簡便かつ効率よくヒトiPS細胞を増殖させる培養液を開発~再生医療におけるコスト削減に貢献~

ad

2021-01-27 慶應義塾大学医学部,日本医療研究開発機構

慶應義塾大学医学部循環器内科学教室の遠山周吾専任講師、染谷将太助教および同重症心不全治療学寄附講座の藤田淳特任准教授らの研究グループは、ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ株式会社および味の素株式会社との共同研究により、ヒトiPS細胞を簡便かつ効率よく増殖させる培養液を開発することに成功しました。

ヒト人工多能性幹細胞(ヒトiPS細胞)(注1)は、理論的に体を構成するすべての細胞種へと分化できる多能性を持つことから、試験管内で作製した治療細胞を体内に移植することによる「再生医療」の実現が期待されています。しかしながら、大量の細胞を移植することが必要な場合には、ヒトiPS細胞用培養液を用いてヒトiPS細胞を大量に使用しなければならず、コスト面で大きな障害となっていました。

そこで、共同研究グループは、簡便かつ効率よくヒトiPS細胞を増殖させる培養液の開発を目指しました。まず、ヒトiPS細胞は、培養液中に含まれている全てのアミノ酸に注目し、必須アミノ酸であるトリプトファンの消費が最も高いこと、また培地中のトリプトファンを除くとヒトiPS細胞の増殖が停止し、細胞死が誘導されることを見出しました。さらに、一般的に用いられているヒトiPS細胞用の培養液にトリプトファンを追加するという極めて単純な工程によって、あらゆる細胞に分化出来る能力(多分化能)を維持したまま、効率よく増殖させることに成功しました。この研究成果は、ヒトiPS細胞および移植用細胞を大量に作製するという大きな課題を解決し、再生医療におけるコスト削減に貢献するものと考えます。

本研究成果は2021年1月26日(米国東部時間)に、Cell Pressが発刊する米科学誌『iScience』に掲載されました。

研究の背景

ヒトiPS細胞は、あらゆる細胞に分化出来る能力(多能性)を持っています。しかし、その一方でこの能力を完全に保ちながらヒトiPS細胞を大量に増殖させることは難しいとされています。培養条件に問題がある場合にはヒトiPS細胞はその能力を失ってしまい、目的の細胞へと分化させることができなくなります。細胞の培養は培養液という細胞の生存にとって重要な栄養素を含む液体中で行いますが、その必要成分は細胞の種類によって大きく異なります。ヒトiPS細胞を培養するには専用の培養液を使用することが必要ですが、国内外において販売されている培養液は極めて高価であるため、大量の移植細胞を必要とする場合(例えば、心筋細胞や肝細胞など)にはコスト面で大きな障害となっていました。

本研究グループは、これまで、細胞の生存にとって重要な栄養素が細胞の種類によって異なる点に着目することにより、再生医療を実現化するための鍵となるさまざまな技術を開発してきました。2013年および2016年に、ヒトiPS細胞においてグルコースおよびグルタミンの代謝が活発であること、ヒトiPS細胞から分化した心筋細胞は乳酸をエネルギー源とすることを明らかにし、培養液に含まれているグルコースおよびグルタミンを除去し乳酸を添加することで、移植した際に腫瘍化の原因となる未分化iPS細胞を除去する手法を開発しました(Tohyama, et al. Cell Stem Cell 2013, Cell Metabolism 2016)。さらに、ヒトiPS細胞が脂肪酸を活発に合成していることを見出し、脂肪酸合成阻害作用を持つ肥満治療薬を用いる未分化iPS細胞の選択的除去法を開発したため、さまざまな領域の再生医療への応用が可能となりました(Tanosaki, Tohyama, et al. iScience 2020)。しかしながら、ヒトiPS細胞の多能性を維持しながら増殖を促進させるために重要な栄養素は知られていませんでした。

そこで、ヒトiPS細胞の増殖において重要なアミノ酸代謝経路を探索したところ、必須アミノ酸であるトリプトファン代謝が増殖において極めて重要な役割を担っていることを明らかにしました。

研究の成果
(1)ヒトiPS細胞にトリプトファンを添加すると増殖が促進する

ヒトiPS細胞にとって重要な代謝経路を探索するため、通常のヒトiPS細胞用培養液で培養した際のヒトiPS細胞における全てのアミノ酸の消費を評価しました。その結果、ヒトiPS細胞では、全てのアミノ酸の中でトリプトファン(注2)の消費が最も高いことがわかりました(図1A)。また、培養液に全てのアミノ酸を1つずつ添加したところ、トリプトファンを添加した時のみヒトiPS細胞の増殖が有意に促進されることを見出しました(図1B)。培養液にトリプトファンを添加し経過観察したところ、増殖が促進され、ヒトiPS細胞のコロニーが早く増大する様子が確認できました(図1C)。


図1 ヒトiPS細胞にトリプトファンを添加すると増殖が促進する

  1. ヒトiPS細胞では、全てのアミノ酸の中でトリプトファンの消費が最も高かった。グラフはヒトiPS細胞が消費・分泌する前の培養液中の各アミノ酸量を100%とした時の、ヒトiPS細胞が消費・分泌した後の培養液中各アミノ酸の割合を示しており、数値の最も低いアミノ酸がヒトiPS細胞による消費が最も高かったものであることを表している。
  2. ヒトiPS細胞に全てのアミノ酸を1つずつ添加したところ、トリプトファンを添加した時のみ有意に増殖が促進された。
  3. ヒトiPS細胞にトリプトファンを添加し経過観察したところ、増殖が促進され、ヒトiPS細胞のコロニーが早く増大する様子が確認できた。
(2)トリプトファン添加条件においてヒトiPS細胞は多能性を維持したまま増殖し続ける

次に、トリプトファンの添加濃度に応じてヒトiPS細胞の増殖が促進されるかを評価したところ、濃度依存的に増殖が促進されることがわかりました(図2A)。また、2か月間におけるヒトiPS細胞の累積細胞数も約17倍得られることがわかりました(図2B)。トリプトファン添加時にヒトiPS細胞が多能性を維持したまま増殖することができるかを評価したところ、多能性マーカーと言われるタンパク質(OCT4、NANOG、TRA1-60、SSEA4等)の発現を維持していることがわかりました(図2C)。さらに、再生医療の臨床応用に用いるヒトiPS細胞の染色体には異常が認められないことが必須となっていますが、トリプトファンの添加では染色体にも異常をきたさないことが確認できました(図2D)。

図2 トリプトファン添加条件においてヒトiPS細胞は多能性を維持したまま増殖し続ける

  1. ヒトiPS細胞は添加するTRP濃度依存的に増殖が促進された。
  2. 2か月間の累積細胞数は約17倍に増加した。
  3. トリプトファン添加条件において、ヒトiPS細胞のコロニーは増大傾向にあり、多能性マーカーとなるタンパク質(NANOG、OCT4、SSEA4、TRA1-60等)の発現を維持していた。
  4. トリプトファン添加条件において、ヒトiPS細胞における染色体異常は認めなかった。
(3)トリプトファン添加時に細胞内のN-ホルミルキヌレニンが上昇し、キヌレニンが低下する

キャピラリー電気泳動(Capillary Electrophoresis;CE)とフーリエ変換型質量分析計(Fourier Transform Mass Spectrometer;FTMS)を組み合わせた分析装置CE-FTMSは、キャピラリー電気泳動(Capillary Electrophoresis;CE)と飛行時間型質量分析計(Time-of-flight Mass Spectrometer;TOFMS)を組み合わせた分析装置CE-TOFMSに比べて高い分解能と高い感度を有しており、微量の代謝産物も同定することが可能です。本研究では、CE-FTMSを用いてメタボローム解析(注3)を行ったところ、細胞内のN-ホルミルキヌレニン(NFK)やN-ホルミルアントラニル酸レベルが上昇し、細胞外への分泌が増加する一方で、興味深いことに、細胞内のキヌレニンレベルは低下し、細胞外への分泌も減少することが明らかとなりました(図3A、B)。そこで、トリプトファンからキヌレニンに至る代謝の分岐にあたる細胞内NFKレベルが上昇することがヒトiPS細胞の増殖に重要であると考え、通常のヒトiPS細胞用培養液にNFKを添加したところ、有意にヒトiPS細胞の増殖が促進されることを見出しました(図3C、D)。

図3 トリプトファン添加時に細胞内のNFKが上昇し、キヌレニンが低下する

  1. TRP添加により細胞内のN-ホルミルキヌレニン(NFK)およびN-ホルミルアントラニル酸レベルが上昇する一方で、キヌレニンレベルは低下した。
  2. TRP添加によりNFKの細胞外への分泌が増加し、キヌレニンの分泌は減少した。
  3. 通常のヒトiPS細胞用培養液にNFKを添加したところ、ヒトiPS細胞の増殖が有意に促進した。
  4. トリプトファン添加条件では、キヌレニンの産生は低下し、分泌が減少する一方で、トリプトファン由来のNFKが多く産生され、そのNFKの上昇が増殖に重要であることが示唆された。
今後の展開

再生医療において大量の細胞を移植することが必要となる場合には、高価なヒトiPS細胞用の培養液を用いてヒトiPS細胞を大量に作製しなければなりませんが、今回のヒトiPS細胞を簡便かつ効率よく増殖させる培養液の開発は、大量培養の際のコスト削減に大きく貢献するものと期待されます。今回の研究成果に加えて、本研究グループはこれまでに、再生医療における安全性を担保するため、腫瘍化の原因となる未分化iPS細胞を除去するための培養技術を確立してきましたが、今後もヒトiPS細胞や分化細胞における代謝機構を深く理解し、培養液を最適化するアプローチにより、再生医療の具現化を加速させる技術を開発していきたいと考えています。

特記事項

本研究は、主に下記機関より資金的支援を受け実施されました。

国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)再生医療実現拠点ネットワークプログラム(技術開発個別課題)「多能性幹細胞の代謝機構に基づく機能制御とその応用」(研究代表者:遠山周吾)、HMTメタボロミクス先導研究助成(研究代表者:遠山周吾)

論文
英文タイトル
Tryptophan Metabolism Regulates Proliferative Capacity of Human Pluripotent Stem Cells
タイトル和訳
ヒト多能性幹細胞の生存に脂肪酸合成は必須である
著者名
染谷将太、遠山周吾、亀田康太郎、田野崎翔、森田唯加、佐々木一謹、姜文一、岸野喜一、岡田麻里奈、谷英典、相馬雄輔、中嶋一晶、梅井智彦、関根乙矢、森脇大順、金澤英明、小林英司、藤田淳、福田恵一
掲載誌
iScience, 2021
DOI
10.1016/j.isci.2021.102090
用語解説
(注1)ヒト人工多能性幹細胞(ヒトiPS細胞:human induced pluripotent stem cell)
体細胞に特定因子を導入することにより樹立される、胚性幹細胞(ES細胞)に類似した多能性幹細胞。2007年に山中教授の研究グループにより世界で初めてヒト体細胞を用いて樹立された。ES細胞と異なり、受精卵を破壊する必要がなく、患者自身の細胞からも作製することが可能なため、免疫拒絶の問題が理論上ない。
(注2)トリプトファン
体内で合成されない必須アミノ酸の1つで、大豆製品や乳製品、穀類等に多く含まれる。トリプトファンの多くは、インドールアミン2,3-ジオキシゲナーゼという代謝酵素によりN-ホルミルキヌレニンに分解され、N-ホルミルキヌレニンはさらにキヌレニン等に分解される。
(注3)メタボローム解析
細胞や組織内に存在する全代謝産物を網羅的に解析すること。メタボローム解析は、細胞における代謝を包括的に理解する目的以外にも、病気におけるバイオマーカー探索や創薬開発への応用が期待されている。
お問い合わせ先

本発表資料のお問い合わせ先
慶應義塾大学医学部循環器内科学教室
専任講師 遠山周吾(とおやましゅうご)

本リリースの配信元
慶應義塾大学
信濃町キャンパス総務課:山崎・飯塚

事業に関するお問い合わせ先
国立研究開発法人日本医療研究開発機構
再生・細胞医療・遺伝子治療事業部 再生医療研究開発課

ad

有機化学・薬学
ad
ad
Follow
ad
タイトルとURLをコピーしました