匂いの価値や質が決まるしくみを受容体レベルで解明~求める香りをデザイン可能に~

ad
ad

2019-1-14 東京大学 大学院農学生命科学研究科,科学技術振興機構(JST)

ポイント

  • 匂い物質が引き起こす好き・嫌い、誘引・忌避といった情動や行動が、嗅覚受容体レベルで規定される仕組みの解明を目指しました。その結果、一つ一つの嗅覚受容体は、好きや嫌いといった「価値(意味)」情報を持つことがわかりました。
  • 一般的に、匂い物質は複数の嗅覚受容体を活性化します。匂いが引き起こす情動や行動は、活性化されたそれぞれの嗅覚受容体が持つ「価値(意味)」情報が足し算され、そのバランスで決まることがわかりました。
  • ムスコンという匂い物質は、2種類のムスコン受容体それぞれがオスマウスにとって「好き」という情報を持ちます。また、(Z)-5-tetradecen-1-ol(テトラデセノール;Z5-14:OH)という匂い物質は、3種類のテトラデセノール受容体のうち一番感度の高い受容体にはメスマウスにとって「好き」という情報が、一番感度の低い受容体には「嫌い」の情報が規定されており、両方を活性化した時は「嫌い」の行動が現れることが明らかになりました。薄い濃度では良い匂いだが濃くなると嫌になる現象を説明しています。
  • ヒトの嗅覚では、匂いの「価値(意味)」は匂いの「質」と同等ですが、本研究の結果は、一つ一つの嗅覚受容体には「レモンのような香り」「バラのような香り」など、匂いの「質」が規定されていることを示しています。ヒト嗅覚受容体400個それぞれに規定されている匂いの「質」を明らかにすれば、求めるフレーバー(食品香料)やフレグランス(香粧品香料)をスクリーニングしたりデザインすることが可能になると期待されます。
マウスは約1100種類、ヒトは約400種類の嗅覚受容体注1)を持っていますが、一般的に1種類の匂い物質注2)は複数の嗅覚受容体を活性化し、その結果、好き嫌い、誘引や忌避などの情動や行動が引き起こされることが知られています。しかし、匂いが持つ行動や情動といった価値情報が、嗅覚受容体レベルでどのように規定されているのか、例えば活性化された単一の嗅覚受容体で規定されるのか、複数の受容体が持つ価値情報の足し算なのか、あるいは受容体の活性化パターンが情報を規定しているのか、分かっていませんでした。東京大学 大学院農学生命科学研究科/JST ERATO 東原化学感覚シグナルプロジェクトの東原 和成 教授らの研究グループは、香粧品に汎用される匂いであるムスコン注3)とオスマウスの尿中の匂いであるZ5-14:OH(テトラデセノール)注4)に着目して、この問題に取り組みました。
ムスコンは2種類の嗅覚受容体、テトラデセノールは3種類の嗅覚受容体を活性化します。それぞれの受容体をノックアウトしたマウスを作製して解析した結果、ムスコンでは、2つの受容体それぞれがオスマウスにとって「好き」という価値情報を持っていること、テトラデセノールでは一番感度の高いテトラデセノール受容体は「好き」という価値、一番感度の低い受容体は「嫌い」の価値を持っており、両方の受容体が活性化される時は「嫌い」の忌避行動が表出することがわかりました。つまり、単一の嗅覚受容体が行動を引き起こす価値を規定していること、また、活性化された複数の嗅覚受容体の持つ価値情報の足し算とバランスにより最終行動が規定されていることが明らかになりました。
この成果の応用面としては、例えば、ある匂いの「価値(意味)」、すなわちヒトの嗅覚では匂いの「質」、を規定する嗅覚受容体を見つけることができれば、その受容体をターゲットにその匂いを呈するフレーバー(食品香料)やフレグランス(香粧品香料)をスクリーニングあるいはデザインすることが可能となります。この概念は、より美味しい食品やより芳しい香粧品を創成するためのツールの1つになることが期待されます。
本研究成果は、2019年1月14日(米国東部時間)に「Nature Communications」オンライン版で公開されます。

<発表内容>

生物にとって、外界のシグナルを感知し生存していくために、嗅覚は欠かせない感覚です。そのため、多くの生物は多数の嗅覚受容体を持っており、マウスでは約1100種類にも及びます。一般に、1種類の匂い物質で複数の嗅覚受容体を活性化し、例えばオイゲノールという匂い物質は約45個の嗅覚受容体を活性化します。近年、匂い物質に対して最も感度の高い受容体をノックアウトしたマウスでは、その匂いに対する感受性が下がることが明らかとなり(Sato-Akuhara et al., J. Neurosci., 2016)、単一嗅覚受容体と匂い感受性の関係が示されつつあります。
匂い物質は嗅上皮の嗅覚受容体で感知された後、その情報は嗅球、脳へと伝わっていき、情動・行動を引き起こします。多くの匂い物質はマウスにとって好きでも嫌いでもない中立的な匂いですが、例えばオスマウスの尿に含まれているテトラデセノールはメスマウスに先天的嗜好行動を(Yoshikawa et al., Nat. Chem. Biol., 2013)、キツネの糞に含まれているチアゾール系の匂い物質はマウスに先天的忌避行動を引き起こすことが知られています(Kobayakawa et al., Nature, 2007)。この忌避物質は複数の嗅覚受容体を活性化し、そのうちの1つの嗅覚受容体をノックアウトしても忌避行動はなくならないことが示されています(Saito et al., Nat. Commun., 2017)。一般に匂い物質は数多くの嗅覚受容体を活性化するため、一つ一つの嗅覚受容体と匂いの好き嫌いの関係はこれまで明らかになっていませんでした。
本研究では、比較的少数の嗅覚受容体を活性化する匂い物質であるムスコンとテトラデセノールに着目しました。これらの匂い物質を用いて、嗜好行動(「好き」)の観察に適しているTwo-choice odor-preference test(匂い選択嗜好テスト)という行動実験を行いました。この実験では、ケージに2つの穴が空いていて、その穴から匂いが吹き出しており、マウスがそれぞれの穴に興味を持って鼻を突っ込んでいる時間を測定します。また、嗜好と忌避行動両方の観察に適しているOdor investigation assay(匂い探索行動アッセイ)という行動実験も行いました。この実験では匂い物質をケージの床に置き、興味を持って匂い物質を嗅いでいる時間を測定しました。
ムスコンは2種類の嗅覚受容体を活性化しますが、その2種類の嗅覚受容体を同時に活性化しても、またはそれぞれ単独で活性化しても、オスマウスに「好き」という嗜好行動を引き起こせることが明らかになりました(図1左)。一方、テトラデセノールは3種類の嗅覚受容体を活性化しますが、一番感度の高いテトラデセノール受容体だけを活性化すると嗜好行動が引き起こされ、3種類全てのテトラデセノール受容体を活性化すると忌避行動が起きました(図1右)。一番感度の高いテトラデセノール受容体がノックアウトされたマウスでは、テトラデセノールへの嗜好行動は消失しましたが、忌避行動は残っていました。つまり、テトラデセノールの一番感度の高い受容体は「好き」の価値を持ち、感度の低い受容体は「嫌い」の価値を持つ受容体であり、その両方を活性化すると「嫌い」になることが明らかになりました。
嗜好・忌避行動など匂いの持つ価値が嗅覚受容体レベルでどのように規定されているかは不明でしたが、本研究で、それぞれの嗅覚受容体には匂いの「価値」や「質」などの情報が規定されていて、活性化される嗅覚受容体の持つ情報の足し算とそのバランスで情動や行動が規定されていることがわかりました。本成果はヒト社会での香りの開発に役立つ有効な知見を提供します。すなわち、一つ一つの嗅覚受容体には「レモンのような香り」「バラのような香り」など、匂いの「質」が規定されていることになりますので、ヒト嗅覚受容体約400個それぞれに規定されている匂いの「質」が明らかになれば、ターゲットの嗅覚受容体を見いだしてその匂いの「質」を持つフレーバーやフレグランスを開発することができます(図2)。本研究で明らかにした、匂いが持つ価値や質の情報を規定するしくみは、ヒト社会においてより美味しい食品やより芳しい香粧品を開発するために使える新しい基礎的概念となります。

<参考図>

タイトルとURLをコピーしました