蛍光1分子追跡から生体深部イメージングまで生命科学・医療分野に幅広く応用可能
2018-07-09 名古屋大学,科学技術振興機構(JST)
ポイント
- 生体のありのままを長時間にわたって観察し続けることができる化学的安定性と光安定性に優れた近赤外蛍光標識剤の開発が強く求められていた。
- 700ナノメートル以上の近赤外光を放つ蛍光標識剤PREX 710を開発し、1分子蛍光イメージングから生体深部のイメージングにおける有用性を示した。
- 生理的条件で蛍光シグナルを長時間観察し続けられることから、生命科学研究や基礎医学など幅広い分野への応用が期待される。
名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所(ITbM)の山口 茂弘 教授、多喜 正泰 特任准教授、ガージボウスキー・マレク(Grzybowski Marek)研究員らの研究チームは、理化学研究所 生命機能科学研究センター(BDR)の岡田 康志 チームリーダーおよび愛媛大学 大学院医学研究科の今村 健志 教授、川上 良介 准教授らと共同で、蛍光イメージング技術において近赤外領域(可視光線の赤色よりも長い波長領域)で長時間にわたって、安定して光り続けることができる蛍光標識剤の開発に成功しました。
これまでの可視光を用いた生体試料の蛍光イメージングでは、光照射による細胞の機能障害や、試料の自家蛍光注1)によるノイズの上昇に加え、体内の深い部位までは光が届かないため、血管や臓器などを観察することが困難でした。これらの問題は、可視光よりも波長の長い近赤外光を用いることで解決できます。しかし、近赤外蛍光色素は、化学的な安定性や光安定性に乏しいため、次第に発光しなくなり、対象となる生体試料を長時間にわたって観察し続けることができませんでした。
今回、共同研究チームは、代表的な蛍光色素の1つであるローダミン色素にリン原子を導入し、これを酸化することによって、極めて高い化学的安定性と光安定性を併せ持つ近赤外蛍光色素「PREX 710」の開発に成功しました。PREX 710は、生体分子と結合できる部位を有しているため、近赤外蛍光標識剤として利用することができます。これにより、蛍光1分子の長時間追跡や脳内血管の深部観察が可能になることから、生命科学や基礎医学分野などへの幅広い応用が期待されます。
本研究成果は、ドイツ化学誌「Angewandte Chemie International Edition」に近日中に掲載されます。
本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 さきがけ「統合1細胞解析のための革新的技術基盤」(研究総括:浜地 格 京都大学 教授)における「細胞内部を観る分子解像度の三次元蛍光顕微鏡」(研究者:多喜 正泰)および文部科学省世界トップレベル研究拠点プログラム 名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)の支援のもとで行われたものです。
また、本成果の一部は以下の事業による支援を受けて行われました。
- 文部科学省 科学研究費 新学術領域研究「学術研究支援基盤形成」先端バイオイメージング支援プラットフォーム(ABiS)
- 科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「統合1細胞解析のための革新的技術基盤」(研究総括:菅野 純夫 東京医科歯科大学 非常勤講師)における「超解像3次元ライブイメージングによるゲノムDNAの構造、エピゲノム状態、転写因子動態の経時的計測と操作」(研究代表者:岡田 康志)
<研究の背景と経緯>
蛍光イメージングとは、特定のタンパク質や細胞器官に蛍光の目印をつけ(蛍光標識)、生体の機能や構造を蛍光顕微鏡によって可視化する技術です。現在に至るまで、蛍光タンパク質や低分子の有機蛍光色素などを基盤にした多種多様な蛍光標識剤が開発されていますが、その多くは可視領域の光を利用するものです。しかし、生きた試料で光エネルギーが高い青色や緑色を長時間用いると、観察対象が光によってダメージを受けることがあり、健全な状態を保つことができなくなります。また、可視光で励起した場合は、蛍光標識剤に由来するシグナルのほかに、生体の内在物質からの蛍光(自家蛍光)も同時に検出されてしまうため、良好な画質が得られないという問題がありました。さらに、可視光はヘモグロビンなどの身体を構成する物質によって吸収されてしまうため、体内の深い部位までは光が届かず、生きている状態で血管や臓器などを観察することは困難でした。
上記の問題は、可視光よりも波長が長い近赤外光を用いることによって回避することができます。近赤外光を用いた蛍光イメージングでは、これまでシアニン色素注2)を骨格とした蛍光標識剤が最も利用されていますが、一般にシアニン色素は化学的な安定性や光に対する安定性に乏しいという問題を抱えています。そのため、対象となる生体試料を長時間にわたって観察していると、色素が次第に分解されて蛍光が検出できなくなってしまいます。このような背景から、生命科学や基礎医学研究に応用できる退色に強い近赤外蛍光標識剤の開発が強く望まれていました。
<研究の内容>
今回、研究チームは、色素骨格にリン元素を含む電子受容性の原子団(ホスフィンオキシド、P=O)を導入することにより、化学的な安定性や光に対する安定性に優れた近赤外蛍光標識剤「PREX 710(Photo-Resistant Xanthene dye)」の開発に成功しました(図1)。実際に、PREX 710を用いて強い光照射を必要とする1分子蛍光イメージング注3)を行った結果、数秒程度で消失してしまうシアニン色素(Alexa Fluor® 647)に比べて、PREX 710からの1分子蛍光シグナルは、数分間も検出可能であることが明らかになりました(図2)。また、PREX 710は可視光の蛍光性色素との重なりがほとんどないため、生細胞マルチカラーイメージング注4)においても市販されているさまざまな蛍光染色剤と容易に組み合わせることができます(図3左)。
研究チームではさらに、多糖類の一種であるデキストラン注5)をPREX 710で標識し、これをマウスの静脈に投与することによって、脳血管の深部イメージングを行いました。PREX 710は、血液中においても長時間安定に存在することができ、さらにヘモグロビンの影響を受けにくい波長で励起可能であることから、蛍光断層撮影注6)によって脳血管の3次元画像を構築することにも成功しました(図3右)。
このようなイメージング環境では、退色防止剤を添加して光照射による色素の退色を抑える方法が一般的でしたが、PREX 710は添加剤を使用しない、通常の生理的環境でも高い安定性を示したことから、細胞や組織の機能を損ねることなく、「ありのまま」に近い状態で長時間観察できる有用なツールであるといえます。
<今後の展開>
今回開発したPREX 710のように、安定性に優れた近赤外蛍光色素は、生命科学や基礎医学分野で待望されており、細胞内のタンパク質輸送から組織深部における1細胞動態の追跡まで、幅広い応用が期待されます。
<参考図>
図1 開発した光安定性に優れた近赤外蛍光標識剤の化学構造
蛍光色素骨格に電子受容性を持つ原子団であるP=Oを導入することにより、励起波長と蛍光波長を近赤外光領域まで長波長化することができる。2つのメトキシ基(OMe)は蛍光色素骨格の化学的安定性と光安定性の向上に寄与している。また、Rの部分にはアミド結合を介して多様な生体分子を結合させることができる。
図2 1分子蛍光イメージングによる光安定性の評価
(左)ビオチンで表面修飾したガラス基板上に蛍光標識したアビジンを固定化。
(右)PREX 710(上段)と代表的なシアニン色素であるAlexa Fluor® 647(下段)の1分子蛍光イメージングにおける光安定性の比較。各輝点は1分子からの蛍光シグナルを表している。Alexa Fluor® 647では20秒以内に半分以上の蛍光シグナルが消失しているが、PREX 710の蛍光シグナルは、120秒間観察を続けても80%以上残っている。
図3 PREX 710を用いた蛍光イメージングの例
(左)HeLa細胞の細胞膜(シアン)、核(黄緑)、ミトコンドリア(赤)をそれぞれでDiI、SiR-DNA、PREX 710で染色した。PREX 710は市販されているさまざまな蛍光標識剤と同時に使用することができ、マルチカラーイメージングにも適している。
(右)PREX 710で標識したデキストランをマウスの尾静脈より投与し、オープンスカル法(頭蓋骨を削って脳を露出させる)で処理した大脳新皮質の蛍光断層を撮影することにより、脳血管の3次元画像を取得することに成功した。
<用語解説>
- 注1)自家蛍光
- 生体組織内に元から存在する物質が発する蛍光。
- 注2)シアニン色素
- ポリメチン骨格の両末端に窒素を含む複素環を持つ合成染料。ポリメチン鎖(共役二重結合で結ばれたメチン鎖)の長さに応じて、吸収および蛍光波長が異なる。
- 注3)1分子蛍光イメージング
- 観察したいタンパク質や生体分子を蛍光色素で標識し、1分子の軌跡を追跡するイメージング技術。
- 注4)細胞マルチカラーイメージング
- 発色が異なる複数の蛍光分子を細胞に導入し、種々の構造体を同時に可視化するイメージング技術。
- 注5)デキストラン
- グルコースのみによって構成される多糖類。
- 注6)蛍光断層撮影
- 生体細胞や生体組織を対象とした蛍光観察において、深さを変えながらイメージング画像を取得し、断層画像を積み上げて3次元画像を再構築する手法。
<論文情報>
タイトル:“A Highly Photostable Near-infrared Labeling Agent Based on a Phospha-rhodamine Enables Long-term and Deep Imaging”
著者名:Marek Grzybowski, Masayasu Taki, Kieko Senda, Yoshikatsu Sato, Tetsuro Ariyoshi, Yasushi Okada, Ryosuke Kawakami, Takeshi Imamura, and Shigehiro Yamaguchi
DOI:10.1002/anie.201804731
<お問い合わせ先>
<研究に関すること>
山口 茂弘(ヤマグチ シゲヒロ)
名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM) 副拠点長/教授
多喜 正泰(タキ マサヤス)
名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM) 特任准教授
<JST事業に関すること>
川口 哲(カワグチ テツ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部
<ITbMに関すること>
宮﨑 亜矢子(ミヤザキ アヤコ)
名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM) リサーチプロモーションディビジョン
<報道担当>
名古屋大学 総務部 総務課 広報室
科学技術振興機構 広報課