次世代AI開発に貢献する脳の演算メカニズムを同定
2021-07-29 理化学研究所
理化学研究所(理研)脳神経科学研究センター視覚意思決定研究チームのモハマド・アブドラマニ研究員、ディミトリィ・リャムジン研究員、アンドレア・ベヌッチチームリーダーらの研究チームは、外界からの視覚情報と動物自身の引き起こす運動情報の入力が、同時に脳の大脳皮質後部領域[1]を活性化させる際、動物の注意レベルが高いときほど両者の信号が分離可能であることを発見しました。
本研究成果は、動物が外界からの感覚情報と運動に関わる情報を統合する仕組みを明らかにしたものであり、次世代AI開発につながるアルゴリズムの探索に貢献すると期待できます。
動物が外からの視覚情報に基づいて適切に行動するには、視覚野の神経ネットワーク内で、外界の変化によって起こる視覚情報と自身の運動によって起こる視覚入力の変化を識別する必要があります。しかし、どのようにしてこれらの信号を識別しているのか、その仕組みは分かっていませんでした。
今回、研究チームは、行動課題中のマウスの脳内の神経活動を記録することで、視覚刺激の処理と運動を担う神経信号が大脳皮質の視覚野[2]に混在していることを発見しました。また、これらの信号は数学的に互いに分離可能であり、さらにこの感覚情報と運動情報の弁別しやすさは、課題遂行時に動物が外界の刺激にどれだけ注意を向けているかに依存することを明らかにしました。
本研究は、科学雑誌『Cell Reports』オンライン版(7月13日付)に掲載されました。
背景
動物が行動するとき、脳は外界から視覚や聴覚などの感覚情報を受け取りながら、動物が外界と適切に関わるための運動指令を作り出します。視覚情報は、大脳皮質の視覚野をはじめとする視覚に特化した領域で処理され、運動指令も大脳皮質の運動野[3]といった運動に特化した領域が担っています。それらの情報は、並行して視覚野を含む多くの脳領域に広がることが分かっています。
動物が能動的に行動するときには、体勢や四肢の動き、眼球運動など、さまざまな運動に伴う信号が脳領域に広がり、視覚野では絶えず外界からの視覚情報の入力と干渉します。しかも、動物自身の運動によって引き起こされる視覚野の神経活動は、外界からの視覚刺激によって引き起こされる神経活動と同程度かそれ以上に大きいことが知られています。
したがって、動物が外界からの視覚情報に基づいて適切に行動するには、視覚野の神経ネットワーク内で、外界の変化によって起こる視覚情報と自身の運動によって起こる視覚入力の変化を識別する必要があります。しかし、どのようにして感覚刺激に対応した信号と運動に関連した信号を識別し、視覚野の活動の中から視覚情報を読み取っているのか、その仕組みは分かっていませんでした。
そこで、研究チームは、神経細胞の活動に伴って蛍光強度が増加する遺伝的蛍光カルシウムインジケーター[4]を発現させた遺伝子改変マウスを用いて、大脳皮質の神経細胞群の活動を観察し、この仕組みの解明に挑みました。
研究手法と成果
研究チームは、外界からの視覚情報がどのように脳を活性化するのか、また動物の体と眼球の運動に伴う信号が視覚野に広がるのか、そしてそれらの反応が動物の注意状態によってどう変化するのかを調べるための実験系を設計しました。この実験系では、マウス脳の視覚野を含む後部皮質から中規模(メソスコーピック)な領域の神経活動を記録するため、神経活動は脳表面の微小領域の一過的な蛍光輝度の増加として現れます。
提示された二つの縞状の視覚刺激のうち、どちらがより垂直に近いかを選ぶ課題をマウスに行わせ、2光子蛍光顕微鏡[5]を用いて、課題実行中の視覚野の神経細胞群の活動を記録しました(図1)。この課題でマウスは、手元にある小さなホイールを回転させることで、提示された二つの視覚刺激のうちから片方を選びます。同時に、課題遂行中のマウスの動きを計測するためにホイールの動きを記録しました。また、ヒトを含む動物では、注意を向ける度合いと瞳孔の大きさが相関することが知られていることから、マウスが課題にどれだけ注意を向けているかの指標として、マウスの瞳孔の大きさも記録しました。すると、マウスはホイールを動かす際に、体全体や眼球を頻繁に動かすことが観察されました。
図1 マウスに提示された課題
マウスはホイールを右または左に回転させることで、スクリーン上の二つの縞状の視覚刺激のうち、より垂直に近い方を選び、その報酬として水を得る。
実験により、まず、外界からの視覚刺激やマウスの体および眼球の運動によって、大脳皮質の視覚野に神経活動が引き起こされること、および運動(体と眼球)によって引き起こされた神経活動は、外界からの視覚刺激によって引き起こされた神経活動よりも、その規模が大幅に大きいことを確認しました。また、動物が課題により注意を向けているときには、これらの反応が増大することを明らかにしました。
さらに、外界からの視覚情報の入力と体の運動の情報入力が短い間隔で連続して起こる場合の神経活動は、それぞれの情報入力が別々に起こる場合の神経活動の合計と比べて大きいことを見いだしました。一方、体の運動の入力と眼球運動の入力が同時に起こる場合の神経活動は、それらの情報入力が別々に起こる場合の合計より小さいことが分かりました。つまり、外界からの視覚情報の入力と運動の入力が同時に起こるときの反応は、視覚情報と運動情報の入力とは正の非線形な相互作用を示し、二つの異なる運動入力(体と眼球)とは負の非線形な相互作用を示すことが分かりました。
次に、これらの相互作用が視覚野とその周辺領域をどのように活性化するのかを調べたところ、外界からの視覚刺激と運動の相互作用が脳表面に引き起こす活動パターンは、二つの運動(体と眼球)同士の相互作用が引き起こすパターンと異なり、数学的に分離可能であることを発見しました(図2)。このことから、脳はこのパターンの違いを利用して、その時々の神経活動が視覚刺激-運動間の相互作用によるものか、運動-運動間の相互作用によるものかを解読し得ることが示唆されました。また、この解読の容易さは動物の注意状態によって変わり、動物がより注意を向けているときの方が、より正確にどちらの相互作用によるものか、その活動の違いを解読できることが分かりました(図2)。
さらに、視覚刺激-運動間の相互作用と運動-運動間の相互作用の解読性が動物の注意によって向上するのは、主に視覚刺激と体の運動に対する調節によるものであり、眼球運動の調整による寄与は比較的小さいことを見いだしました。
図2 視覚野とその周辺領域の脳活動パターン
マウスが眼球運動およびホイールを回転させる運動を行うとき、皮質後部(黒丸で示された領域)の活動は、視覚刺激の有無、マウスの注意の強さによって異なる脳活動パターンを示す。脳活動パターンから視覚刺激の有無を弁別することは、マウスの注意レベルが高いときの方が容易である。
これらの結果により、動物が受け取る視覚情報の変化の由来―動物自身の運動によるものなのか、外界の視覚環境によるものなのかーを、私たちの脳が見分ける仕組みの一端が明らかになりました(図3)。
図3 動物が受け取る視覚情報の変化の由来の弁別
脳活動パターンからそれらの活動が運動のみに由来する(右)のか、運動と提示された視覚刺激に由来するものなのか(左)を弁別することができる。この弁別は、それぞれの活動パターンを”差異モード”(下:青と赤のパターン)に投射することで得られる。視覚刺激の有無は、マウスが課題に注意を向けているとき(紫)の方が向けていないとき(緑)より容易に弁別可能である。
今後の期待
本研究成果は、視覚野には数多くの信号が混在するにもかかわらず、脳はそれらを弁別することが可能であり、さらにその弁別能力は動物の欲求や行動目標を反映した注意状態に依存して、ダイナミックに変化することを示しています。この弁別は、より高度な論理的思考などをつかさどる高次皮質領域に感覚情報が到達する以前に、視覚野における情報処理段階で既に可能であることが明らかになりました。これは、フィードフォワード型ニューラルネットワーク[6]における畳み込み演算[7]と似た仕組みであることから、AIなどのアルゴリズムに実装可能であり、次世代AIの開発に貢献するものと期待できます。
補足説明
1.大脳皮質後部領域
大脳皮質は大脳の外側に位置する薄いシート状に並んだ細胞から成る構造であり、脳の特徴的なクルミ状に”折り畳まれた”外見を形作っている。大脳皮質後部領域は、頭の後ろ側(目と反対側)の領域を指す。
2.視覚野
視覚野は大脳皮質後部領域に位置し、視覚刺激の処理に携わる。階層的な構造を持つ多くの小領域から成る。最下層の細胞ネットワークは輝度の境界のような単純な視覚刺激に反応し、最上層のネットワークは顔などの複雑な画像に反応する。
3.運動野
運動野は運動を制御する皮質領域であり、複数の小領域から構成される。これらの領域が協調的に働き、随意運動の計画、制御、実行などを担う。
4.遺伝的蛍光カルシウムインジケーター
細胞内のカルシウム濃度によって輝度の変化する蛍光タンパクの一種。神経細胞内では活動に伴いカルシウム濃度が上昇するため、蛍光強度の変化から電気的な神経活動を推定できる。
5.2光子蛍光顕微鏡
高解像度を持つ蛍光顕微鏡の一種で、検出された蛍光のタイミングと強度から脳のどの部位から蛍光が発され、その領域がどの程度活動しているのかを1,000分の1mm程度の分解能で計測する。
6.フィードフォワード型ニューラルネットワーク
人工ニューラルネットワークの構造の一種で、連結した複数の層構造から成る。入力層が信号を受け取り、中間層で信号に対する複雑な非線形数学的演算が行われ、出力層が結果を提示する。
7.畳み込み演算
数学的演算の一種で、二つの関数のうち片方を他方に対して移動しながら重ね合わせ、重なりの度合いを測る。
研究チーム
理化学研究所 脳神経科学研究センター 視覚意思決定研究チーム
チームリーダー アンドレア・ベヌッチ(Andrea Benucci)
研究員 モハマド・アブドラマ(Mohammad Abdolrahmani)
研究員 ディミトリィ・リャムジン(Dmitry Lyamzin)
基礎科学特別研究員 青木 亮(あおき りょう)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究(B)「Optogenetic control of visual perception(研究代表者:ベヌッチ アンドレア)」、同新学術領域研究(研究領域提案型)「Using recurrent neural networks to study neural computations in cortical networks(研究代表者:ベヌッチ アンドレア)」、「Learning perceptual representations in biological and artificial neural networks(研究代表者:べヌッチ アンドレア)」および富士通株式会社との共同研究費による支援を受けて行われました。
原論文情報
Mohammad Abdolrahmani, Dmitry R Lyamzin, Ryo Aoki, Andrea Benucci, “Attention separates sensory and motor signals in the mouse visual cortex”, Cell Reports, 10.1016/j.celrep.2021.109377
発表者
理化学研究所
脳神経科学研究センター 視覚意思決定研究チーム
研究員 モハマド・アブドラマ(Mohammad Abdolrahmani)
研究員 ディミトリィ・リャムジン(Dmitry Lyamzin)
チームリーダー アンドレア・ベヌッチ(Andrea Benucci)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当