2025-01-16 大阪大学
生命機能研究科 教授 上田昌宏
研究成果のポイント
- 細胞の自発運動を駆動するタンパク質Rasの活性化因子としてRasGEFXを発見
- RasGEFXと他の3種のRasGEFB/M/Uが協同的に働いて細胞の自発運動を調節する
- 細胞の自発的な行動を生み出す基本原理を解明する重要な手掛かりとなると期待
概要
大阪大学大学院理学研究科の大学院生 岩本浩司さん、大学院生命機能研究科の松岡里実助教、上田昌宏教授(理化学研究所生命機能科学研究センター・チームリーダー)らの研究グループは、細胞運動を駆動する自発的なシグナル生成の仕組みとして、低分子量Gタンパク質Rasの制御メカニズムの一端を明らかにしました。
単細胞生物は餌を探して環境中を動き回るときに、餌がないような一定で一様な環境でも、運動方向をときどきランダムに変えながら、環境を広範囲に探索します。アメーバ様の移動運動を示す細胞では、Rasと呼ばれる低分子量Gタンパク質が細胞膜上で局所的に活性化されることで細胞を前進させる運動装置である仮足が形成され、細胞の運動方向が決まります。今回の研究に用いられた細胞性粘菌Dictyostelium discoideum(和名:キイロタマホコリカビ)のアメーバ細胞では、一定一様な環境下でRasが自発的に活性化され、ランダムな方向へと自発的に運動することが知られていました。こうした一定一様な環境で見られるランダムな細胞運動は、環境からの刺激によって受動的に起こるのではなく、細胞自身の状態に依存して自発的に起こります。生きた細胞の中では様々な生体分子が働いていることから、何らかの分子の自発的な活性化/不活性化が細胞の自発運動を制御すると考えられてきましたが、その分子実体は未解明のままでした。
今回、研究グループは、細胞の自発運動を駆動するRasの活性化因子としてRasGEFXを同定しました。さらに、他の3種のRasGEFがそれぞれに個別の役割を担って仮足を形成し、細胞の自発運動を制御することを明らかにしました。この発見は、細胞の自発的な行動を生み出す基本原理の解明につながると期待されます。
本研究成果は、英国科学誌「Nature Communications」に、1月2日(木)に公開されました。
図1. (a) 活性化型Ras(Ras-GTP)の細胞内局在を共焦点顕微鏡で観察。(b)Ras-GTPの膜局在における4つのパターン。興奮性が増すにつれて細胞膜上に蓄積するRas-GTPの量が増加し、パターンが変化する。(c)WTと各RasGEF過剰発現株が示すドメインパターンの割合。(d)階層型クラスタリングによって分類されたRasGEF。クラスター1(左)からクラスター5(右)の順で興奮性の高い順に並んでいる。クラスター1に属するRasGEFB/M/U/XはRasの自発的活性化に関与し、細胞の自発運動を制御する。
研究の背景
細胞運動は、栄養などの探索を行なう単細胞生物だけでなく、多細胞生物の個体を構成する様々な細胞に観察される生理現象で、免疫応答や神経回路形成、形態形成といった多様な生理的プロセスの基盤を成す重要な細胞機能です。その分子メカニズムは細胞性粘菌からヒト白血球に至るまで進化的に広く保存されており、共通の生体分子が使われていることが知られています。
先行研究により、細胞運動を制御するシグナルの生成には、低分子量Gタンパク質であるRasが中心的に働いていることがわかっていました。細胞が誘引性の化学物質の濃度勾配に置かれると、濃度の高い方に活性化型のRas(Ras-GTP)が濃縮した数ミクロン程度の領域(ドメイン)が形成され、細胞の前側が決定されます。このRas-GTP濃縮ドメインにおいてアクチン線維の重合が促進されることで細胞の運動装置である仮足が形成されます。これにより、細胞は誘引物質の源に向かって方向性のある運動(走化性運動)を行います。ところが、誘引物質が全くない環境や、誘引物質があったとしても一定で一様な環境においても、細胞は細胞膜上に局所的にRas-GTP濃縮ドメインを形成し、ランダムな方向へ運動します。一定一様な環境におけるRas-GTP濃縮ドメインの自発的な生成は、細胞の非対称性(細胞極性)を作り出すことから、細胞における“自発的な対称性の破れ”とも言われます。Rasの活性を制御する仕組みは様々な生物で解明されてきましたが、細胞の自発運動を駆動する仕組みは未解明のままでした。
本研究では、細胞運動のモデル生物である細胞性粘菌Dictyostelium discoideumを用いて、Rasの活性化を制御するRasGEF分子の同定とその機能の解明を目指しました。細胞性粘菌はゲノム上に20種類以上のRasGEFを遺伝子としてコードしていますが、その中でどのRasGEFがRasの自発的な活性化に関与し、細胞の自発運動を駆動するのか、という課題の解明に取り組みました。
研究の内容
研究グループはRasGEFs(RasGEFA~RasGEFY、22種類)の過剰発現株を構築し、一定一様な環境下でのRas-GTPの細胞内局在を観察しました。細胞運動の影響を無くすために、アクチン線維の重合を阻害する薬剤で細胞を処理しました。先行研究から、こうした観察条件下で、粘菌細胞は興奮系(excitable system)の仕組みによって細胞膜上にRas-GTP濃縮ドメインを形成することがわかっています(図1a)。個々の細胞で見られるRas-GTP濃縮ドメインは、その細胞のRasの活性化の程度(興奮性)に応じて4つの時間変化のパターンのいずれかを示します(図1b)。興奮性が高い細胞ではRas-GTP濃縮ドメインが細胞膜上を伝搬する進行波が頻繁に出現します。22種類のRasGEFはRasへの影響がそれぞれ異なるため、4つのパターンの現れ方が様々に変化しました(図1c)。階層型クラスタリングという分類法を用いてRas-GTPの時間変化のパターンを解析したところ、22種類のRasGEFはRasの興奮性の程度に応じて、5つのクラスターに分類されました(図1d)。このうちクラスター1に分類されたRasGEFB/M/U/Xという4種類のRasGEFが、Rasの自発的活性化に強く関与していることが示唆されました。
図2. RasGEFB/M/U/Xの各ノックアウト細胞における自発運動の軌跡。RasGEFXを欠損したダブルノックアウト細胞は著しい運動性の低下を示す。
次に、これら4種類のRasGEFB/M/U/Xの遺伝子をノックアウトした細胞を作製し、一定一様な環境下でのRas-GTPの細胞内局在と細胞運動を調べました。その結果、RasGEFXがRasの自発的な活性化に必須であること、また、RasGEFX は他の3種類のRasGEFB/M/Uと協調的に働くことで自発運動を制御することがわかりました(図2)。例えば、RasGEFX の遺伝子ノックアウト細胞は、Ras-GTP濃縮ドメインの進行波形成が全く無くなり、自発運動が低下します。さらに、RasGEFXとRasGEFBのダブルノックアウト細胞は自発的にはほとんど運動できません。RasGEFXとRasGEFBは細胞膜上でRas-GTPと共局在し、それぞれがRas-GTP濃縮ドメインの形成頻度、あるいは、大きさを制御します(図3)。細胞がランダムに運動するときには、RasGEFXが仮足の形成頻度を制御し、RasGEFBが仮足の大きさを制御します(図4)。また、RasGEFUは細胞の接着、RasGEFMは細胞の運動速度の制御に働くことが明らかになりました。これらの結果は、RasGEFX を中心として、それぞれのRasGEFがRasの活性化と細胞の自発運動を制御していることを示しています。
図3. RasGEFXとRasGEFBは細胞膜上でRas-GTPと共局在する。RasGEFXとRasGEFBは細胞質と細胞膜を行き来する分子である。Ras-GTPが濃縮した膜領域にリクルートされ、そこでGEFとしてRas-GTPの産生を触媒するというポジティブフィードバックの仕組みがはたらく。こうしたRas-GTPを増幅する仕組みにより、Ras-GTP濃縮ドメインが形成されると考えられる。
図4. RasGEFX がRasの活性化のトリガーを引くことで、Ras-GTP濃縮ドメインを生成するタイミングを制御し、RasGEFBがRas-GTP濃縮ドメインのサイズを制御する。これにより、仮足形成の頻度とサイズがRasGEFXとRasGEFBそれぞれによって制御される。
細胞性粘菌のアメーバ細胞は、自発運動に加えて、誘引物質のcAMPに対して正の走化性を示します。このとき、cAMP濃度の高い方にRas-GTP濃縮ドメインを形成します。こうした走化性応答に対するRasGEFB/M/U/Xの役割を調べたところ、RasGEFB/M/U/Xのノックアウト細胞は環境に誘引物質の刺激があると運動が回復し、正常に走化性応答を示すことが確認されました。このことから、RasGEFB/M/U/Xは走化性応答における誘引物質刺激のシグナル伝達には必須ではなく、これら4種類以外のRasGEFが走化性シグナル伝達に関与することが示唆されました。
以上の結果は、今回明らかにした4種類のRasGEFB/M/U/Xが、細胞の自発的なシグナル生成と自発運動を制御する機能を担っていることを示しています(図5)。中でもRasGEFXはRasの興奮のトリガーを引く分子であることから、細胞の自発運動を駆動する中心的な役割を担っています。Ras-GTPとRasGEFXは細胞膜上で共局在することから、両者の間にポジティブフィードバックの仕組みが働くことが示唆されます(図3)。Ras-GTPの量がゆらぎによって局所的に増えると、RasGEFXによってさらに増幅され、ランダムな自発運動が駆動されると考えられます。細胞の自発性の背後には、生体分子のゆらぎによって発生するレアなイベントを増幅するポジティブフィードバックの仕組みが働いている可能性があります。
図5. RasGEFXがRasの自発的活性化の制御に中心的に働き、他の3種のRasGEFB/M/Uと協調的に働くことで、細胞の自発運動を制御する。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
細胞が環境を探索し適切な環境へと移動することは、細胞の重要な生存戦略の一つです。Rasを介した細胞運動の制御は、細胞性粘菌から哺乳類細胞に至るまで進化的に広く保存されています。このため、Rasを制御するメカニズムの解明は、基礎生物学として生物の生存戦略の解明につながるとともに、多細胞生物における細胞運動を制御する手法の開発につながる可能性があります。
特記事項
本研究成果は、2025年1月2日(木)に英国科学誌「Nature Communications」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Excitable Ras dynamics-based screens reveal RasGEFX is required for macropinocytosis and random cell migration”
著者名:Koji Iwamoto, Satomi Matsuoka and Masahiro Ueda
DOI:https://doi.org/10.1038/s41467-024-55389-2
なお、本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(CREST)「細胞内現象の時空間ダイナミクス」における研究課題「細胞におけるゆらぎの階層性と情報統合ダイナミクス」(研究代表者:上田昌宏)「JPMJCR21E1」、JST戦略的創造研究推進事業(さきがけ)「計測技術と高度情報処理の融合によるインテリジェント計測・解析手法の開発と応用」における研究課題「データ同化による1細胞内自己組織化過程の全可視化」(研究代表者:松岡里実)「JPMJPR1879」、日本医療研究開発機構(AMED)革新的先端研究開発支援事業(AMED-CREST)研究開発領域「画期的医薬品等の創出をめざす脂質の生理活性と機能の解明」における研究課題「1分子・質量イメージング顕微鏡の開発と細胞膜機能解析」(研究代表者:上田昌宏)「JP20gm0910001」、日本学術振興会基盤研究A「走化性シグナル伝達系における濃度勾配認識メカニズムの解明」(研究代表者:上田昌宏)「19H00982」、文部科学省新学術領域研究「情報物理学でひもとく生命の秩序と設計原理」における研究課題「細胞内情報伝達の情報熱力学的な理解」(研究分担者:松岡里実)「19H05798」、日本学術振興会 特別研究員奨励費(DC1)「GEFを介した情報統合による興奮系Rasの制御機構とその生理的意義の解明」(研究代表者:岩本浩司)「22KJ2207」の一環として行われました。
この研究についてひとこと
アメーバ細胞が形を変えながら一見無秩序にあちこちへ運動する様子に魅せられて、長く研究を続けてきました。今回の研究により、複雑なアメーバ運動の源ではたらき、細胞の動きにランダムさを与える分子反応を捉えることができるようになりました。細胞がゆらぎながら自発的に環境を探索する仕組みの分子論的理解に途を拓く発見と言えます。(生命機能研究科
教授 上田昌宏)
自発運動
化学物質や物理的刺激などの外部刺激が存在しない環境や、外部刺激があったとしても一定一様のために細胞に方向性の情報を与えない環境下において、細胞がある方向へと運動する現象。環境から方向性が与えられないため、細胞は方向転換を繰り返して、ランダムな方向へと移動します。誘引性化学物質の濃度勾配があると、ランダムな自発運動に方向性が与えられ、細胞は誘引物質の源に向かった運動(走化性運動)を示します。
細胞運動
細胞がエネルギーを使って行う運動。アメーバ細胞が細胞を変形させながら基質の上を這うように移動するアメーバ運動のほかに、バクテリアが鞭毛を動かして泳ぐように移動する鞭毛運動などがあります。
細胞極性
細胞を構成する成分が細胞内で偏って分布することで方向性を持つことを細胞極性と言います。運動する細胞の前-後、上皮細胞の頂端-基底などが知られています。
興奮系
生体における典型例としては、神経細胞の活動電位の発生現象がよく知られています。神経細胞の場合、外部からの刺激によって細胞膜の電位が閾値を超えて一過性に大きく変動し、活動電位が発生します。系の内因的なノイズによって閾値を超えると、自発的な興奮を引き起こします。興奮系とは、こうした興奮現象を生み出す系を指し、化学反応などの非生体系でも見られます。興奮系が空間的に広がっている場合には、興奮現象が空間的に伝搬する進行波が出現し、時間的・空間的に特徴のあるパターンを生成する場合もあります。
進行波
空間内を一定の方向に伝搬する波。本研究では、Ras-GTPが濃縮した領域が細胞膜上を伝搬する現象を対象としています。この進行波の前方では、RasがGDP結合型からGTP結合型(Ras-GDPからRas-GTP)に活性化し、後方では逆にRas-GTPがRas-GDPへと不活性化されます。Rasの活性化と不活性化が少しずつ同じ方向に位置を変えながら共同的に起こることによって、Ras-GTPが濃縮した領域が移動していく様子が観察されます。
ポジティブフィードバック
生物の分子反応において、反応の生成物がその反応自体をさらに促進するような仕組みを指します。この仕組みにより、生成物を急激に増幅させることが可能になります。