インスリン作用による脂肪細胞の糖代謝制御の全貌を解明

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2020-09-01 東京大学

大野 聡(遺伝子実験施設 助教)
黒田 真也(生物科学専攻 教授)

発表のポイント

  • インスリン刺激を受けた脂肪細胞から取得した網羅的な代謝物・リン酸化タンパクのデータ、および計測した代謝フラックス(反応速度)のデータを用いて統合解析を行いました。
  • インスリン刺激下の脂肪細胞の糖代謝制御は、グルコース膜輸送・脂質合成・グルタミン酸合成に対する代謝酵素リン酸化とアロステリック制御がカギであることが解明されました。
  • 研究グループのアプローチは、さまざまな細胞・臓器への適用が可能であり、2型糖尿病など代謝性疾患の病態理解と治療に向けた基盤技術となることが期待されます。

発表概要

東京大学大学院理学系研究科附属遺伝子実験施設の大野聡助教と東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻の黒田真也教授は、シドニー大学Charles Perkins CentreのDavid E. James教授、理化学研究所生命医科学研究センターの柚木克之チームリーダー、慶應義塾大学先端生命科学研究所の曽我朋義教授・平山明由特任講師らとの共同研究により、インスリン刺激下の脂肪細胞における糖代謝制御の全貌を明らかにしました。

細胞の代謝は、栄養の蓄積やエネルギー生産を制御する重要な機能です。これまで、代謝の制御に関わる酵素の翻訳後修飾(リン酸化など)や代謝物によるアロステリック制御が数多く報告されてきました。しかし、代謝が変化する際には数千もの分子が同時に変化するため、対象とする代謝変化に実際に寄与する制御機構を見つけ出すことは容易ではありませんでした。

今回研究グループは、インスリン刺激を受けた脂肪細胞から取得した網羅的な代謝物・リン酸化タンパクのデータ、および計測した代謝フラックス(反応速度)のデータを用いて統合解析を行いました。そして、インスリン刺激下の脂肪細胞の糖代謝制御は、グルコース膜輸送・脂質合成・グルタミン酸合成に対する代謝酵素リン酸化とアロステリック制御がカギであり、糖代謝全体の変化を引き起こすのに十分であることが解明されました。

研究グループのアプローチは、さまざまな細胞・臓器への適用が可能であり、2型糖尿病など代謝性疾患の病態理解と治療に向けた基盤技術となることが期待されます。

発表内容

①研究の背景・先行研究における問題点
細胞の代謝は、栄養の蓄積やエネルギー生産を制御する重要な機能であり、細胞内外の状態に応じて動的に変化します。例えば生体内の脂肪細胞では、摂食による血糖値上昇やホルモンであるインスリンの分泌に応答して、糖のさまざま分解や脂質の合成が促進することが知られています。このような代謝の変化は、それぞれの代謝反応の基質となる代謝物だけでなく、その反応を触媒する代謝酵素に制御されます。比較的に短時間に起こる代謝酵素の制御としては、酵素リン酸化などの翻訳後修飾や、基質以外の代謝物によるアロステリック制御が知られています。しかし、ある状態から別の状態に代謝が変化する際には、数千もの分子が同時にかつ動的に変化するため、対象とする代謝状態の変化に対して、実際にどの代謝制御機構がどの程度寄与しているかはよくわかっていませんでした。そこで本研究グループは、インスリン刺激下の脂肪培養細胞から取得したメタボロームデータ(注1) ・リン酸化プロテオームデータ(注2)を用いて、それらのデータを統合したトランスオミクス解析を実施し、脂肪細胞の代謝変化とその制御機構について研究しました。

②研究内容(具体的な手法など詳細)
研究グループは先行研究において、マウス由来の脂肪培養細胞3T3-L1からインスリン刺激後の60分までの細胞サンプルを回収し、リン酸化プロテオームデータを取得しました。また、インスリン刺激と同時に、細胞を炭素安定同位体13Cで標識したグルコースが含まれる培地に移し、同じく60分までに回収した細胞から13C標識メタボロームデータ(注3)を取得しました。本研究ではそれらのデータを用いて反応速度論に基づくトランスオミクス解析(注4)(キネティックトランスオミクス解析)を実施しました(図1)。このキネティックトランスオミクス解析は、以下の代謝フラックスの計測と代謝制御機構の同定の2つのステップから構成されます。

図1:13C標識メタボロームとリン酸化プロテオームの統合解析により、インスリン刺激下の脂肪細胞の糖代謝の全貌を明らかにした。

代謝フラックスの計測
脂肪細胞の代謝を理解するには、各代謝反応の代謝フラックス(反応速度)を計測することが非常に重要です。研究グループは、13C標識メタボロームデータから代謝フラックスを推定する手法である代謝フラックス解析を実施し、インスリン刺激あり・なしの条件における脂肪細胞の糖代謝41反応の代謝フラックスの時間変化を計測しました。その結果、インスリン刺激後の脂肪細胞では、グルコース取り込み・解糖・中性脂肪合成の代謝フラックスが時間的に増加する一方で、TCA回路の代謝フラックスは変化しないことが分かりました。また、ピルビン酸とリンゴ酸を介したサイクルの代謝フラックスもインスリン刺激により増加することが分かりました。これらの結果は、検証実験により正しいことが確かめられました。

代謝制御機構の同定
各反応の代謝フラックスの制御機構としては、基質・生成物による制御だけでなく、代謝酵素のリン酸化などの翻訳後修飾や、基質以外の代謝物によるアロステリック制御が候補として考えられます。しかし、本研究で対象としたインスリン刺激下の脂肪細胞において、実際にはどの代謝制御機構が機能しているのか、そしてそれぞれの制御機構はどの程度寄与しているかはわかりません。そこで、研究グループは計測したフラックス・メタボローム・リン酸化プロテオームデータを反応速度論に基づいて統合し、各代謝反応の代謝制御機構を同定し、また制御機構が代謝フラックスに影響する寄与を明らかにしました。その結果、代謝制御機構の候補となる82の酵素のリン酸化部位と170のアロステリックエフェクター代謝物のうち、インスリン刺激に対する脂肪細胞の代謝フラックス変化に寄与しているのは、(i) AS160のリン酸化によるグルコース膜輸送の活性化、(ii) グルコース6リン酸またはフルクトース6リン酸による脂質合成の活性化、(iii) グルタミン酸によるグルタミン酸合成の阻害の緩和がカギであることを明らかにしました。一方で、解糖系のほとんどの反応には特別な制御は見られず、基質および生成物の代謝物量によって駆動されていることが示されました。つまり、少数のカギとなる酵素のリン酸化制御およびアロステリック制御が、インスリンによる糖代謝全体の変化を引き起こすのに十分であることが解明されました。

③社会的意義・今後の予定 など
近年の技術発展により、細胞内分子を網羅的に定量することが可能となりました。次の課題は、そのような大量の定量データから、いかにして生物学的に意義のある知見を得るのか、ということです。研究グループが用いたアプローチは、さまざまな細胞・臓器・ホルモンに広く適用できる基盤技術となることが期待でき、これまで個別の研究で蓄積されてきた辞書のような知見から、実際の細胞の中での機能とその意味を定量的に理解・制御することが、2型糖尿病などの代謝性疾患の病態理解や治療への近道になると思われます。

発表雑誌

雑誌名
iScience論文タイトル
Kinetic trans-omic analysis reveals key regulatory mechanisms for insulin-regulated glucose metabolism in adipocytes

著者
Satoshi Ohno, Lake-Ee Quek, James R. Krycer, Katsuyuki Yugi, Akiyoshi Hirayama, Satsuki Ikeda, Futaba Shoji, Kumi Suzuki, Tomoyoshi Soga, David E. James*, Shinya Kuroda*

DOI番号
https://doi.org/10.1016/j.isci.2020.101479

用語解説
注1 メタボロームデータ

代謝物の網羅的な質量計測

注2 リン酸化プロテオームデータ

リン酸化タンパクの網羅的な質量計測

注3 13C標識メタボロームデータ

炭素安定同位体(13C)で標識された代謝物の網羅的な質量計測

注4 トランスオミクス解析

リン酸化タンパク・代謝物など異なる階層のデータを統合する解析

―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―

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