パーキンソン病の発症・進行を抑える新たな治療法の開発に期待
2018-08-30 京都大学,東京都医学総合研究所,量子科学技術研究開発機構
概要
パーキンソン病が、中脳の黒質に分布するドーパミン神経細胞の細胞死により発症することはよく知られています。黒質ドーパミン細胞には、カルシウム結合タンパク質のひとつであるカルビンディンを発現しているグループとそうでないグループがあり、パーキンソン病ではカルビンディンを発現していないグループが発現しているグループに比べて細胞死を起こしやすいことが、これまでの研究によって明らかになっていました。
京都大学霊長類研究所の井上謙一助教、高田昌彦教授らと東京都医学総合研究所、量子科学技術研究開発機構、生理学研究所の研究チームは、サルを用いた実験で、ウイルスベクターを利用して、正常ではカルビンディンを発現していないドーパミン細胞の多くにカルビンディンを人為的に発現させました。その結果、パーキンソン病を誘発する薬剤であるMPTPで起こるドーパミン細胞死を防御することに成功しました。このようなサルでは、パーキンソン病の際に見られる運動症状も軽減していました。このことは、カルビンディンが持つ細胞内カルシウム濃度の調節機能によって、ドーパミン細胞の細胞変性に対する抵抗性が増大したことによるものと考えられます。本研究は、パーキンソン病の発症や進行を抑える新たな治療法の開発に繋がると期待されます。
本成果は、2018年8月中に米国の国際学術誌「Movement Disorders」にオンライン掲載されます。
A:健常時の黒質線条体ドーパミン神経系。ドーパミン細胞にはカルビンディンを発現しているグループと発現していないグループがある。
B:パーキンソン病ではカルビンディンを発現していないグループがより高い頻度で細胞死を起こしている。
C:アデノウイルスベクターを線条体に注入し、逆行性導入によりカルビンディン遺伝子をドーパミン細胞に発現させる。
D:レンチウイルスベクターを直接黒質に注入して、カルビンディン遺伝子をドーパミン細胞に発現させる。
1.背景
パーキンソン病が、中脳の黒質に分布するドーパミン神経細胞の細胞死により発症することはよく知られています。黒質ドーパミン細胞には、カルシウム結合タンパク質のひとつであるカルビンディンを発現しているグループ(主に黒質緻密部背側部に分布;全体の約2割)と、そうでないグループ(主に黒質緻密部腹側部に分布)があります(概念図Aを参照)。パーキンソン病では、カルビンディンを発現していないグループが発現しているグループに比べて細胞死を起こしやすい(概念図Bを参照)ことが、パーキンソン病患者の死後脳やパーキンソン病モデル動物を用いた先行研究によって明らかになっていました。そこで、我々は、正常ではカルビンディンを発現していないドーパミン細胞グループにカルビンディンを人為的に発現させることにより、ドーパミン細胞死を防御し、パーキンソン病の発症や進行を抑えることができると考え、パーキンソン病のサルモデルを用いた実験的アプローチによって、この仮説を検証することに成功しました。
2.研究手法・成果
実験にはマカクザル(カニクイザル)を用いました。カルビンディンを人為的に発現させるために、カルビンディン遺伝子を搭載したウイルスベクターを作製しました。
本研究では、アデノウイルスとレンチウイルスに由来した2種類のベクターを利用しました。アデノウイルスは神経細胞の軸索末端(線維終末)部分から、他方、レンチウイルスは神経細胞の細胞体部分から優位に感染することから、アデノウイルスベクターは黒質ドーパミン細胞が連絡している線条体に注入して逆行性に、レンチウイルスベクターは黒質に直接注入して、脳の片側のドーパミン細胞にカルビンディン遺伝子を導入しました(概念図CおよびDを参照)。
カルビンディンがドーパミン細胞に十分発現したと考えられる数週間後、ウイルスベクターを脳の片側だけに注入したサルに、パーキンソン病を誘発する薬剤として知られているMPTP(1-methy-4-phenyl-1,2,3,6-tetrahydropyridine)を静脈注射により全身投与しました。このようなサルにおいて、運動機能を評価する様々な指標を用いて行動解析を実施した結果、パーキンソン病に特徴的な無動・寡動や筋固縮などの運動症状がウイルスベクターを注入した側に対応する(反対側の)上下肢で軽減していました。また、PET(陽電子放射断層撮影)を用いて線条体におけるドーパミントランスポータ量を測定した結果、ウイルスベクターを注入した側で顕著に維持されていました(下図を参照:Cont コントロール側、CB ウイルスベクター注入側)。
行動解析終了後、実験個体の安楽殺を行い、黒質および線条体を含む脳標本を免疫組織化学的に解析した結果、(1)ウイルスベクターを注入した側において、正常ではカルビンディンを発現していない黒質緻密部腹側部のドーパミン細胞の多くにカルビンディンが発現していたこと、(2)ウイルスベクターを注入した側において、ドーパミン合成に関わるチロシン水酸化酵素の陽性細胞および陽性線維がそれぞれ黒質、線条体で有意に維持されていたこと、(3)ウイルスベクターを注入していないコントロール側において、多数の黒質ドーパミン細胞でアルファシヌクレイン(ドーパミン細胞の変性マーカーとして使用)の発現が増強していたことがわかりました。
以上の所見は、正常ではカルビンディンを発現していない黒質緻密部腹側部のドーパミン細胞にカルビンディンを人為的に発現させることにより、ドーパミン細胞死を防御し、薬剤誘導性のパーキンソン病の発症を抑えることができることを示しており、カルビンディンが持つ細胞内カルシウム濃度の調節機能によって、ドーパミン細胞の細胞変性に対する抵抗性が増大したためであると考えられます。この結果から、「黒質ドーパミン細胞死の防御」という、パーキンソン病に対する新たな予防的治療法の開発に繋がる可能性が示唆されます。
3.波及効果、今後の予定
本研究プロジェクトでは、ウイルスベクターを用いた遺伝子導入技術によって、カルシウム結合タンパク質のひとつであるカルビンディンを、正常ではカルビンディンを発現していない黒質緻密部腹側部のドーパミン細胞に人為的に発現させることにより、ドーパミン細胞死を防御できることを明らかにしました。本研究成果から、パーキンソン病の発症や進行を抑える新たな治療法の開発に発展することが期待されます。
しかしながら、パーキンソン病のサルモデルを用いた実験的アプローチによって得られた本成果を、パーキンソン病患者を対象にした臨床応用に繋げるためには、当該治療法の安全性を検証する必要があります。例えば、カルビンディンなどのカルシウム結合タンパク質の発現を生理的レベルに調節することは、細胞内カルシウム濃度を含む細胞環境(恒常性、ホメオスタシス)を適切に維持するために必要不可欠です。その意味では、ひとつのアプローチとして、iPS細胞を用いたパーキンソン病の再生医療において、移植するドーパミン産生細胞にあらかじめカルビンディン遺伝子を導入しておく、あるいは移植細胞としてカルビンディンを発現するドーパミン産生細胞を選択することが考えられます。
4.研究プロジェクトについて
本研究は、文部科学省科学研究費補助金等の支援を受けて行われました。
用語解説
ドーパミン神経細胞(ドーパミン細胞)
神経伝達物質であるドーパミンを産生する神経細胞。
カルシウム結合タンパク質
細胞内情報伝達機構を制御するカルシウムイオンを特異的に結合させるタンパク質の総称で、特にカルシウムシグナリング(カルシウムイオン依存性の情報伝達)の経路に関わるものを指す。生体内での情報伝達を仲介することによって恒常性の維持から学習や記憶まで、様々な生命現象に関与すると考えられている。
ウイルスベクター
目的遺伝子を搭載し、特定の細胞(本研究では神経細胞)に感染して目的タンパク質を発現するウイルス。
ドーパミントランスポータ
放出されたドーパミンを再取り込みする機能分子で、神経細胞の軸索末端(神経線維終末)部分に発現している。
論文タイトルと著者
タイトル:Recruitment of calbindin into nigral dopamine neurons protects against MPTP-induced parkinsonism(黒質ドーパミン神経細胞へのカルビンディンの導入によるパーキンソン病の防御)
著者:Inoue K, Miyachi S, Nishi K, Okado H, Nagai Y, Minamimoto T, Nambu A, Takada M
掲載誌:Movement Disorders DOI: