アゲハの色覚神経系の配線

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2022-04-19 生理学研究所

研究概要

アゲハは、これまでに調べられたあらゆる動物の中で、最もすぐれた色覚をもっていることが分かっています。すぐれた色覚系のしくみと進化をさぐる一環として、総合研究大学院大学と生理学研究所を中心とする国際的研究グループは、連続ブロック表面走査型電子顕微鏡で得た連続画像と機械学習法を用いて、アゲハの複眼から入った光の情報が最初に処理される脳領域の配線(コネクトミクス)を明らかにしました。この成果は2022年4月18日発行のCurrent Biologyに掲載されました。
連続ブロック表面走査型電子顕微鏡(Surface block-face scanning electron microscope, SBF-SEM):ブロック状にした試料の表面を、ダイヤモンドナイフで削って撮影することを繰り返し、試料断面の電子顕微鏡連続画像を取得する装置。最大でおよそ1 x 1 x 1 mmの試料の3次元再構築ができる。

研究の背景

20世紀のはじめ、オーストリアの動物学者Karl von Frisch(1973年ノーベル医学生理学賞受賞)は蜜を集めるミツバチが色覚を使って花を選んでいることを証明しました。人間の色覚が、網膜にある青、緑、赤の色センサー(視細胞)による3色性であるように、ミツバチの色覚は紫外線、青、緑に感度をもつ視細胞にもとづく3色性です。人間には見えない紫外線が見える一方、赤の視細胞が無いために赤は見えません。ところが、アゲハはもっと複雑で、複眼には6種の視細胞(紫外線、紫、青、緑、赤、広帯域)があり、色覚には紫と広帯域を除く4種が関わっています。アゲハは、ミツバチよりも、さらには人間よりも、ずっと豊かな色の世界に住んでいるのです(図1)。
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図1.ナミアゲハ・ミツバチ・ヒトの波長弁別能.アゲハには紫外から赤まで色が見えるだけでなく、3波長(紫・青・黄色の矢印)で1nmの波長差を違う色として見分けることができる。

研究の内容

アゲハのすぐれた色覚の基礎にある神経メカニズムを明らかにするために、私たちは複眼に入った光の情報が最初に処理される脳領域である「視葉板」に着目しました。視葉板は、複眼を構成する個眼ひとつひとつに対応するカートリッジという構造でできています。ひとつのカートリッジには一個眼に由来する9個の視細胞(光センサー)と、視細胞からの情報を受け取る4~5個の神経細胞(二次ニューロン)とが束になっています。個眼には視細胞の色感度の組み合わせによって3タイプがあるので、カートリッジもタイプI〜IIIの3つに分けられます。
アゲハの脳から、8個のカートリッジを含む組織を切り出し、連続ブロック表面走査型電子顕微鏡を使って、カートリッジ全体をカバーする約2,000枚の連続電子顕微鏡像を得ました。8個のカートリッジは、タイプIが3つ、タイプIIが3つ、タイプIIIが2つでした。電子顕微鏡像の中で、視細胞と二次ニューロンなど100個あまりの神経細胞をトレースし、さらに機械学習によって、トレースした細胞同士のシナプス結合74,570個を同定しました。
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同定したシナプスを、情報の送り手と受け手を特定するマトリクスとしてまとめた結果、最も多かったのは視細胞から二次ニューロンへの伝達、次いで視細胞同士の相互伝達、二次ニューロン同士の相互伝達、二次ニューロンから視細胞への伝達の順でした(図3)。また、視細胞と二次ニューロンの一部は隣のカートリッジにまで突起を伸ばしてシナプスを作っていました。シナプスが作る回路には、個眼タイプによって多少の違いがありました。視細胞同士の密な結合と隣接カートリッジに入る突起はショウジョウバエには無い特徴で、アゲハの鋭い色覚と関係しているものと考えられます。
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視細胞同士の相互伝達がもつ機能を、図3のマトリクスをもとにシミュレーションしました。視細胞は複眼の中では、光を当てると興奮(細胞の電位がプラス方向に変化)しますが、複眼から視葉板に伸びた末端部では、光の波長によっては抑制(細胞の電位がマイナス方向に変化)されることが分かりました。図4左のグラフにある黒矢頭が、反応が抑制されているところを示しています。この現象は“波長対比性”と呼ばれ、神経が興奮する波長を鋭く研ぎ澄ましてゆく効果があります。色覚のために重要なステップと考えられています。実際に視葉板で視細胞の反応を調べると、予想通りの波長対比性が見つかりました(図4右)。ショウジョウバエでも視細胞の波長対比性は見つかっていますが、それは視葉板のもう一段奥にある視髄で起きている現象であり、かつアゲハと比べてずっとシンプルです。アゲハでは多くの種類の視細胞でとらえられた波長情報の処理が、脳のごく早い段階から始まっていることがわかりました。
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今後の展望

脳での神経細胞のつながりを網羅的に調べる研究は、コネクトミクスと呼ばれます。昆虫のコネクトミクスはショウジョウバエで最も進んでいます。この研究の結果、神経回路の実体を種間で比較することが、初めて可能になりました。アゲハとショウジョウバエの視葉板回路には、予想された通り多くの点で違いが見つかりました。今回の結果は、色覚機能と神経回路の関係をより深く理解するための基礎データとして活用されることが期待されます。アゲハでは、視葉板から一段奥に入った「視髄」での解析が進んでいます。視葉板の解析はミツバチやバッタ類でも進んでいます。比較行動神経科学の研究に、コネクトミクスを活用する時代が来たとも言えます。

著者

松下敦子(総合研究大学院大学・先導科学研究科・講師)
Finlay Stewart(総合研究大学院大学・先導科学研究科・元助教)
Marko Ilić(リュブリャナ大学・生物工学科・博士研究員)
Pei-Ju Chen(総合研究大学院大学・先導科学研究科・修了生)
脇田大輝(総合研究大学院大学・統合進化科学研究センター・特別研究員)
宮崎直幸(生理学研究所・元助教)
村田和義(生理学研究所・教授)
木下充代(総合研究大学院大学・先導科学研究科・准教授)
Gregor Belušič(リュブリャナ大学・生物工学科・准教授)
蟻川謙太郎(総合研究大学院大学・統合進化科学研究センター・教授)

論文情報

•  論文タイトル
Connectome of the lamina reveals the circuit for early colour processing in the visual pathway of a butterfly
•  掲載誌
Current Biology
DOI: https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.03.066

連絡先

•研究内容に関すること
蟻川謙太郎(総合研究大学院大学・教授)

•報道担当
国立大学法人 総合研究大学院大学
総合企画課 広報社会連携係

自然科学研究機構 生理学研究所
研究力強化戦略室

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生物化学工学
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