2022-01-11 国立精神・神経医療研究センター
国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター(NCNP)認知行動療法センターの伊藤正哉部長および堀越勝特命部長らの研究グループは、感情障害への診断を越えた治療のための統一プロトコル(UP;ユーピー)1)が、うつ病や不安症などの様々な精神障害に対して有効であることを明らかにしました。
認知行動療法を専門家が習得するのには、たくさんの時間と労力が必要なのが現状です。そのため、世界的にも、必要とする人に認知行動療法を十分に提供できない状況が続いていました。このような背景から、複数の精神障害に対して、診断を越えて適用できる、汎用性の高い認知行動療法が開発されてきました。なかでも、UPは世界で最もエビデンスが確立している診断を越えた心理療法です。UPは、うつ病や不安症などの精神障害を、自らの感情に圧倒されて、感情的な問題のために生活がうまく立ち行かなくなっている状態と捉えます。そして、自らの感情にどのように接するかを学ぶことによって、様々なこころの苦しみを改善できると考えます。
このたび、伊藤・堀越らの研究グループは、世界で初めて、うつ病や不安症を抱える成人が通常の治療に加えてUPに取り組むことで、うつや不安などの感情的な症状が改善することを明らかにしました。
本研究成果は日本時間2022年1月10日9時(グリニッジ時間:1月10日0時)に、英国の学術雑誌「Psychological Medicine」に掲載されました。
研究の背景
うつ病や不安症はもっともよく見られる精神障害です。これらの精神障害は個人の人生に対しても、社会全体にも大きな影響を与えており、グローバルな精神保健上の問題として認識されています。うつ病や不安症に対しては様々な治療法があります。なかでも、認知行動療法はもっともエビデンスが集積している治療法のひとつです。これまで、それぞれの精神疾患に特化した認知行動療法が開発され、その有効性が検証されてきました。例えば、パニック症に対しては、パニック症に特化した認知行動療法が開発されてきました。その一方で近年、精神医学や臨床心理学において、単一の精神障害に限定せずに、診断を越えた (Trans-diagnostic)発想に基づく認知行動療法が注目されるようになりました (図1、2)。その背景には、異なる診断とされてきた精神障害には、共通する症状や特徴が認められたり、共通する病因が想定されたりするようになってきた点が指摘できます。共通の病因があるのであれば、それを標的として介入法を開発することで、様々な異なる精神障害に対して認知行動療法を幅広く適用できるという発想に基づいています。
日本においては、うつ病、パニック症、社交不安症、強迫症、心的外傷後ストレス障害など様々な精神障害に対して、それぞれに特化した認知行動療法が診療報酬の対象として含まれました。このように、日本においても認知行動療法が着実に普及しつつあります。しかし、必要とする人に十分に提供できていると言える状況ではありません。診断を越えた認知行動療法は、特定の疾患にとらわれずに実施でき、併存障害を抱える方にも適用可能できると想定されています。このように、診断を越えた認知行動療法は、グローバルメンタルヘルスの解決に向けたひとつのアプローチとして、注目されてきました。
研究の概要
本研究では、診断を越えた認知行動療法のなかでも、もっともエビデンスが集積されている『感情障害に対する診断を越えた治療のための統一プロトコル(UP;ユーピー)』の有効性を検証しました。具体的には、うつ病や不安症を主な診断としてNCNP病院に外来受診している成人104名を対象として、通常の治療を続ける条件と、通常の治療にUPを加える条件を比較しました。もっとも重要な評価項目は、治療開始後21週におけるGRID-ハミルトンうつ病評価尺度(GRID-HAMD)で測定されるうつ症状でした。その他に、不安症状、全般的な臨床的な重症度、研究参加時からの回復度等を評価しました。
その結果、通常の治療を続ける条件と比べて、UPを加える条件のほうがうつ症状、不安症状、全般的な重症度が改善しており、より大きな回復が確認されました(図3)。これらは、不安症を対象として報告されてきた先行研究の有効性と同等でした。ただし、うつ症状の半減で定義される治療反応、GRID-HAMDで軽症相当の7点以下で定義される寛解状態、精神障害の診断の喪失については、治療開始21週後の両条件で有意な差は認められませんでした。また、UPの実施によって重篤な有害事象が生ずることはありませんでした。
この臨床試験に参加されたかたの半数以上が複数の精神障害を併存させ、精神科に初めて受診してから長い治療期間があり(中央値7.8年)、うつや不安の重症度は先行研究の参加者よりも重篤でした。このため、複数の精神障害に苦しみ、長い期間の精神医療を続けつつも、比較的重篤な症状を有しているかたに対しても、UPが有効である可能性を示したと考えられます。
今後の展望
上記のように、日本の精神科という医療環境において、通常治療のみに比べて、それにUPを追加して実施することが、うつ病や不安症などを有する方の症状の改善に有効であることが示唆されました。今後は、UPによって回復した人とそうでない人を分ける要因を明らかにして、個々の方にUPを最適化する研究や、UPを効率的に幅広く提供していくための研究が求められます。そのために、認知行動療法センターでは、産業技術総合研究所(西村拓一)、福島県立医科大学(竹林由武)、東洋大学(樫原潤)、帝京大学(古徳純一)、専修大学(国里愛彦)、大阪大学(村中潤)、筑波大学(菅原大地)、Hmcomm株式会社(三本幸司)などの国内の様々な機関とともに、人工知能技術を適用した研究事業を進めております。この事業は、文部科学省及び日本学術振興会による学術変革領域研究(B)『デジタル‐人間融合による精神の超高精細ケア:多種・大量・精密データ戦略の構築(領域代表:伊藤正哉、21B102)R3-5』の助成のもとに進めております。
用語の説明
1) 感情障害に対する診断を越えた治療のための統一プロトコル(UP;ユーピー)
ボストン大学不安関連症センターのDavid H. Barlow博士らが開発した診断を越えた認知行動療法。UPでは、人が生活していく上で感情と上手に接していくスキルを学ぶことを通して、精神的なつらさを軽減させるとともに、本人にとって価値ある人生を送れるようになることを目指します。うつ病、不安症(パニック症、広場恐怖、社交不安症、全般不安症)、強迫症などの様々な精神障害に対して、その有効性や実施可能性が示されている。近年では、過敏性腸症候群、慢性痛、慢性疾患に伴う精神症状など、精神科以外での精神的なケアにも適用されている。個人療法だけでなく、集団療法の有効性も報告されている。子ども版、青年版のUPも開発されており、日本でもその実施可能性が検証中である。
原著論文情報
- 論文名:Efficacy of the Unified Protocol for Transdiagnostic Cognitive Behavioral Treatment for Depressive and Anxiety Disorders: A Randomized Controlled Trial
- 著者:Masaya Ito, Masaru Horikoshi, Noriko Kato, Yuki Oe, Hiroko Fujisato, Keiko Yamaguchi, Shun Nakajima, Mitsuhiro Miyamae, Ayaka Toyota, Yasuyuki Okumura, and Yoshitake Takebayashi.
- 掲載誌: Psychological Medicine
- doi: 10.1017/S0033291721005067
- https://doi.org/10.1017/S0033291721005067
研究経費
本研究結果は、以下の日本学術振興会・科学研究費補助金、および国立精神・神経医療研究センター精神・神経疾患研究開発費の支援を受けて行われました。
日本学術振興会 科学研究費助成事業 若手研究(A)『感情障害への認知行動療法の統一プロトコル:臨床試験の拡張による包括的検証(17H04788)』2017年4月 – 2021年3月(研究開発代表者:伊藤正哉)
日本学術振興会 科学研究費助成事業 若手研究(A)『感情障害への認知行動療法の統一プロトコルの有効性とその治療機序・神経基盤(25705018)』 2013年4月 – 2018年3月(研究開発代表者:伊藤正哉)
日本医療研究開発機構 障害者対策総合研究開発事業(精神障害分野)「認知行動療法の治療最適化ツールと客観的効果測定指標の開発(JP20dk0307084)」(研究開発代表者:中川敦夫)
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国立精神・神経医療研究センター
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伊藤正哉
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国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター総務課 広報係