2020-09-17 東京大学
発表概要
国立大学法人東京農工大学大学院生物システム応用科学府 常藤加菜(2019年3月博士前期課程修了)、農学研究院 遠藤悠特別研究員(現東京大学大学院新領域創成科学研究科 日本学術振興会特別研究員PD)、志井文香(2020年3月博士前期課程修了)、農学研究院生物システム科学部門 佐藤令一教授、玉川大学農学部生産農学科 佐々木謙教授、国立大学法人東京大学大学院新領域創成科学研究科 永田晋治准教授から構成される共同研究グループは、カイコのクワ選択的な食性を実現する「味覚の2段階認証システム」を明らかにしました。カイコはごく微量の植物化合物を認識可能な超高感度味覚神経を持ち、これを用いて葉面を触診するだけでひと咬みもすることなくクワを認識することができます。本成果を足がかりにして、昆虫が特定の植物に適応してきた食性進化のメカニズムの解明が期待されるほか、昆虫の食性操作技術やカイコの人工飼料の改良等、蚕業や害虫管理における応用が期待されます。
本研究成果は、9月16日付(日本時間9月17日付)でPLOS Biology誌に掲載されました。
論文名:Diet choice: The two-factor host acceptance system of silkworm larvae
URL:https://doi.org/10.1371/journal.pbio.3000828
発表内容
背景:絵本『はらぺこあおむし』の主人公のあおむしは、リンゴやナシなどさまざまなエサを食べます。一方、現実世界では、カイコはクワの葉、ナミアゲハはミカンの葉といったように、植物を食べる昆虫の多くがエサを厳密に選択して食べています。今から約50年前の1970年前後には、昆虫の摂食行動を観察した昆虫学者は「虫は葉っぱの表面をつんつんと触診するだけで食べられるエサかどうか分かっているかもしれない」と考察しています。しかし、具体的にどのようなメカニズムで昆虫が特定の葉を選択して食べることができるのかは現在まで不明のままでした。
研究体制:本研究は、国立大学法人東京農工大学大学院生物システム応用科学府 常藤加菜(2019年3月博士前期課程修了)、農学研究院 遠藤悠特別研究員(現東京大学大学院新領域創成科学研究科 日本学術振興会特別研究員PD)、志井文香(2020年3月博士前期課程修了)、農学研究院生物システム科学部門 佐藤令一教授、玉川大学農学部生産農学科 佐々木謙教授、国立大学法人東京大学大学院新領域創成科学研究科 永田晋治准教授から構成される共同研究グループによって実施されました。
本研究は、日本学術振興会科学研究費助成事業(17K19261および18J00733)の助成を受けて行われたものです。
研究成果:カイコはクワ葉だけを食べる昆虫です(注1)。過去の行動学的知見から、植物を食べる昆虫は「味覚器官を使って葉面を触診する」、「試し咬みして味見する」、「連続的に咬む(咀嚼する)」という順番で葉を食べることが分かっています(図1上)。カイコの味覚器官である小顋肢(しょうさいし)や小顋粒状体(図1下)を外科的に除去して摂食行動を観察した結果、小顋肢を除去したカイコはいくら触診してもクワ葉を一切咬まなくなり、小顋粒状体を除去したカイコは味見まで行うものの咀嚼はしなくなりました。つまり、葉面の触診から味見に至るには小顋肢の、味見してから咀嚼に至るには小顋粒状体のはたらきが必要であることが分かりました。
この発見を皮切りに、カイコはクワだけを選択して食べるための味覚の2段階認証システムを持つことが明らかになりました(図2)。カイコは植物葉と出会うとまず味覚器官を葉面に押し付けて触診します。このとき小顋肢が葉面の植物化合物を認識すると、クワ葉に対してのみ高確率で試し咬みを行います(第1段階)。このことは、カイコは触診の段階で既にその葉がクワだと認識できていることを示唆しています。クワ葉のように高確率で試し咬みを引き起こすには、クワ葉に含まれるβ-シトステロール、クロロゲン酸、ケルセチン配糖体の3つの化合物が同時に小顋肢を刺激することが必要でした。したがって、カイコはこれらの化合物の組み合わせによって数ある植物種のなかからクワだけを識別できていると考えられます。さらに電気生理学的実験によって、小顋肢の味覚神経はこの3化合物をaMやfMというごく低濃度(注2)から検出可能であることが明らかになりました。葉表面はワックスで覆われ、乾いているため、水溶性の化合物は特にごく微量しか存在しません。カイコ小顋肢の超高感度味覚神経は、そのごくわずかににじみ出た植物化合物を検出でき、葉面を触診するだけでクワを認識することを可能にしていると推察されます。
カイコが試し咬みすると葉内部の組織液が露出します。そこに含まれる比較的高濃度(μMレベル)の糖が小顋粒状体よって認識された時のみ、連続的な咬みつき(咀嚼)が起こり、カイコはクワを食べます(第2段階、注3)。糖(ショ糖やmyo-イノシトール)を認識する小顋粒状体の味覚神経は低感度であり、咀嚼を引き起こすにはその神経を興奮させるほど高濃度の糖が必要になります。このしくみによって、カイコは食べようとしている葉が栄養的に十分な質であることを担保していると考えられます。
このように「異なる味覚器官」で「異なる味」を順序通りに感じないと摂食できないしくみによって、カイコの食性はクワだけを食べるように厳密に規定されています。これは私たちがコンピューターセキュリティで利用している2段階認証システムによく似ていて、クワ以外の葉は不正にログインできそうにありません。
今後の展開:植物とのせめぎ合いの歴史のなかで、昆虫は食性を進化させてきました。研究をさらに進めていくことで、カイコやその祖先がどのように味覚を適応させてクワだけを食べるようになったのか明らかになると期待されます。また、「触診→試し咬み→咀嚼」という行動は、チョウやガの幼虫をはじめ、バッタやハムシなどまで含めた植物を食べる昆虫全般に共通した典型的行動として知られています。したがって、カイコの2段階認証システムを適用、拡張することで、これらの昆虫の食物選択メカニズムも説明できる可能性があります。本成果から発展が期待される応用利用としては、2段階認証システムを操って昆虫の食性を自由自在にコントロールする技術や、クワに依存しないカイコの人工飼料の開発が考えられます。
添付資料
図1 カイコの段階的摂食(上)と味覚器官(下)
図2 カイコの2段階認証クワ摂食システム
用語解説
注1)カイコはクワ以外に、セイヨウタンポポやアキノノゲシなどいくつかのキク科植物の葉も食べることが知られています。しかしそれらの葉を食べる量はクワと比較すると少なく、カイコは十分に成長しません。
注2)ヒトの味覚のうち、最も感度が高いとされる苦味(μMレベル)よりも10億倍以上低い濃度からカイコはクワの葉面化合物を検出できます。1 aM (アトモーラー)は1リットルに約60万個の分子、1 fM(フェムトモーラー)は1リットルに約6億個の分子が溶けている濃度です。
注3)カイコはまれにクワ以外の葉を試し咬みすることもありますが、その葉に糖が含まれていても咀嚼することはほとんどありません。小顋粒状体はクワ以外の葉に含まれるカイコにとっての毒(苦味)を認識する味覚神経を持ち、それが苦味を感じると咀嚼が阻害されることが知られています。