加齢に伴う脂質代謝変容から老化の理解へ ~脂質の多様性と加齢変容を解明するリピドームアトラスを構築~

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2024-04-12 理化学研究所,科学技術振興機構,慶應義塾大学,東京農工大学

理化学研究所(理研)生命医科学研究センター メタボローム研究チームの津川 裕司 客員研究員(東京農工大学 工学研究院 准教授)、石原 知明 研究員(研究当時、現 客員研究員)、有田 誠 チームリーダー(慶應義塾大学 薬学部 教授)らの共同研究グループは、加齢に伴って起こる多様な脂質代謝の変化をさまざまな臓器、性別の違い、腸内細菌の有無など多角的な観点から捉え、加齢代謝変容とその分子機序の一端を明らかにしました。

脂質代謝物の構造とその存在量を網羅的に捉える手法「ノンターゲットリピドミクス[1]技術」を用いて、異なる生育段階のマウスにおいて、さまざまな臓器・細胞・血液に含まれる脂質の多様性およびその加齢に伴う変化を網羅的に捉えたリピドームアトラス[2]を構築しました。また、その中で、性別や腸内細菌の有無によって、加齢とともに特定の臓器において脂質代謝物の量が変動することを見いだしました。この基礎的な知見は、ヒトの加齢に伴う脂質代謝変容と疾患リスクとの関連に係る機序の理解につながると考えられます。

本研究は、科学雑誌『Nature Aging』オンライン版(4月12日付:日本時間4月12日)に掲載されました。

マウスを使った脂質代謝多様性とその加齢変容の解明の図
マウスを使った脂質代謝多様性とその加齢変容の解明

背景

生物の体では、さまざまな化学反応によって細胞を構成する部品やエネルギーなどが作られており、この現象を総称して「代謝」と呼びます。代謝によって合成・分解される物質の一つである脂質は、細胞膜成分、エネルギー貯蔵、およびシグナル伝達に関わる生命活動に必須の分子です。多細胞生物は、組織・細胞種によって脂質の種類や量が異なっていることでそれぞれの機能を発揮することができます(図1)。また、腸内細菌においても宿主とは独立して代謝が起こっており、その代謝物が宿主に影響を及ぼしていることも知られています。

脂質の三大機能と脂質構造の図
図1 脂質の三大機能と脂質構造
脂質は細胞膜の主要成分、エネルギー貯蔵、シグナル伝達の役割を担う生命活動に必須の分子である。脂質の構造は、極性基、側鎖、そして結合部によってさまざまな種類が存在し、細胞機能はその脂質代謝物の多様性とそのバランスによって成り立っている。


「年を取ると代謝が落ちる」と言われますが、実際に加齢によって代謝の質や量は変わっていきます。その中でも脂質代謝物の変動は、細胞機能と密接に関連することが予想されますが、脂質代謝物の種類とその存在量は多様であるため、このような脂質分子を一斉に捉え、その加齢変化を網羅的に捉えた研究はほとんどありませんでした。

研究手法と成果

近年、共同研究グループは、生体試料に含まれる脂質代謝物の構造とその存在量を網羅的に捉える「ノンターゲットリピドミクス」という手法を開発し注1)、動物組織に5,000種類以上の多様な脂質代謝物が存在することを実証しました。このノンターゲットリピドミクスの技術を用いて、加齢に伴う脂質代謝変容の大規模な解析に取り組みました。

老化の進み具合は臓器によって異なる他、性別や腸内細菌の構成も影響します。そのため、雄と雌、および通常マウスと無菌マウスの2×2=4条件でマウスを飼育しました。これらの条件で飼育した異なる月齢(2カ月齢、12カ月齢、19カ月齢、24カ月齢)のマウスについて、13の組織(腎臓・肝臓・肺・脾臓(ひぞう)・骨格筋・骨髄・血漿(けっしょう)・耳組織・背中皮膚・腸間膜・小腸・大腸・糞便(ふんべん))を対象に、液体クロマトグラフィータンデム型質量分析(LC-MS/MS)[3]によるノンターゲットリピドミクスを行いました。得られた大規模データは、共同研究グループが開発している代謝物情報の解析プログラム「MS-DIAL[4]」により解析し、合計で2,704種類の脂質分子の構造および定量情報を取得しました(図2)。これは、加齢におけるリピドームの全容を捉えた、世界的にも大規模な脂質代謝に関するデータリソースになります。

脂質代謝の加齢変容解析研究の概要図
図2 脂質代謝の加齢変容解析研究の概要
組織や細胞から有機溶媒を用いて脂質を抽出したものをLC-MS/MSで分析する。得られたマススペクトルデータをMS-DIALを用いて解析したところ、組織ごとにおよそ数百の脂質分子発現情報が得られた。全組織データを合わせると、合計2,704種のユニークな脂質分子情報が得られたことになる。


まず、性差や腸内細菌の有無によらず、加齢に伴って変動する脂質代謝物にどのようなものがあるかを調べました。その結果、ビス(モノアシルグリセロ)リン酸(BMP)[5]と呼ばれる種類の脂質が腎臓、肝臓、肺、骨格筋、脾臓、小腸といった幅広い組織で加齢に伴い上昇することが分かりました(図3)。BMPはリソソームという細胞内小器官で合成される脂質ですが、リソソームの内部は加齢によってpHが上昇することが近年の研究で明らかになっています。この高pHの環境はBMPが合成されやすい条件といわれており、加齢に伴うリソソームの変化とBMP上昇がリンクし、さらなる代謝機能の変化を引き起こしている可能性を示唆しています。

加齢に伴い顕著に変動した脂質の一例の図
図3 加齢に伴い顕著に変動した脂質の一例
高い関連性が見られた臓器の一つである腎臓において、加齢と関連性が高いと判定された代謝物のトップ10を示した。そのうち、本文中で示したBMPの代表的な構造と加齢に伴う発現量変化を示した。


次に、腸内細菌の存在が加齢変化に及ぼす影響を解析しました。無菌マウスには腸内細菌が存在しないため、無菌マウスと通常マウスを比較することで腸内細菌の代謝への影響が評価できます。腸内細菌が産生すると考えられるいろいろな脂質は、その多くが糞便に含まれていますが、その中でスルフォノリピッド(sulfonolipid:SL)と呼ばれる種類の脂質が、加齢に伴い糞便だけでなく肝臓や腎臓など多くの臓器においても検出されることを見いだしました(図4)。SLは免疫調節機構への関与をはじめとする多くの生理活性が報告されています。今後、腸内細菌に由来するSLの詳細な構造決定や生理活性評価といった検証を重ね、SLが宿主側の臓器で検出されるに至るメカニズムも含めた、SLの加齢変容が細胞・組織機能に及ぼす影響を明らかにしていく必要があります。

加齢変容リピドームアトラスとSLの加齢変化の図
図4 加齢変容リピドームアトラスとSLの加齢変化
左)本研究で取得した脂質のうち、特に顕著な変動を示した脂質クラスの若齢・老齢間、腸内細菌の有無、そして雌雄差の変動率を示している。加齢で増加した脂質は上向き三角、減少した脂質は下向き三角で表示されている。また、無菌マウスより通常マウスで多かった脂質はオレンジ色で示す。スルフォノリピッド(Sulfonolipid、赤で表示)は、通常マウスにおいて多くの臓器で検出され、加齢に伴い増加していることが分かる。
右)SLの構造と構造決定の根拠になっているタンデムマススペクトル(MS/MS)を示している。糞便だけでなく腎臓・血漿・脾臓でも加齢に伴い検出されたSL分子のプロファイルデータ。


また、脂質と糖が結合した糖脂質の一種「糖セラミド」の腎臓における発現量が、雌よりも雄の方が顕著に多いことも明らかになりました。加えて、糖が二つまたは三つ付加したタイプの糖セラミド分子については加齢に伴って発現量が上昇する傾向も見られました(図5)。同じ雄マウスの腎臓についてRNA-seq[6]による遺伝子発現解析を行ったところ、セラミドにガラクトースという種類の糖を付加する代謝酵素(タンパク質)UGT8を発現する遺伝子Ugt8aの発現量が顕著に多いことを見いだしました。詳細な質量分析を行ったところ、この糖セラミドを構成する糖はガラクトースであるということがわかりました。つまり、雄マウスではUGT8が多く働くことによって多量の糖セラミドが作られていると考えられます。

さらにRNA-seqデータの解析を進めたところ、雄マウスにおいて加齢に伴い炎症関連の遺伝子群の発現変動が検出されました。そこで、老齢マウスにUGT8の酵素活性を阻害する薬剤を投与したところ、炎症マーカー遺伝子の発現が抑制される傾向が認められました。このことから、加齢に伴う糖脂質の蓄積は、腎臓における加齢に伴う炎症性変化と関連する可能性があると考えられます。今後、このような腎臓における糖脂質代謝の変化に着目することで、加齢に伴う腎疾患の背後に潜む分子メカニズムの解明につながるかもしれません。

腎臓における糖脂質代謝パスウェイと加齢変容の図
図5 腎臓における糖脂質代謝パスウェイと加齢変容
セラミド分子に糖鎖が付加するパスウェイ(経路)とその脂質代謝変容を表示している。また、本研究にて着目した二つの遺伝子(Ugt8a:ガラクトシルセラミド合成酵素、Ugcg:グルコシルセラミド合成酵素)の発現量を示した。HexCerとHex2Cerについては、HILICモードによって糖異性体を識別した結果を示す。

注1)2020年6月16日プレスリリース「生命の脂質多様性を解明

今後の期待

脂質は生命活動に必須の分子であるため、老化によって脂質代謝が変わるとさまざまな細胞連携・機能が変化すると予想されます。つまり、加齢に伴いリスクが上昇する疾患を解明するためには脂質代謝の理解が重要であるといえます。

今回報告した脂質代謝情報は、加齢と脂質の関係を捉えた、世界的に見ても大規模なデータリソース(リピドームアトラス)であり、基礎生物学や医学・薬学研究に多大な知見を提供するものといえます。今後は、LC-MS/MSを用いたノンターゲットリピドミクスに加え、組織中の代謝物の局在を捉える「空間リピドミクス」や単一細胞における発現量を捉える「シングルセルリピドミクス」などの新たな手法を改良しながら活用することで、今回捉えた脂質代謝の加齢による変容がいつ、どこで、どのように起こるのかを明らかにしていきたいと考えています。

補足説明

1.ノンターゲットリピドミクス
質量分析に導入された全代謝物を、生体分子の種類を限定せずに一斉に解析し、生体試料に含まれる脂質分子の多様性およびその発現量を網羅的に取得する手法。

2.リピドームアトラス
リピドームとは細胞内に含まれる脂質分子全てのことを指し、アトラスは地図を意味する。本研究では生物が持つ脂質代謝物の多様性とその加齢変化を網羅的に捉えたデータリソースを、リピドームアトラスという言葉で表現している。

3.液体クロマトグラフィータンデム型質量分析(LC-MS/MS)
ノンターゲットリピドミクスの核となる計測手法である。液体クロマトグラフィー部では、物性の違いにより生体試料に含まれる代謝物を分離する。さらに、質量分析部においてその質量(正確にはm/z)に基づいて代謝物を分離し、その量を計測する。また同時に、MS/MSと呼ばれる手法により代謝物の部分構造情報を取得することで、代謝物全体の構造を推定することができる。

4.MS-DIAL
津川らが開発を進めるソフトウェアであり、メタボローム解析・リピドーム解析分野において世界で最も頻用される。質量分析データを読み込み、化合物の同定・定量、さらには多検体試料の比較解析も可能である。質量分析データから代謝物情報を抽出することもできる。

5.ビス(モノアシルグリセロ)リン酸(BMP)
脂質は、その極性基や骨格構造によっていくつかの脂質クラスに分けられる。BMPは動物細胞に少量含まれ、リン脂質に属する脂質クラスであり、後期エンドソームやリソソームに多く含まれることが知られている。後期エンドソームにおける脂質の分解の促進や後期エンドソームからのコレステロールやタンパク質の輸送に重要な役割を果たしていると考えられている。BMPはbis (monoglycero) phosphateの略。

6.RNA-seq
RNA-sequencingの略で、ある時点で細胞内に存在する全RNA(トランスクリプトーム)の種類とその発現量を網羅的に解析する方法であり、トランスクリプトーム解析とも呼ばれる。

共同研究グループ

理化学研究所
生命医科学研究センター
メタボローム研究チーム
客員研究員 津川 裕司(ツガワ・ヒロシ)
(東京農工大学 工学研究院 准教授)
チームリーダー 有田 誠(アリタ・マコト)
(慶應義塾大学 薬学部 教授)
研究員(研究当時)石原 知明(イシハラ・トモアキ)
(現 客員研究員、長崎国際大学 薬学部 講師)
テクニカルスタッフⅠ 堀 あや(ホリ・アヤ)
研究生 小笠 晃汰(オガサ・コウタ)
(慶應義塾大学 大学院薬学研究科 後期博士課程)
研修生(研究当時)岩浪 正剛(イワナミ・セイゴウ)
(慶應義塾大学 薬学部 学部生(研究当時))
粘膜システム研究チーム
チームリーダー 大野 博司(オオノ・ヒロシ)
専任研究員 佐藤 尚子(サトウ・ナオコ)
エピゲノム技術研究チーム(研究当時)
チームリーダー(研究当時)蓑田 亜希子(ミノダ・アキコ)
(現 ゲノム情報解析チーム 客員主管研究員、ラドバウド大学(オランダ)准教授)
環境資源科学研究センター
メタボローム情報研究チーム
テクニカルスタッフⅠ 高橋 みき子(タカハシ・ミキコ)
テクニカルスタッフⅠ 山田 豊(ヤマダ・ユタカ)

研究支援

本研究は主に、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業ERATO「有田リピドームアトラスプロジェクト(JPMJER2101、研究代表者:有田誠)」、理研Aging Projectプログラム、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業新学術領域(当時)「『リポクオリティ』領域研究の推進(15H05897、研究代表者:有田誠)」による助成を受けて行われました。その他、データベース・ソフトウェアの維持、実験消耗品費について、JSPS科学研究費助成事業挑戦的研究(開拓)「質量分析インフォマティクスの開拓による生薬作用分子メカニズムの解明(21K18216、研究代表者:津川裕司)」、同基盤研究(C)「老化に伴い発現する脂質代謝異常とその生理学的役割の解明(22K11718、研究代表者:石原知明)」、同基盤研究(A)「脂肪酸代謝ネットワークによる生体制御およびその制御破綻による疾患メカニズムの解明(20H00495、研究代表者:有田誠)」、国立がん研究センター研究推進予算(研究番号2020-A-9)、日本医療研究開発機構(AMED)ムーンショット型研究開発事業(研究番号JP22zf0127007)、NEDDTrim(研究番号22ae0121036h0002)、新興・再興感染症研究基盤創生事業(研究番号21wm0325036h0001)、Brain/MINDS(JP15dm0207001)、JST統合化推進プログラム(研究番号JPMJND2305)、そして武田科学振興財団から助成を受けました。

原論文情報

Hiroshi Tsugawa, Tomoaki Ishihara, Kota Ogasa, Seigo Iwanami, Aya Hori, Mikiko Takahashi, Yutaka Yamada, Naoko Satoh-Takayama, Hiroshi Ohno, Aki Minoda, Makoto Arita, “A lipidome landscape of aging in mice”, Nature Aging, 10.1038/s43587-024-00610-6

発表者

理化学研究所
生命医科学研究センター メタボローム研究チーム
客員研究員 津川 裕司(ツガワ・ヒロシ)
(東京農工大学 工学研究院 准教授)
研究員(研究当時)石原 知明(イシハラ・トモアキ)
(現 客員研究員)
チームリーダー 有田 誠(アリタ・マコト)
(慶應義塾大学 薬学部 教授)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
科学技術振興機構 広報課
慶應義塾 広報室
東京農工大学 総務部総務課広報室

JST事業に関する窓口

科学技術振興機構 研究プロジェクト推進部 ICT/ライフイノベーショングループ
今林 文枝(イマバヤシ フミエ)

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