小さなRNAが神経回路再生のスイッチを入れる

ad

2020-09-22 東京大学

北谷 育子(研究当時:生物科学専攻 修士課程2年生)
手塚 茜(研究当時:生物科学専攻 修士課程2年生)
長谷川 恵理(生物科学専攻 特任助教)
柳 学理(研究当時:生物科学専攻 修士課程2年生)
冨樫 和也(生物科学専攻 助教)
辻 真人(生物科学専攻 助教)
近藤 周(国立遺伝学研究所 助教)
Jay Z Parrish(米国ワシントン大学 准教授)
榎本 和生(生物科学専攻 教授/ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)副機構長・主任研究者)

発表のポイント

  • タンパク質をコードしない(注1) マイクロRNA(注2)が、損傷した神経回路の再生を誘導することを発見した。
  • 樹状突起(注3)の切断によりマイクロRNAの発現が誘導されて、突起の再伸長を促す分子メカニズムを初めて解明した。
  • 今回の発見により、損傷した脳神経回路の再生を促す手法として、神経細胞のマイクロRNAの発現制御を行うことにより神経再生を誘導する新たな方法論が考えられる。

発表概要

近年の研究から、損傷した脳神経回路を再生できる可能性が示されつつありますが、神経再生を誘導する分子メカニズムついては未だ不明は点が多く残されています。東京大学大学院理学系研究科の北谷育子大学院生、手塚茜大学院生、長谷川恵理特任助教、榎本和生教授らは、国立遺伝研の近藤周助教、ワシントン大学のJay Parrish准教授らとの共同研究により、マイクロRNAであるmiR-87が、損傷した神経回路の再生スイッチとして働くことを発見しました。さらに、miR-87が、神経細胞の分化状態を維持するための転写抑制因子Tramtrack69の発現を制御することにより、神経突起伸長を促す遺伝子プログラムを再活性化することを明らかにしました。本研究成果は、将来的には、損傷した神経回路の再生を誘導する新たな方法論の確立につながる可能性が考えられます。

発表内容

ノーベル医学生理学賞を受賞したラモニ・カハールは、今から約100年前に「哺乳類の脳神経回路は損傷を受けると二度と再生しない」と主張し、この考え方は長年に渡り信じられてきました。しかし近年の研究から、条件を整えれば、損傷した脳神経回路が再生する可能性が示されつつあります。しかし、損傷した脳神経回路の再生を誘導する仕組みについては未だほとんど理解されていません。

東京大学大学院理学系研究科の北谷育子大学院生、手塚茜大学院生、長谷川恵理特任助教、榎本和生教授らの研究グループは、分子遺伝学的研究に優れるショウジョウバエを解析モデルとして、神経突起の再生を制御する分子細胞メカニズムの研究を行なってきました。ショウジョウバエは、幼虫から蛹を経て成虫へと変態する際に、その脳神経回路が、幼虫型から成虫型へと大きく組み替えられます。このとき、一部の神経細胞では、既存の樹状突起をいったん除去し、その後、新たな樹状突起を再伸張させて、成虫型の新たな神経回路を構築します。研究チームは、ショウジョウバエ神経細胞を樹状突起再生のモデルとして、樹状突起の再生を促進する因子の網羅的探索を行い、マイクロRNAであるmiR-87を同定しました。神経細胞におけるmiR-87の発現は、通常は低く抑えられていますが、樹状突起が再生を始める時期になると顕著に発現上昇しました。miR-87の発現を抑制すると、樹状突起再生が顕著に阻害され、逆に、miR-87を高発現させると樹状突再生を促進しました。したがって、miR-87は樹状突起再生を誘導する分子スイッチとしての役割を持つことが示されました。

一般的に、マイクロRNAは、自らの配列と相補的なターゲット配列を3’末端にもつmRNAに結合して、その発現や機能を抑制することが知られています。そこでmiR-87の働きを理解するために、データベースサーチによりターゲット候補mRNAを検索し、さらに機能スクリーニングを行うことにより、最終的にTramtrack69と呼ばれる転写抑制因子をmiR-87のターゲットとして同定しました。Tramtrack69は、神経回路を形成した神経細胞を維持し、神経突起の伸長を停止させることが示唆されています。したがって、miR-87は突起が切断された神経細胞に発現して、Tramtrack69を抑制することにより、樹状突起の伸長を再活性化している可能性が示唆されました。

近年、ショウジョウバエ幼虫の神経細胞の樹状突起をレーザー光照射により切断すると、数日以内に再伸長することが報告されました。そこで、樹状突起をレーザー切断した幼虫神経細胞においてmiR-87の発現レベルを調べると、切断から12時間以内に発現レベルが顕著に上昇することがわかりました。さらに、miR-87の機能を完全欠失した神経細胞では、樹状突起再生がほとんど観察されませんでした(図1)。

小さなRNAが神経回路再生のスイッチを入れる

図1:切断した樹状突起の再生。幼虫期の神経細胞は、レーザにより樹状突起を切断すると、樹状突起の再生が起きる(上段)。一方、miR-87を欠損した神経細胞(下段)では、切断54時間後においても樹状突起の再生が見られない。赤矢印はレーザーにより切断した箇所。


以上の結果から、miR-87は、障害による樹状突起の切断によっても急速に発現誘導されて、Tramtrack69抑制を介して、樹状突起の再伸長をトリガーすることが示されました(図2)。

図2:miR-87は転写抑制因子Tramtrack69の発現を抑制することにより、樹状突起の再生を促進する。

本研究により、樹状突起に切断を受けた神経細胞が、樹状突起再生を誘導するマイクロRNAが初めて同定されました。脊髄損傷などの神経障害では、切断・変性した神経突起の再伸長を誘導することにより、神経回路機能を再生できる可能性がありますが、現状ヒトに応用可能な手法は限られています。本成果は、将来的には、損傷した神経回路の再生を誘導する新たな方法論の確立につながる可能性が考えられます。

発表雑誌

雑誌名 PLoS Genetics
論文タイトル Drosophila miR-87 promotes dendrite regeneration by targeting the transcriptional repressor Tramtrack69.
著者 Yasuko Kitatani, Akane Tezuka, Eri Hasegawa, Satoyishi Yagagi, Kazuya Togashi, Masato Tsuji, Shu Kondo, Jay Z Parrish & Kazuo Emoto*
DOI番号 10.1371/journal.pgen.1008942
アブストラクトURL https://doi.org/10.1371/journal.pgen.1008942

用語解説

注1 タンパク質をコードしない

生物のゲノム上には、タンパク質に翻訳されない領域があり、しばしば「タンパク質をコードしないゲノム領域」と呼ばれる。例えば、ヒトゲノムの中でタンパク質をコードする領域は高々2%であり、他の98%の領域はタンパク質をコードしない。近年の研究から、タンパク質をコードしないゲノム領域の一部は、マイクロRNAなどの非翻訳RNA(non-coding RNAs)に転写されることが明らかにされ、様々な生体機能制御に働くことが解明されつつある。

注2 マイクロRNA(microRNA)

ゲノム上にコードされているがタンパク質へと翻訳されない非コードRNAの一種であり、21~25塩基程度の一本鎖RNA。3’末端に相補的な配列をもつmRNAと結合して、その機能を抑制することが多い。近年では、細胞分化、細胞増殖、アポトーシスなどさまざまな制御に関わることが示されている。

注3 樹状突起

神経細胞は、軸索と樹状突起という2種の構造・機能的に異なる神経突起を介して神経ネットワークを形成する。樹状突起は、主として、他の神経細胞や受容器からの神経情報の入力を担う。

―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―

細胞遺伝子工学生物化学工学
ad
ad
Follow
ad
タイトルとURLをコピーしました