2023-07-24
株式会社(本社:東京都中央区、代表取締役社長:宮﨑幹生)と早稲田大学は、実験動物であるマウスに対してビフィズス菌とアルギニンを投与することにより、認知的柔軟性が向上することを明らかにしました。これは、協同乳業株式会社の生田かよ研究員、松本光晴主幹研究員、早稲田大学人間科学学術院の掛山正心教授を中心とする研究グループの成果です。本研究成果は、国際学術誌Frontiers in Nutritionに公開されました。
本研究のポイント
- 変化する環境に適応する能力である「認知的柔軟性」は人間の加齢とともに低下し、認知症初期に機能障害を生じることが知られている。協同乳業株式会社と学校法人早稲田大学は、認知的柔軟性を向上させる食品成分の研究を共同で進めている。
- タッチスクリーン装置を用いた認知的柔軟性の評価系を新たに確立した。これにより世界で初めて、認知的柔軟性の解析を腸内細菌叢の実験において実現した。
- 腸管内でポリアミンを産生するビフィズス菌(Bifidobacterium animalis subsp. lactis LKM512)とアルギニンの併用投与で、認知的柔軟性が向上した。
研究概要
認知症およびうつ病などの精神疾患においては、発症直前および初期段階に認知的柔軟性(変化する環境に適応する能力)が急激に低下することが知られています。
最近の研究で、腸と脳は様々なシグナル因子を介して互いに影響を及ぼしていることが明らかとなっており(腸脳相関)、腸内細菌叢が認知機能にも関与していることがわかりつつあります。当研究グループは先行研究で、抗生物質による腸内細菌叢の撹乱によりマウスの認知的柔軟性が低下することを報告しています(Tamada et al., Front Neurosci 16: 882339, 2022)。
協同乳業が長年研究を進めてきた生理活性物質「ポリアミン」は、全生物の全細胞に含まれ、細胞の健全性の維持に必要不可欠な物質です。外因的ポリアミン投与がマウスの学習記憶力を改善することや、腸内ポリアミンの増加によりマウスの空間学習記憶力が改善することが明らかとなっています。
そこで本研究では、ポリアミンの増加により認知的柔軟性を向上させる可能性を検討しました。具体的には、当研究グループが認知的柔軟性を評価するために開発した「タッチスクリーン装置を用いた認知的柔軟性評価試験*1」を用いて、腸内細菌叢のポリアミン産生を促すビフィズス菌とアルギニン(Bif+Arg)の併用投与がマウスの認知的柔軟性に及ぼす影響を調べました。
その結果、Bif+Argを投与したマウスは対照群と比較して、環境変化に柔軟に対応できる認知的柔軟性が向上することが分かりました。これは、プロバイオティクス等の腸内環境を改善する食品が認知的柔軟性に有用な可能性を示した最初の報告となります。今後はこの成果を更に発展させるため、ヒト応用試験とメカニズム解析研究を計画しており、将来的には科学的エビデンスを有する新しい認知症予防戦略の社会実装を目指します。
1.研究体制
本研究成果は、協同乳業株式会社研究所の生田かよ研究員、松本光晴主幹研究員と早稲田大学人間科学学術院の掛山正心教授との共同研究で得られたものです。
2.研究背景
認知症およびうつ病などの精神疾患においては、発症直前および初期段階に認知的柔軟性(変化する環境に適応する能力)が急激に低下することが知られています。したがって、認知的柔軟性を、認知症の発症・進行の予防のための研究の標的とすることは有効と考えられます。
近年の研究で、腸と脳は様々なシグナル因子を介して互いに影響を及ぼし合っていることが明らかとなっています(腸脳相関)。例えば、腸内細菌が存在しない無菌マウスおよび抗生物質投与によって腸内細菌叢の攪乱を起こしたマウスは、行動変容や学習記憶障害が生じることが報告されています。
協同乳業が長年研究を進めてきた生理活性物質ポリアミンは、全生物の全細胞に含まれ、細胞の健全性の維持に不可欠な物質ですが、合成能は脳を含むほぼ全ての臓器で加齢に伴い減少します。一方で、ポリアミンは食事や腸内細菌叢から補うことが可能です。ポリアミンと認知機能の研究は、ポリアミンの一種であるスペルミジンの経口投与がショウジョウバエとマウスの学習記憶力を改善することが報告されています。我々も、ビフィズス菌LKM512とアルギニンの併用投与により腸内細菌叢のポリアミン産生を促すと、高齢マウスの空間学習記憶力が改善することを明らかにしています。しかしながら、認知的柔軟性に対するこれらの併用投与の効果は未確認でした。
本研究では、ビフィズス菌とアルギニンの併用投与の認知的柔軟性への有効性を検証しました。
3.試験方法
マウスおよび試料
マウス(雄性、8週齢)を2つのグループに分け(n=7)、ビフィズス菌(Bifidobacterium animalis subsp. lacits LKM512)とアルギニン混合液投与群(Bifal+Arg群)またはこれらを懸濁・溶解していた生理食塩水の投与群(対照群)としました。それぞれの群に各試料を週3回、テストの9日前から胃ゾンデを用いて経口投与しました。
認知的柔軟性試験
認知的柔軟性を評価する試験は、タッチスクリーン・オペラント装置(図1a)(※1)を用いて、本研究チームが開発済みの評価法(Front Neurosci 16: 882339, 2022)を一部改変して実施しました。この認知的柔軟性の評価法は、タッチスクリーン上に左右非対称に4つのスポットを配置し、4つのスポットの中から正解のスポットを選択すれば嗜好性が高い餌が得られる報酬型の学習記憶試験です。
試験方法の概略を示します。最初に、タッチスクリーン上のスポットを鼻でタッチすることによって「スポットを選択する」という行動形成を行います。その後、学習試験へと進みます。学習試験は、①対角線上を交互に入れ替わる正解スポットを選択する行動系列の獲得のための原学習(専門用語ではBehavioral sequencing taskといいます)と、②その正解対角線と不正解対角線を入れ替える逆転課題を反復して行う学習(専門用語ではSerial reversal learning=反復逆転学習)から成ります(図1b)。
具体的に説明すると以下のような学習試験を行いました。原学習では、対角線1上のスポットが正解となる試験を実施します。試験1が開始すると、画面に4つのスポットが点灯します。マウスが正解スポット(図1bの対角線1の試験1, オレンジ実線で囲んだスポット;オレンジ点線で囲んだスポットは不正解)を選択すると報酬(10mgの餌)が得られ、試験2へと進みます。試験2では、対角線1の正解スポットと不正解スポットが入れ替わります(図1bの対角線1の試験2,新たにオレンジ実践で囲んだスポットが正解となる)。その後、試験1と試験2を交互に繰り返し、正解対角線上にある2つのスポットを交互に選択することで報酬が得られることを学習します。もし、不正解を選択した場合、正解を選択するまで継続します。この原学習は10日間行いました。1日あたりの学習は、150回のトライアル達成あるいは60分間経過した時点で終了としました。
次は反復逆転学習のステージに入ります。ここでは、正解対角線と不正解対角線を逆転させて学習を行います(図1b, 対角線 2で同じことを行う)。このステージは8日間継続後に再逆転させ(対角線1が正解に戻る)、これを繰り返します。この、正解の対角線が変化することへのマウスの適応行動を認知的柔軟性として評価します。
図1. 本研究で確立した認知的柔軟性の評価タスク
(a) タッチスクリーン・オペラント装置:パネル上の正解スポットへの鼻タッチで報酬(餌)が1粒落下し、マウスは食すことができる。周囲の音などの環境要因を遮断する防音ボックス内に装置を入れ試験を実施する。
(b) 評価タスク概要:対角線上を交互に入れ替わる正解スポットを選択する行動系列の獲得のための原学習(Behavioral sequencing task)とその正解対角線と不正解対角線を入れ替える逆転課題を反復して行う学習(Serial reversal learning=反復逆転学習)から成る(例:対角線1➡対角線2➡対角線1➡対角線2と繰り返す)。
4.試験結果
原学習の成立(試験ルールの理解)
原学習の成立(正解対角線上の2つのスポットを交互に選択するという本試験の基礎ルールを理解したか否か)を、最初の選択(正解スポットを選択して報酬を食べた後、次のトライアルにおける最初の選択)での不正解対角選択率を用いて評価しました。不正解対角選択率とは、図1bで説明しますと、対角線1が正解の場合に、正解の対角線上に存在しない青丸を選択する割合です。両群共に初日は高い値を示しましたが、2日目には15%以下、10日目には5%以下に低下しました。また、群間差は認められませんでした(図2)。これは、両群共に、認知的柔軟性評価試験を行うために十分な学習形成(ルールの理解)が行われたことを意味します。
図2. 原学習における最初の選択における不正解対角線選択率
「正解対角線上のスポットを交互に選択する」というルールを理解すると、不正解対角線上のスポットを選択することはなくなる。このデータは、両群共に、このルールを十分に理解し、この後の反復逆転学習に臨むための学習形成がなされたことを示す。データは平均値±標準誤差で示す。
反復逆転学習への適応
反復逆転学習を行い、最初の選択で不正解対角を選択する割合(逆転前の対角線を選択する割合=直前のルールに則った行動をした割合)の推移をグラフにしました(図3)。逆転1回目の初日において、この値は試験期間中で最も高く、対照群で63.7±7.6%、Bifal+Arg群で74.8±5.8%、2日目には両群とも約50%にまで減少しました(対照群:48.4±4.9%, Bifal + Arg group: 50±5.1%)。逆転2回目以降、初日の最初の選択での不正解対角選択率は徐々に低下し、逆転3回目初日では、両群とも確率の上では不正解対角線上のスポットを選択するレベルである50%(4スポット中の2スポット=50%)を下回り (対照群: 48.6 ± 5.8% 、Bifal + Arg群: 41.9 ± 3.5%)ました。しかしながら、統計学的な群間差は認められませんでした。
図3. 反復逆転学習における最初の選択における不正解対角線選択率
逆転初日に数値が高くなり、2日目には大幅に低下し、逆転3日目以降は低値で安定した。また、逆転初日の値が、逆転の繰り返しで徐々に低下した。統計学的な群間差は認められなかった。データは平均値±標準誤差で示す。
各逆転直後の200選択の詳細解析
図3は反復逆転学習における1日の試験で得られた全行動を集計したデータです。しかしながら、この値は逆転2日目には大幅に低下することから、逆転初日の学習中にマウスは正解対角線の逆転への「気付き」と「適応」があったと考えられました。そこで、逆転初日の最初の200選択の行動を詳細に分析し、「気付き」と「適応」のタイミングを調べました。具体的には、正解対角線上の2つのスポットを交互に連続して選択(正解対角移動)した累積数と不正解対角線にある2つのスポットを連続して選択(不正解対角移動)した累積数の推移を比較しました。言い換えますと、正解対角移動は、新しい正解行動(逆転に適応している行動)を示し、不正解対角移動は、逆転前の正解に基づく行動(逆転に適応できていない行動)を示します。
その結果、逆転1~逆転4では群間の違いは観察されなかったのですが、逆転5および6回目において差が検出されました。すなわち逆転5において、対照群では150選択付近で正解対角移動の累積数が増加したのに対し、Bifal+Arg群では、100選択付近で増加しました(図4a)。さらに、Bifal+Arg群では200選択において正解対角移動の累積数が不正解対角移動の累積数より高い値を示しましたが、対照群では、この現象はみられませんでした。逆転6回目では、対照群は100選択付近で正解対角移動の累積数が増加しましたが、Bifal+Arg群では50選択付近で増加がみられました(図4a)。これらの結果は、対照群よりもBifal+Arg群の方が逆転への気付きと適応が早いことを示しています。
図4. Bifal+Arg投与が逆転後の最初の 200選択の行動に及ぼす影響
(a) 正解対角移動の累積数(緑線)と不正解対角移動の累積数(ピンク色線).逆転5では対照群は150選択付近、Bifal+Arg群は100選択付近で(青点線)、逆転6では対照群は100選択付近、Bifal+Arg群は50選択付近で(赤点線)、正解対角移動の上昇および不正解対角移動の減少が観測された。
(b) 逆転5における最初の100選択を20ずつのブロックに分解し、ブロック毎の正解対角移動の割合
そこで、逆転に気付いたタイミングをより正確に比較するために、逆転5回目初日の最初の100選択について、20選択毎に1ブロックとして、正解対角移動の割合を解析しました (図4b)。その結果、Bifal+Arg群の正解対角選択割合は、ブロック5(81~100回目の選択)において対照群よりも有意に高くなりました(p = 0.026)。さらに、Bifal+Arg群では正解対角移動の割合が徐々に増加し、ブロック4(61~80回目の選択、p = 0.024) およびブロック5(選択肢81~100、p = 0.001)では、ブロック1(1~20回目の選択)よりも有意に高くなりました。一方、対照群では、有意な増加は確認されませんでした。この結果から、Bifal+Arg群では、ブロック4、つまり逆転直後の最初の61-80回目の選択において、正解対角が変化していることに気づき、新しい対角へと適応(行動を変容)させたことが示されました。
また、逆転課題を4回積み重ねた後、逆転5で成績が向上し、逆転6ではさらに向上したことや、逆転直後のわずか100選択内でも徐々に成績が向上した点は、逆転学習を繰り返し経験するにつれて、すなわち逆転1から4までの経験をもとに、その変化の認識とそれに対する最適な行動適応がより早期に現れたことを示しています。これは、経験を積み重ねることにより変化への適応がスムーズになる際に必要なlearning-set(※2)の形成が、Bifal+Arg群のマウスでより促進されたことを示しています。
5.結論
Bifal+Arg群のマウスは、対照群よりも早くルールの変化を認識し、新しいルールに則った行動に切り替えること、すなわちBifal+Argの投与で環境変化に柔軟に対応できる認知的柔軟性が向上することが見出されました。これは、プロバイオティクス、プレバイオティクス、シンバイオティクスなどの腸内細菌叢を制御するタイプの食品において、認知的柔軟性に及ぼす効果を実証した最初の報告となります。
6.今後の展望
協同乳業㈱と早稲田大学人間科学学術院は、この成果を更に発展させるため、ヒト応用試験とメカニズム解析研究を計画しております。それにより、科学的エビデンスを有する新しい認知症予防戦略の社会実装を目指します。
本研究の一部は、日本学術振興会科学研究費補助金(20H00575)の支援のもとで実施したものです。
用語解説
注1:タッチスクリーン装置を用いた認知的柔軟性評価試験
装置は、チャンバー、タッチスクリーン、飼料供給装置、カメラ、給水瓶により構成される。タッチスクリーン上に4つの穴が点灯し、マウスはその穴を鼻でタッチすることによって選択する。マウスの選択は、タッチスクリーン上の赤外線センサーによって検知される。マウスが正解スポットを選択すると、飼料供給装置より嗜好性の高い飼料が報酬として与えられ、学習における正の強化がなされる。当研究チームが新しく開発した試験評価系では、実験者による強制経口投与や採血などの介入を行っても、オペレーター・フリーで全自動行動解析システムであるIntelliCageを用いる認知的柔軟性評価試験と同等の精度で評価できる(Front Neurosci 16: 882339, 2022)。
注2: learning-set
Harry F. Harlowによって提唱された概念で、学習の方法を学ぶことを意味する。新しい状況に置かれた場合、すぐに適応して行動を変えることは難しいが、同じ状況に何度も置かれ、失敗を繰り返すうちに、その失敗の経験を通して、失敗を最小限にする方法を学習することである。学習の繰り返しによるlearning-setの形成により、すぐに適応して行動を変容させることができるようになる。
原著論文情報
著者:Kayo Ikuta, Daisuke Joho, Masaki Kakeyama and Mitsuharu Matsumoto
論文タイトル:Bifidobacterium animalis subsp. lactis and arginine mixture intake improves cognitive flexibility in mice
雑誌名:Frontiers in Nutrition 10: 1164809, 2023, doi.org/10.3389/fnut.2023.1164809