学習により海馬で合成される新しいニューロステロイドが記憶の維持に必要

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2020-09-30 東京大学

清水 貴美子(生物科学専攻 助教)
深田 吉孝(生物科学専攻 教授)

発表のポイント

  • マウスに空間学習をさせると7α-ヒドロキシプレグネノロン(7α-OH-Preg)と7α-ヒドロキシデヒドロエピアンドロステロン(7α-OH-DHEA)という二つのニューロステロイド(注1)量が海馬で上昇し、海馬神経スパインの密度上昇と空間記憶の維持に働くことを明らかにした。
  • コレステロールから合成される2つのニューロステロイド7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAをマウス脳から初めて同定し、これらが海馬神経細胞の樹状突起スパイン形成に促進し、さらに空間記憶の維持に必須であることを初めて示した。
  • 記憶の維持に関わる分子メカニズムはあまりわかっていないが、この二つのニューロステロイドの作用機序を解明することにより、記憶を長期維持する仕組みの解明につながる。また、これらのニューロステロイドの補充が、記憶障害や老化による記憶力低下の改善に役立つ可能性がある。

発表概要

コレステロールは脳内で代謝され、種々のニューロステロイドになりうる(図1)。

図1:ニューロステロイド、7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAはコレステロールを出発物質としていくつかのステップを経て水酸化酵素CYP7B1による酵素反応によって合成される。


ニューロステロイドの一つである7α-ヒドロキシプレグネノロン(7α-OH-Preg)は、鳥類や両生類では活動期に脳内量が上昇し、活動を活性化させる。しかし、このニューロステロイドが哺乳類の脳内に存在するか否かは明らかではなく、その生理機能も含めて多くの謎が残されていた。また、7α-OH-Preg生合成系の最終酵素CYP7B1は7α-ヒロドキシデヒドロエピアンドロステロン(7α-OH-DHEA)も生合成するが、7α-OH-DHEAもまた哺乳類脳での存在を示す報告は乏しく、生理機能も不明であった。

東京大学大学院理学系研究科の清水貴美子助教・深田吉孝教授らは大阪大学蛋白質研究所の高尾敏文教授と共に、7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAのマウス脳内での検出と生理機能の解明を目指した。まず、7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAを合成できないCyp7b1欠損マウスでは、海馬神経細胞の樹状突起スパイン密度の低下と、空間記憶の長期維持機能の低下を見出した。一方、野生型マウスを空間学習させた後に海馬の抽出物を質量分析に供した結果、空間学習の前には検出されない7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAを初めて検出することに成功した。

7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAをCyp7b1ノックアウトマウス脳内に投与すると、海馬神経細胞のスパイン密度の低下と空間記憶の長期維持機能の低下が大幅に改善された。これらの結果から、7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAは学習に伴って生合成され、海馬神経スパインの密度を上昇させ、空間記憶の長期維持に働くと結論した(図2)。

図2:モリス水迷路試験:齧歯類の空間記憶の測定法の一つ。マウスは周りの目印を頼りにプラットフォームの位置を学習する。テスト時は、プラットフォームを取り除いたプールで、プラットフォームがあった場所をどの程度探し回るかを測定する。右は実際にマウスがプラットフォームに到着した様子。


発表内容

コレステロールは脳内でニューロステロイド(図1)に変換され、ホルモン様の生理作用を発揮し得る。ニューロステロイドの一つ、7α-ヒドロキシプレグネノロン(以下7α-OH-Preg)は、ニワトリやイモリなどにおいて活動期に合成・分泌され行動量を増加させることが報告されていた。しかし、哺乳類では、脳内に7α-OH-Pregの合成に関与する酵素が発現していることを示した知見はあるものの、その実体を明示した報告はなく、哺乳類における7α-OH-Pregの存在や生理機能など多くの謎が残されていた。7α-OH-Pregの合成にはCYP7B1による7位の水酸化が必要であるが、CYP7B1によって合成されるもう一つのニューロステロイドとして、7α-ヒロドキシデヒドロエピアンドロステロン(以下7α-OH-DHEA)がある。7α-OH-DHEAもまた、哺乳類での存在を示す報告は乏しく、生理機能もわかっていなかった。本研究では、哺乳類脳内における7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAの同定と、これらニューロステロイドの生理機能を明らかにすることを目的とした。

研究当初から、大阪大学蛋白質研究所の高尾敏文教授らと共同で、質量分析(注2)による7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAの同定を試みたが、通常のマウスの脳からは同定できなかった。しかし、7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAを合成するために必要なすべての酵素のmRNAがマウス脳内に存在することが確認できたため、7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAがマウス脳内に実在すると信じ、7α-OH-Pregと7α-OH-DHEA合成の最終酵素であるCYP7B1の欠損マウスを用いてさまざまな行動実験を行った。その結果、イモリやニワトリで見られたような行動量に対する影響ではなく、空間記憶(注3)の長期維持機能に障害があることが判明した。空間記憶を評価するためにモリス水迷路試験(図2)を行なったところ、このマウスは、学習自体や学習の次の日のテストでは野生型と変わらない成績であったが、2週間後のテストの成績が著しく低下していた(図3)。さらに、記憶の維持に重要と考えられている海馬(注4)神経細胞の樹状突起スパイン(注5)を観察すると、CYP7B1のノックアウトマウスでは、スパインの密度が低下していることがわかった(図3)。

図3:(上段)野生型マウスは空間学習によって樹状突起スパイン密度が増加し、2週間後の空間記憶テストではプラットフォームの位置をよく記憶しており、プラットフォームの置いてあった左上の四分割エリアを頻繁に探索した。(下段)Cyp7b1欠損マウス(7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAを合成できない)では、トレーニング後にスパイン密度の増加が見られず2週間後の記憶テストでは元のプラットフォームの位置を記憶できておらず、全ての四分割エリアを探索した。樹状突起上に見られる「つぶつぶ」が神経スパイン。


これらの結果から、7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAは空間記憶に関与することがわかったため、空間学習後のマウス海馬から7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAの質量分析による同定を試みたところ、空間学習後の海馬から初めて7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAを同定することができた。Cyp7b1ノックアウトマウスで見られた空間記憶の長期維持機能の低下やスパイン密度の低下が、本当に7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAによるものかどうかを確認するため、Cyp7b1ノックアウトマウスの脳内に7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAを投与したところ、投与によりスパイン密度も記憶維持機能も回復した。しかも、この記憶維持機能は、7α-OH-Pregや7α-OH-DHEAそれぞれの単独投与よりも、半量ずつの混合物を投与すると最も大きな改善が見られた。これらの結果から、7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAが協調して、スパインの変化を介して、空間記憶の長期維持に働くと結論した。

7α-OH-Pregと7α-OH-DHEAを半量ずつ混合したほうが、記憶維持に対する効果が大きかったということは、これらがそれぞれ異なる受容体を持つことを意味する。しかし、これらのニューロステロイドの受容体は明らかになっていない。今後は、受容体を明らかにすることから、細胞への作用メカニズムとその先のスパイン変化および記憶維持機能に至る一連の仕組みを明らかにしたい。また、記憶の維持に関わるニューロステロイドが同定できたことで、将来的には記憶障害や老化による記憶低下の原因解明や治療への希望にもつながる。

発表雑誌

雑誌名 iScience
論文タイトル Hippocampal 7α-hydroxylated neurosteroids are raised by training and bolster remote spatial memory with increase of the spine densities
著者 Kanako Maehata, Kimiko Shimizu*, Tomoko Ikeno, Qiuyi Wang, Ayaka Sakurai, Zefeng Wei, Yue Pan, Toshifumi Takao and Yoshitaka Fukada*
DOI番号 https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S2589004220307513

用語解説

注1 ニューロステロイド
脳内でコレステロールから合成される、ホルモン様ステロイド物質。

注2 質量分析
分子をイオン化し、その質量を測定することによって物質の構造を同定する。今回の実験では、LC-MS/MS(液体クロマトグラフィータンデム質量分析法)を用いた。

注3 空間記憶
空間における自分の位置を認識する記憶。マウスの空間記憶を測定する方法はいくつかあるが、今回の研究では、モリス水迷路試験(図2)を用いた。直径 1m のプールに、マウスからは見えない濁った水面下にプラットフォーム(足場)を設置する。マウスを泳がせて、周りの複数の目印を頼りにプラットフォームの位置を覚えさせる。今回の実験では、5日間の学習に続き、プラットフォームを外して行うテストを6日目と2週間後の20日目におこない、もともとプラットフォームのあった領域を探索するかどうかで空間記憶を測定した。

注4 海馬
大脳(前脳)の一部。記憶や空間学習に重要な脳領域。ヒトの海馬の形がタツノオトシゴ(Sea horse)に似ていることから名付けられた。

注5 樹状突起スパイン
神経細胞の樹状突起にある棘状の構造であり、シナプス後部を形成する。

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生物化学工学
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