遺伝子ネットワークを制御してさまざまな種類の細胞を作り出す

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数学的理論に基づく細胞運命の制御に成功

2018-06-08 京都大学,科学技術振興機構(JST)

ポイント
  • 細胞の活動原理を理解するためには、個々の生体分子の働きだけでなく、多数の分子が相互作用するネットワーク全体の振る舞いを理解することが必要である。
  • 数学的な理論であるリンケージロジックに基づいて、少数の分子で遺伝子調節ネットワーク全体の振る舞いが制御可能であることを、モデル生物のカタユウレイボヤを用いて実証した。
  • リンケージロジックを用いることで、生物のさまざまなネットワークを制御し、将来は細胞の活動を操れるようになることが期待できる。

生物の体の基本単位である細胞の活動は、生体分子注1)の活性から生み出されます。こうした細胞内外の生体分子は、互いに活性を調節しあい、相互作用関係のネットワークを作っています。したがって、今日では、個々の分子の働きだけではなく、ネットワーク全体の振る舞いを知ることが細胞の活動の原理を知るために重要であると考えられています。京都大学 大学院理学研究科 佐藤 ゆたか 准教授と同ウイルス・再生医科学研究所 望月 敦史 教授(兼 理化学研究所 主任研究員)らの研究グループは、数学的な理論であるリンケージロジック理論注2)を用いて鍵となる生体分子を同定し、その分子に実験操作を加えることで、生物の持つネットワークの1つである「遺伝子調節ネットワーク注3)」の振る舞いを制御できることを、モデル生物のカタユウレイボヤ注4)の胚を用いて実証しました。この理論を応用することで、さまざまなネットワークの働きを調節し、細胞の活動を制御することができるようになることが期待できます。

本研究は、日本時間2018年6月8日に国際学術誌「iScience」にオンライン掲載されます。

本研究は、国立研究開発法人 科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 CREST「生命動態の理解と制御のための基盤技術の創出」領域の支援を受けて行われました。

生物の体の基本単位である細胞の活動は、生体分子の活性から生み出されます。こうした細胞内外の生体分子は、互いに活性を調節しあい、相互作用関係のネットワークを作っています。個々の分子の働きを超えたこうしたネットワークの働きをどのようにしてとらえ、理解し、それを通じてネットワークの働きを自在にコントロールするにはどうしたらよいのか、という問題は現在の生物学の大きな問題の1つです。

今回の研究では、生物のネットワークの1つである遺伝子調節ネットワークに注目しました。多細胞生物は、さまざまな種類の細胞を持ちますが、こうした細胞は、その種類ごとに特有の遺伝子を発現します(細胞の種類によって活性化する遺伝子の組み合わせが違います)。遺伝子それぞれの発現(活性化されるかどうか)は調節タンパク質と呼ばれるタンパク質によって調節されています。調節タンパク質を作り出す遺伝子の活性も別の調節タンパク質によって調節されています。また調節タンパク質は、通常、複数の異なる調節タンパク質が同時に働くことで機能します。こうした遺伝子発現調節が何層にも積み重なったものを遺伝子調節ネットワークと呼びます。この遺伝子調節ネットワークの構造は多くの動物の細胞で実験的に解明されてきました。

今回、実験に用いたカタユウレイボヤでは、92の遺伝子を含む遺伝子調節ネットワークの構造が明らかになっています。この遺伝子調節ネットワークは、卵が受精して、細胞分裂を繰り返し、個体を作り上げていく過程で、表皮、脳、その他神経系、間充織注5)、脊索、内胚葉などの細胞の運命を決定します。カタユウレイボヤの遺伝子調節ネットワークの構造は実験的に解明されてきたものですが、実際に細胞の運命を決定するために十分な情報を含むものなのでしょうか。また、十分であるとすれば遺伝子の活性を操作して自由にさまざまな種類の細胞を作り出すことができるのでしょうか。これらの疑問に答えるべく、今回の研究に取り組んできました。

リンケージロジック理論は、望月らによって証明された数学的な理論で(Mochizuki et al., 2013, J Theor Biol, DOI:10.1016/j.jtbi.2013.06.009)、ネットワークの構造のみから、そのネットワークの活性をコントロールするための重要な分子の同定を可能にします。今回の研究では、この数学的な理論をカタユウレイボヤ胚の遺伝子調節ネットワークに適用し、その理論を実証することに成功しました。

リンケージロジック理論にしたがって、92の遺伝子を含むカタユウレイボヤ胚の遺伝子調節ネットワークを解析すると、このネットワークの振る舞いのコントロールにはわずか5個の分子の活性の調節で十分であることが予測されました。そこで、この5つの分子の活性を同時に調節することで、細胞の運命をコントロールできるのかを調べました。5つの分子のそれぞれを人工的に活性化もしくは抑制する、25(=32)通りの網羅的操作を行い、それぞれについて遺伝子発現を調べてみました。それら実験結果の内に、表皮、脳、その他神経系、間充織、脊索、内胚葉といったカタユウレイボヤ胚に分化するほぼすべての種類の細胞に特異的な遺伝子発現が認められました(残念ながら期待していた筋肉の分化の誘導はできませんでした)。

このことは、これまでに実験的に決定されたカタユウレイボヤの遺伝子調節ネットワークの構造は、細胞運命の決定に十分な情報を持っていることを示しており、実際にその遺伝子の活性を操作してさまざまな種類の細胞を作り出すことができました。こうした研究成果により、リンケージロジック理論を用いれば、遺伝子調節ネットワークの振る舞いをコントロールするために重要な分子を容易に同定できることが実証され、この理論が実際の生物の細胞に応用可能であることが分かりました。

細胞の活動は遺伝子調節ネットワークなど多くの分子ネットワークに支えられています。どのようなネットワークを持っているのかという問題は、ヒトの細胞を含め広く研究されていますが、実験的に決定されたネットワークの構造が十分なものなのかどうかを検証する手段は限られています。カタユウレイボヤはヒトなどに比べ、単純な体の構造を持ち、遺伝子調節ネットワークの構造も単純です。本研究成果は、そうした単純さを利用して、リンケージロジック理論がネットワーク構造の検証に有用であることを実証したものです。リンケージロジック理論は、ネットワークの複雑さ、単純さには関係なく適用可能であり、理論的にはどのような生物のどのような細胞にも適用可能で今後応用が広まることが期待できます。

ネットワークの振る舞いの操作を可能にする方法は、いくつか考案されていますが、ネットワークを構成する分子の濃度などの測定やシミュレーションが必要とされ、実際の細胞への応用が難しいことが多いことが問題でした。リンケージロジック理論は、そうした問題点を克服し、ネットワークの構造のみからその活性を操作するための分子を同定することを可能にします。つまり、遺伝子調節ネットワークの構造を決めることさえできれば、ネットワークの振る舞いを操作し、細胞の遺伝子発現をコントロールすることができる、ということを示唆しており、再生医療を含む多くの応用生物学的分野でも利用されることを期待しています。

遺伝子ネットワークを制御してさまざまな種類の細胞を作り出す

図1

図2 カタユウレイボヤのオタマジャクシ幼生と成体

図2 カタユウレイボヤのオタマジャクシ幼生と成体

ホヤは脊椎動物に最も近縁な海産の無脊椎動物。脊椎動物と共通の体づくりの機構を持つ一方で、ゲノムや胚の構造が単純なので、幼生(0.5~0.6mm)の体づくりは脊椎動物のモデルとして研究が進んでいる(幼生の写真は図1参照)。変態により大きく形を変え、3~5㎝程度の成体になる(写真)。別種のホヤ(マボヤ)の成体は東北地方を中心に食用にされている。

図3 カタユウレイボヤの遺伝子調節ネットワーク

図3 カタユウレイボヤの遺伝子調節ネットワーク

遺伝子は相互作用して複雑なネットワークを作っている。ホヤは体づくりの遺伝子調節ネットワークの研究が最も良く進んでいる実験系の1つ。

Imai et al., Science, 2006, DOI:10.1126/science.1123404

Satou et al., Proc Jpn Acad Ser B Phys Biol Sci, 2015, DOI:10.2183/pjab.91.33

注1)生体分子
タンパク質や核酸など、生物の体を作る分子の総称。
注2)リンケージロジック理論
微分方程式系の引数の情報だけから(関数やパラメータなどが分からなくとも)、力学系に含まれる重要な変数を決定できる数理理論です。この理論によって同定される一部の変数の振る舞いを制御することで、力学系全体を任意の解(アトラクター)へ収束できることが証明されています(Mochizuki et al., 2013, J Theor Biol, DOI:10.1016/j.jtbi.2013.06.009)。遺伝子調節ネットワークは多くの場合、どの遺伝子がどの遺伝子の活性を調節しているか、という相互作用関係(引数の情報)が明らかにされている一方で、調節の具体的な規則や大きさについては分かりません。そのような遺伝子調節ネットワークに対して、リンケージロジック理論はまさに力を発揮します。
注3)遺伝子調節ネットワーク
細胞、組織あるいは個体内で、遺伝子の発現のレベルを調節する分子群が相互に作用して作り出すネットワークのこと。
注4)カタユウレイボヤ
カタユウレイボヤを含むホヤの仲間は、尾索動物と呼ばれ、脊椎動物に最も近縁の動物群で、脊椎動物とともに脊索動物門に属しています。脊索動物は、生涯の少なくとも一時期にオタマジャクシ型の体制を持つなど共通の特徴を多く持っています。そのため、脊索動物の発生のモデルとして、また、無脊椎動物から脊椎動物への進化を知るためのモデル動物として利用されています。カタユウレイボヤは、研究の基礎・基盤となるバイオリソースとして位置づけられており、本研究で用いたカタユウレイボヤは、国立研究開発法人 日本医療研究開発機構 ナショナルバイオリソースプロジェクト「脊索動物モデルとしてのホヤの戦略的リソース整備」から提供を受けました。
注5)間充織
組織間の間隙を埋める細胞集団です。脊索は、脊索動物の発生の少なくとも一時期に神経管に沿って前後に伸びる棒状の器官で、体を支えるために役立っていると考えられています。脊椎動物では脊索は誕生までに椎骨に置き換わります。
ほとんどの動物の体は三層の細胞層から作られると考えられており、内胚葉、中胚葉、外胚葉と名付けられています。これらの胚葉はそれぞれさまざまな組織に分化し、消化管は内胚葉に由来します(表皮、脳、神経は外胚葉、間充織、脊索は中胚葉)。今回研究に用いたカタユウレイボヤの幼生では、消化管は未発達で、未成熟な内胚葉細胞として存在しています。

タイトル:“Controlling cell fate specification system by key genes determined from network structure”

著者名:Kenji Kobayashi, Kazuki Maeda, Miki Tokuoka, Atsushi Mochizuki, Yutaka Satou
(小林 健司、前田 一貴、徳岡 三紀、望月 敦史、佐藤 ゆたか)

doi:10.1016/j.isci.2018.05.004

<研究に関すること>

佐藤 ゆたか(サトウ ユタカ)
京都大学 大学院理学研究科 准教授

望月 敦史(モチヅキ アツシ)
京都大学 ウイルス・再生医科学研究所 教授、兼 理化学研究所 主任研究員

川口 哲(カワグチ テツ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部

<報道担当>

科学技術振興機構 広報課

生物化学工学
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