脳内タウ病変を標的に、認知と運動2つの機能障害を防ぐ新たな治療戦略の創出に期待
2018-12-08 量子科学技術研究開発機構,三重大学,日本医療研究開発機構
発表のポイント
- 紀伊半島南部に多発する認知症(筋萎縮性側索硬化症/パーキンソン認知症複合)において、脳内に蓄積するタウタンパク質1)(以下、タウ)が、もの忘れを含むさまざまな症状の原因となり得ることを明らかにした
- タウの脳内蓄積部位は患者ごとに多様で、蓄積部位に関連した脳機能が障害されている
- タウの脳内蓄積を抑えることで認知機能障害のみならず、運動機能障害などさまざまな症状の治療や予防もできる可能性が示された
概要
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(理事長 平野俊夫、以下「量研」)放射線医学総合研究所脳機能イメージング研究部の島田斉主幹研究員と篠遠仁上席研究員らは、三重大学の小久保康昌招へい教授ら、千葉大学大学院医学研究院・神経内科学の桑原聡教授らと共同で、日本の特定地域に多発する認知症患者に認知機能障害や運動機能障害が生じる原因を解明しました。
認知症や筋萎縮性側索硬化症(ALS)2)、パーキンソン病(PD)3)などの神経難病ではもの忘れなどの認知機能障害だけでなく、しばしば運動機能の障害も見られます。しかし、原因がよくわかっていないため、どちらの障害に対しても十分に効果的な治療が出来ていません。
一方、紀伊半島南部には、ALSに似た進行性の筋萎縮症、PDに似た運動機能障害、意欲低下が目立つ認知機能障害の3症状を特徴とする認知症が多発しており、紀伊ALS/パーキンソン認知症複合(紀伊ALS/PDC)と呼ばれています。認知機能障害に加えて運動機能障害を伴う紀伊ALS/PDCの原因の解明は、さまざまな認知症や神経難病の原因解明や治療・予防の開発にも役立つと期待されています。
これまで、主に紀伊ALS/PDC患者の死後脳を用いた研究では、脳内の病理変化としてタウ蓄積が確認されていましたが、認知機能障害や運動機能障害との関連は十分には明らかとなっていませんでした。そこで、量研で開発した生体脳でタウを可視化するPET4)技術を用いて、さまざまな症状を呈する紀伊ALS/PDC患者を対象にタウ蓄積が多い部位と、臨床症状との関連を調べました。
その結果、認知機能障害が重度な紀伊ALS/PDC患者ほど、広範な脳領域にタウが多く蓄積しており、タウ蓄積量と認知機能障害の重症度が関連していました。さらに、錐体路5)にタウが多く蓄積している患者では、ALS様の運動機能障害が顕著であることを見出しました。
これらのことは、紀伊ALS/PDCにおいてタウの脳内蓄積が多様な臨床症状に関与していることを示すだけでなく、タウの脳内蓄積を認めるさまざまな認知症や神経難病においてタウが発症に関与している可能性をも示唆するものです。今後、脳内タウ病変を標的とした早期診断・治療により、心身機能の低下をもたらす認知機能障害と運動機能障害、両者の予防の実現につながることが期待されます。
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)認知症研究開発事業「タウを標的とする新規画像診断法と治療法の研究開発コンソーシアム構築」、革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明プロジェクト「生体イメージングを用いた前頭側頭型認知症バイオマーカーならびに治療薬の開発」、難治性疾患実用化研究事業「紀伊ALS/PDC 診療ガイドラインの作製と臨床研究の推進」、JSPS科研費JP25305030、JP26713031、平成21~23年度 厚労科研費補助金(難治性疾患克服研究事業)、平成26~28年度 厚労科研費補助金(難治性疾患等政策研究事業)、MEXT科研費JP23111009、JP26117001、公益財団法人 三重医学研究振興会、公益財団法人 精神・神経科学振興財団などの支援を受けて実施されたもので、米国神経学会が発行する同分野において最も注目を集める科学誌の一つである「Neurology」のオンライン版に2018年12月8日午前6時(日本時間)に掲載されます。
補足説明資料
研究開発の背景と目的
日本では人口高齢化などを背景として、アルツハイマー病(AD)6)に代表される認知症や、筋萎縮性側索硬化症(ALS)やパーキンソン病(PD)に代表される神経難病の患者数が右肩上がりに増加しています。認知症や神経難病ではもの忘れなどの認知機能障害のみならず、運動機能障害など多様な症状がしばしば出現しますが、原因がよくわかっていないために、どちらの障害に対しても治療が十分に確立しておらず、病状の悪化や介護負担の増大を招いています。
一方、紀伊半島南部には、ALSに似た進行性の筋萎縮症を伴う運動機能障害、PDに似た運動機能障害、意欲低下が目立つ認知機能障害の3症状を特徴とする認知症が全国平均の10~100倍程度多発しており、紀伊ALS/パーキンソン認知症複合(紀伊ALS/PDC)と呼ばれています。紀伊ALS/PDCでは患者ごとに目立つ症状が異なりますが、近年は地区の高齢化や生活習慣の変化に伴って、ALS様症状の激減とPDCの増加が確認されています。これは病気の原因として、遺伝素因に何らかの環境要因が働いている可能性を示していますが、まだ原因は確定しておらず研究が進められています。
病気の原因に関連するものとして研究が進められている1つとしてタウ蓄積が挙げられます。これまで、紀伊ALS/PDC患者の主に死後脳を用いた研究では、脳内の病理変化としてタウ蓄積が確認されていました。さまざまな認知症や神経難病でも確認されているタウ蓄積と、紀伊ALS/PDCの認知機能障害や運動機能障害との関連を明らかにすることは、紀伊ALS/PDCだけでなく認知症や神経難病におけるこれらの障害の原因解明や治療・予防の開発にも役立つと期待されています。
研究グループはこれまでに、量研が開発したPETにより生体脳でタウを可視化する技術(2013年9月19日プレスリリース)を用いて、アルツハイマー病でみられる意欲低下の症状に関して、脳内タウ蓄積が関与する脳内メカニズムの解明(2018年6月6日プレスリリース)などの成果をあげてきました。そこで本研究では、この技術を用いて、さまざまな症状を呈する紀伊ALS/PDC患者を対象にタウ蓄積が多い部位と、臨床症状との関連を明らかにする研究を行いました。
研究の手法と成果
本研究では、紀伊ALS/PDC患者6名、健常高齢者13名を対象に、量研で開発した生体でタウを可視化するPET薬剤である11C-PBB37)を用いてタウ蓄積が多い部位を調べました。その結果、紀伊ALS/PDC患者では全例で、広範な脳領域にタウ蓄積が多いことが明らかになりました(図1)。
図1 代表的な紀伊ALS/PDC患者におけるタウ蓄積
11C-PBB3 PETで調べた結果、紀伊ALS/PDC患者においては、 健常高齢者と比較して、広範な脳領域にタウが多く蓄積していた(矢印)。
さらに脳の各領域におけるタウ蓄積と、認知機能障害ならびに運動障害の重症度との関連を調べました。その結果、前頭葉、側頭葉、頭頂葉のタウ蓄積が多いほど認知機能障害が重度となり、前頭葉のタウ蓄積が多いほど認知機能障害に関連する精神症状が重度となっていました(図2)。
図2 脳内タウ蓄積と認知機能障害ならびに精神症状との関連
脳内タウ蓄積量が多いほど、認知機能障害も精神症状も重度となる。
一方、ALSに似た運動機能障害を認める症例では、体の運動にかかわる神経細胞の線維が通っている錐体路に、タウが多く蓄積していました(図3)。これは紀伊ALS/PDCにおいて、タウが蓄積する脳領域の機能が障害されて、蓄積量に応じて重度の認知機能障害ならびに運動機能障害が出現していることを示唆する結果と考えられます。
図3 ALS様の運動機能障害を認める症例における錐体路のタウ蓄積
運動神経の線維が走行する錐体路(矢頭)に、タウ蓄積を認める。
今後の展開
紀伊ALS/PDC患者における脳内タウ蓄積が、認知機能障害ならびに運動機能障害と関連していることが示されたことにより、紀伊ALS/PDCにおける神経障害の脳内メカニズムの解明が進むと期待されます。
また、現在は、さまざまな認知症や神経難病の認知機能障害や運動機能障害の各々に対して対症療法を行うことを余儀なくされており、それぞれの治療が互いの症状をかえって悪化させてしまったり、薬の種類が増えることで副作用のリスクが増えてしまったりといったことが生じています。このように、治療の標的が異なるために治療が複雑で困難なものとなりがちですが、脳内タウ病変を標的とした新たな治療戦略により、紀伊ALS/PDCのみならず脳内タウ蓄積がみられる認知症や神経難病の認知機能障害と運動機能障害の両方の治療や予防の実現につながることも期待されます。
用語解説
- 1)タウ
- 神経系細胞の骨格を形成する微小管に結合するタンパク質。細胞内の骨格形成と物質輸送に関与している。アルツハイマー病をはじめとする様々な精神神経疾患において、タウが異常にリン酸化して細胞内に蓄積することが知られている。
- 2)筋萎縮性側索硬化症
- 進行性に重度の筋力低下と筋肉の萎縮が出現する神経難病。一般的に病気の進行が早く、人工呼吸器を使用しなければ約2~5年程度の経過で死に至ることが多い。経過中に、認知機能障害を認めることがある。
- 3)パーキンソン病
- 手足がふるえる、体の動きがゆっくりとぎこちなくなる、転びやすくなるなどの症状が順次進行性に出現する神経難病。かなりの割合の患者で認知機能障害も出現する。
- 4)PET
- 陽電子断層撮影法(Positron Emission Tomography)の略称。身体の中の生体分子の動きを生きたままの状態で外から見ることができる技術の一種。特定の放射性同位元素で標識したPET薬剤を患者に投与し、PET薬剤より放射される陽電子に起因するガンマ線を検出することによって、体深部に存在する生体内物質の局在や量などを三次元的に測定できる。
- 5)錐体路
- 体の動きをつかさどる運動神経の神経線維(軸索)が通る経路のこと。大脳皮質の運動野から脊髄を経て筋肉に至る伝導路で、皮質脊髄路とも呼ばれている。
- 6)アルツハイマー病
- 認知症の原因として最も多い病気。脳内に異常タウタンパクやアミロイドが蓄積して、進行性に物忘れなどが目立つ認知機能障害が出現する。
- 7)11C-PBB3
- 量研が開発した、脳内に蓄積したタウに対して選択的に結合する薬剤。PBB3のPBBはPyridinyl-Butadienyl-Benzothiazoleの略称。蛍光物質であることから、生体蛍光画像を得るのにも利用できるが、PBB3を放射性同位元素で標識することにより、PET薬剤として使用できる。生体蛍光画像は細胞レベルの詳細な観察を可能にするが、脳の深部を観察することは困難である。PETは脳の深部観察を可能にし、ヒトにも応用可能である。
本件に関する問い合わせ先
研究内容について
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構 放射線医学総合研究所 臨床研究クラスタ 脳機能イメージング研究部
主幹研究員 島田斉
報道対応
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構
経営企画部 広報課長 鈴木國弘
AMED事業について
国立研究開発法人 日本医療研究開発機構(AMED)
戦略推進部 脳と心の研究課
戦略推進部 難病研究課