2019-05-13 独立行政法人 国立科学博物館
独立行政法人国立科学博物館(館長:林 良博)の研究員を筆頭とする国内 7 研究機関 11 名からなる共同研究グループが、北海道礼文島の船泊遺跡から出土した約 3,800 年前の縄文 人の全ゲノムを高精度で解読しました。この結果、古代日本人DNA研究が大きく進み、日本 人の起源が解明されることが期待されます。
論文タイトル:Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan(北海道船泊遺跡から出土した後期縄文時代人の男女の全ゲノ ム)
掲載誌:Anthropological Science(日本人類学雑誌英文誌 アンソロポロジカルサイエンス) 公表日時:日本時間:2019 年 5 月下旬
著者:
神澤 秀明(国立科学博物館人類研究部研究員),Timothy A. Jinam(国立遺伝学研究 所),河合洋介(東京大学),佐藤丈寛(金沢大学),細道一善(金沢大学),田嶋敦(金沢大 学),安達登(山梨大学),松村博文(札幌医科大学),Kirill Kryukov(東海大学),斎藤成 也(国立遺伝学研究所),篠田謙一(国立科学博物館人類研究部部長)
問い合わせ先
独立行政法人 国立科学博物館 経営管理部 研究推進・管理課 研究活動広報担当 稲葉 祐一 人類研究部 人類史研究グループ 神澤 秀明(研究員)
高精度縄文人ゲノムの概要
研究の背景
ヒトの全ゲノムが初めて解読されたのは 2003 年のことでした。この成果によりヒトのゲノ ム研究は大きく進展することになり,今日に続くヒトゲノム研究が本格的にスタートするこ とになりました。しかしヒトの全ゲノムを解析することはそれ程容易ではなく,日本人の全ゲ ノムが初めて解析されたのは 2010 年のことでした。一方この間の急激な DNA シークエンス技 術の進歩によって古代人のゲノム解析も可能になり,2014 年にはネアンデルタール人の全ゲ ノムが現代人と同じレベルで解析されています。これによって,ネアンデルタール人と私たち ホモ・サピエンスの DNA を詳しく比較することが可能になり,この分野の研究は飛躍的に進み ました。古代ゲノム解析の進展はその後も続き,近年ではヨーロッパ人の起源などに関して新 たな学説を提唱するようになっています。しかし,現代人に比べると古代人のゲノム解析は困 難で,全ゲノムが現代人と同じ精度で解析された古代人は世界的に見てもそれほど多くはあ りません。日本ではこれまで現代人と同じ精度での古代人ゲノム解析は行われていませんし, アジアでも今回の縄文人の解析が最初のものとなります。
縄文人は日本列島で 16000 年前から 3000 年前まで続いた縄文時代の狩猟採集民で、われわ れ現代人にも遺伝子を伝えています。この縄文人の起源と成立について,これまで東南アジア 起源あるいは北東アジア起源が考えられてきましたが,その詳細については依然として明確 ではありません。
一方,1990 年ころから縄文人骨から抽出した DNA を分析する「古代 DNA」研究が行われるよ うになり,直接的に縄文人と現代人の DNA を比較できるようになりました。特に 2006 年に次 世代シークエンサー(NGS)が登場したことで,古代人についても膨大な情報を持つ核ゲノム も分析することが可能となりました(Kanzawa-Kiriyama et al., 2017; McColl et al., 2018 など)。これにより東アジアにおけて縄文人が遺伝的に特異な集団であること,東南アジアの 古代人であるホアビン文化人と遺伝的に関係がある可能性が示されました。しかしながら先 行研究で決定された縄文人ではゲノム全体のごく一部を解析しただけで,より詳細な縄文人 の遺伝的特徴を明らかにするには,全ゲノムを高精度で分析する必要がありました。
2009 年に安達ら(Adachi et al., 2009)(本研究の共著者)は,北海道礼文島の船泊遺跡 から出土した縄文人のミトコンドリア DNA を分析し,DNA の保存状態が極めて良好であること を確認しました。そこで,今回我々の研究グループは,その実験で最も保存状態の良かった2 3号女性および5号男性人骨の大臼歯から DNA の再抽出を行い,全ゲノム分析を試みました。 その結果,23号(図1)から全ゲノムを高精度で決定することに成功し,国内7研究機関 11 名で解析を進め,その研究成果を Anthropological Science で報告しました。
図1.高精度の縄文人ゲノムが決定された船泊23号女性人骨の頭骨写真(坂上和弘氏提供)
研究成果の概要
船泊23号女性人骨の高精度な全ゲノムから,アルコール耐性や皮膚色など複数の形質を 推定しました。これらの情報を元にした船泊縄文人の復顔については昨年発表を行いました。 今回の研究では,日本の古代人で初めて HLA のタイプを明らかにしています。HLA はヒトの体 の中で重要な免疫機構として働くだけでなく,近年では多くの疾患とも関連していることが 明らかになりつつあります。どのような HLA のタイプがいつから日本列島に存在しているか を確かめることは,日本人の起源だけではなく、我々の持つ様々な疾患に対する理解を進める ことにもつながります。
さらに,疾患関連の変異として CPT1A 遺伝子の Pro479Leu 非同義置換も検出されました。 このアミノ酸の変化は高脂肪食の代謝に有利で,北極圏に住むヒト集団ではこの変異した遺 伝子の頻度は70%を超えています。しかし現代日本人には,この変異はほぼ存在しません。 船泊遺跡から出土した遺物の分析では,船泊縄文人の生業活動は狩猟・漁撈が中心であったこ とが示されており,この変異は彼らの生活様式と関連していた可能性があります。考古遺物か ら推定される彼らの生活が,遺伝子からも裏打ちされたことになります。古代ゲノムは,これ までの研究からはうかがい知ることの出来なかった,古代人の性質をも明らかにしました。
ゲノムの遺伝的多様性が低いことから,縄文人の集団サイズは小さく,それが過去5万年間 に渡って継続していたことが明らかとなりました。縄文人につながる人々は,歴史上集団のサ イズを大きくすることはなく,少人数での生活を続けていたようです。このことも,狩猟採集 民である縄文人の生活様式と関連している現象だと考えられます。
アジアにおける船泊縄文人の系統的位置は先行研究の結果と一致し,アメリカ先住民を含 む東ユーラシア集団の中で,船泊縄文人は系統的には,最も古い時代に分岐したことが示され ました。ただし,パプア人や4万年前の中国の古代人である田园洞人が分岐した後に分岐した ことも明らかになりました。このことは,縄文人の系統が比較した大陸の集団から長期に渡って遺伝的に孤立していたことを示しています。しかしその一方で,ウルチ,韓国人,台湾先住 民,オーストロネシア系フィリピン人は,日本列島集団と同様に,漢民族よりも遺伝的に船泊 縄文人に近いことが示されました(図2)。東アジアの沿岸の南北に広い地域の集団が船泊縄 文人との遺伝的親和性を示すという事実は,東ユーラシアにおける地域集団の形成プロセス を知るための手がかりを提供しており,大変意義深いものです。
今回の高精度の縄文人ゲノムは,今後の古代日本人 DNA 研究の基本となる参照配列となる ことが期待されます。私たち現代日本人は,縄文人と弥生時代以降の渡来人の混血によって形 成されたと考えられていますが,その過程の中で縄文人からどのような DNA を受け取り,また 受け取らなかったのか,ということを明らかにすることは,私たち日本人を理解する際に重要 な情報を提供します。今後のゲノム解析は,従来の研究方法では知ることの出来なかった私た ちの特性を明らかにするはずで,その中で船泊縄文人のゲノムデータは大きな価値を持つと 考えられます。
図2.船泊23号と世界中の現代・古代人との遺伝的親和性。縄文人と東アジア沿岸部周辺の 現代人の間に遺伝的親和性があることを示しています