iPS細胞を使ってチンパンジーの初期神経発生を誘導~ヒト脳進化の解明に向けたiPS細胞研究に道

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2020-03-17    京都大学

北島龍之介 霊長類研究所博士課程学生(研究当時)、仲井理沙子 同博士課程学生、今村公紀 同助教らの研究グループは、今村拓也 九州大学准教授らと共同で、チンパンジーの皮膚の培養細胞からiPS細胞を作製し、初期胚から胎生期にかけて進行する初期神経発生を細胞培養実験で誘導、解析することに成功しました。

本研究成果は、「進化の隣人」であるヒト以外の霊長類のiPS細胞を使った研究と比較することで、ヒトの初期神経発生の進化的プロセスにおける種固有の遺伝子やメカニズムの解明につながると期待されます。

本研究成果は、2020年2月28日に、国際学術誌「Stem Cell Research」のオンライン版に掲載されました。

図:本研究の概要図

書誌情報

京都新聞(3月13日 27面)に掲載されました。

詳しい研究内容について

iPS 細胞を使ってチンパンジーの初期神経発生を誘導
―ヒト脳進化の解明に向けた iPS 細胞研究に道―

概要

ホモ・サピエンス(=賢いヒト)という名称が表すように、私たちヒトを人たらしめている最大の特徴は高度な知性にあるといえます。それでは、ヒトの知性はどのようにして獲得されたのでしょうか。ヒトの知性の起源について考えるとき、進化的にヒトに最も近縁な現生動物であり、およそ 99%のゲノム情報を共有しているチンパンジーは、「ヒトとは何か?」の理解に最適な比較研究対象となります。とくに、ヒトの基底をなす脳の形成メカニズムの比較は極めて重要で、チンパンジーとヒトの脳がどのように形成され、「いつ、どのように違いが生じるのか」という発生進化の理解が求められます。しかし、チンパンジーやヒトの胚や胎児を用いての脳神経の発生研究を行うことは倫理的に認められず、技術的にも不可能であり、チンパンジーとヒトの脳分化のプロセスやメカニズムは未だ解明されていません。
京都大学霊長類研究所 北島龍之介 博士課程学生( 研究当時、現 m3 社員)、仲井理沙子 同博士課程学生、今村公紀 同助教らの研究グループは、九州大学大学院医学研究院の今村拓也 准教授らとの共同研究で、チンパンジーの皮膚の培養細胞から iPS 細胞を作製し、初期胚から胎生期にかけて進行する初期神経発生を細胞培養実験で誘導、解析することに成功しました。「進化の隣人」であるヒト以外の霊長類の iPS 細胞を使った研究と比較することで、ヒトの初期神経発生の進化的プロセスにおける種固有の遺伝子やメカニズムの解明につながると期待されます。
本成果は、2020 年 2 月 28 日に幹細胞研究の国際学術誌「 Stem Cell Research」にオンライン掲載されました。

1.背景
古今東西、地球上にはさまざまな生物が生息していますが、他の生物とは一線を画し、高度な文明を築くに至った私たちヒトの知性は、一体どのようにして生み出されたのでしょうか。これは、長年にわたる生物学上の大きな命題であると同時に、おそらく誰もが一度は考えたことのある普遍的かつ素朴な疑問でしょう。ヒトの知性の起源を解き明かそうとするとき、霊長類の脳進化の研究が重要となります。とりわけ、進化的にヒトと最も近縁な現生動物であるチンパンジーは、ヒト脳進化解析の比較対象として最適であり、「どうしてチンパンジーとヒトでは違う脳が作られるのか」という問いの中にヒトの知性発達の鍵があると考えられます。この「 違う脳が作られる」メカニズムを解き明かすためには、完成された脳( アウトプット)の比較解析ではなく、チンパンジーとヒトの脳が形成される過程で「いつ」「何が」違うのかというプロセスの解明が不可欠です。そのためには、初期胚から胎生期、胎児期にかけて脳が形成されるプロセス( 初期神経発生)を解析することが必要となりますが、チンパンジーやヒトの胚および胎児の発生を継時的に解析することは倫理的・ 技術的制限から実施することができません。
そこで、ヒト脳進化研究におけるこの課題を解決するアプローチとして、私たちはチンパンジーの iPS 細胞を作製し、神経幹細胞へと分化誘導する培養法を利用することにしました。iPS 細胞から神経幹細胞に至る細胞分化のプロセスを詳細に解析することで、初期神経発生に伴う段階的な遺伝子発現や細胞特性の変遷を明ら
かにし、細胞培養実験でチンパンジーとヒトの初期神経発生を比較できるようになると私たちは考えています。

2.研究手法・成果
iPS 細胞の作製には、京都大学霊長類研究所、同野生動物研究センター熊本サンクチュアリ、および国内の動物園の成体チンパンジー3 個体(24 歳のオス 1 個体、39 歳のメス 2 個体 大型類人猿情報ネットワーク(GAIN)が所管)の皮膚から培養した線維芽細胞を用いました。ヒトの iPS 細胞を作製する方法を参考にして、初期化因子のセットを細胞に遺伝子導入したところ、およそ 1 ヶ月後にヒト iPS 細胞と類似したチンパンジーiPS 細胞のコロニーが出現しました。これらのチンパンジーiPS 細胞はヒト iPS 細胞と同じ培養条件で自己複製し、多能性幹細胞に特徴的な遺伝子発現や三胚葉への分化能力を有することが確認されました。
次に、得られたチンパンジーiPS 細胞から神経幹細胞への選択的な分化誘導培養を実施しました。方法としては、以前にニホンザルの iPS 細胞を使って開発した手法( 2018 年9月 6 日 京都大学プレスリリース)を適用し、神経系の発生を促す化合物を用いた浮遊培養( ダイレクト・ニューロスフェア形成)を行いました。その結果、7 日間の培養で iPS 細胞から神経幹細胞の浮遊塊( ニューロスフェア)が形成され、さらにニューロスフェアを接着培養することでニューロンやアストロサイトへと分化することを確認しました。
そこで、チンパンジーiPS 細胞からニューロスフェアが形成されるまでの 7 日間の分化誘導プロセスに注目し、培養 1、3、5、7日目の細胞運命について解析を行いました。分化誘導前の iPS 細胞および各培養日数の分化誘導細胞を回収し、RNA シークエンスによって遺伝子発現を網羅的に解析したところ、培養 1 日目から 3 日目にかけて「 多能性関連遺伝子の発現消失」と「 初期の神経発生関連遺伝子の発現」が起こり、培養 5、 7 日目になると「 放射状グリア細胞( 脳の神経幹細胞)関連遺伝子の発現」が起こることが分かりました。また、培養 1、3 日目の時点ではまだニューロンへの分化能力はありませんが、培養 5、7 日目になるとニューロン分化能が獲得されることが分かりました。以上より、培養 1 日目から 3 日目の間に細胞運命が多能性から神経系へと切り替わり、培養 3 日目から 5 日目の間にニューロン分化能を獲得することが見えてきました。
生体内の初期神経発生では、多能性をもつ後期のエピブラストから最初の神経系の細胞である神経上皮細胞が誘導され、神経板( のちの神経管)を形成します。神経管の前部から脳が形成され始めると、神経上皮細胞の形態が変わり、ニューロン分化能をもつ放射状グリア細胞へと転換します。同様に、チンパンジーiPS 細胞のダイレクト・ニューロスフェア形成培養では、培養日数に応じて細胞状態が後期エピブラスト( 1 日目)、神経上皮細胞( 3 日目)、放射状グリア細胞( 5、7 日目)と段階的な初期神経発生に対応すると考えられます( 下図参照)。

3.波及効果、今後の予定
今回、チンパンジーiPS 細胞から神経幹細胞への分化誘導プロセスを精査することで、段階的な初期神経発生の進行と遺伝子発現を明らかにすることができました。胚や胎児などの生体試料を使うことができないチンパンジーでは、iPS 細胞の分化誘導系は初期神経発生を解析するツールとして極めて有用であるといえます。また、本研究で使用した分化誘導法は、以前にニホンザルの iPS 細胞から神経幹細胞を誘導するために開発した手法であり、同じ方法でニホンザル、チンパンジー、ヒトの iPS 細胞の分化誘導を行うことができます。したがって、ニホンザル、チンパンジー、ヒトの分化誘導プロセスを解析するための基盤は既に整っており、今後はこの三種間の遺伝子発現の比較によって、ヒトの初期神経発生はチンパンジーやニホンザルと「 いつ」「何が」違うのかを明らかにしていく予定です。さらに、ヒトの初期神経発生に固有の遺伝子を特定し、それらの遺伝子がどのような機能をもっているのかを解明したいと考えています。
こうしたアプローチは、初期神経発生の研究に限りません。今回は、高度な知性を司る脳の発生の視点から研究を行いましたが、チンパンジーとヒトでは身体構造と機能に様々な違いがみられます。iPS 細胞を特定の細胞に分化誘導する実験系を利用すれば、様々な細胞・ 組織の分化プロセスにおける種差やヒト特異性を明らかにすることができます。iPS 細胞をツールにヒト進化の謎に迫る「 幹細胞人類学」が隆興することで、「 ヒトがヒトである」ことを裏付けている遺伝子の探索研究が活発になると見込まれます。

4.研究プロジェクトについて
本研究成果は、以下の事業・研究課題の支援を受けました。
● 日本学術振興会 科学研究費補助金・基盤研究(C)、挑戦的研究(萌芽)(今村公紀)
● 日本学術振興会 特別研究員(DC2)(北島龍之介)
● 日本学術振興会 科学研究費補助金・新学術領域研究(学術研究支援基盤形成)「先進ゲノム解析研究推進プラットフォーム」(今村拓也)
● リバネス研究費 ライフテクノロジーズジャパン賞、オンチップ・バイオテクノロジーズ賞、SCREEN ホールディングス賞、L-RAD 賞(今村公紀)
● 大学連携バイオバックアッププロジェクト 生物遺伝資源新規保存技術開発共同利用研究(今村公紀)
● 自然科学研究機構 新分野創成センターブレインサイエンスプロジェクト(今村公紀)
● 愛知県がん研究振興会 がんその他悪性新生物研究助成金(今村公紀)
● 武田科学振興財団 ライフサイエンス研究奨励(今村公紀)
● 京都大学教育研究振興財団 研究活動推進助成(今村公紀)
● 堀科学芸術振興財団 第 3 部研究助成(今村公紀)
● 京都大学霊長類研究所 共同利用研究(今村公紀、今村拓也)
● 金沢大学がん進展制御研究所 共同研究(今村公紀)
● 自然科学研究機構生理学研究所 共同利用研究(今村公紀)
● 大幸財団 学芸奨励生(仲井理沙子)
● 京都大学理学研究科基金 奨学生(仲井理沙子)

<用語解説>
線維芽細胞 :皮膚などの結合組織を構成する主要な細胞。培養がしやすい細胞であり、マウスやヒトの最初の iPS 細胞が作製された際にも使用された。
初期化因子のセット :ヒト iPS 細胞の作製用に設計された、プラスミド DNA をベクターとしたヒト OCT3/4、
SOX2、KLF4、L-MYC、LIN28、p53 shRNA の 6 因子を使用した。
三胚葉 :身体を構築する外胚葉( 神経など)・ 中胚葉( 筋肉など)・ 内胚葉( 消化管など)の 3 つの胚葉の総称。
神経幹細胞 :神経細胞( ニューロン)とグリア細胞( アストロサイト、オリゴデンドロサイト)を生み出す中枢神経系の幹細胞で、脳を構築する大元となる細胞。
RNA シークエンス解析 :次世代シークエンサーを利用し、細胞内の全ての遺伝子発現( 転写産物)を定量する解析手法。
放射状グリア細胞 :胎児の発生が進むと神経管の前方部が肥大化し、脳の原基である脳胞が形成される。このときに神経上皮細胞の形態が変わり、ニューロンへの分化能をもつ放射状グリア細胞へと転換する。
エピブラスト: 着床前後の初期胚に存在し、胎児をつくる未分化な多能性細胞。
神経上皮細胞: 胎生期の神経板や神経管を構成する、脳の神経幹細胞の元になる細胞。

<論文タイトルと著者>
タイトル Modeling of early neural development in vitro by direct neurosphere formation culture of chimpanzee induced pluripotent stem cells(チンパンジーiPS 細胞の直接的ニューロスフェア形成培養による初期神経発生の再現)
著 者 北島龍之介、仲井理沙子、今村拓也、亀田朋典、小塚大揮、平井啓久、井藤晴香、今井啓雄、今村公紀
掲 載 誌 Stem Cell Research  DOI https://doi.org/10.1016/j.scr.2020.101749

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