発症に関わる遺伝要因の人種差の理解に貢献
2020-06-15 理化学研究所,東京大学
理化学研究所(理研)生命医科学研究センター循環器ゲノミクス・インフォマティクス研究チームの伊藤薫チームリーダー、松永紘研修生、ゲノム解析応用研究チームの鎌谷洋一郎客員主管研究員、東京大学大学院医学系研究科循環器内科学の小室一成教授らの共同研究グループは、虚血性心疾患(心筋梗塞、狭心症)の発症に関わる新たな疾患感受性座位[1]を発見しました。
本研究成果は、虚血性心疾患の発症に影響する生物学的な機序の解明や、遺伝要因の人種差の理解に貢献すると期待できます。
虚血性心疾患の有病率は人種によって異なり、日本人は欧米人に比べて低いことが知られています。この理由として、環境要因だけでなく遺伝要因も発症に関与していることが考えられます。
今回、共同研究グループは、約5万人の日本人集団の遺伝情報を用いたゲノムワイド関連解析(GWAS)[2]を実施し、その結果と約34万人の欧米人集団との人種横断的なメタ解析[3]を行ったところ、虚血性心疾患の発症に関わる3領域の新たな疾患感受性座位を同定しました。さらに、発症に影響する臓器・組織を調べた結果、日本人集団では副腎、欧米人集団では動脈や脂肪組織の影響が大きいことが分かりました。なお、本研究で作成した日本人集団におけるジェノタイプデータ[4]は、科学技術振興機構(JST)バイオサイエンスデータベースセンター(NBDC)を通じて公開する予定です。
本研究は、科学雑誌『Circulation: Genomic and Precision Medicine』(6月16日付:日本時間6月17日)の掲載に先立ち、オンライン版(5月29日付)に掲載されました。
背景
虚血性心疾患(心筋梗塞、狭心症)は治療法や予防法が進歩しているにもかかわらず、世界において主要な死因の一つであり、その有病率は人種によって異なることが知られています。現在、日本人の有病率は、食生活が欧米化してきたことにより増加傾向にありますが、欧米人の有病率と比べるとまだ低い値です。この違いの理由として、発症には環境要因だけでなく遺伝要因も関与していることが示唆されます。
虚血性心疾患のように多くの遺伝子が発症に関与する疾患の感受性座位を調べるには、ゲノムワイド関連解析(GWAS)という統計的な手法が有効であり、これまでに150個以上の座位が報告されてきました。これらの座位には、疫学研究により危険因子と報告されている高血圧や脂質異常症、糖尿病に関わる遺伝子だけでなく、炎症や血管収縮などに関わる遺伝子も含まれています。
しかし、過去の研究の大部分は欧米人を対象にしたものであり、日本人を対象にした研究は小規模にとどまっていました。また、発症に関わる遺伝要因の人種差についても明らかになっていませんでした。
研究手法と成果
共同研究グループはまず、バイオバンク・ジャパン[5]、OACIS Study[6]、東北メディカル・メガバンク[7]、いわて東北メディカル・メガバンク[7]、JPHC Study[8]、J-MICC Study[9]で収集された、合計約5万人に及ぶ日本人集団の遺伝情報を用いて、2個のGWASを行い、二つの結果のばらつきを排除するためメタ解析を行いました。その結果、虚血性心疾患の発症に関わる18領域の疾患感受性座位が同定され、そのうち1領域は新たな座位でした。
さらに、この日本人集団のGWASの結果と約34万人の欧米人集団で実施されたGWASの結果を、人種横断的なメタ解析により統合したところ、新たな3領域を含む76領域の疾患感受性座位が同定されました(図1)。ここで、今回日本人集団で同定された新たな1領域は、人種横断的なメタ解析で同定された新たな3領域のうちの一つと共通でした。
図1 虚血性心疾患の発症に関わる疾患感受性領域の人種横断的なメタ解析の結果
横軸は染色体上の位置を示しており、縦軸はそれぞれの領域での虚血性心疾患との関連の強さを表している。赤線を超えている領域を統計的に有意と見なしている。赤色が新規の3領域で、青色が既報の73領域を示している。
次に、新たに発見された3領域の生物学的な役割を検討したところ、2領域(CTSS遺伝子、RDX-FDX1遺伝子)は免疫系を介した動脈硬化の進展に、残りの1領域(WDR11-FGR2遺伝子)は虚血性心疾患の危険因子の一つである脂質系に影響することが示されました。
また、虚血性心疾患の発症に関わる生物学的な機序を検討したところ、脂質代謝に関わる生物学的な経路が発症に最も関連することが分かりました。さらに、発症に大きく影響する臓器・組織を調べたところ、脂肪組織、動脈、副腎などが検出されました。副腎は、血圧調整や血糖値の調整などに関わる内分泌系の臓器です。これらは、高血圧や糖尿病、脂質異常症が虚血性心疾患の危険因子であることを裏づける結果です。
最後に、日本人集団と欧米人集団において、虚血性心疾患の発症に関わる遺伝要因に人種差があるかどうかを調べるために、人種横断的なメタ解析で得られた76領域に関して、心筋梗塞の発症に対する影響を比べてみました。その結果、発症への影響は大部分の領域で同等であったものの、一部の領域では違いが見られました。さらに、二つの集団で発症に関わる臓器・組織を調べたところ、日本人集団では副腎の影響が強く、欧米人集団では脂肪組織や動脈の影響が強いことが分かりました(図2)。この結果から、虚血性心疾患の発症にも遺伝要因に人種差があることが明らかになりました。
図2 虚血性心疾患の発症に関わる臓器・組織の人種間の比較
日本人集団と欧米人集団において、虚血性心疾患の発症に関わりが大きい臓器・組織を比較した。縦軸は虚血性心疾患との関連の強さを表し、関連が強い臓器・組織では橙色で示してある。日本人集団では副腎などの臓器、欧米人集団では動脈や脂肪組織の影響が強いことが分かった。
今後の期待
本研究成果は、虚血性心疾患の発症に影響する生物学的な機序の解明や遺伝要因の人種差の理解に貢献すると期待できます。
虚血性心疾患は発症を予防することが非常に重要です。近年ではGWASの結果を用いて、各個人の遺伝要因によるリスクをスコア化することが試みられています。今後、GWASの研究をさらに推進することで、遺伝要因のリスクの精度も向上し、個別化医療[10]の実現につながると期待できます。
補足説明
1.疾患感受性座位
単一遺伝子病の原因遺伝子のように、遺伝子に変異があると必ず発症するというものではなく、変異があると発症しやすくなったり、逆に発症しにくくなったりするような染色体上の領域のこと。
2.ゲノムワイド関連解析(GWAS)
病気や検査値などに影響がある遺伝子多型を、ゲノム全域に渡って網羅的に調べる統計的な手法。2002年に理化学研究所より世界に先駆けて報告を行った。Genome-Wide Association Studyの略。
3.メタ解析
二つ以上の統計解析の結果を合わせる際に、それぞれの解析結果でばらつきがある面を統計学的に排除し、偏りのない合算をする手法。
4.ジェノタイプデータ
実際のサンプルから得られたヒトゲノム配列データの総称。個人間で異なるヒトゲノム配列の部位を対象にデータ化されている。
5.バイオバンク・ジャパン
オーダーメイド医療の実現化のためのプロフェクトで、47疾患を対象に収集された。約20万人の日本人のDNAや血清サンプル、臨床情報が保管されている。
6.OACIS study
阪神地区の25施設で収集された急性心筋梗塞の患者を登録した、大阪大学を中心とするプロジェクト。Osaka Acute Coronary Insufficiency Studyの略。
7.東北メディカル・メガバンク、いわて東北メディカル・メガバンク
東日本大震災被災地の復興を目的に取り組まれているコホート調査。被災された地域住民に長期的な健康支援を行うとともに、個別化医療、個別化予防を実現することを目標にしている。東北大学に東北メディカル・メガバンク機構、岩手医科大学にいわて東北メディカル・メガバンク機構が設置されている。
8.JPHC study(多目的コホート研究)
生活習慣病における予防要因・危険要因を明らかにし、日本人の生活習慣病の予防と健康寿命の延伸に役立てることを目的にしているコホート研究であり、全国11保健所と国立がん研究センター、国立循環器研究センターを中心に研究が行われている。Japan Public Health Center-based Prospective Studyの略。
9.J-MICC study(日本他施設共同コホート研究)
生活習慣病の発生に関わる要因を生活環境と遺伝要因の両方から調査するための分子疫学によるコホート研究。2005年に開始され、全国から10万人以上の健常者が参加している。Japan Multi-Institutional Collaborative Cohort Studyの略。
10.個別化医療
従来から行われている医療では、病気が診断されると全ての人に画一的な治療が行われていた。個別化医療では同じ病気に罹患しても、遺伝子情報などをもとに、一人一人に最適な治療を行う。
共同研究グループ
理化学研究所生命医科学研究センター
循環器ゲノミクス・インフォマティクス研究チーム
研修生 松永 紘(まつなが ひろし)
(東京大学大学院医学系研究科 循環器内科学 大学院生)
チームリーダー 伊藤 薫(いとう かおる)
特別研究員 小山 智史(こやま さとし)
客員研究員 尾崎 浩一(おざき こういち)
(国立長寿医療研究センター メディカルゲノムセンター 臨床ゲノム解析推進部 部長)
客員研究員 尾内 善広(おのうち よしひろ)
(千葉大学大学院 医学研究院 公衆衛生学 准教授)
研修生 家城 博隆(いえき ひろたか)
(東京大学大学院医学系研究科 循環器内科学 大学院生)
ゲノム解析応用研究チーム
客員主管研究員 鎌谷 洋一郎(かまたに よういちろう)
(東京大学大学院新領域創成科学研究科 メディカル情報生命専攻 複雑形質ゲノム解析分野 教授)
客員主管研究員 高橋 篤(たかはし あつし)
(国立循環器病研究センター 研究所病態ゲノム医学部 部長)
客員研究員 秋山 雅人(あきやま まさと)
(九州大学大学院 医学研究院 眼病態イメージング講座 講師)
研修生 坂上 沙央里(さかうえ さおり)
統合生命科学研究センター(研究当時)
副センター長 久保 充明(くぼ みちあき)
東京大学大学院医学系研究科 循環器内科学
(東京大学医学部附属病院 循環器内科)
教授 小室 一成(こむろ いっせい)
講師 森田 啓行(もりた ひろゆき)
講師 赤澤 宏(あかざわ ひろし)
特任助教 野村 征太郎(のむら せいたろう)
東京大学大学院新領域創成科学研究科 メディカル情報生命専攻 クリニカルシークエンス分野
教授 松田 浩一(まつだ こういち)
東京大学 医科学研究所 人癌病因遺伝子分野
教授 村上 善則(むらかみ よしのり)
大阪大学大学院 医学系研究科 循環器内科学
教授 坂田 泰史(さかた やすし)
招へい教員 砂 真一郎(すな しんいちろう)
東北大学 東北メディカル・メガバンク機構
機構長 山本 雅之(やまもと まさゆき)
医療情報ICT部門 ゲノム医療情報分野
教授 荻島 創一(おぎしま そういち)
予防医学・疫学部門
教授 寳澤 篤(ほうざわ あつし)
東北大学大学院 循環器内科学
准教授 坂田 泰彦(さかた やすひこ)
岩手医科大学 いわて東北メディカル・メガバンク機構
機構長 佐々木 真理(ささき まこと)
メガバンク・データ管理部門
客員准教授 佐藤 衛(さとう まもる)
国立がん研究センター
疫学・予防研究グループ 疫学研究部
部長 岩崎 基(いわさき もとき)
室長 澤田 典絵(さわだ のりえ)
室長 山地 太樹(やまじ たいき)
社会と健康研究センター
センター長 津金 昌一郎(つがね しょういちろう)
佐賀大学 医学部医学科 社会医学講座
教授 田中 恵太郎(たなか けいたろう)
徳島大学大学院 医科学教育部・医学研究科 社会環境医学講座 予防医学分野
教授 有澤 孝吉(ありさわ こうきち)
九州大学医学研究院 連携総合診療内科学
准教授 池崎 裕昭(いけざき ひろあき)
近畿大学医学部・大学院医学研究科 公衆衛生学
准教授 高嶋 直敬(たかしま なおゆき)
広島大学大学院 医学系研究科 口腔保健疫学
教授 内藤 真理子(ないとう まりこ)
名古屋大学大学院 医学系研究科 予防医学
教授 若井 建志(わかい けんじ)
滋賀医科大学医学部(研究当時)
客員教授 田中 英夫(たなか ひでお)
研究支援
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)「オーダーメイド医療の実現プログラム」の支援を受けて行われました。
原論文情報
Hiroshi Matsunaga, Kaoru Ito, Masato Akiyama, Atsushi Takahashi, Satoshi Koyama, Seitaro Nomura, Hirotaka Ieki, Kouichi Ozaki, Yoshihiro Onouchi, Saori Sakaue, Shinichiro Suna, Soichi Ogishima, Masayuki Yamamoto, Atsushi Hozawa, Mamoru Satoh, Makoto Sasaki, Taiki Yamaji, Norie Sawada, Motoki Iwasaki, Shoichiro Tsugane, Keitaro Tanaka, Kokichi Arisawa, Hiroaki Ikezaki, Naoyuki Takashima, Mariko Naito, Kenji Wakai, Hideo Tanaka, Yasuhiko Sakata, Hiroyuki Morita, Yasushi Sakata, Koichi Matsuda, Yoshinori Murakami, Hiroshi Akazawa, Michiaki Kubo, Yoichiro Kamatani and Issei Komuro, “Transethnic meta-analysis of genome-wide association studies identifies three new loci and characterizes population-specific differences for coronary artery disease”, Circulation: Genomic and Precision Medicine, 10.1161/CIRCGEN.119.002670
発表者
理化学研究所
生命科学研究センター 循環器ゲノミクス・インフォマティクス研究チーム
循環器ゲノミクス・インフォマティクス研究チーム
チームリーダー 伊藤 薫(いとう かおる)
研修生 松永 紘(まつなが ひろし)
ゲノム解析応用研究チーム
客員主管研究員 鎌谷 洋一郎(かまたに よういちろう)
東京大学医学部附属病院
循環器内科
教授 小室 一成(こむろ いっせい)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
東京大学医学部附属病院 パブリック・リレーションセンター(担当:渡部、小岩井)