2024-03-29 京都大学iPS細胞研究所
ポイント
- 化合物スクリーニングに適した肺胞スフェロイド注1)の「on-gel培養法」を構築した。
- 274種類の低分子化合物を対象にI型肺胞上皮細胞への分化を促進する作用のスクリーニングを行った。
- YAP/TAZシグナル注2)の活性化とAKTシグナル注3)の抑制により、I型肺胞上皮細胞への分化が促進されることがわかった。
1. 要旨
大西裕子 研究員(CiRA臨床応用研究部門、京都大学大学院医学研究科)、後藤慎平 教授(CiRA同部門)らのグループは、ヒトiPS細胞から作製した肺胞上皮細胞を用いた化合物スクリーニング法を構築し、YAP/TAZシグナルの活性化とAKTシグナルの抑制がI型肺胞上皮細胞(AT1)への分化を促進することを明らかにしました。
肺でのガス交換を担うI型肺胞上皮細胞(AT1)は、ウイルス感染や環境刺激によって損傷することがあります。損傷したAT1を補うため、II型肺胞上皮細胞(AT2)がAT1へ分化することが知られていますが、培養細胞を用いてAT2からAT1への分化を選択的に再現することはできていませんでした。
本研究では、AT1への分化状況を簡便かつ高感度に定量できるヒトiPS細胞を樹立し、さらに、ヒトiPS細胞由来の肺胞上皮細胞からなるスフェロイドを作製する新たな培養法「on-gel培養法」を開発しました。on-gel培養法は、従来法と比べ培養操作が簡便で、少量の細胞で作製可能なため、多数の化合物の作用を同時に評価するスクリーニングに適しています。
研究グループは、今回樹立したヒトiPS細胞とon-gel培養法を組み合わせ、274種類の化合物を対象にAT1への分化を促進する作用をもつ化合物のスクリーニングを実施しました。その結果、YAP/TAZシグナルを活性化するLATS-IN-1とAKTシグナルを抑制するBAY1125976を添加することで、ヒトiPS細胞およびヒト生体由来のAT2からAT1への分化が促進されることを明らかにしました。
今回明らかになった知見は今後の肺の再生医療に示唆を与えるものです。また、本研究で構築した化合物スクリーニング法は、肺胞に関わる疾患モデルにも応用可能と考えられ、肺疾患の創薬に役立つことが期待されます。
この研究成果は、2024年3月29日(金)に「Stem Cell Reports」で掲載されました。
2. 研究の背景
ヒトの肺には小さい袋状の肺胞という組織が約3億個存在し、肺胞では酸素を血液中に取り込み、二酸化炭素を排出するガス交換が行われています。肺胞の表面は2種の上皮細胞で覆われており、肺胞の表面積の95%を占め、酸素と二酸化炭素が行き来する扁平なI型肺胞上皮細胞(AT1)と、肺胞の袋構造を保つためのサーファクタント注4)を分泌する立方形のII型肺胞上皮細胞(AT2)により構成されます。発生においては、どちらも肺胞上皮前駆細胞から分化しますが、ウイルス感染や環境刺激によってAT1が損傷した場合は、AT2が組織幹細胞として増殖し、一部がAT1へと分化することが知られています。
これまでの研究から、この肺胞損傷の修復機構であるAT2からAT1への分化過程の異常が、間質性肺炎や新型コロナウイルス感染症などの肺疾患に関わる可能性が示唆されています。一方、ヒト生体由来の肺胞上皮細胞は貴重であり、さまざまな解析に用いるために十分でないことから、ヒトiPS細胞を用いたAT2からAT1への分化誘導の再現や疾患モデルの構築が期待されています。
研究グループは肺疾患の理解と治療法の開発のため、ヒトiPS細胞を用いて肺胞上皮細胞を誘導する方法をこれまでに開発してきました。そのなかで、ヒトiPS細胞由来AT2と線維芽細胞をマトリゲル注5)内で共培養することにより、一部がAT1へ分化する傾向があることが確認されています。本研究では、ヒトiPS細胞を用いて、AT1への分化を促進する化合物をスクリーニングする実験系を構築し、AT1への分化に関わるシグナルを網羅的に探索しました。
3. 研究結果
1)I型肺胞上皮細胞(AT1)への分化を可視化するヒトiPS細胞の樹立
研究グループはこれまでに、II型肺胞上皮細胞(AT2)への分化状況を蛍光タンパク質GFPの発現により可視化するヒトiPS細胞を開発しています。このヒトiPS細胞に対して、AT1で特異的に発現する遺伝子AGERのプロモーター領域の下流に、蛍光タンパク質mCherryと発光タグHiBiTが連結したレポーター遺伝子を導入しました。蛍光タンパク質により、AT1への分化を簡便に検出でき、また、発光タグHiBiTにより、AT1分化の高感度な検出が可能なヒトiPS細胞を樹立しました。
2)少ない細胞数で簡便に肺胞スフェロイドを形成できるon-gel培養法の構築
次に、マトリゲルの中に細胞を埋め込み3次元培養する従来法ではなく、96ウェル培養プレート底面にマトリゲルをあらかじめ敷いておき、ヒトiPS細胞から作製した肺胞上皮前駆細胞あるいはAT2をマトリゲル層の上で培養する「on-gel培養法」を考案しました(図1A)。その結果、肺胞上皮前駆細胞およびAT2どちらを培養した場合でも、12日後に球形の肺胞様構造(肺胞スフェロイド)が形成されました(図1B)。on-gel培養法は、従来法より少量の細胞で肺胞スフェロイドを形成することができることに加えて、スクリーニングに用いる化合物の添加やHiBiT発光測定などの操作が簡便です。これにより、従来よりもより多くの化合物を対象としたスクリーニングが可能となりました。
図1:化合物スクリーニングに適した「on-gel培養法」
A:on-gel培養法の概要。あらかじめ底面にマトリゲルを敷いておいた96ウェル培養プレートの上で、ヒトiPS細胞由来の肺胞上皮前駆細胞あるいはAT2を培養する。
B:ヒトiPS細胞由来のAT2(緑;GFP)をon-gel培養して形成した肺胞スフェロイド。スケールバーは、左が500μm、右が100μm。
3)AT1への分化を促進する化合物のスクリーニング
ヒトiPS細胞由来の肺胞前駆細胞をon-gel培養し、274種類の低分子化合物を個別に添加し、AT1への分化促進効果をHiBiT発光により評価しました。その結果、有意なHiBiT発光強度を示し、細胞毒性の可能性が低い候補化合物が15種類検出されました(図2A)。この15化合物について、ヒトiPS細胞由来のAT2のon-gel培養に添加したところ、特にYAP/TAZシグナルを活性化するLATS-IN-1の添加により、AT1のマーカー遺伝子の発現が大きく上昇しました(図2B)。
なお、ROCK-IN-2もAT1マーカー遺伝子の発現を促進しましたが、本来の標的(on-target)とは異なるoff-target作用によりYAP/TAZシグナルを活性化していると考えられました。そのため、AT1マーカー遺伝子の発現を誘導した化合物のうち、LATS-IN-1と作用機序の重複するROCK-IN-2、細胞毒性があると判定されたNVP-AEW541の2つの化合物を除いた5つの化合物(図2B下線)についてさらなる検討を行いました。
図2:AT1への分化を促進する化合物のスクリーニング
A:化合物のスクリーニング結果。HiBiT発光の認められた化合物のうち15化合物(橙;Positive)を候補化合物として検出した。細胞数が基準値以下となった化合物は細胞毒性をもつものとして候補から排除した(灰色;Cytotoxity)。
B:on-gel培養したヒトiPS細胞由来AT2細胞に添加した場合のAT1マーカー遺伝子(AGER、CAV1、CLIC5 )の発現。
4)YAP/TAZシグナルの活性化とAKTシグナルの抑制によるAT1への分化促進
次に、LATS-IN-1以外にAT1マーカー遺伝子の発現を誘導した4化合物について、LATS-IN-1と同時に添加することでAT1への分化をさらに促進するかを検討しました。その結果、細胞の生存や増殖など複数のシグナル経路に関わるAKTシグナルを抑制するBAY1125976をLATS-IN-1と同時に添加した場合に、ヒト生体のAT1を特徴づける遺伝子群の多くが発現することがわかりました(図3A)。さらに、この2化合物の組み合わせは、ヒト生体から採取されたAT2に添加した場合もAT1分化促進効果を示すことが確認されました。
最後に、LATS-IN-1によるYAP/TAZシグナルの活性化とBAY112597によるAKTシグナルの抑制が、マトリゲル中で線維芽細胞と共培養する従来法において、どのような効果を示すかを確認しました。その結果、2化合物の添加により、肺胞スフェロイドの細胞層が扁平になる傾向が確認されました(図3B)。これにより、2つのシグナルの制御が、遺伝子発現のみならず、組織の形態形成にも関与することがわかりました。
図3:2つのシグナルの制御によるAT1分化促進作用の解析
A:トランスクリプトーム解析によりヒトAT1で発現することが報告されている遺伝子群の網羅的発現解析。on-gel培養したヒトiPS細胞由来AT2細胞にそれぞれの化合物を添加した結果。
B:マトリゲルの中で、線維芽細胞と共培養し肺胞スフェロイドを形成する従来法にそれぞれの化合物を添加した結果。スケールバーはいずれも100μm。
4. まとめと展望
今回、研究グループはAT1への分化を簡便かつ高感度に検出できるヒトiPS細胞を樹立し、化合物スクリーニングに適した肺胞スフェロイドのon-gel培養法を開発しました。これらを利用して、AT1への分化を促進する作用をもつ低分子化合物を探索し、YAP/TAZシグナルの活性化とAKTシグナルの阻害が重要であることを突き止めました。ヒトiPS細胞由来を用いてAT2からAT1への分化を体外で再現することで、今後、ウイルス感染や環境刺激による肺胞の再生や、AT2からAT1への分化異常と肺疾患との関係をより詳細に研究することが可能になります。今後、本研究の成果が肺の再生のための新たな治療法の開発につながることが期待されます。
5. 論文名と著者
- 論文名
Screening of factors inducing alveolar type 1 epithelial cells using human pluripotent stem cells - ジャーナル名
Stem Cell Reports - 著者
Yuko Ohnishi1,2, Atsushi Masui1,2, Takahiro Suezawa1, Ryuta Mikawa1,2, Toyohiro Hirai3, Masatoshi Hagiwara4, Shimpei Gotoh1,2,* - 著者の所属機関
- 京都大学大学院医学研究科 呼吸器疾患創薬講座
- 京都大学iPS細胞研究所(CiRA)臨床応用研究部門 呼吸器再生医学研究室
- 京都大学大学院医学研究科 呼吸器内科学
- 京都大学大学院医学研究科 形態形成機構学
6. 本研究への支援
本研究は、下記機関より支援を受けて実施されました。
- 杏林製薬株式会社 呼吸器疾患創薬講座研究費
- 日本医療研究開発機構(AMED)(JP17bm0804007, JP23bm1423004, JP23bm1323001)
- 日本学術振興会 科学研究費助成事業(JP22K19525)
- iPS細胞研究基金
7. 用語説明
注1)スフェロイド
複数の細胞を培養皿のなかで立体的に凝集させた球形の細胞塊。
注2)YAP/TAZシグナル
細胞増殖や細胞死などさまざまな応答を引き起こすシグナル伝達経路。細胞にかかる張力などに応じて遺伝子発現を制御することから、組織の形態およびサイズにも関わることが知られている。
注3)AKTシグナル
タンパク質合成や細胞増殖などに関わり、さまざまなシグナルによって活性化されるシグナル伝達経路。AKTシグナルの異常は、がんや糖尿病など多くの疾患に関係する。
注4)サーファクタント
肺胞の空気に接する側に分泌されている界面活性成分。肺胞は内側に縮んで空気を押し出す方向に力がかかっている。サーファクタントはその力を和らげ、空気を肺胞内に取り込みやすくしている。脂質やタンパク質などから構成されている。
注5)マトリゲル
3次元培養などに用いられる細胞培養用のゲル。培養したマウス肉腫細胞から抽出した細胞外マトリックスや種増殖因子などが含まれる。