泳ぐ微生物が海まで流されない理由 ~SDGsに欠かせない小さな生物たちの振る舞いを解明~

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2021-10-21 京都大学,北海道大学,東北大学,基礎生物学研究所

概要
京都大学理学研究科 市川正敏講師は、バーゼル大学Biozentrum 大村拓也博士、北海道大学電子科学研究所 西上幸範助教、東北大学大学院医工学研究科 石川拓司教授、基礎生物学研究所 野中茂紀准教授、谷口篤史博士と共同で、単細胞の繊毛虫テトラヒメナが水中の構造物付近で走流性を示す機構を明らかにしました。走流性とは水の流れに逆らって遡上する性質の事を指します。流れ場でのテトラヒメナの動きを顕微鏡観察することに加え、実験結果に基づく流体シミュレーションを行いました。その結果、構造物付近で流れに逆らう行動は「推進力を生み出す繊毛の機械的な刺激応答特性」と「細胞形状」という単純な2つの要素だけで説明できることが明らかになりました。この結果から、遊泳性の繊毛虫が水の流れに身を任せず、自身の生息に適した環境に留まる生存のための行動は、テトラヒメナが意識せずに細胞の性質として自動的に行われているということが示唆されます。本成果は2021年10月20日に米国の国際学術誌「Science Advances」にオンライン掲載されました。
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図1.テトラヒメナの顕微鏡写真(ガラス面を識別できるように画像加工)。本研究の模式図(右)。

1.背景
テトラヒメナやゾウリムシといった微生物の名前に聞き覚えは有るでしょうか。小学校や中学校、高等学校の教科書で紹介される事もある、繊毛虫と呼ばれる遊泳微生物です。大きさが100μm程度の単細胞生物であることから、実際に生きているところをその目で見た人はほとんどいないかもしれません。しかしながら繊毛虫は淡水中においてとても繫栄している生物群であり、近くの池や川、湖、水たまりにすら生息する身近な生き物です。虫眼鏡と少しの経験さえあれば、スズメやハトより簡単に見つけることが出来ます。このような小さな生き物は私たちの生活には直接関係しないように感じますが、実は、環境中のバクテリアを食べたり、魚の餌になったりすることで間接的に私たちの食生活や地球環境を支えていることが分かっています。もし繊毛虫がいなくなったら、水は濁り、魚は餓え、私たちの食生活を左右する大きな問題が引き起こされます。このように考えると繊毛虫の生態や行動が私たちにとっても重要な問題であることが分かります。
さて、繊毛虫は自然の中に住んでいますので、住宅に住む私たちとは比較にならないほど厳しい生活を送っています。特に環境中の水の流れは淡水にすむ遊泳繊毛虫にとっては大きな問題です。というのも流れにのって移動すると、どんどん下流に流され、最終的には海まで流れて死滅してしまうためです。絶滅していない事からの逆説として、一般的な遊泳繊毛虫は水の流れに逆らう「走流性」という性質を持っていると信じられてきましたが、どの程度の流れに、どのようにして逆らうのかということは解明されていませんでした。そこで、京都大学理学研究科 市川正敏講師らの研究チームは繊毛虫テトラヒメナに人為的な流れを加えた際の挙動を観察することで走流性の実態を明らかにし、さらに流体シミュレーションを用いて得られた結果を検証することで、テトラヒメナが示す走流性のメカニズムを解明しました。
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図2.実験の模式図と流れに逆らって遡上するテトラヒメナの軌跡(論文より)。

2.研究手法・成果
本研究では繊毛虫テトラヒメナに制御された流れを加えたときの遊泳行動の変化を解析しました。まず、流れの強さ、とくに流速の空間変化の大きさである剪断速度を制御するためにマイクロ流体デバイスを用いました。流れ場中でのテトラヒメナの挙動を定量的に評価した実験から、壁付近でテトラヒメナは明確な走流性を示し、それが剪断速度の大きさに依存していることが明らかになりました。流れが無い時にはテトラヒメナの泳ぐ向きはランダムでしたが、流れが強くなるにつれて流体力学的な効果によって多くのテトラヒメナの細胞の向きが上流方向を指すようになります。そして、向きが揃うだけでなく、流れに逆らって遡上していくテトラヒメナも出てきます。壁から遠いテトラヒメナがあえなく流されて行くのとは対照的です。次の実験として、実際に流れに逆らっているテトラヒメナがどのように運動装置を動かしているのかに着目しました。高速で細胞断面を観察可能なライトシート顕微鏡を応用することで、流動場中での1本1本の繊毛運動を観察しました。この観察により、壁付近の繊毛は運動が阻害されていることが明らかになりました。壁面による繊毛運動の阻害は遊泳力の非対称をもたらします。以上の実験で明らかになった要素によって繊毛虫の走流性が実現可能かどうか流体シミュレーションを用いて検証したところ、細胞形状が球状の場合では上記の要素があっても走流性を示さない一方で、テトラヒメナのような回転楕円体では計算機内でも走流性が再現されることが分かりました。流れの強さに対応する剪断速度と走流性の可否について、実験とシミュレーションを比較すると、それぞれの示す範囲が定性的に一致しました。以上の結果により、テトラヒメナの走流性は細胞が考えて行動しているわけではなく、細胞の形状と繊毛の性質で決まる「カラクリ」だと明らかになりました。

3.波及効果、今後の予定
本研究ではテトラヒメナが流れに逆らう機構を明らかにしました。これは環境中での繊毛虫の分布予測に向けての大きな一歩です。壁付近では流れに逆らって遡上する、この事実は繊毛虫の生息分布に大きな影響を与えます。上述のとおり繊毛虫は淡水域で主要な生物であり、これらの微生物分布が環境に大きな影響を与え、最終的には私たちの生活にも関係することが想定されます。今後、本研究成果を基礎とすることで、計算機シミュレーションなどによる生息分布予測や、それに伴う環境変化の予測の精度が改善することが期待されます。以上を通じて、「気候変動」や「海の豊かさ」、「陸の豊かさ」といった持続可能な開発目標(SDGs, Sustainable Development Goals)の実現に本研究は貢献できると考えています。

4.研究プロジェクトについて
本研究は、JSPS 科研費 19KK0180国際共同研究強化(B)、17J10331特別研究員奨励費、17H00853基盤研究(A)、21H04999基盤研究(S)、26707020若手研究(A)、21K03855基盤研究(C)、JSPS研究拠点形成事業「1分子・1粒子レベルの細胞間コミュニケーション解明のための先端研究拠点の確立」、公益財団法人クリタ水・環境科学振興財団国内研究助成20E028、基礎生物学研究所 共同利用研究20-501、ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム 学際的フェローシップ、物質・デバイス領域共同研究拠点共同研究プログラムからのサポートを受けました。またテトラヒメナは筑波大学沼田治教授・中野賢太郎博士からの提供株です。

<研究者のコメント>
演習TAだった大学院生(当時)の大村が学生実験テーマの実演として、西上が培養していた細胞を試しにマイクロ流路に流したのがこの研究の端緒です。不思議と下流に流れていかない細胞たちを見て、生物学者である博士研究員(当時)の西上と指導教員の市川を加えた3名が「この動きは面白い!」と、その予想外の挙動のメカニズムや実験方法を検討しはじめました。残念ながら当時の学部学生の興味を惹く事は出来ませんでしたが、この記事や論文を読む方が少しでも「面白い!」と思っていただければ幸いです。

<論文タイトルと著者>
タイトル:Near-wall rheotaxis of the ciliate Tetrahymena induced by the kinesthetic sensing of cilia.
(繊毛虫テトラヒメナの壁付近での走流性は繊毛による機械刺激の受容による)
著  者:T. Ohmura, Y. Nishigami, A. Taniguchi, S. Nonaka, T. Ishikawa, M. Ichikawa
掲 載 誌:Science Advances  DOI:http://dx.doi.org/10.1126/sciadv.abi5878

<お問い合わせ先>
市川 正敏 (いちかわ まさとし)
京都大学 大学院理学研究科・講師

大村 拓也(おおむら たくや)
バーゼル大学Biozentrum・ポスドク研究員

西上 幸範(にしがみ ゆきのり)
北海道大学電子科学研究所・助教

<報道・取材に関するお問い合わせ先>
京都大学 総務部広報課国際広報室
北海道大学 総務企画部広報課
東北大学大学院医工学研究科

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