2023-07-25 東京大学
中村 遼平(生物科学専攻 助教)
磯江 泰子(ハーバード大学 研究員/研究当時:生物科学専攻 博士課程)
発表のポイント
- メダカの大脳構造を明らかにし、さらに各脳領域のクロマチン構造を解明した。
- 脊椎動物の中で比較的初期に分岐した硬骨魚類のメダカの大脳背側領域において、特異的なシナプス遺伝子群の発現を調節しシナプス密度の高い特殊な脳領域があることを初めて明らかにした。
- 構造が多様で未だ謎が多い脊椎動物の大脳において、各脳領域の機能と進化的起源の解明が期待される。
ヒトの大脳、メダカの大脳、そしてクロマチンとシナプス
発表概要
東京大学大学院理学系研究科の中村遼平助教と、ハーバード大学分子生物細胞学研究科の磯江泰子研究員らによる研究グループは、メダカの大脳を解剖学的構造とクロマチン(注1)構造の観点から解析しました。その結果、メダカの大脳の背側における各解剖学的脳領域は、発生初期の単一の神経幹細胞由来の細胞群(クローン)が混じり合わずに構成することから成り、クローンごとにクロマチン構造の状態が異なることを明らかにしました。
魚類の大脳の背側領域は種差が大きい一方、これまで魚類の脳機能を解明するための遺伝学的な研究は限られた種でしか行われてきませんでした。しかし、本研究によって、メダカの大脳の背側領域には周囲の脳領域とはクロマチン構造が大きく異なる特殊な脳領域が存在することを発見しました。特に、その領域ではシナプス(注2)遺伝子群が選択的に発現制御されており、シナプス密度も高いことを明らかにしました。
大脳の背側領域は、ヒトでは海馬(注3)や大脳皮質(注4)にあたり、知性に大きく関わる領域のため、脳進化学の観点からも大変興味深い脳領域です。メダカを使った当該領域の研究によって、脊椎動物の大脳の多様性および進化的起源の謎の解明に繋がることが期待されます。
図1:脊椎動物の大脳の多様性
ヒト、鳥類、両生類、魚類(メダカ (上)、ゼブラフィッシュ(下))の大脳(ピンクで表示)。メダカとゼブラフィッシュの断面図(左半球のみ)では大脳の背側領域をピンクで表示。
発表内容
〈研究の背景〉
脊椎動物の脳は、大まかな領域の構成は保存されていますが、種間で比べてみると領域の形態や領域内の区画の数や形態、場所は大きく異なります。特にヒトの「大脳」は、脳の大部分を占める「大脳皮質」や記憶に重要な「海馬 」などの複数の領域が含まれ、ヒトの知性に大きく関わることが推測されていますが、まだ謎が多く、広く研究が行われています。ヒト以外の脊椎動物で大脳を研究し、さらに大脳の各領域の進化的起源を調べることは、脳進化の解明、そして将来的には大脳の機能をより単純なモデル動物で 研究しヒトの脳機能の理解が進むことが期待されます
しかし、脊椎動物の進化の過程で初期に分岐した魚類において、大脳はミステリアスな脳領域でした。というのも、これまで魚類の分子生物学のモデル動物としてゼブラフィッシュが広く研究に使われてきましたが、ゼブラフィッシュの大脳内には明瞭な解剖学的な区画がなく、研究が困難でした。一方、シクリッドやマハゼの大脳内には明瞭な解剖学的な区画がありますが、各々の種が分子生物学のモデル動物として確立されていないため、研究が困難でした。そこで、本研究グループはメダカに着目しました。メダカは分子生物学のモデル動物として確立され、さらに大脳内に明瞭な解剖学的な区画があります。
〈研究の内容〉
本研究ではまずメダカの成魚の大脳内の解剖学的な構造を解析しました。手法は、発生の早い時期の神経幹細胞を遺伝学的にラベルし、その神経幹細胞由来の細胞群(クローン)の構造を可視化しました。その結果、メダカの大脳の解剖学的領域がクローンの組み合わせからなることがわかりました。
図2:メダカの大脳の背側はクローンが混じり合わないで構成される
卵から成魚にかけて、神経幹細胞が分裂、分化して神経細胞は成熟する。発生初期の単一の神経幹細胞由来の神経細胞群のことをクローンと呼ぶ。本研究ではまず、クローンの構造解析を行なって、大脳背側の各領域が特定のクローンが混じり合わることなく構築されることを発見した。
次に、クローン各々の性質を知るために、クローンごとに染色体のクロマチン構造の解析を行ないました。というのも、遺伝子が発現調節される際、クロマチンが開いたり閉じたりすることから、クロマチン構造を調べることで、遺伝子の発現調節状態を比較することができます。解析の結果、クローンごとにクロマチン状態が大きく異なることがわかりました。特に、メダカの大脳の背側の特定の領域ではクロマチン構造が周辺の領域と大きく異なり、中でも、神経細胞の情報伝達を担うシナプスに関する遺伝子群の発現調節状態が大きく異なることがわかりました。さらに、この領域は実際にシナプス密度が高いことも明らかになりました。このことから、メダカの大脳の特定領域の神経細胞において、特殊な情報処理が行われていることが示唆されました。
図3:クローンごとのクロマチン構造の解析とシナプス
それぞれのクローンの性質を調べるために、各々のクローンのクロマチン構造を解析した。一般的に、クロマチン構造が<開>状態だと遺伝子の発現調節が促進され、<閉>状態だと遺伝子発現は抑制される。大脳の各々のクローンでクロマチン構造を解析した結果、クローンごとにクロマチンの開閉状態が異なること、さらに、特定の脳領域「Dd」でシナプス遺伝子群が選択的に発現調節されていることがわかった。シナプスは神経細胞間の信号の伝達に重要なので、脳領域Ddで特殊な情報処理が起きていることが示唆された。
〈今後の展望〉
メダカは「めだかの学校」という唱歌があるほど日本人に馴染み深く、日本語の「目高」(目が高いところに位置する)からついた名前(medaka)は世界的に使われています。これまで魚類を使った脳・行動の研究では、世界的にはゼブラフィッシュに押され気味ですが、本研究は、大脳の背側領域の解剖学的な区画がわかりやすいメダカを研究材料に用いたからこそ、大脳の背側領域の特異性について明らかにできました。
小型魚類は、脊椎動物の中でも小さくて扱いやすく、稚魚は透明なため、行動や脳の研究に大変有用です。今後は、メダカを用いて大脳の機能メカニズムを解明し、大脳の多様性の進化およびヒトの知性の起源の一端を明らかにすることが期待されます。
論文情報
- 雑誌名
eLife論文タイトル
Epigenetically distinct synaptic architecture in clonal compartments in the teleostean dorsal pallium著者
Yasuko Isoe*, Ryohei Nakamura, Shigenori Nonaka, Yasuhiro Kamei, Teruhiro Okuyama, Naoyuki Yamamoto, Hideaki Takeuchi, Hiroyuki TakedaDOI番号
10.7554/eLife.85093
研究助成
本研究は、科研費「スタートアップ支援 (課題番号:16H06987)」、基盤研究(B)(課題番号:16KT0072)」、「挑戦的研究(開拓)(課題番号:20K20303)」、「基盤研究(C)(課題番号:21K06013)」、「新学術領域研究(研究領域提案型)(課題番号:JP21H00245)」、基礎生物学研究所 共同研究利用(課題番号:16-522、17-513、18-513)の支援により実施されました。
用語解説
注1 クロマチン
遺伝子がコードされているのがDNAである。そのDNAが円柱状のタンパク質(ヒストン)に巻き付いて折りたたまれたものをクロマチンと呼ぶ。遺伝子が発現するためには、DNAを解読するタンパク質がDNAに結合する必要があるため、折りたたまれたクロマチンが開きDNAが露出した状態になる。
注2 シナプス
神経細胞は生成した信号を伝達することに特化した細胞である。その神経細胞の細胞間の接合部位の構造のことを「シナプス」という。シナプスという「場」で信号が伝達されるので、シナプスを構築するタンパク質に応じて、信号の性質(興奮性・抑制性など)や伝達速度が変化する。
注3 海馬
海馬は記憶を司る脳領域である。日常的な出来事を覚えていたり、学習中に記憶したことは、海馬に貯蓄される。海馬は周辺の脳領域とも結合し、記憶の一部は「大脳皮質」という脳領域へ伝達される。
注4 大脳皮質
大脳皮質は大脳背側に位置する脳領域で、特に哺乳類や霊長類で発達している。知覚、随意運動、思考、推理、記憶など、脳の高次機能を司るとされているが、大脳皮質でどのようにして高次機能が生じるかのメカニズムは未だ不明である。