2022-08-09 国立精神・神経医療研究センター,電気通信大学
国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター(NCNP)神経研究所モデル動物開発研究部の関和彦部長と電気通信大学の舩戸徹郎准教授、富山大学の服部憲明教授、東京大学の四津有人准教授、安琪准教授、白藤翔平助教、太田順教授、加ウェスタンオンタリオ大学の大屋知徹研究員、森ノ宮病院の神尾昭宏主任、三浦教一科長、宮井一郎院長代理、米ジョージア工科大学のGiovanni Martino研究員、伊Foundation Santa LuciaのDenise Berger研究員、Yury Ivanenko部長、伊メッシーナ大学のAndrea d’Avella教授らの共同研究グループは、脳卒中患者の回復度に関する世界的な指標であるFugl-Meyer Assessment(以下FMA) テストを受けている患者の筋活動の特徴の解析によって、FMAがどのような筋活動の回復を評価しているのかを初めて明らかにしました。
脳卒中からの回復にはリハビリテーション(以下リハビリ)が必要ですが、より効果的なリハビリのためには、運動機能の回復度合いを適切に評価することが必須です。この評価に広く用いられているのがFMAスコアですが、このスコアがどのように脳や筋肉の活動の回復を評価しているのかを調べた前例はありませんでした。そこで、本研究ではFMAテスト中の上肢や体幹部の筋肉の活動を筋電図記録という手法で記録し、次に「筋シナジー」という解析方法を用いて、同時に働いている筋肉のグループの数を調べ、さらにその数がFMAスコアの回復と共にどのように変化するか調べました。その結果、脳卒中患者ではこの筋シナジーの数が健常な人に比べて少ないことが分かりました。その理由を調べると、健常者では別々に活動している筋肉のグループ(筋シナジー)が患者においては同時に活動している、つまり筋シナジーの融合が起こっているためであることを発見しました。また、この筋シナジーの融合は重篤な患者ほど顕著に起こっていることが分かりました。筋肉の活動は、脳を含めた神経系によってつくられます。したがって、脳卒中に伴って異なった筋活動を引き起こすべき神経機能が、何らかの仕組みで融合してしまっている事が運動異常の背景にあると思われます。今後は、この融合した神経機能を効果的に分離できるようなリハビリの方法を、FMAスコアを指標にして開発されることが期待されます。
本研究成果は、日本時間2022年8月9日14時に英国Oxford University PressのBrain Communications誌に掲載されました。
研究の背景
脳卒中(脳血管障害)は脳血管の障害によって麻痺やそれに伴う動作機能の低下が生じる病気で、日本には現在 111万人程度(2017年厚生労働白書)の患者がいます。脳卒中後の運動機能を改善するためにはリハビリテーション(リハビリ)が有効であり、効果的なリハビリを行うためには、患者さんの現在の運動機能の状況や個々のリハビリを行った後の回復状況などを適切に評価することが必要です。脳卒中においてこの回復評価に使われる代表的な指標がFMAスコアになります。FMAでは日常で行う様々な動作(上半身の評価の場合約37種類の動作)を患者さんが行い、各動作がどの程度できたのかを医療従事者が見て点数を付けます。FMAは評価法としての高い有効性をもち、広く臨床で用いられていますが、評価に用いられる動作は専門家が経験的に選んだものであり、回復に伴う神経活動の変化といった回復メカニズムの面からFMA自体の妥当性を検証する研究は行われていませんでした。そこで本研究では、FMAの評価動作中の患者の筋活動を解析し、FMAによって算出された点数と回復に伴う筋活動の変化の関係を調べました。
研究の概要
上半身(腕や指の動き)のFMA評価動作中の脳卒中患者(20名)及び健常者(7名)の筋活動を計測し、同時に活動する筋群ごとに分類をして筋活動の解析を行いました。この同時に活動する筋群は筋シナジーと呼ばれ、脳が多数の筋に運動指令を与えるための基本単位と考えられています。すなわち、回復に伴う筋シナジーの変化は、回復に伴う神経系の活動(運動指令)の変化を反映していると考えられています。筋活動の計測にあたって、上半身の動作に関わる活動を網羅的に解析するために、実際に動かす腕や指だけではなく、動作を支える体幹(背中や腹部)の筋肉まで含めた41種類の筋電の活動を計測し(図1A)、解析しました。
はじめに健常者の筋活動の分析を行うことで、13種類の筋シナジー(以下この健常者に共通する筋シナジーを基準シナジーと呼びます)が健常被験者に共通してみられることがわかりました(図1B)。各基準シナジーは、それぞれ上腕、前腕、指、胸部、腹部、体幹後部といった身体の各部位の筋の集合によって構成されていました。37種類のFMAの動作がどの基準シナジーによって構成されているかを調べると、上腕、前腕、指に関わる基準シナジーが順に活動し、同時にすべての動作において体幹後部に対応する基準シナジーが活動していました。脳卒中患者の体幹後部の活動を調べてみると、軽症の患者では健常者に比べて体幹後部の基準シナジーの活動が上昇しているに対して、重症の患者では逆に減少していることがわかりました。これらの結果は、上半身すべての動作において体幹後部の活動が重要であり、タスクの遂行がうまくできなかった重症患者では、体幹がうまく使えていなかった可能性が明らかになりました。
次に、FMAスコアによって評価された回復度と筋シナジーの変化を調べるため、基準シナジーと各患者の筋シナジーの間の相関を計算しました。その結果、軽症患者では基準シナジーと患者の筋シナジーの間に1対1の対応関係があるのに対して、重症になるに従って対応が崩れ、各患者の筋シナジーは複数の基準シナジーが融合するように構成されていることが判明しました(図2A)。さらにFMAスコアが低下(重症度が上昇)した患者ほど基準シナジーの融合度が高いことがわかりました(図2B)。機能低下が顕著な重症の患者では、運動指令を個々の基準シナジーごとに与えられずに(融合した)不必要な筋シナジーが同時に活動していると考えられ、このような神経系の性質がFMAスコアに反映されていることが、この結果からわかりました。これにより、FMAの回復評価が神経系で見られる筋シナジーの性質を反映しているという裏付けをはじめて行ったことになります。
我々はさらに、このFMAスコアと筋シナジーの融合度の相関の関係からFMAの各動作の妥当性を評価し、全37動作のうち26動作では相関が存在し、残りの11動作ではあまり相関がみられないことから、FMAの評価のための動作を26動作に簡略化できる可能性を示しました。
今後の展望
FMAの評価を行うためには、上半身だけで37種類の動作を順に行う必要があり、一回の評価に20~30分の時間が必要でした。本研究で神経活動の性質と各動作の関係を明らかにしたことで、FMAの効果を維持しながら動作を削減し、簡略化できる可能性が示されました。さらに、各動作が筋のどの特徴を評価しているかを明確にしたことで、患者に応じて重点的に評価を行うべきタスクを選択するオーダーメイド評価法につながる可能性も考えられます。評価の簡略化は患者と医療従事者の負担を軽減するとともに、簡略化した評価の頻度を上げることで、より精度の高いリハビリ治療につながります。また本研究では、上半身の筋活動を網羅的に解析したことで、体幹筋群の活動が動作に大きく関与し、回復度によって異なっていることがデータからはじめて明らかになりました。このことはリハビリにおいて体幹筋群を意識することの重要性を示唆しています。このように、本研究で得られたFMAスコアと筋活動の知見は、神経的な裏付けを基にした効果的なリハビリにつながると期待されます。
図1:Fugl-Meyer Assessmentの評価動作の筋シナジー解析と基準シナジーの導出
(A) FMAの上半身回復評価のための37種類の動作中の筋電(41箇所、被験者1名1試行のもの)。横軸は時系列(秒)であり、約10分の筋活動を記録した。 (B) 健常者の筋活動から導出した基準シナジー。同時に活動する筋の組み合わせを筋シナジーと呼び、基準シナジーは健常者に共通して見られた筋シナジーを表す。図の円内の各灰色線は41箇所の各筋に対応する。筋シナジー(基準シナジー)は筋の活動の割合であり、各灰色線に対応した筋の大きさの割合として表現される。円内の各色のデータが各被験者の基準シナジーを表す。円グラフの上の説明は各基準シナジーによって活動する身体部位。
図2:重症度に応じた(基準シナジーからの)筋シナジーの変化
(A) 各患者の筋シナジーと基準シナジーの相関。各行が基準シナジーに対応し、各列が患者の筋シナジーに対応する。黒に近いほど相関が高く、白に近いほど相関が低い。表示している図は左から軽症患者、中間、重症患者のもの。軽症患者では対角に高い相関関係を持つ基準シナジーとの1対1対応みられる一方、重症患者ではこの関係が崩れ、一つの患者のシナジー(列)に複数の基準シナジーとの対応(筋シナジーの融合)が見られる。(B) 筋シナジーの融合度と重症度の関係。患者の筋シナジーにどの程度の基準シナジーの融合がみられるかを解析し、FMAスコアによる重症度(横軸)ごとにまとめたもの。
用語解説
・Fugl-Meyer Assessment:
脳卒中患者の回復度を評価する方法。患者が日常で行われる複数の動作を行い、動作の達成度合いを医療関係者が見て、点数付けを行う。上半身の評価の場合には腕の屈曲や伸展、回旋など、37種類程度の動作を行う。
・筋シナジー:
同時に活動する筋のグループ。中枢神経系からの1つの神経活動は複数の筋を同時に活動させる性質を持ち、この同時に動作する筋の組み合わせを筋シナジーと呼ぶ。複数の筋活動を計測し、主成分分析のような統計的手法を用いて筋の組み合わせを調べることで推定できる。脊髄における神経構造が筋シナジーを構成することが近年わかってきている。
原論文情報
・論文名: “Muscle synergy analysis yields an efficient and physiologically relevant way of assessing stroke”
・著者:舩戸徹郎, 服部憲明, 四津有人, 安琪, 大屋知徹, 白藤翔平, 神尾昭宏, 三浦教一, Giovanni Martino, Denise Berger, 宮井一郎, 太田順, Yury Ivanenko, Andrea d’Avella, 関和彦
・掲載誌:Brain Communications
・URL:https://academic.oup.com/braincomms/article-lookup/doi/10.1093/braincomms/fcac200
・DOI:10.1093/braincomms/fcac200
助成金
本成果は、主に以下の研究助成を受けて行われました。
- 文部科学省科学研究費助成金 26120003, 17H05904, 19H05724, 19H05728
- Italian Ministry of Health GR-2019-12370271
- Italian Ministry of Education, University and Research PRIN 2015HFWRYY
- NICT 委託研究 1870101
お問い合わせ先
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国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター
神経研究所 モデル動物開発研究部 関和彦(せき かずひこ)
国立大学法人 電気通信大学
大学院情報理工学研究科機械知能システム学専攻
舩戸徹郎(ふなと てつろう)
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