顎の形や大きさの不調和に対する新しい歯科矯正治療法の開発に期待
2019-03-20 東京医科歯科大学,日本医療研究開発機構
ポイント
- 噛む力と顎の形には密接な関係がありますが、両者を結ぶ分子メカニズムは不明でした。
- コンピューターシミュレーションにより、噛む力そのものが顎の骨を造り変えることを予測解析しました。
- 実際に噛む力を強化したマウスの顎の骨では、骨細胞*1が活性化し骨の形成を促進させることが明らかになりました。
- この研究成果は、顎の形や大きさの不調和に対する治療法開発の糸口となることが期待されます。
概要
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科分子情報伝達学分野の中島友紀教授と小野岳人助教、同大学院咬合機能矯正学分野の小野卓史教授、井上維大学院生らの研究グループは、京都大学ウイルス・再生医科学研究所の安達泰治教授の研究グループと共同研究で、強く噛むことが顎の骨に含まれる骨細胞によるIGF-1*2の発現上昇とスクレロスチン*3の発現低下を介して骨の形成を促進し、その結果、顎の骨の形が噛む力に耐えられるよう最適化されることを明らかにしました。この研究は国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の革新的先端研究開発支援事業(AMED-CREST)「メカノバイオロジー機構の解明による革新的医療機器及び医療技術の創出(研究開発総括:曽我部正博)」における研究開発課題「骨恒常性を司る骨細胞のメカノ・カスケードの解明」(研究開発代表者:中島友紀)、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業 さきがけ「生体における動的恒常性維持・変容機構の解明と制御(研究総括:春日雅人)」における研究開発課題「運動器の動的恒常性を司るロコモ・サーキットの解明」(代表者:中島友紀)、文部科学省科学研究費補助金、セコム科学技術振興財団、武田科学振興財団等の支援のもとで行われたもので、その研究成果は、国際科学誌Scientific Reportsに2019年3月20日午前10時 (英国時間) にオンライン版で発表されます。
研究の背景
歯並び・噛み合わせの異常や顎の形や大きさの不調和は、食物の摂取や発音といった口腔機能の異常に繋がります。また、近年ではこういった異常が消化不良、顎関節症、睡眠時無呼吸症候群などの原因となることも明らかにされています。歯科矯正治療では、これらの口腔にとどまらない多様な機能異常を是正する目的で、歯の移動や顎の成長の誘導を行います。
噛む力を発揮する咀嚼筋*4の活動性と下顎の骨の形に相関があることや、食習慣の異なる中世と現代とでは下顎の骨の形が大きく異なることから、噛む力と顎の形との間には密接な関係があることが古くから知られています。このため、咀嚼トレーニングにより適切な顎の成長を誘導できる可能性が指摘されていますが、噛む力と顎の形を結ぶメカニズムはこれまで不明でした。また、噛むという刺激が顎の骨のどの部位にどのような影響を及ぼすか研究も少なく、歯科矯正治療への応用が難しいのが現状です。
研究成果の概要
本研究グループは、硬い餌を与えることで咀嚼力を強化する新しいマウスモデルを作出し、噛む力の強化が顎の骨に与える影響とそのメカニズムを解析しました。通常マウスの飼育に用いる餌の栄養成分を変えることなく硬度だけが高くなる餌を開発し、マウスに与えたところ、咀嚼回数と咀嚼時間が増加し、咀嚼筋の一つである咬筋の幅径が増大していました。そして、咀嚼筋が発揮する噛む力が顎の骨の形にどのような影響を及ぼすか明らかにするために、コンピューターシミュレーションを用いて解析をした結果、マウスの顎の骨に噛む力が加わることにより、噛む力の強いヒトに特徴的な、咬筋の腱付着部における骨の突出と下顎枝高の減少が予測されました(図1)。また、このような変化により、噛んだ時に顎の骨に生じる応力*5が減少し、骨への負担が低下することが予測されました。実際に硬い餌を与えた咀嚼強化モデルマウスの顎の骨を、マイクロCT解析で評価したところ、シミュレーションと一致した骨の形の変化が観察されました(図1)。
図1 力に伴う骨構造変化のシミュレーション予測解析と咀嚼強化モデルマウスの顎骨解析
a.コンピューターシミュレーションを用いた噛む力に伴う顎骨変化の予測解析。初期状態(青)と噛む力の荷重後(赤)の変化予測。左:断面図、右:側面図。荷重により、咬筋腱付着部の骨形成の増加・突出(点線部分)と高さの減少が予測解析された(矢印:赤・青)。b.荷重により顎骨に生じる応力のシミュレーション予測。c.咀嚼強化モデルマウスにおける顎骨のマイクロCT解析。通常飼料で飼育したコントロールマウスの顎骨 (青) と高硬度飼料で飼育したモデルマウスの顎骨(赤)の骨構造変化。左:断面図、右:側面図。荷重が増加したモデルマウスの顎骨では、シミュレーション予測と同様に咬筋腱付着部の骨形成の増加・突出(点線部分)と高さの減少が観察された(矢印:赤・青)。d.荷重に伴う骨形成の増加部位の免疫組織学的解析。モデルマウスの顎骨表層部(白点線)の内側にIGF-1を発現する骨細胞が多く認められた(矢印:黄)。
そこで、咬筋の腱付着部の骨の突出部を組織学的に評価したところ、骨を形成する骨芽細胞の増加が認められました。さらに詳細な解析により、骨形成が起きている部分の骨細胞でIGF-1の発現が上昇し、スクレロスチンの発現が低下していることが見出されました(図1)。また、細胞培養実験から、力学的な負荷によって骨細胞からのIGF-1産生が増加し、腱から採取した細胞の骨芽細胞への分化を促進することが示唆されました。これらの結果は、強く噛むことにより顎の骨に含まれる骨細胞が生理活性物質の発現を制御することで、顎の骨の形を噛む力に耐えられるように造り変えることが示唆されました(図2)。
図2 噛む力が顎の骨を造り変える分子メカニズム
咀嚼時には咬筋をはじめとする咀嚼筋により顎骨に力が加わる。荷重部位では骨細胞によるIGF-1の産生が促進され、スクレロスチンの産生は抑制される。これにより、力の加わった部位では骨形成が促進され、荷重に耐えられるように顎骨が造り変えられる。
研究成果の意義
これまで、噛む力と顎の骨の形に関連があることは分かっていましたが、因果関係の有無は分かっていませんでした。研究グループはコンピューターシミュレーションによる予測と、咀嚼強化モデルマウスの解析を行うことで、噛む力自体が顎の骨の形に変化をもたらすことを発見しました。さらに、噛むことによる骨の形の変化には骨細胞の作るIGF-1が重要であることを明らかにしました。
顎の成長の適正化を目的とした咬合や咀嚼に対する臨床的介入はこれまでほとんど行われていませんでした。本研究により明らかにされた細胞・分子メカニズムの裏付けにより、顎の形や大きさの不調和に対する新しい歯科矯正治療法が開発されることが期待されます。
用語の説明
- *1 骨細胞
- 骨細胞は骨を構成する細胞の約90%の細胞数を占め、骨基質に埋め込まれた特殊な細胞であり、神経細胞様の細胞突起によって骨内の骨細胞同士、そして、骨表面の骨を破壊する破骨細胞や骨を形成する骨芽細胞と密接にコンタクトしている。この細胞間ネットワークは、力学的刺激やホルモンなど生理活性物質の感受・応答を可能とし、骨の恒常性を制御していると考えられている。
- *2 IGF-1 (インスリン様成長因子-1)
- インスリンと類似した構造を有する生理活性物質で、肝臓や骨など様々な組織で産生される。骨形成を促進する。
- *3 スクレロスチン
- 骨細胞が産生する生理活性物質の一つであり、骨芽細胞に作用して骨形成を抑制している。この作用機序を標的とした中和抗体医療の開発が進んでいる。
- *4 咀嚼筋
- 食物を細かく砕き、磨り潰す (咀嚼) ための力を発揮する筋肉の一群。咬筋、側頭筋、外側翼突筋、内側翼突筋の4種類からなり、咀嚼力の大きさには咬筋の寄与が最も大きい。
- *5 応力
- 外部から加わった力に抵抗して物体内部に生じる力。本研究においては、顎骨に加わった咀嚼力に抵抗して骨の内部に生じる力を指す。
論文情報
- 掲載誌:
- Scientific Reports
- 論文タイトル:
- Forceful mastication activates osteocytes and builds a stout jawbone
研究者プロフィール
中島 友紀(ナカシマ トモキ)Nakashima Tomoki
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科
分子情報伝達学分野 教授
研究領域:骨代謝学、分子生物学
井上 維(イノウエ マサム)Inoue Masamu
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科
咬合機能矯正学・分子情報伝達学 大学院生
研究領域:矯正歯科学、分子生物学
小野 岳人(オノ タケヒト)Ono Takehito
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科
分子情報伝達学分野 助教
研究領域:運動器科学、分子生物学
お問い合わせ先
研究に関すること
国立大学法人 東京医科歯科大学大学院 医歯学総合研究科
分子情報伝達学分野 中島 友紀(ナカシマ トモキ)
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