2022-09-05 東京大学
- 発表者
- 岡田 その (東京大学大学院農学生命科学研究科生圏システム学専攻 大学院生(当時))
所司 悠希 (東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻 大学院生)
高島 康弘 (岐阜大学応用生物科学部共同獣医学科 准教授)
三條場 千寿(東京大学大学院農学生命科学研究科応用動物科学専攻 助教)
亘 悠哉 (国立研究開発法人森林研究・整備機構 森林総合研究所 主任研究員)
宮下 直 (東京大学大学院農学生命科学研究科生圏システム学専攻 教授)
発表のポイント
- 世界自然遺産に指定され多くの絶滅危惧種を有する奄美群島徳之島において、トキソプラズマ感染症のホットスポットを、野外のイエネコとクマネズミの抗体保有率の分布解析から明らかにしました。
- イエネコとクマネズミともに、牛舎の戸数が多い景観で抗体保有率が高いこと、その背景には、両種の個体数密度が関与していることが推測されました。
- 今後、多数の動物種から構成されるトキソプラズマの感染ネットワークを景観スケールで解明することで、絶滅危惧種の保全と人や家畜の健康維持を両立できる外来種管理が期待されます。
発表概要
東京大学大学院農学生命科学研究科の宮下直教授、三條場千寿助教らは、森林総合研究所、岐阜大学との共同研究により、トキソプラズマの終宿主であるイエネコと中間宿主であるクマネズミの抗体保有状況を調べ、その分布に影響する環境要因を空間統計解析により探索しました。その結果、牛舎の戸数が多い景観で2種ともに感染リスクが高く、ホットスポットであることが判明しました。イエネコとクマネズミはともに捕食などを通して在来生物にインパクトを与えている侵略的外来種であることから、今回の成果は外来種管理と感染症のリスク管理の統合を可能にする新たな発見であり、多種系からなる感染ネットワーク研究への発展が期待されます。
発表内容
図1:トキソプラズマ抗体の陽性率およびOD値と周辺の牛舎戸数の関係
イエネコ(左)では半径1km以内の牛舎密度、クマネズミ(右)では半径100m以内の牛舎密度を表す。図中のプロットはデータで、色が濃いほどサンプル数が多いことを示す。(拡大画像↗)
現在、外来種は世界的に生物多様性を脅かす重要な要因の一つとなっています。わが国でもそうした例は多数ありますが、なかでも野生化したイエネコの問題が深刻化しています。イエネコは捕食により多くの在来生物を減少させており、特に島嶼部でその影響は顕著です。さらに、イエネコは人獣共通感染症の伝播の担い手でもあるため、人の健康への影響も懸念されています。トキソプラズマ原虫が引き起こすトキソプラズマ症はその代表です。トキソプラズマ原虫はネコ科動物を終宿主とし、ヒトを含むあらゆる温血性動物を中間宿主とします。感染により、妊婦の流産や、免疫力が低下した高齢者に重篤な症状を引き起こすことがあります。したがって、野生化したイエネコの管理を考えるうえでは、生物多様性への影響に加え、人獣共通感染症のリスク評価を行うことが必要です。
これまで、トキソプラズマの感染状況の調査は、イエネコなどの哺乳類を対象に世界各地で行われてきました。しかし、地域スケールで終宿主と中間宿主の感染状況の空間分布を同時把握し、環境要因と紐づけるリスク評価はほとんど行われてきませんでした。感染率を高める環境要因を把握できれば、イエネコ管理や環境管理を重点的に行うべき場所が特定でき、トキソプラズマ感染症のリスクを低減できるはずです。
本研究は、世界自然遺産に指定され、アマミノクロウサギなどの希少種が数多く生息する奄美群島の徳之島で行いました。徳之島では、イエネコによる希少種の捕食が問題になっていますが、私たちの先行研究により、イエネコのトキソプラズマの抗体保有率が47%にも達していることがわかりました。この島では肉牛生産のために多数の牛舎があり、その半数近くで野外にいるイエネコへの餌やりが行われています。本研究では、終宿主であるイエネコと代表的な中間宿主である外来種クマネズミを対象に、広範なサンプルを集めてトキソプラズマに対する抗体の保有率を推定し、感染のホットスポットを景観スケールから特定することを試みました。イエネコの血液サンプルは、徳之島の3町が実施しているネコ管理事業で捕獲された個体から、またクマネズミの血液サンプルは独自に行った捕獲調査により採取しました。トキソプラズマ原虫のタキゾイト(注1)を抗原として、ELISA法にて抗体保有率の検出・定量を行いました。イエネコ、クマネズミ共に陰性コントロールOD値(注2)をもとに閾値を決め、陽性率を算出しました。
本研究では、抗体陽性率とOD値の2つの感染指標を対象に、一般化線形モデルを用いたモデル選択とモデル平均から、感染リスクに影響する環境要因を探索しました。その際、捕獲地点から距離が異なる様々な円形バッファー(注3)を発生させ、その範囲内の土地利用や牛舎戸数などの景観変数を算出しました。情報量基準(注4)によるモデル選択により、感染に影響する最適な空間スケールを推定したうえで、感染指標に影響する要因の強さを分析しました。
その結果、イエネコでは半径1kmの大スケールでの景観変数が、クマネズミでは半径100mの小スケールでの景観変数が、感染指標の値をよく説明していることがわかりました。空間スケールの違いは、イエネコとクマネズミの行動圏の広さと概ね合致していました。またイエネコ、クマネズミともに、上記スケールでの牛舎密度が高いほど感染指標が高くなることが判明し(図1)、牛舎が高密度な場所では両種とも陽性率が80%にも達することがわかりました。さらに、クマネズミの捕獲調査より、クマネズミの密度は、農地や林地、宅地周辺よりも牛舎周辺で高いこともわかりました。イエネコ密度は牛舎戸数が多い景観で高いという先行研究と併せて考えると、トキプラズマの終宿主、中間宿主がともに高密度である場所で感染サイクルが廻りやすく、感染のホットスポットになっていることが推察されました。
本研究の結果から、トキソプラズマ感染症のリスク低減には、牛舎周辺でのネコとクマネズミの管理が推奨されます。従来、牛舎では毒蛇ハブの侵入防止のため、餌となるクマネズミの天敵とされるネコへの餌付けが頻繁に行われてきました。しかし、これはトキソプラズマ感染症のまん延という人へのリスクを高めるばかりか、飼育している牛への感染リスクも高めている可能性もあります。家畜伝染病予防法では、畜舎におけるネコ等の愛玩動物の飼育を禁じ、捕獲や飼料の適正管理によるネズミの管理を求めています。この制度の遵守が感染ホットスポットの解消につながると考えられます。また今後は、トキソプラズマ感染が家畜のウシやヤギ、そして野生動物のイノシシやアマミノクロウサギなどにどの程度まん延しているかの調査が急務です。居住地から農地、森林までを包含する景観スケールからトキソプラズマの感染ネットワークの構造が解明されれば、絶滅危惧種の保全と人や家畜の健康維持を両立できる外来種管理が可能になると考えています。
本研究は、科研費挑戦的萌芽(課題番号:1K19868)、および(独)環境再生保全機構環境研究総合推進費(課題番号:JPMEERF20184004)」の支援により実施されました。
発表雑誌
- 雑誌名
- International Journal for Parasitology: Parasites and Wildlife
- 論文タイトル
- Role of landscape context in Toxoplasma gondii infection of invasive definitive and intermediate hosts on a World Heritage island
- 著者
- Sono Okada, Yuki Shoshi, Yasuhiro Takashima, Chizu Sanjoba, Yuya Watari, Tadashi Miyashita*
- DOI番号
- 10.1016/j.ijppaw.2022.08.010
問い合わせ先
東京大学大学院農学生命科学研究科 生圏システム学専攻 生物多様性科学研究室
教授 宮下 直(みやした ただし)
用語解説
注1 タキゾイト
宿主内に侵入した際の活発に増殖するトキソプラズマ原虫の形態
注2 OD値
光学濃度(Optical Density)
注3 円形バッファー
地図上のある点を中心に発生させた一定距離の円内の領域
注4 情報量基準
モデル選択の際に使われるモデルの良し悪しを表す統計的指標