態をとる性質)を測定する実験で、分子内の電子の磁気的性質に関する情報などが得られる。
注8) 磁気円偏光二色性
磁界中に置いた物質の光吸収の偏光状態による変化を測定する実験で、分子内の電子の光励起状態に関する情報などが得られる。
注9) ダイマー
2個の同種分子が組み合わさることで形成される1組の分子。
注10)SPring-8
高輝度短波長なX線を利用できる兵庫県にある共同利用施設。
注11)X線回折
物質に照射したX線の回折・散乱像を測定する実験で、結晶内の分子の立体構造などが得られる。
注12)核磁気共鳴
磁界中に置いた物質の核スピン(原子核が磁界に応答して複数の状態をとる性質)を測定する実験で、分子内の特定の原子核の磁気的性質に関する情報などが得られる。
注13)共役(きょうやく)π電子
分子内に交互に並んだ単結合と多重結合のために非局在化した電子。
注14)環電流
磁界中に置いた環状の分子内に生ずる、分子リングに沿った共役π電子の流れ。
発表論文
“Preparation, Spectroscopic Characterization and Theoretical Study of a Three-Dimensional Conjugated 70 π‑Electron Thiophene 6‑mer Radical Cation π‑Dimer”
Toshihiro Fujiwara, Atsuya Muranaka, Tohru Nishinaga, Shinobu Aoyagi, Nagao Kobayashi, Masanobu Uchiyama, Hiroyuki Otani, and Masahiko Iyoda
Journal of the American Chemical Society 144 (2020) DOI: 10.1021/jacs.9b13573