2018-05-25 量子科学技術研究開発機構 放射線医学総合研究所
発表のポイント
- 被ばくによる乳がんの発生に、DNAの折りたたみ異常が関わることを明らかにした
- DNAの折りたたみ異常が生じた乳がんでは、折りたたみを制御するタンパク質が異常蓄積していることがわかった
- DNAの折りたたみ異常を指標にした、被ばくによる発がんリスクの評価や、がん予防法の開発に役立つことが期待される
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(理事長 平野俊夫。以下「量研」という。)放射線医学総合研究所放射線影響研究部の柿沼志津子部長、発達期被ばく影響研究チームの臺野和広主任研究員らは、被ばくによる乳がんが、DNAの折りたたみ異常により生じる仕組みを初めて明らかにしました。
がんの発生には、遺伝子の突然変異の他に、遺伝子の発現のON/OFFを調節するDNAの折りたたみ異常が関わることが分かってきました。このDNAの折りたたみ異常はがんになる前の段階から見られ、遺伝子の突然変異と違い、元の状態に戻すことができるため、新しいがん予防法の開発に繋がるとされています。そのため、この異常に関する研究が世界中で盛んに行われていますが、被ばくにより発生したがんにおけるDNAの折りたたみ異常については不明でした。
研究チームは、被ばくによる発がんリスクの高い臓器の一つである乳がんに注目し、ラットモデルを用いて、被ばくで発生した乳がんにおけるDNAの折りたたみ異常を探索しました。その結果、被ばくにより発生した乳がん細胞では、ゲノムの広範囲にわたってDNAの折りたたみ異常が生じていることと、DNAの折りたたみを制御するタンパク質Ezh2が異常に蓄積していることが分かりました。
本研究で明らかになったDNAの折りたたみ異常に関する知見は、被ばくによる発がんのリスク評価のための分子指標や、発がんの予測・予防の分子標的として利用できる可能性があります。
この成果は、がん研究分野でインパクトの大きい論文が数多く発表されている国際対がん連合(UICC)公式学術誌「International Journal of Cancer」に掲載(2018年2月13日付オンライン)されました。本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金(26740022)、厚生労働省厚生労働科学研究費補助金(第3次対がん総合戦略研究事業)などの支援により行われました。
補足説明資料 【研究開発の背景と目的】
がんは、遺伝子の異常によって起こる病気です。近年の研究により、がんの発生には、遺伝子(ゲノム1))の突然変異の他に、遺伝子の発現のON/OFFを調節するDNAの折りたたみ(エピゲノム2))異常が関わっていることが分かってきました(図1)。このDNAの折りたたみ異常はがんになる前の段階から見られ、遺伝子の突然変異と違い、元の状態に戻すことができることから、新しいがん予防法の開発に繋がるとされています。そのため、この異常に関する研究が、世界中で盛んに行われています。被ばくにより発生したがんにおいてこれまでは、放射線がDNA(ゲノム)を傷つけることから、がんに見られるゲノム異常の探索が行われていましたが、DNAの折りたたみ異常については不明のままでした。
ヒトを対象とした疫学調査から、女性の乳房は、被ばくによる発がんリスクが最も高い臓器の一つであることが知られています。特にそのリスクが高いとされる乳腺の発達時期には、乳腺の細胞が作り出されていますが、これにはDNAの折りたたみに作用するDNAメチル化3)による遺伝子の発現のON/OFF調節が関与しています。そこで研究チームは、乳がんの研究でよく用いられているラットを使用して、被ばくで発生した乳がんにおけるDNAの折りたたみ異常を探索しました。
図1 がんの発生とゲノム、エピゲノム異常
研究の手法と成果
研究チームは、成体期初期のラットに放射線(ガンマ線4Gy)を照射し、その後に発生した乳がんについて、DNAメチル化異常の探索を行いました。その結果、ゲノムの広範囲にわたって1,000ヶ所を超えるDNAメチル化異常が検出されました(図2)。DNAメチル化異常により、遺伝子の発現のON/OFF異常が見られる遺伝子を調べたところ、DNAの折りたたみを制御するポリコーム複合体4)に関連する遺伝子が多いことがわかりました。さらに、遺伝子のON/OFF情報から、乳がんでは、ポリコーム複合体を構成する遺伝子のうち、Ezh2と呼ばれる遺伝子が過剰に働いていることが示唆されました。
図2 被ばく後に生じた乳がんのDNAメチル化異常
実際に、被ばくにより発生したラットの乳がん細胞でEzh2タンパク質が蓄積しているかを調べたところ、正常細胞に比べ、がん細胞では、Ezh2タンパク質が異常に蓄積していることがわかりました(図3)。Ezh2タンパク質の異常な蓄積は、発生した乳がんの6割と高頻度に見られました。
図3 被ばく後にできた乳がんに見られる遺伝子変異を伴わないがん化の仕組み
今後の展開
本研究により、被ばく後にできた乳がんにおいて、DNAの折りたたみ異常が、がん化に関わっていることがわかりました。今後、放射線により発生したがんに特有のDNAの折りたたみ異常の存在が確認できれば、これを分子指標にして、被ばくに起因する発がんリスクを評価する方法に応用できると期待できます。
また、遺伝子変異とは違い、DNAの折りたたみ異常は、食事などで摂取する成分や薬剤によって正常な状態に戻せる可能性があります。今後、がんが発生するまでに起こるDNAの折りたたみ異常を詳細に解析することで、発がんを予防する新たな方法の開発にもつながると期待されます。
用語解説
1)ゲノム
染色体に含まれる遺伝情報全体のこと。
2)エピゲノム
DNAの塩基配列(ゲノム)に加えられたメチル化などの化学修飾の情報のこと。DNAの塩基配列の変化を伴わず、遺伝子の発現のON/OFFが調整されます。
3)DNAメチル化
DNAの塩基配列中のシトシンという塩基にメチル基が付加される変化のこと。
4)ポリコーム複合体
エピゲノムを制御することにより遺伝子の発現のON/OFFを調整するタンパク質の集合体。細胞の形や働きを決め、発生において必須の役割を担っています。ポリコーム複合体を構成するタンパク質の一つにEzh2があります。
【論文について】
Gene expression profiling of alpha‐radiation‐induced rat osteosarcomas: Identification of dysregulated genes involved in radiation‐induced tumorigenesis of bone
Kazuhiro Daino, Nicolas Ugolin, Sandrine Altmeyer‐Morel, Marie‐Noëlle Guilly, Sylvie Chevillard
https://doi.org/10.1002/ijc.24392