2018/11/20 京都大学iPS細胞研究所
松浦理史 iPS細胞研究所博士課程学生、齊藤博英 同教授らの研究グループは、合成RNAを細胞に導入することで細胞の運命を精密に制御できる人工論理回路を開発しました。
今回開発した人工論理回路では、細胞内の複数種のmiRNAを検知して入力信号とし、それぞれの論理回路(AND、OR、NAND、NOR、XOR回路)に応じ、出力として任意のタンパク質の発現を制御することに成功しました。これにより、特異的に狙った細胞の機能を精密に制御することが可能となり、将来的には標的細胞の純化に用いるなど、医療応用に貢献できると期待されます。
本研究成果は、2018年11月19日に、英国科学誌「Nature Communications」のオンライン版に掲載されました。
図:本研究で開発した人工論理回路の概略
書誌情報
【DOI】https://doi.org/10.1038/s41467-018-07181-2
【KURENAIアクセスURL】http://hdl.handle.net/2433/235229
Satoshi Matsuura, Hiroki Ono, Shunsuke Kawasaki, Yi Kuang, Yoshihiko Fujita & Hirohide Saito (2018). Synthetic RNA-based logic computation in mammalian cells. Nature Communications, 9:4847.
詳しい研究内容について
● 安全性の高い RNA を用いて、細胞内の複数のマイクロ RNA(miRNA)を目印に細胞の状態を検知し て細胞の機能を制御できる、特異性の高い RNA 論理回路を構築した。
● 細胞内の2種類の miRNA を検知する AND 回路により、両 miRNA の存在下でのみ細胞死を引き起 こせることを確認した。
京都大学 iPS 細胞研究所・未来生命科学開拓部門 松浦理史 博士課程学生、齊藤博英 同教授らの 研究グループは、合成 RNA を細胞に導入することで細胞の運命を精密に制御できる人工論理回路を開 発しました。今回開発した人工論理回路では、細胞内の複数種の miRNA を検知して入力信号とし、それ ぞれの論理回路(AND、OR、NAND、NOR、XOR 回路)に応じ、出力として任意のタンパク質の発現を制御 することに成功しました。これにより、特異的に狙った細胞の機能を精密に制御することが可能となり、将 来的には標的細胞の純化に用いるなど、医療応用に貢献できると期待されます。
この研究成果は、2018 年 11 月 19 日に英国科学誌「Nature Communications」でオンライン公開されま した。
図 1.本研究で開発した人工論理回路の概略
細胞内の複数の miRNA を検知し、それを入力信号とした論理演算の結果が タンパク質の発現の有無として出力する。 (EGFP は緑色蛍光タンパク質、Bax は細胞死を促進するタンパク質)
合成生物学分野は、創薬やワクチン開発、細胞移植などといった医療への応用が期待され、急速に研 究が進んでいます。なかでも、細胞内の遺伝子発現を制御する人工回路は、細胞の運命をコントロール できる技術として開発が進められています。これまで、このような人工回路は DNA を合成して作製されて いましたが、細胞内に導入すると、ランダムに細胞内のゲノム DNA を傷つけてしまうリスクがあり、医療応 用が難しいという課題がありました。そのため、研究グループは、安全性の高い人工 RNA を利用した人工回路の作製に取り組んできました。同グループは標的となる細胞の状態を、細胞内の特異的な 1 種類 のマイクロ RNA(miRNA) 注 1 により識別し、その状態に応じて細胞運命を制御できる回路を構築し、2015 年に発表しました(参考:CiRA HP 研究成果 2015 年 8 月 4 日「細胞の機能を精密に制御する人工回路 を RNA で構築: ヒトの細胞で成功」)。しかしながら、この人工回路では miRNA 存在下と非存在下におい て出力として得られるタンパク質の発現量の差に課題がありました。そこで、本研究ではより顕著な出力 差が得られるよう人工回路を改良し、それを組み合わせることで複数の miRNA を検知し、より特異的か つ精密に細胞の運命を制御できる人工論理回路注 2の構築を試みました。
研究グループは先行研究において、細胞内の 1 種類の miRNA の活性を感知し、それに応じて 1 種類 のタンパク質の発現を制御する人工回路を開発していました。この人工回路では、目印となる miRNA が 存在しない場合は、L7Ae 注 3タンパクが発現することで、出力のタンパク質の発現が抑制されます(スイッ チオフ)。一方、目印の miRNA が存在する場合は L7Ae タンパクが発現しないため、それにより出力のタ ンパク質の発現が抑制されません(スイッチオン)。ただ、この回路ではオフとオンの間で、出力として観察 できるタンパク質量の差が顕著ではありませんでした。
図 2.研究グループが先行研究で開発した人工回路
2 種類の人工 mRNA 注 4を利用する。1 種類の人工 mRNA には、miRNA を検知する配列と L7Ae タンパクをコードする配列が、もう 1 種類の mRNA には L7Ae タンパクが結合する Kt(キンクター ン注 5 )と呼ばれる配列と出力したいタンパク質をコードする遺伝子の配列を設けている。miRNA が存在する(オン)と、それにより L7Ae タンパクの発現が抑制され、出力タンパク質が発現す る。miRNA が存在しない場合(オフ)は L7Ae タンパクが発現し、それが Kt に結合することで、出 力タンパク質の発現が抑制される。(5’UTR、3’UTR はそれぞれ遺伝子の上流、下流を示す。)
出力差を顕著に観察できるようにするために、従来の人工回路に改良を加えました。具体的には、従来 は L7Ae タンパクをコードする配列の下流に、miRNA を検知する配列を設けていましたが、それに加えて L7Ae コード配列の上流にも配置しました。改良した人工回路の機能を調べるため、一例として miR-21 を 感知する人工回路を、293FT 細胞注 6に導入しました。なお、293FT 細胞内には本来 miR-21 が存在しな いため、合成 miR-21 を同時に導入し、EGFP(緑色蛍光タンパク質)を出力として人工回路の機能を検証 しました。
図 3.今回改良した人工回路
miRNA を検知する配列を L7Ae コード配列の上流にも設けた。
人工回路を細胞に導入して 24 時間後にフローサイトメトリー解析注 7にて、EGFP の発現量を示す蛍光 強度を観察したところ、スイッチオンつまり miR-21 が存在するときは、スイッチオフつまり miR-21 が存在 しないときの最大 9.2 倍もの蛍光強度比が確認され、顕著な人工回路の出力差を得ることができました。
また、改良した人工回路が、細胞内にもともとある miRNA に対しても応答し、遺伝子発現を制御できる かを調べるため、人工回路を、miR-21 が発現している HeLa 細胞注 8に導入しました。なお、対照実験の ために、miR-21 を阻害した HeLa 細胞にもこの回路を導入しました。すると、miR-21 存在下(オン)では EGFP 発現量が増大し、miR-21 有無により細胞を選別することができました。
これらの結果より、改良した人工回路では、高い精度で出力タンパク質の発現を制御できるようになっ たことが確認できました。
2) 人工 RNA 論理回路を構築した
次にグループは、上述の改良した人工回路を組み合わせることで、複数の miRNA の活性を検知して、 出力タンパク質の発現を制御できる様々な論理回路を構築することにしました。
まず、miR-21 と miR-302a の 2 種類の miRNA の双方があるときにのみ、出力として EGFP が発現する 論理回路(AND 回路)を構築しました。この回路を、293FT 細胞に合成 miR-206 と miR-302a の双方ある いは片方とともに導入したところ、miR-206 と miR-302a 存在下でのみ EGFP が発現しました。同様に、 miR-21 あるいは miR-302a のいずれか、もしくはその双方の存在を検知する OR 回路の構築にも成功し ました。
また、より複雑な論理回路を構築するため、L7Ae のように他のタンパク質の発現を抑制する MS2CP タ ンパクを作る mRNA を合成し、双方の作用を利用した、NAND、NOR、XOR 回路を開発することにも成功 しました。NAND 回路は AND 回路と反対の出力、NOR 回路は OR 回路と反対の出力、そして XOR 回路 は miR-21 と miR-302a のいずれか一方のみが存在する場合に出力し、細胞が光る様子が観察されました。
図 4.今回開発した人工 RNA 論理回路
研究グループはさらに、miR-21、miR-302a、miR-206 の 3 種類の miRNA に応答する 3 入力 AND 回路 の構築にも成功しました。
3) 2 入力 AND 回路で細胞死を制御できた
最後にグループは、本研究で構築した人工論理回路により、標的の細胞に細胞死を起こすことができ るかを検討しました。2 種類の miRNA(miR-206 と miR-302a)の入力による AND 回路を構築し、細胞死 促進タンパクの発現を出力としました。293FT 細胞に合成 miR-206 と miR-302a の双方あるいは片方と、 AND 回路を導入し、24 時間後に観察しました。すると、miR-206 と miR-302a 双方を導入した細胞におい てのみ、細胞死が起きていました。この結果より、本 AND 回路が miRNA の有無に応じて選択的に細胞 死を制御できることが分かりました。
本研究では、細胞の状態を感知し、それに応じて細胞の運命を制御する論理回路を、RNA の みを用いて開発することに成功しました。細胞内でのさまざまな miRNA の活性の違いに着目し、 複数の miRNA を入力情報とし、コンピュータの論理演算のようなシステムを構築したことで、標 的とする細胞の運命をより特異的に制御することができました。この技術は目的の細胞の純化な ど様々に活用することができ、今後、再生医療や創薬といった医療応用に大きく貢献できると期 待されます。
○ 論文名 “Synthetic RNA-based logic computation in mammalian cells”
○ ジャーナル名 Nature Communications
○ 著者 Satoshi Matsuura1,2 , Hiroki Ono1,2, Shunsuke Kawasaki1 , Yi Kuang1,+ , Yoshihiko Fujita1 , Hirohide Saito1,* * 責任著者
○ 著者の所属機関
1. 京都大学 iPS 細胞研究所
2. 京都大学 大学院医学研究科
+ 現所属:香港科技大学
本研究は、下記機関より資金的支援を受けて実施されました。
・ 日本学術振興会(科研費)
注 1) マイクロ RNA(miRNA)
20〜30 塩基程度の長さの短いノンコーディング(タンパク質をコードしていない)RNA。相補的な配列を持 つ mRNA(メッセンジャーRNA)と結合して翻訳を抑制したり、mRNA を分解したりすることで、その mRNA からのタンパク質の合成を抑制する働きをもつと考えられている。
注 2) 論理回路
論理演算を行う回路。入力信号ならびに出力信号を 0(無)と 1(有)で表したとき、例として AND 回路では 全入力信号が 1 のときに出力信号が 1 となる。一方、OR 回路では一つでも入力信号が 1 であれば、出力信号は 1 となる。NAND 回路では AND 回路の出力と正反対の、NOR 回路では OR 回路の出力と正反 対の出力となる。
注 3) L7Ae
古細菌リボソーム大サブユニットに存在するタンパク質の一つであり、リボソーム構築に必須の因子であ るとともに、RNA 塩基の修飾や、mRNA への結合など、複数の機能を担う。
注 4) mRNA
メッセンジャー(伝令)RNA のこと。DNA 上の遺伝子情報は mRNA に転写された後、mRNA からタンパク 質となり(翻訳され)、細胞内で機能する。
注 5) キンクターン
RNA-タンパク質の相互作用に重要な役割を果たす RNA 配列の 1 つ。L7Ae 注 3と強固に結合することが できる。
注 6) 293FT 細胞
ヒト胎児の腎由来の細胞株の一種。細胞実験にてよく用いられる。
注 7) フローサイトメトリー解析
流動細胞計測法。レーザー光を用いて光散乱や蛍光測定を行うことにより、水流の中を通過する単一細 胞の大きさ、DNA 量など、細胞の生物学的特徴を解析することができる。
注 8) HeLa(ヒーラ)細胞
ヒト由来の最初の細胞株。ヒト子宮頸がんから分離され株化された細胞で、世界中で広く利用されている 細胞の 1 つ。