2024-02-14 量子科学技術研究開発機構
発表のポイント
- 乳幼児を含む幅広い年齢の被検者に適用可能な軽量コンパクトな甲状腺モニタを開発
- 甲状腺に集積した放射性ヨウ素に対し、既存の据置式の甲状腺モニタと同等な検出感度を有し、放射性核種の区別を必要とする詳細測定をどこでも行うことが可能
- 本製品の市販化により、原子力災害時の公衆の甲状腺被ばく線量モニタリングの測定精度及び実効性の向上に貢献
概要
量子科学技術研究開発機構(理事長 小安重夫、以下「QST」)放射線医学研究所 計測・線量評価部の栗原治部長らは、クリアパルス株式会社との共同開発によって、乳幼児を含む幅広い年齢の被検者に適用可能なポータブル甲状腺スペクトロメータ I-Beetle(アイビートル)の製品化を行い、株式会社千代田テクノルから令和6年1月より販売開始になりました。
国の原子力災害に関する防災計画*,**では、被災地域住民の放射線防護を行うとともに、中長期的な健康管理のために被ばく線量を把握することが求められています。甲状腺被ばく線量モニタリングは、放射性ヨウ素(主にI-131)の甲状腺への蓄積による内部被ばくが懸念される場合に実施されます。同モニタリングは、I-131の半減期が約8日間と短いことから、限られた期間内に多くの住民に対して実施することが求められます。国は原子力災害時の公衆の被ばく線量把握に関する方策を検討しており、令和5年5月には原子力発電所が立地する道府県等が行う甲状腺被ばく線量モニタリングの実施マニュアル***を公表しました。このマニュアルでは、避難や一時移転が必要となる地域の住民の内、主に19歳未満及び妊婦・授乳婦を対象として、発災から概ね3週間以内にNaI(Tl)サーベイメータ1)を用いた簡易測定を行い、同測定で基準値を超えた住民に対して概ね4週間以内に甲状腺モニタ2)を用いた詳細測定を行うとされています。簡易測定は避難所の近傍の適所、詳細測定は甲状腺モニタが設置された原子力災害拠点病院等で実施されます。
今回、開発・市販化した製品名I-Beetleは、従来機器では困難であった乳幼児の測定を可能とし、また既存の甲状腺モニタと同等の性能を有します。甲状腺被ばくによる健康影響は、年齢が若いほど高くなることが知られており、特に小児の測定に適した本測定器を用いることで、高感度かつ高精度な線量測定を行うことが可能となります。また、本測定器は軽量コンパクトなので、必要とされる場所に持ち込み、速やかに測定を開始することができます。本測定器の普及により、原子力災害時の甲状腺被ばく線量モニタリングの測定精度及び実効性の向上に貢献することが期待されます。
* 中央防災会議 防災基本計画(令和5年5月一部修正) 第12編原子力災害対策編 第2章災害応急対策
https://www.bousai.go.jp/taisaku/keikaku/pdf/kihon_basicplan.pdf
** 原子力規制委員会 原子力災害対策指針(令和5年11月1日一部改正) 第3緊急事態応急対策および第4原子力災害中長期対策
https://www.nra.go.jp/data/000459614.pdf
*** 内閣府(原子力防災担当) 原子力規制庁 甲状腺被ばく線量モニタリング実施マニュアル(令和5年5月 31 日)
https://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/pdf/12_senryou_manual.pdf
背景
放射性ヨウ素は体内に取り込まれると甲状腺に集積し、数年から数十年後に甲状腺がん等を発症するリスクが上昇すること、また、そのリスクは年齢が低いほど高くなることが知られています。そのため、放射性ヨウ素の環境中への大量放出を伴う原子力災害が発生した場合、発災元の原子力発電所周辺に居住する住民の甲状腺被ばく線量を把握することが重要となります。甲状腺被ばく線量に最も寄与するのは半減期が約8日のヨウ素-131(I-131)であるため、甲状腺被ばく線量の把握は早急に行う必要があります。
放射性ヨウ素による甲状腺被ばく線量測定3)には、これまでNaI(Tl)サーベイメータや甲状腺モニタが用いられてきましたが、いずれも技術的な課題がありました。NaI(Tl)サーベイメータは空間線量率を計測する測定器として広く普及し、取扱いが容易である一方、放射性セシウムなどの他の放射性核種との区別を行うことができず、また時間が経過すると甲状腺中の放射性ヨウ素に対する検出感度が十分ではありませんでした。甲状腺モニタは、放射性核種を区別することが可能で検出感度も高いですが、頸部の短い小児に対して使用することが困難でした。また、重量物であるために施設に設置して使用されることから、被検者は遠方でも測定を受けるために移動しなければならないという制約がありました。甲状腺モニタは原子力災害拠点病院などに設置されていますが、その台数は限られています。そのため、万一将来、深刻な原子力災害が発生した場合に、多数の住民を対象とした甲状腺被ばく線量モニタリングを円滑かつ効率的に実施するために、こうした課題を解決する新たな測定器を開発する必要がありました。
【開発過程と成果】
ポータブル甲状腺スペクトロメータ I-Beetleの開発過程を以下に紹介します。
(1)試作機開発(2017-2019年度)
原子力安全規制委員会の平成29年度放射線安全規制研究戦略的推進事業の重点テーマ「放射性ヨウ素等の内部被ばくモニタリング手法の開発」に採択され、支援を受けて試作機の開発を行いました。この測定器のコンセプトは、小型検出素子を用いることでプローブ自体の厚さを薄くし、小児の頸部にもプローブを近づけることを可能にし、さらに複数の検出素子を頸部周囲に配置することで検出感度を向上させることでした(図1a)。この小型検出素子には、1センチメートル角のGAGG(Gadolinium Aluminum Gallium Garnet)シンチレータ4)をシリコン光電子増倍管に光学接合した素子を選定しました(図1b)。
3年間の開発期間において、検出素子の最適配置の決定、年齢別頸部ファントム5)を用いた甲状腺中I-131に対する検出感度の体格差による変化、小児用マネキンを用いたプローブ適合性(図1c)などの様々な試験を行い、最終的に試作機(小児用と成人用の2種類)を製作しました(図1d)。
図1.開発コンセプトと試作機の製作
(2)第三者機関による性能試験及び改良機の製作(2020-2021年度)
製作した試作機は産業技術総合研究所による性能評価が行われ、甲状腺被ばく線量モニタリングにおける使用に問題がないことが確認されました。特筆すべきは、試作機に採用したGAGGシンチレータ素子に内蔵された温度補償回路により、一般的なシンチレーション検出器において通常問題となる環境温度変化に伴う波高スペクトルのチャンネルのずれがほとんど生じないことでした****。これによって、外気温の影響を受ける環境下でも、安定してI-131の同定・定量を行えることが実証されました。また、自衛隊中央病院にて乳幼児を含む小児ボランティアによるモックアップ試験(図2a)を行い、試作機(小児用)の実用性を検証しました。更に、モックアップ試験を通じて得られた経験をもとに、小児用の試作機の約1 kgの重量を約300 gまで小型軽量化した改良機を製作しました。これにより、測定者の身体的負荷を軽減するとともに、被検者への圧迫感を低減させることに成功しました(図2b)。
**** 原子力規制庁 第3回緊急時の甲状腺被ばく線量モニタリングに関する検討チーム 資料2 開発した詳細測定器の第三者評価について(https://www.nra.go.jp/data/000357659.pdf)
図2.小児ボランティアによる試験と小型軽量化した改良機
(3)製品機「ポータブル甲状腺スペクトロメータ I-Beetle」の開発(2022-2023年度)
これまでの成果を基礎とし、社会実装を目指して製品機の開発をクリアパルス株式会社とQSTの共同プロジェクトとして進めました。製品機では、小児の測定において発生しうる測定中断に対処するための機能追加やプローブの持ち手形状の改良、さらには専用回路基板の製作などのアップデートを行いました。同時に、改良機の幾つかの開発要素について特許を出願しました。また、製品機の販売保守に関しては、株式会社千代田テクノルと契約を締結しました。
本製品の主な特徴は次のとおりです(図3)
- 複数の小型検出素子を被検者の頸部前面に最適に配置することによって、乳幼児を含む広範な年齢の被検者に対して、測定時の体動による影響を受けにくく、高感度かつ高精度な甲状腺被ばく線量モニタリングを実現。
- 検出感度は従来の甲状腺モニタと同等(甲状腺中I-131に対して3分間の測定時間で50 Bq以下の検出下限値)。
- 小型軽量であることから、NaI(Tl)サーベイメータ等と比較しても、長時間使用時の測定者の疲労が小さい。
- 乳幼児が被検者である場合は、保護者が乳幼児を抱いてプローブを頸部に当てるなどの測定方法も可能。
- 従来の甲状腺モニタに比べて被検者頸部への検出器の位置合わせが容易であるため、測定全体に要する時間を短縮できる。
- 年齢別頸部ファントムを用いて複数の換算係数を設定することにより、年齢や体格に応じた補正を行うことができる。
図3.ポータブル甲状腺スペクトロメータI-Beetleの特徴
【今後の展開】
国が令和5年5月に公表した甲状腺被ばく線量モニタリング実施マニュアルでは、避難や一時移転が必要となる地域に居住する住民の中で主に19歳未満及び妊婦・授乳婦を対象として、発災から概ね3週間以内にNaI(Tl)サーベイメータを用いた簡易測定を行い、簡易測定において基準値を超過した被検者に対して、概ね4週間以内に甲状腺モニタを用いた詳細測定を行うことを、原子力発電所が立地する道府県等に求めています。本製品は乳幼児に対しても測定が行なえる点で既存の甲状腺モニタよりも優れており、また将来的に簡易測定が行われる会場で運用することも可能であることから、詳細測定のための被検者の移動を必要とせず、円滑なモニタリングの実施に貢献することが期待されます。また、本製品がNaI(Tl)サーベイメータの代替として簡易測定にも使用されれば、測定手法の標準化が図られるとともに、測定精度の向上が見込まれます。
【用語解説】
1) NaI(Tl)サーベイメータと簡易測定
主としてγ線による空間線量率(マイクロシーベルト毎時)を測定する装置です。プローブにはNaI(Tl)シンチレーション検出器と光電子増倍管が収められています。バックグラウンドレベル(~0.05マイクロシーベルト毎時)から30マイクロシーベルト毎時までの測定に適しています。甲状腺被ばく線量モニタリングの簡易測定では、NaI(Tl)サーベイメータが用いられます。写真のようにプローブの先端を被検者の喉の下付近に近接させて、甲状腺に集積した放射性ヨウ素からのγ線を測定します。ただし、周辺の放射性セシウムなどの他の放射性核種からのγ線も測定してしまうため、簡易測定は低いバックグラウンド環境で行う必要があります。
2) 甲状腺モニタ
甲状腺被ばく線量測定を行うために専用に製作されたモニタです。検出器にはNaI(Tl)シンチレーション検出器やゲルマニウム半導体検出器等が使われており、バックグラウンドの放射線の影響を低減するために検出器は円筒形の遮へい体の中に収められているものが一般的です。甲状腺モニタは原子力災害拠点病院等に設置されており、核種同定を必要とする詳細測定に使用されます。
3) 甲状腺被ばく線量測定
甲状腺は頸部前面に位置する内分泌器官であり、ヨウ素を材料として甲状腺ホルモンを作ります。原子力事故によって放出されたI-131等の放射性ヨウ素を体内に取り込むと、安定ヨウ素(放射線を放出しないヨウ素)と同様に甲状腺に集積するために、甲状腺が放射線被ばくを受けることになります。甲状腺被ばく線量測定は、甲状腺に集積したI-131等から放出されるガンマ(γ)線を、頸部近くに配置した放射線測定器を用いて計測することであり、検出されたγ線量が甲状腺中の放射性ヨウ素の残留量に比例することになります。
4) GAGGシンチレータ
Ce添加Gd3(Al, Ga)5O12単結晶(Ce:GAGG)/ガドリニウムアルミニウムガリウムガーネットは、放射線を検出するための新しいシンチレータ材料です。GAGGは従来のシンチレータ結晶(NaI(Tl)、CsI(Tl)等)に比べて密度が高いため、小さな結晶でも高感度な放射線測定が可能です。また、高エネルギー分解能、高速応答といった特性を有し、さらに潮解性(結晶が空気中の水分を吸収して溶ける性質)がなく、空気中の水分による劣化の心配もないため、長期間安定して使用することができます。
5) 頸部ファントム
甲状腺中の放射性ヨウ素を定量する際、計測値から甲状腺中の放射性ヨウ素の放射能に変換するための換算係数を求めるために頸部ファントムを用います。頸部ファントムは人の頸部及び甲状腺を模した模型であり、本製品では年齢別の頸部ファントムを用いて得られた換算係数を決定しています。各頸部ファントムには甲状腺形状の容器が内蔵されており、この容器の中に既知量の放射性溶液を封入して測定することで、換算係数を得ることができます。
年齢別頸部ファントム
(写真左から5歳、10歳、15歳及び成人を模したファントム)
【掲載論文】
試作機に関する論文として、
Yajima et al., Development of a new hand-held type thyroid monitor using multiple GAGG detectors for young children following a nuclear accident. Radiation Measurements 150 (2022) 106683.