2022-09-06 理化学研究所,東京大学,愛知県がんセンター,岡山大学,国立がん研究センター,佐々木研究所附属杏雲堂病院
理化学研究所(理研)生命医科学研究センター基盤技術開発研究チームの碓井喜明特別研究員、桃沢幸秀チームリーダー、東京大学医科学研究所人癌病因遺伝子分野の村上善則教授、東京大学大学院新領域創成科学研究科メディカル情報生命専攻クリニカルシークエンス分野の松田浩一教授、愛知県がんセンターがん予防研究分野の松尾恵太郎分野長、岡山大学病院長(大学院医歯薬学総合研究科血液・腫瘍・呼吸器内科学分野)の前田嘉信教授、国立がん研究センター中央病院遺伝子診療部門の吉田輝彦部門長、佐々木研究所附属杏雲堂病院遺伝子診療科の菅野康吉科長らの共同研究グループは、日本の2,000人以上の悪性リンパ腫[1]患者群と非がん対照群を用いた世界最大規模の症例対照研究[2]を行い、悪性リンパ腫の中に単一遺伝子疾患[3]型が存在する可能性を明らかにしました。
本研究成果は、日本の悪性リンパ腫患者それぞれに適した診療を行う個別化ゲノム医療に貢献すると期待できます。
過去の研究から、悪性リンパ腫の一部の発症原因は遺伝的要因であると示唆されてきました。しかし、これまで悪性リンパ腫の大規模なゲノム解析データは少なく、遺伝的要因が原因とされる悪性リンパ腫の分類は確立されていません。
今回、共同研究グループは、理研で独自に開発したゲノム解析手法を用いて、バイオバンク・ジャパン[4]により収集された悪性リンパ腫患者群2,066人のDNAを解析しました。非がん対照群38,153人のデータも併せて、27個の遺伝性腫瘍に関連する遺伝子を評価した結果、309個の病的バリアント[5]を同定しました。そして評価した遺伝子のうち、BRCA1、BRCA2、ATM、TP53の病的バリアントが悪性リンパ腫の発症リスクに関連することが分かりました。特に、悪性リンパ腫の病理組織型の一つであるマントル細胞リンパ腫[6]の発症リスクに病的バリアントの影響が大きい可能性が示されました。
本研究は、科学雑誌『Cancer Science』オンライン版(日本時間9月6日)に掲載されました。
悪性リンパ腫の個別化ゲノム医療
背景
悪性リンパ腫は造血器腫瘍[1]の中で最も多い疾患の一つで、2020年には世界に約63万人が罹患しているとされています注1)。悪性リンパ腫には非常に多くの病理組織型が存在し、現在は約70個に分類されています注2)。その分類を基にした治療の最適化や病気の予後の予測は、それぞれの患者に適した診療につながります。実際に、さまざまな医療技術の進歩に伴い、悪性リンパ腫の患者の予後は大きく改善してきています。例えば、日本における5年相対生存率[7]は、1993~1996年では48.5%だったのに対し、2009~2011年では67.5%まで向上しています注3)。
過去の研究から、悪性リンパ腫患者の一部は遺伝的要因が発症の原因と考えられることが示唆されてきました。疾患と遺伝的要因の関係が明らかになると、予防法の開発、診断の精度向上、原因遺伝子への治療法開発など診療が大きく変化する可能性があります。実際、同じ造血器腫瘍である骨髄系腫瘍では遺伝的要因が原因とされる分類が確立された後、患者の血縁者においてもスクリーニングが検討されるようになってきています注4)。しかし、悪性リンパ腫に関しては、大規模なゲノム解析データは少なく、遺伝的要因が原因とされる悪性リンパ腫の分類は確立されるに至っていません注2)。
遺伝的要因について明らかにするには、病的バリアントについて大規模に評価する必要があります。そこで本研究では、日本の悪性リンパ腫について大規模な数のサンプルを使用し、悪性リンパ腫の発症に関連する病的バリアントの存在や病的バリアント保持者に特徴的な臨床情報を調べました。
注1)International Agency for Research on Cancer: Cancer Today.
注2)Steven H. Swerdlow et al. The 2016 revision of the World Health Organization classification of lymphoid neoplasms. Blood. 2016; 127: 2375-2390.
注3)全国がん罹患モニタリング集計 2009-2011年生存率報告(国立研究開発法人国立がん研究センターがん対策情報センター、2020)、独立行政法人国立がん研究センターがん研究開発費「地域がん登録精度向上と活用に関する研究」平成22年度報告
注4)Daniel. A. et al. The 2016 revision to the World Health Organization classification of myeloid neoplasms and acute leukemia. Blood. 2016; 127: 2391-2405.
研究手法と成果
共同研究グループは、理研で独自に開発したゲノム解析手法注5)を用いて、バイオバンク・ジャパンにより収集された悪性リンパ腫患者群2,066人の血液から抽出したDNAを解析しました。非がん対照群38,153人のデータも併せて、乳がん、前立腺がん、膵がんなどの発症に関連する27個の遺伝性腫瘍関連遺伝子について評価しました。その結果、4,850個の遺伝子バリアント[5]が同定され、そのうちの309個が病的バリアントであると判定されました。
次に、病的バリアントと悪性リンパ腫の発症リスクの関連解析を実施したところ、4個の遺伝子(BRCA1、BRCA2、ATM、TP53)が悪性リンパ腫の発症リスクに関連することが判明しました(表1)。悪性リンパ腫患者のうち、1.6%がこれらの遺伝子に病的バリアントを保持していました。また、病的バリアントを保持する悪性リンパ腫患者は、非保持の悪性リンパ腫患者と比較して、乳がんや卵巣がんの家族歴を持つ割合が高い傾向にあることも明らかになりました。具体的には、乳がん家族歴では病的バリアント保持者は22.6%に対して非保持者は4.9%、卵巣がん家族歴では病的バリアント保持者は6.5%に対して非保持者は0.5%でした。
遺伝子名 | 病的バリアント保持者の割合(%) | オッズ比 (95%信頼区間) |
P値 | |
---|---|---|---|---|
リンパ腫患者 | 対照群 | |||
BRCA1 | 0.404 | 0.069 | 5.88 (2.65-13.02) | 1.27×10-5 |
BRCA2 | 0.605 | 0.210 | 2.94 (1.60-5.42) | 5.25×10-4 |
ATM | 0.404 | 0.157 | 2.63 (1.25-5.51) | 1.06×10-2 |
TP53 | 0.151 | 0.027 | 5.22 (1.43-19.02) | 1.23×10-2 |
表1 本研究で明らかになった遺伝性腫瘍関連遺伝子別の悪性リンパ腫の発症リスク
各遺伝子における病的バリアントの悪性リンパ腫の発症リスク(オッズ比)とその95%信頼区間を示す。オッズ比は悪性リンパ腫患者群と対照群間の病的バリアント保持者の割合を比較し、年齢と性別の違いを調整して算出した。最も関連が強かったBRCA1の場合、対照群と比較して病的バリアント保持者は悪性リンパ腫の発症リスクが5.88倍高いことを示す。
次に、悪性リンパ腫の病理組織型に対して、これらの遺伝子の病的バリアントの影響に違いがあるかを評価したところ、マントル細胞リンパ腫という病理組織型の患者のうち、9.1%が病的バリアントを保持しており、この組織型の発症リスクと特に強く関連していることが明らかになりました(図1)。このことはDNA損傷応答経路がマントル細胞リンパ腫の病態において重要であるという、過去のマントル細胞リンパ腫の腫瘍細胞の解析による報告注6、7)と矛盾しない結果です。
図1 病的バリアントが各病理組織型に対する発症リスク
4個の遺伝子(BRCA1、BRCA2、ATM、TP53)の病的バリアントの各病理組織型に対しての疾患リスク(オッズ比)とその95%信頼区間を示す。オッズ比は悪性リンパ腫患者群と対照群間の病的バリアント保持者の割合を比較し、年齢と性別の違いを調整して算出した。悪性リンパ腫の病理組織型の一つである、マントル細胞リンパ腫への病的バリアントの影響がオッズ比21.57と特に強かった。
結論として、本研究では大規模に悪性リンパ腫の病的バリアントを評価することで、悪性リンパ腫、特にマントル細胞リンパ腫の中には、ゲノム配列上たった1カ所の配列の違いにより発症する単一遺伝子疾患型が存在している可能性が明らかになりました。このことにより、他のがんと同様に原因遺伝子について考慮することで、悪性リンパ腫の診断や治療がより改善する可能性が示されました。
注5)2016年11月11日プレスリリース「加齢黄斑変性発症に関わる新たな遺伝子型を発見」
注6)Ferran Nadeu, et al. Genomic and epigenomic insights into the origin, pathogenesis, and clinical behavior of mantle cell lymphoma subtypes. Blood. 2020; 136: 1419-1432.
注7)Pedro Jares, et al. Molecular pathogenesis of mantle cell lymphoma. Nat Rev Cancer. 2007; 7: 750-762.
今後の期待
本研究では、2,000人以上の悪性リンパ腫患者を対象に世界最大規模の症例対照研究を行いました。今回の研究成果により、悪性リンパ腫の中には単一遺伝子疾患型が存在している可能性が明らかになりました。
今後、本研究の情報は悪性リンパ腫の分類や診療ガイドラインに貢献し、診断の精度向上や原因遺伝子への治療法開発など、悪性リンパ腫のゲノム個別医療体制の構築に寄与するものと期待できます。
補足説明
1.悪性リンパ腫、造血器腫瘍
血液細胞が腫瘍化したものの総称を造血器腫瘍と呼ぶ。悪性リンパ腫は、血液細胞のリンパ球が腫瘍化したものであり、体のさまざまなところに腫瘍が形成される。
2.症例対照研究
疾患に罹患した集団(症例)と罹患していない集団(対照)において、曝露要因について評価し比較することで、曝露要因と疾患との関連を評価する研究手法。
3.単一遺伝子疾患
ある一つの遺伝子の配列の違いが易罹患性に関わる疾患の総称。
4.バイオバンク・ジャパン
日本人集団27万人を対象とした、世界最大級の疾患バイオバンク。日本医療研究開発機構の「オーダーメイド医療の実現プログラム」を通じて実施され、ゲノムDNAや血清サンプルを臨床情報と共に収集し、研究者へ分譲している。2003年から東京大学医科学研究所内に設置されている。
5.病的バリアント、遺伝子バリアント
ヒトのDNA配列は約30億の塩基対から構成されるが、その配列の個人間での違い(多様性)を遺伝子バリアントという。また、その遺伝子バリアントのうち疾患発症に関連しているものを病的バリアントという。
6.マントル細胞リンパ腫
悪性リンパ腫の病理組織型の一つで、リンパ節のマントル層を構成するB細胞と同じ形質を持つ異常な細胞が増殖するタイプである。日本では、悪性リンパ腫患者のうち約2%を占めるとされる。
7.5年相対生存率
あるがんと診断された場合に、治療でどれくらい生命を救えるかを示す指標。あるがんと診断された人のうち5年後に生存している人の割合が、日本人全体で5年後に生存している人の割合に比べてどのくらい低いかで表す。100%に近いほど治療で生命を救えるがん、0%に近いほど治療で生命を救い難いがんであることを意味する(国立がん研究センターがん情報サービスから一部改変して転載)。
共同研究グループ
理化学研究所 生命医科学研究センター
基盤技術開発研究チーム
チームリーダー 桃沢 幸秀(モモザワ・ユキヒデ)
特別研究員 碓井 喜明(ウスイ・ヨシアキ)
(岡山大学 医学部 血液・腫瘍・呼吸器内科学分野 客員研究員、愛知県がんセンター研究所 がん情報・対策研究分野 任意研修生)
上級テクニカルスタッフ 岩崎 雄介(イワサキ・ユウスケ)
テクニカルスタッフ 遠藤 ミキ子(エンドウ・ミキコ)
がんゲノム研究チーム
チームリーダー 中川 英刀(ナカガワ・ヒデワキ)
東京大学医科学研究所 人癌病因遺伝子分野
教授 村上 善則(ムラカミ・ヨシノリ)
東京大学大学院新領域創成科学研究科 メディカル情報生命専攻
クリニカルシークエンス分野
教授 松田 浩一(マツダ・コウイチ)
複雑形質ゲノム解析分野
教授 鎌谷 洋一郎(カマタニ・ヨウイチロウ)
愛知県がんセンター がん予防研究分野
分野長 松尾 恵太郎(マツオ・ケイタロウ)
岡山大学病院長(大学院医歯薬学総合研究科血液・腫瘍・呼吸器内科学分野)
教授 前田 嘉信(マエダ・ヨシノブ)
国立がん研究センター中央病院 遺伝子診療部門
部門長 吉田 輝彦(ヨシダ・テルヒコ)
医長 平田 真(ヒラタ・マコト)
(東京大学医科学研究所 人癌病因遺伝子分野 非常勤講師)
佐々木研究所附属杏雲堂病院 遺伝子診療科
科長 菅野 康吉(スガノ・コウキチ)
(国立がん研究センター中央病院 遺伝子診療部門 非常勤医員)
研究支援
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)ゲノム創薬基盤推進研究事業「乳がん・大腸がん・膵がんに対する適切な薬剤投与を可能にする大規模データ基盤の構築(研究開発代表者:桃沢幸秀)」による支援を受けて行われました。
原論文情報
Yoshiaki Usui, Yusuke Iwasaki, Keitaro Matsuo, Mikiko Endo, Yoichiro Kamatani, Makoto Hirata, Kokichi Sugano, Teruhiko Yoshida, Koichi Matsuda, Yoshinori Murakami, Yoshinobu Maeda, Hidewaki Nakagawa, Yukihide Momozawa, “Association between germline pathogenic variants in cancer-predisposing genes and lymphoma risk”, Cancer Science, 10.1111/cas.15522
発表者
理化学研究所
生命医科学研究センター 基盤技術開発研究チーム
特別研究員 碓井 喜明(ウスイ・ヨシアキ)
チームリーダー 桃沢 幸秀(モモザワ・ユキヒデ)
東京大学医科学研究所 人癌病因遺伝子分野
教授 村上 善則(ムラカミ・ヨシノリ)
東京大学大学院新領域創成科学研究科 メディカル情報生命専攻
クリニカルシークエンス分野
教授 松田 浩一(マツダ・コウイチ)
愛知県がんセンター がん予防研究分野
分野長 松尾 恵太郎(マツオ・ケイタロウ)
岡山大学病院長(大学院医歯薬学総合研究科血液・腫瘍・呼吸器内科学分野)
教授 前田 嘉信(マエダ・ヨシノブ)
国立がん研究センター中央病院 遺伝子診療部門
部門長 吉田 輝彦(ヨシダ・テルヒコ)
佐々木研究所附属杏雲堂病院 遺伝子診療科
科長 菅野 康吉(スガノ・コウキチ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
東京大学医科学研究所 国際学術連携室(広報)
東京大学大学院新領域創成科学研究科 広報室
愛知県がんセンター 運用部経営戦略課企画・経営グループ
岡山大学 総務・企画部 広報課
国立研究開発法人国立がん研究センター 企画戦略局 広報企画室
公益財団法人 佐々木研究所 附属佐々木研究所 研究事務室