WYジペプチドの摂取が脳内のアミロイドβ沈着と炎症を抑制し、 認知機能低下を予防する
- 2019-05-27 東京大学
- 発表者
- 阿野 泰久(キリンホールディングス株式会社 R&D本部 健康技術研究所)
吉野 有香(東京大学 大学院農学生命科学研究科獣医学専攻 学部6年:研究当時)
内田 和幸(東京大学 大学院農学生命科学研究科獣医学専攻 准教授)
高島 明彦(学習院大学 大学院自然科学研究科生命科学専攻 教授)
中山 裕之(東京大学 大学院農学生命科学研究科獣医学専攻 教授)
発表のポイント
- 脳内清掃細胞であるミクログリアの炎症状態を抑制する乳ペプチドを探索した結果、Tryptophan-Tyrosine (WY) ジペプチドを発見し、これを老齢マウスに摂取させると認知機能が改善されました。
- アルツハイマー病モデルマウスに、病態発症前からWYジペプチドを経口投与すると、ミクログリアのアミロイドβ除去機能の亢進、炎症状態の抑制など病態の改善がみられ、認知機能の低下も予防されました。
- WYジペプチドは、特定のホエイやカマンベールチーズなどに多く含まれており、これらの発酵乳食品の摂取による認知症の予防が期待されます。
発表概要
アルツハイマー病(注1)に代表される認知症の本質的な治療法は未だ開発されていませんが、日常生活において認知症を予防できる食品の開発が注目を集めています。東京大学大学院農学生命科学研究科獣医病理学研究室、学習院大学大学院自然科学研究科生命科学専攻高島研究室、キリンホールディングス株式会社の研究グループは、乳タンパク質を特定の微生物由来酵素で分解して生じたTryptophan-Tyrosine(WY)ジペプチドで脳から分離したミクログリア(注2)を処理すると、アミロイドβを貪食除去する機能が亢進し、神経傷害に繋がる炎症性サイトカインの過剰な産生も抑制されることを見出しました。また、老齢マウスにWYジペプチドを摂取させると、加齢に伴い低下する海馬ニューロンの活動や認知機能が改善されました。さらに、アルツハイマー病モデルマウスにWYジペプチドを発症前から摂取させると、脳内のAβ沈着と炎症が抑制され、認知機能低下も改善されました。WY配列含有ペプチドを含む認知症予防食品の開発が期待されます。
発表内容
図1 アルツハイマー病モデルマウス(5xFAD)の脳におけるアミロイドβの沈着
WYジペプチド摂取群(右)では対照食摂取群(左)に比べてアミロイドベータの沈着が減少している。
図2 アルツハイマー病モデルマウス(5xFAD)の脳におけるミクログリア
ミクログリア(CD11b陽性)による脳内炎症マーカー・TNF-αの産生 (左)とWYジペプジド摂取によるTNF-α産生ミクログリアの減少(右) *p < 0.05
図3 WYジペプチドを摂取したアルツハイマー病モデルマウス(5xFAD)の認知機能
空間認知機能(Y字迷路試験のSpontaneous alternation、左)およびエピソード記憶(新奇物体認識試験の Discrimination index、右)の改善 *p < 0.05
図4 WYジペプチド摂取による老齢マウス海馬シナプス活動(長期増強)の改善
老齢(68週齢)対照食群では若齢群(7週齢)対照食群に比べてシナプス活動(長期増強)が減弱していたが、WYジペプチド摂食により改善した。 *p < 0.05 (若齢 対照食群vs老齢 対照食群)、 †p < 0.05 (老齢 対照食群vs老齢 WYペプチド摂取群)
【研究背景】
アルツハイマー病に代表される認知症は現在大きな社会的関心事となっています。日本では460万人、世界では2400万人が認知症を患っていますが、有効な治療法・予防法は未だ開発されていません。当研究グループもアルツハイマー病モデルマウスを用いたカマンベールチーズの認知機能改善効果やスコポラミン健忘症モデルマウスを用いた乳清由来ペプチド(GTWYペプチド=βラクトリン、注3)の認知機能改善効果を報告してきました。しかしながら、発酵乳に含まれる特定のペプチド成分を発症前から投与しアルツハイマー病を予防する効果についてはこれまで詳細に検討されていませんでした。
【研究内容】
乳タンパク質(カゼイン)を特定の微生物由来酵素で分解して得られたWYジペプチドが、培養ミクログリアのアミロイドβ貪食機能を亢進し、炎症性サイトカイン産生を抑制することを見出しました。
また、WYジペプチドを摂食させたマウスではLipopolysaccharide(LPS)の脳内投与で惹起される炎症が抑制され、記憶の低下も改善されました。さらに、WYジペプチドを19週間摂食させた68週齢の老齢マウスでも脳の炎症状態進行が抑制され、アミロイドβの量も減少しました。加えて、加齢に伴い生じる海馬シナプス活動(長期増強、注4)の低下も改善されました。次いで、アルツハイマー病モデルマウス(5×FAD)を用いて、WYジペプチド投与の病態予防効果を検証したところ、WYジペプチド投与群では、対照群と比較して、アミロイドβの脳内沈着(図1)と脳内炎症(図2)が抑制され、認知機能の低下も改善されました(図3)。
【社会的意義と今後の展開】
我々はこれまで認知機能改善ペプチドとしてβラクトリンを報告しましたが、今回はそのコア配列であるWYジペプチドによるアルツハイマー病予防効果を見出しました。WYジペプチドは乳製品の中でも特定のホエイや、カマンベールチーズなどカビで熟成させたチーズに多く含まれていることから、WYジペプチドやβラクトリンを含む食材を用いた、日常的に摂取しやすい認知症予防食品の開発が期待されます。
発表雑誌
- 雑誌名
- 「Aging (Albany NY)」
- 論文タイトル
- Tryptophan-related dipeptides in fermented dairy products suppress microglial activation and prevent cognitive decline.
- 著者
- Yasuhisa Ano, Yuka Yoshino, Toshiko Kutsukake, Rena Ohya, Takafumi Fukuda, Kazuyuki Uchida, Akihiko Takashima, and Hiroyuki Nakayama
- DOI番号
- 10.18632/aging.101909
- 論文URL
- https://doi.org/10.18632/aging.101909
問い合わせ先
東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医病理学研究室
教授 中山 裕之(なかやま ひろゆき)
用語解説
注1 アルツハイマー病
認知機能低下や人格の変化などが主な症状の認知症の一疾患。高齢化の進行により患者数が増加し、大きな社会的な問題となっている。
注2 ミクログリア
脳内の免疫を担うグリア細胞の一種。異物や老廃物の除去、神経突起の修復などに関与している。近年、その多様な生理機能が明らかになり注目を集めている。
注3 GTWYペプチド=βラクトリン
βラクトグロブリンに由来する、グリシン-スレオニン-トリプトファン-チロシン(GTWY)のアミノ酸4残基配列を有するテトラペプチドを指す。
注4 長期増強
高頻度刺激後におこるシナプス結合強度の持続的増加のことである。学習と記憶の主要なメカニズムであると考えられている。