2019-07-01 国立遺伝学研究所
■ 概要
哺乳類の大脳皮質では、神経細胞の層構造が高度な情報処理に重要です。この層構造の形作りには、胎児期において、神経細胞の生みの親である神経幹細胞(1)が重要な役割を果たします。神経幹細胞が伸ばす放射状突起(2) が「ガイド役」として、神経細胞の移動に使われるのです。放射状突起は、それぞれの神経幹細胞から一本ずつ出ていて、互いに交わらず、脳表面に向かって等間隔に伸びています。この放射状突起が層構造づくりの「足場」の役割を果たすのです(図 1)。しかしながら、この「足場」がつくられるしくみはよくわかっていませんでした。
情報・システム研究機構 国立遺伝学研究所の中川直樹助教らと米国ノースカロライナ大学 Eva S. Anton 博士らの共同研究グループは、マウスを用いた研究で、層構造の「足場」作りに関与する遺伝子を明らかにし、層構造が作られるしくみの一端を明らかにしました。細胞骨格の制御因子の Memo1 遺伝子(3)をマウスでノックアウトすると、神経幹細胞が伸ばす突起が過剰に枝分かれしたり、間隔にばらつきが生じたりして、「足場」が不完全になったのです。このため、神経細胞の動きが乱れて、結果として神経細胞の移動が異常になり、神経細胞の層構造に乱れが生じました。
神経幹細胞が規則的に配列し、神経細胞層づくりの足場となるためには、Memo1 遺伝子が重要だったのです。
図 1:神経幹細胞の放射状突起にみられる等間隔配列と神経細胞層の構築(上)胎児期の大脳皮質では、神経幹細胞は脳室を覆うシートのように局在し、それぞれ一本の放射状突起を脳表面まで伸ばしている。各神経幹細胞の放射状突起は互いに交わらず、等間隔を維持している(タイリング)。神経細胞は、等間隔に並んだ放射状突起の「足場」に沿って移動することで、規則的な層構造を構築する。(下)今回の研究で明らかとなった、Memo1 遺伝子の働きを示した模式図。Memo1 の機能が無いことで、放射状突起の過剰な枝分かれと間隔のばらつきが生じ、神経細胞層の乱れにつながると考えられる。
■ 成果掲載誌
本研究成果は、米国科学雑誌「Neuron」に 2019 年 7 月 2 日(米国東部標準時)に掲載されます。
論文タイトル: Memo1 Mediated Tiling of Radial Glial Cells Facilitates Cerebral Cortical Development (Memo1 を介した放射状グリア細胞のタイリングが大脳皮質形成を促進する)
著者: Naoki Nakagawa, Charlotte Plestant, Keiko Yabuno-Nakagawa, Jingjun Li, Janice Lee, Chu-Wei Huang, Amelia Lee, Oleh Krupa, Aditi Adhikari, Suriya Thompson, Tamille Rhynes, Victoria Arevalo, Jason L. Stein, Zoltán Molnár, Ali Badache, E. S. Anton (中川直樹, Charlotte Plestant, 中川景子, Jingjun Li, Janice Lee, Chu-Wei Huang, Amelia Lee, Oleh Krupa, Aditi Adhikari, Suriya Thompson, Tamille Rhynes, Victoria Arevalo, Jason L. Stein, Zoltán Molnár, Ali Badache, E. S. Anton)
■ 研究の詳細
● 研究の背景
ヒトをはじめ哺乳類の大脳皮質では、神経細胞群が秩序だった6層の神経細胞層をつくり、高度な情報処理を可能にします。胎児期に神経細胞層がつくられる際、神経細胞は、大脳皮質深部の脳室帯に存在する神経幹細胞から分裂し、「神経幹細胞が脳の表面に向かって伸ばす放射状突起」に沿って脳の表層方向に移動し、特徴的な層構造を形成します(図 1)。神経細胞移動の「ガイド役」である神経幹細胞の放射状突起は互いに交わらず、脳表面に向かって等間隔に伸びています(タイリング(4))。したがって、「等間隔に配置された神経幹細胞の放射状突起」は、神経細胞層構築のための足場の役割を持つと考えられます。しかし、放射状突起の等間隔配列、つまりタイリングを決定するしくみはよくわかっていませんでした。
●本研究の成果
本研究では、マウスを用いて、胎仔期の大脳皮質で神経幹細胞の放射状突起が等間隔配列をつくるしくみを調べました。長い放射状突起の維持には細胞骨格の制御が重要だと考え、微小管の制御因子のひとつ mediator of cell motility 1 (Memo1)遺伝子に着目しました。 Memo1 遺伝子をノックアウトしたマウスで、神経幹細胞の放射状突起の形態を調べたところ、放射状突起の過剰な枝分かれが生じ、突起間距離がばらつき、放射状突起の配置が乱れていました(図 2)。
図 2:Memo1 遺伝子のノックアウトが放射状突起に及ぼす影響(左)正常のマウスと Memo1 遺伝子のノックアウトマウスの胎仔脳の神経幹細胞の形態。正常型の神経幹細胞は枝分かれの無い一本の放射状突起を持つ(矢印)のに対して、Memo1 ノックアウトでは、放射状突起に複数の枝分かれ構造が認められた(矢頭)。(右)放射状突起の断面の切片を作製し、放射状突起の分布を観察した(上)。下図は各突起のテリトリーを算出し、面積ごとに色分けしたもの。正常型ではおおよそ等間隔の分布を示すのに対して、Memo1 ノックアウトでは、突起の間隔のばらつきが大きくなっていた。
次に、生まれてすぐの神経細胞が脳表面へと移動する様子を観察したところ、Memo1 ノックアウトマウスでは、足場と なる放射状突起の過剰な分岐が原因となり、脳表面に垂直な方向に移動する神経細胞の割合が減り、水平方向の 移動を示す細胞の割合が増えていました。また Memo1 ノックアウトマウスの成体脳では、神経細胞層に乱れが生じてい ました(図 3)。
3:神経細胞層の構築における Memo1 遺伝子の働き正常型マウスと Memo1 ノックアウトマウスの成体脳で、第 2-4 層の神経細胞(緑)と第 5-6 層の神経細胞(赤)の分布を観察した。正常型マウスの大脳皮質では上層と下層の神経細胞は明確に分かれているが、Memo1 ノックアウトマウスでは、異常な分布を示す神経細胞が観察された(矢頭)。
これらの結果から、Memo1 の働きが無いと放射状突起の形態と配列に異常が生じ、足場が不完全なものとなった結果、神経細胞は正しい移動と層形成ができなくなったと考えられます。
●l 今後の期待
本研究によって、神経幹細胞の規則的な配置が神経細胞の層構築に必要な足場として働き、それにもとづいて神経細胞が組織的に配置されるしくみの一端を明らかにすることができました。
最近、少数の自閉症患者で Memo1 遺伝子の変異が同定されています。本研究で明らかとなった Memo1 欠損による神経幹細胞の配置の異常が、自閉症の発症にどのように関与しているのかが、今後の研究で理解が進むことが期待されます。
■ 用語解説
(注 1) 神経幹細胞
自己複製能と多分化能を併せもった未分化な細胞であり、細胞分裂によって神経細胞を産生する。特に、本研究の対象とした大脳皮質の脳室帯に存在する神経幹細胞は、その細胞体から脳表面まで伸びる長い放射状突起が特徴であり、放射状グリア細胞(Radial glial cell)とも呼ばれる。
(注 2) 放射状突起
大脳皮質・脳室帯の神経幹細胞が、放射方向(脳室帯から脳表面に向かう方向)に伸ばす一本の突起で、先端は脳表面の基底膜と接着している。脳室帯で生まれた神経細胞が大脳皮質の表層方向へ移動する際の足場として働く。
(注 3) Memo1(mediator of cell motility 1)遺伝子
がん遺伝子 HER2 と結合する細胞内アダプター分子として発見されたタンパク質で、微小管の制御によってがん細胞の転移性獲得に関与すると考えられている。その一方で、大脳皮質の発生における Memo1 の役割はこれまでに知られていなかった。
(注 4) タイリング
多細胞組織において、構成細胞(および細胞から伸びる突起)が互いに重ならず、等間隔に分布する分布形式のこと。タイリングの形成によって、組織における構成細胞の効率的な領域支配と機能分担が可能になると考えられる。
■ 研究体制と支援
本研究は、国立遺伝学研究所の中川直樹助教が中心となって、前所属である米国 North Carolina 大学 Neuroscience Center、Eva S. Anton博士の研究室、および現所属である国立遺伝学研究所、神経回路構築研究室(岩里琢治 教授)にて行われました。
本研究は、科研費(19K16281)、早石修記念海外留学助成、米国国立衛生研究所研究費、North Carolina 大学 IDDRC 研究費の支援を受けて実施されました。
■ 問い合わせ先
<研究に関すること>
●国立遺伝学研究所 神経回路構築研究室助教 中川 直樹 (なかがわ なおき)
<報道担当>
●国立遺伝学研究所 リサーチ・アドミニストレーター室広報チーム