運動時に手足の感覚を取捨選択する仕組みを解明 ~シナプス前抑制の脊髄内での機能を霊長類において証明~

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2023-10-25 国立精神・神経医療研究センター ,生理学研究所

国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター(NCNP)神経研究所 モデル動物開発研究部の関和彦部長、窪田慎治室長と、大学共同利用機関法人 自然科学研究機構 生理学研究所(NIPS) 認知行動発達機構研究部門の戸松彩花特任准教授らの共同研究グループは、運動するときに発生する手足の感覚信号が、「シナプス前抑制*1」という仕組みによって調節されており、この調節によって運動が巧みにコントロールされていることを明らかにしました。
大リーグで活躍する大谷翔平選手やイチロー選手のあざやかなバッティングや力強いピッチングは脳が我々の手足を巧みに操っている良い例です。運動中、手足からさまざまな体性感覚信号が随時脳に送られています。例えば手の位置やスピードは筋肉の中にある感覚受容器、また力の大きさは腱にある感覚受容器、バットを持っていればその感触が皮膚の感覚受容器によって、時々刻々と変化する身体の状態が常に信号化されています。そしてその信号は感覚神経を経由して、絶え間なく神経系に伝達されて行きます。この信号量は膨大です。例えば手の動きに関わる筋肉は29個もあり、それぞれが100個を越す感覚受容器を持っています。また、人差し指先端の皮膚だけでも外部からの圧力や温度・痛みに応答する受容器が200個ほど存在します。バッティングで使う身体部位は手だけではないので、果たして全身ではどれほどの数の受容器が関わることになるでしょうか。これら一つ一つが、その時々の身体の状態を常に信号化して脳に伝達し続けるのです。優れたスポーツ選手は、この膨大な感覚情報をもとに、運動をコントロールする能力に長けていると考えられます。しかし、私たちの脳が、膨大な感覚信号をうまく処理しながら、身体運動を実行しているその仕組みは、現在でもよくわかっていません。
今回の研究で、手の感覚信号の脊髄への入力が「シナプス前抑制」という脳の仕組みによって調節されており、膨大な感覚情報の中から有用な情報のみが脳に取り込まれていることが、サルを対象とした動物実験によって証明されました。つまり、シナプス前抑制を操ることで、脳は必要な感覚、不要な感覚を選択して取り込み、それらを用いて巧みな身体運動の制御を実現していることがわかりました。また、このような取捨選択は、触覚信号では見られず、動きの感覚(手足の位置やスピード・力などの感覚、固有感覚*2とよばれる)信号に特異的であることがわかりました。この結果は、感覚運動異常をきたす多くの精神・神経疾患の病態解明やリハビリテーションにおける新規技術開発、および体育やスポーツの現場における運動技術の新たな指導法などに貢献する事が期待されます。この研究成果は、2023年10月25日(水)午後6時(日本時間)に「Nature Communications」オンライン版に掲載されました。

1.研究の背景

ヒトを含めたほ乳類の皮膚・筋肉・関節には、触覚・痛覚・力感覚・位置感覚など様々な信号を受容して脳に伝える細胞(受容器)が多数存在しています。そして、我々が手足を動かす際、それらは現在の身体の状態を刻一刻と脳に送り続けます。例えばバッターがボールを打つ際には、1トンの物を動かせるほどの力が瞬間的にバットにかかります。このように非日常的な力が身体に与えられたとき、全身の受容器は一斉にそれぞれの活動を高めるので、神経系は膨大な量の感覚信号を一斉に受けて、パンク状態になるかもしれません。しかしバッターはそんな状態でも、バットのスイングや足の踏ん張りをコントロールして、狙ったところにボールを弾き飛ばすための動きを続けなくてはなりません。では、我々の脳はこのように膨大で時々刻々と変化する受容器からの情報を、どのように処理して運動をコントロールしているのでしょうか?
身体運動の制御における感覚情報の役割は、古くから関心を集めてきた研究課題であり、さまざまな仮説が提案されてきました。そして、試合中に感じなかったケガの痛みを試合終了後に急に感じ始めるといったアスリートの逸話や、運動中の触覚や聴覚、視覚情報が一時的に低下する現象が実験的にも確認されてきたため、感覚受容器からの信号を運動中に過小評価する仕組みが脳神経系内にある、と考えられてきました。しかし、手足の精緻な運動制御に最も重要である固有感覚も同じように運動中に過小評価されるのか、またその具体的なメカニズムに関しては明らかではありませんでした。

2.研究の概要

研究グループは、手首の屈曲伸展運動をするサルの脊髄を調べることで、運動中の固有感覚信号がどのように処理されているかを解明しました。図1は本研究における発見のまとめです。手首の屈曲時には、受動的に引き伸ばされる手首伸筋・腱から脊髄への固有感覚信号の伝達が、シナプス前抑制の高まりを受けて小さくなります(これを感覚抑制とよびます)。一方手首伸筋が収縮して運動を起こす手首伸展時には、シナプス前抑制が低下して、手首伸筋・腱の固有感覚信号が脊髄に伝達されやすくなります(これを感覚増強とよびます)。このようなシナプス前抑制の調整は、手首屈曲時には長期間持続的に、一方、手首伸展時には動的運動の際に瞬間的に、それぞれ違った時間長で行われていることがわかりました。つまり筋や腱からの固有感覚入力は、運動の目的や内容に応じて、時間的に柔軟に調整されており、この調整は脳がシナプス前抑制を利用することで、脊髄レベルで起こしていることが明らかとなりました。このメカニズムは、健康な動物の感覚情報処理様式を示すとともに、様々な疾患による感覚運動異常を共通して説明しうるものといえます。

図1 研究結果の概要の図

図1 研究結果の概要

以下に研究内容を説明します。本研究ではサルの手首運動中(図2A)に固有感覚の神経終末に生じるシナプス前抑制の大きさを測定しました。情報は神経から神経へと伝達されることで神経系内に広がります。シナプス前抑制が強まることは、信号伝達が抑制されて情報の広がりが抑えられることになり、シナプス前抑制が弱まることは、抑えていた情報が広がりやすくなるということです。シナプス前抑制を測定するために我々が用いたのは、興奮性試験*3と呼ばれる神経終末の電位を評価する手法で、神経終末の電位の高さはシナプス前抑制の強さを示します。我々はこの電位評価のために逆行性電位(ADV、図2C)を観察しました。具体的には、運動中のサルの脊髄にある手首伸筋の感覚神経終末を微弱に電気刺激して(図2B)、手首伸筋の感覚神経束から逆行性電位を測定しました。ADVが大きいとき、シナプス前抑制も大きいといえるため、これが運動中に変化するならば、サルが運動の局面に応じた感覚情報の調整をしているということができます。

実験の方法の図

図2 実験の方法

このようにして、脊髄刺激で誘発されたADVの大きさが運動遂行中にどのように変化するのかを解析しました。運動の局面は、AM:動的運動、AH:筋力維持、PM:受動的運動に分けました(図3A)。その結果、シナプス前抑制の大きさは、運動中いつも一定なのではなく、位相によって変化していることを発見しました。具体的には、手首伸展時には動的局面(AM)だけで一瞬小さくなり、一方、手首屈曲時には持続的に大きくなることがわかりました(図3B)。つまり、筋肉が活動、すなわち収縮する時には、筋肉の状態に関する信号が次の神経細胞に伝わりやすく、逆に筋肉が引き延ばされる時は、その状態が次の神経細胞に伝わりにくくなっていたということです。この結果は、筋の感覚神経から脊髄への信号伝達が、運動の局面に応じてシナプス前抑制により変化している証拠です。

手首運動中の逆行性電位(ADV)の変化を示すグラフ

図3 手首運動中の逆行性電位(ADV)の変化

では何が、このようなシナプス前抑制の変化を起こしているのでしょうか。これを明らかにするためにADVの時間変化を詳しく解析しました。すると、手首伸展時のシナプス前抑制の低下は、筋活動の開始とともに始まり(図4A)、手首が動き始めた時刻とは関係がない(図4B)ことが分かりました。筋活動の開始は脳からの運動指令の始まりを表し、手首の動きの開始は皮膚や筋の感覚受容器の活動増加の始まりを表します。つまり、今回観察されたシナプス前抑制の変化は、運動の結果として生じる末梢の感覚情報からではなく、筋活動を作り出すのと同等の、脳からの運動指令によって引き起こされたということです。この解析によって、脊髄内のシナプス前抑制の調整が脳内の運動指令中枢によって制御されていることが明らかになりました。

ADVの変化のグラフ

図4 ADVの変化は運動指令によって引き起こされる

さらに、シナプス前抑制の変化が、運動の成績とどのような関係にあるか調べました。このため、サルに行わせた手首伸展試行を成功トライアルと失敗トライアルに分類し(図5B)、各トライアルにおいてAM中(図5A、灰色のエリア)に記録されたADVのサイズと比較しました。その結果、ADVのサイズが大きいトライアルは、タスク成功率が高かったことが示されました(図5C)。さらにその原因を調べると、ADVの大きいトライアルでは、手首伸筋の活動が有意に大きい事がわかりました(図5D)。つまり、脳はシナプス前抑制の強さを変化させて筋活動の大きさを制御し、それによって手首の運動を巧みにコントロールしている事がわかりました。

ADVの振幅と運動の成功率との関係を示すグラフ

図5 ADVの振幅と運動の成功率との関係

3.今後の展望

今回の研究で明らかになったシナプス前抑制の運動制御での利用がうまく行われないと、不要な情報処理にエネルギーを使うために疲弊しやすい上に、必要な情報の処理に十分なリソースが割けなくなり、適切で効率的な運動制御ができなくなると考えられます。これは症状として感覚運動異常を示す疾患のいくつかを共通して説明し、新たなリハビリテーション技術の開発につながる成果です。
さらに、シナプス前抑制の運動制御での効率的な利用は、運動学習によるものである可能性が考えられます。アスリートのトレーニングなどに、シナプス前抑制による感覚増強や減弱の考えを取り入れた訓練方法を開発することにより、従来法では実現できないレベルの競技力向上などが期待されます。
また、ヒトの運動をアシストするために開発されるさまざまな機械の開発にも応用が期待できます。例えば、交通事故や神経筋疾患などさまざまな理由によって手足の運動機能に障害をもち、義肢装具を利用される方が多数おられます。生体でのシナプス前抑制の仕組みを義肢装具制御に応用することにより、より「本物」に近い義肢装具が開発でき、障害を持つ方の生活の質の向上が期待されます。そして、人間の機能を一部代行するヒト型ロボットの開発に、生体でのシナプス前抑制の仕組みを搭載することによって、よりヒトに近い動きができるロボットを設計できると期待されます。ヒトに近い動きの実現は、現在我々が暮らす環境に親和性が高いロボットの開発を可能にするでしょう。

用語解説

*1 シナプス前抑制:
神経間の情報伝達を変化させるシナプス機構の一つ。シナプス終末の電位を上昇させることにより、シナプス伝達物質の放出確率が減少し、神経伝達が減弱する。

*2 固有感覚(固有受容感覚):
自己の身体部位の位置や運動に関する感覚。主に筋や腱の中の感覚受容器による。

*3 興奮性試験:
シナプス終末の電位を間接的に計測するための生理学的実験技術。シナプス終末に定電流刺激を与え、その際に末梢神経で記録される逆行性電位の振幅によって、シナプス終末の電位を推定する。

原著論文情報

論文名:” Presynaptic gating of monkey proprioceptive signals for proper motor action”
著者:戸松彩花、金祉希、窪田慎治、関和彦
掲載誌:Nature Communications
DOI/URL:https://doi.org/10.1038/s41467-023-42077-w

助成金

本成果は、主に以下の研究助成を受けて行われました。

  • 文部科学省科学研究費助成金 18020030, 18500315, 20020029, 23300143, 26120003, 26250013, 19H05724, 19H01092, 23H05488
  • 科学技術振興機構 さきがけ
  • 情報通信研究機構 国際共同研究プログラムに基づく日米連携による脳情報通信研究 (22102)
お問い合わせ先

【研究に関するお問い合わせ】
国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター
神経研究所 モデル動物開発研究部 関和彦(せき かずひこ)

【報道に関するお問い合わせ】
国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター 総務課 広報係
自然科学研究機構 生理学研究所 研究力強化戦略室

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