2020-01-09 東京大学
発表者:
清水 謙次(東京大学定量生命科学研究所 分子免疫学研究分野 特任助教/徳島大学先端酵素学研究所免疫制御学分野 専門研究員)
岡崎 拓(東京大学定量生命科学研究所 分子免疫学研究分野 教授/徳島大学先端酵素学研究所免疫制御学分野 客員教授)
発表のポイント:
◆抑制性免疫補助受容体 PD-1 が、T 細胞の活性化を単に弱めているだけでなく、T 細胞の機能を質的に変化させていることを明らかにしました。
◆T 細胞の活性化により発現が上昇する遺伝子には、PD-1 によって抑制される遺伝子とされない遺伝子があることを発見しました。また、それらの遺伝子の特徴を解明しました。
◆T 細胞の機能を制御するメカニズムの理解が進むとともに、PD-1 阻害抗体によるがん免疫療法の改良および新しい免疫制御療法の開発に役立つと期待されます。
発表概要:
病原体やがん細胞から我々の体を護る免疫システムにおいて司令塔と実行役の両方の役割を担う T 細胞は、抗原を認識することによって活性化します。T 細胞が活性化するとさまざまな遺伝子の発現が変化し、生存・増殖・分化・サイトカイン産生などの応答を示します。これまでに抑制性免疫補助受容体 PD-1 が T 細胞の活性化を抑制することは知られていましたが、遺伝子レベルで T 細胞をどのように変化させているかは不明でした。
今回、東京大学定量生命科学研究所の清水謙次特任助教と岡崎拓教授らの研究グループは、 T 細胞の遺伝子発現に PD-1 が及ぼす影響を詳細に調べました。その結果、PD-1 によって発現上昇が抑制される遺伝子とされない遺伝子があることを発見しました。また、それらの遺伝子の特徴を解明しました。
現在、がん治療薬として PD-1 阻害抗体が多くの患者さんに使われていますが、その効き目はがんの種類や個人によって大きく異なります。本研究成果は、PD-1 阻害抗体によるがん免疫療法の改良や新しい免疫制御療法の開発に役立つと期待されます。
この研究成果は 2020 年 1 月 8 日付(現地時間)で米国科学雑誌「Molecular Cell」オンライン版に掲載されました。
発表内容:
【研究背景】
病原体やがん細胞から我々の体を護る免疫システムにおいて司令塔と実行役の両方の役割を担う T 細胞は、各々の T 細胞に特異的な抗原を認識することによって活性化します。T 細胞が活性化するとさまざまな遺伝子の発現が変化し、生存・増殖・分化・サイトカイン産生(注1)などの応答を示します。
免疫抑制の解除によるがん免疫療法を開発した功績により、ノーベル生理学・医学賞が 2018 年に本庶佑博士と James P. Allison 博士に授与されました。両博士の研究により、未治療の状態でもがん細胞に対する免疫応答が既に誘導されているものの、PD-1 および CTLA-4 という抑制性免疫補助受容体(いわゆる、免疫チェックポイント分子)により無力化されていること、抑制性免疫補助受容体の機能を阻害することによりがん細胞特異的 T 細胞を活性化し、がんを治療し得ることが明らかになりました。岡崎教授は 2008 年まで京都大学の本庶研究室に在籍し、PD-1 による抑制の分子メカニズムなどを解明して、PD-1 が自己に対する不適切な免疫応答やがん免疫応答を抑制する抑制性免疫補助受容体であることを明らかにしました。
これまでに PD-1 が T 細胞の活性化を抑制することは知られていましたが、T 細胞の遺伝子発現をどのように変化させているかは不明でした。T 細胞上に発現する抗原受容体(T 細胞受容体、TCR)が抗原を認識すると、TCR がリン酸化され、下流にシグナルが伝達されます。
PD-1 は TCR のリン酸化を弱めることにより T 細胞の活性化を抑制することから、T 細胞の活性化により引き起こされる全ての遺伝子の発現変化を PD-1 は一様に抑制すると考えられていました。一方、PD-1 が機能すると T 細胞が一時的あるいは長期的に機能不全状態に陥るなど、 PD-1 は T 細胞の機能を質的にも変化させます。全ての遺伝子の発現変化を一様に抑制するという説では、T 細胞を質的に変化させるメカニズムを説明できないため、T 細胞の活性化をPD-1 が実際にどのように制御しているのかは大きな謎でした。
【研究内容】
本研究グループはまず、T 細胞を PD-1 が働く条件と働かない条件で抗原刺激し、遺伝子の発現量を網羅的に調べました。その結果、T 細胞を抗原で刺激した時に発現量が上昇する遺伝子には、PD-1 によって抑制されやすい遺伝子とされにくい遺伝子があることを発見しました(図1)。
次に、T 細胞を刺激する抗原の量を変化させて解析したところ、発現上昇に必要な抗原の量が遺伝子ごとに異なるということを見出しました。そこで、最大の発現上昇の半分の発現上昇を誘導する抗原の濃度(50%効果濃度、EC50)を各遺伝子について算出しました。その結果、EC50の値は、遺伝子によって最大 482 倍も異なることが分かりました。さらに、PD-1 による抑制効果と EC50 に正の相関関係を見出しました(図2)。つまり、発現上昇に強い刺激が必要な遺伝子ほど PD-1 によって抑制されやすいということが明らかになりました。
遺伝子のプロモーター(注2)配列の特徴と PD-1 による抑制効果の関係性を調べたところ、 PD-1 によって発現上昇が抑制されやすい遺伝子のプロモーター配列は CpG(注3)の頻度が低く、いくつかの特徴的な転写因子結合モチーフが濃縮されていることが明らかになりました。CpG の頻度や転写因子結合モチーフの組み合わせなどによって各遺伝子の EC50 が決まり、EC50の値に応じて各遺伝子の発現上昇が PD-1 によって抑制されると考えられます。
最後に、PD-1 によって発現上昇が抑制されやすい遺伝子の機能的な特徴を調べました。その結果、サイトカイン、CD40L(注4)など、T 細胞が実際に機能を発揮する際に働く遺伝子の発現を PD-1 が選択的に抑制していることがわかりました。一方で、転写、アポトーシス、シグナル伝達などに関わる遺伝子の発現には、PD-1 はあまり影響を与えていませんでした(図3)。
以上の結果から、PD-1 は T 細胞の活性化の程度を単純に弱めるのではなく、特定の遺伝子を選択的に抑制することにより、T 細胞の質を変化させることが明らかになりました。すなわち、PD-1 によって活性化が抑制された T 細胞は、単に少ない抗原量で弱く刺激された T 細胞とは質的に異なることが実験的に示されました。今後、自己免疫やがん免疫の抑制において、PD-1 がこのような特性を有する意義が解明されると期待されます。
【社会的意義】
PD-1 阻害抗体の治療効果は、がんの種類や個人によって大きく異なります。がん特異的 T 細胞の機能が PD-1 によって強く抑制されている場合ほど、PD-1 阻害抗体がより有効であると考えられます。PD-1 に抑制されやすい遺伝子とされにくい遺伝子の発現パターンを検査し、実際にがん特異的 T 細胞がどの程度 PD-1 によって抑制されているのかを判定することにより、PD-1 阻害抗体の治療効果を事前に予測することができる可能性があります。また、PD-1 に抑制されやすい遺伝子は、がんや自己免疫の治療標的として有用と考えられます。
発表雑誌:
雑誌名:Molecular Cell(2020 年 1 月 8 日オンライン版)
論文タイトル:PD-1 imposes qualitative control of cellular transcriptomes in response to T cell activation 著者:Kenji Shimizu, Daisuke Sugiura, Il-mi Okazaki, Takumi Maruhashi, Yujiro Takegami,
Chaoyang Cheng, Soichi Ozaki, and Taku Okazaki*
DOI 番号:10.1016/j.molcel.2019.12.012
問い合わせ先:
東京大学定量生命科学研究所 分子免疫学研究分野
教授 岡崎 拓 (おかざき たく)
用語解説:
(注1)サイトカイン細胞から分泌され、細胞間の情報伝達を担うタンパク質の総称。例えば、サイトカインの1つであるインターロイキン−2は、活性化した T 細胞から分泌され、自身や周囲の T 細胞の増殖を促す。
(注2)プロモーター遺伝子の転写開始に関与する領域。本研究では転写開始点の±500bp をプロモーターと仮定して、その配列の特徴を解析した。
(注3)CpG
5’側からシトシン-グアニンという順番に並んでいる2塩基配列。この順番で並ぶシトシンがメチル化の対象となる。シトシンがメチル化を受けると、一般に転写が阻害される。遺伝子は大まかに CpG の頻度が多いものと少ないものに分けられ、それぞれが異なる遺伝子発現制御を受けている。
(注4)CD40L
活性化した T 細胞上に発現するタンパク質。B 細胞上の CD40 と結合し、B 細胞からの抗体産生を促す。
添付資料:
図1.T 細胞の活性化により発現上昇する遺伝子には PD-1 によって抑制されやすい遺伝子とされにくい遺伝子がある刺激前(白)と比べて刺激後(黒)に発現量が上昇する遺伝子の代表例を X 軸に示す。左側に示す遺伝子ほど、PD-1 が働く条件で刺激した場合(橙)に発現上昇が抑制されやすく、右側に示す遺伝子ほど抑制されにくかった。
図2.EC50の値が高い遺伝子ほど PD-1 によって抑制されやすい各点は異なる遺伝子を示す。発現上昇に強い刺激が必要な遺伝子、すなわち EC50の値が高い遺伝子ほど PD-1 によって抑制されやすいことが明らかになった。
図3.PD-1 による T 細胞の活性化制御機構
PD-1 は T 細胞の活性化により誘導される遺伝子の発現変化を一様に抑制するのではなく、EC50の値が高い遺伝子を選択的に抑制する。これにより、PD-1 は T 細胞の質を変化させることができる。