2020-08-20 産業技術総合研究所
農研機構と東北大学、産業技術総合研究所は、塩害水田で生育阻害を回避するため、根の張り方を制御する遺伝子(qSOR1、キューソルワン)を世界で初めてイネで発見しました。塩害水田では塩による直接の害だけでなく、塩による土壌物性の変化で土壌が酸欠となり害を及ぼします。今回発見した遺伝子を制御しイネの根を土壌表面に伸長させ、酸欠状態の土中に根を張らせないことで、塩害による収量の減少を軽減できました。本成果は、地球温暖化で増大する高潮のリスクの高い日本や熱帯アジア地域の沿岸部など、塩害が問題となる地域でのイネの収量安定を目指した品種開発に大きく貢献することが期待できます。
塩害は干ばつと並び世界の農業生産に大きな被害をもたらします。例えば、2050年までに世界中で推定50%の農耕地が塩害の影響を受けると予測されています。また、近年の地球温暖化に起因する海面上昇による高潮やスーパー台風の頻発、上流域でのダム建設などの水利用による流量の減少に伴う河口地域での海水の流入により、日本をはじめ世界の多くの沿岸地域で塩害による農作物への被害が増加しています。そこで現在、世界中でイネをはじめとする多くの作物で塩害に強い品種が必要とされています。
農研機構はこれまでにも、根の改良を通した干ばつに強いイネの開発に世界で初めて成功しています。今回、農研機構と東北大学との共同研究により、新たに土壌表面に根を伸長させる「地表根遺伝子(qSOR1遺伝子)」を発見しました。本遺伝子を用いることで、根の改良による塩害に強いイネの開発に世界で初めて成功しました。特定したqSOR1遺伝子は、その導入により塩害による収量の減少を約15%改善しました。本遺伝子は塩害水田で起こる土壌の酸欠状態による被害の回避に有効であり、塩害水田に適したイネの品種改良に利用できます。そのほかに、重粘土水田や老朽化水田、排水不良水田などで問題となっている酸欠土壌での根腐れ防止に役立つと期待できます。本成果は、2020年8月17日発行の国際科学雑誌「米国科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America)」オンライン版に掲載されました。
<関連情報>
予算:JST戦略的創造研究推進事業「環境変動に対する植物の頑健性の解明と応用に向けた基盤技術の創出」、科研費 、運営交付金、塩害環境研究基金
開発の社会的背景
塩害は干ばつと並び世界の農業生産に大きな被害をもたらします。例えば、世界中で2050年までに推定50%の農耕地が塩害の影響を受けると予測されています。また、近年の地球温暖化に起因する海面上昇による高潮やスーパー台風の頻発により、日本をはじめ世界の多くの沿岸地域で塩害による農作物への被害が増加しています。とくに、イネは低地で栽培することが多いため、バングラデシュやベトナムなどの熱帯アジアの沿岸部では、上流域でのダム建設などの水利用による流量の減少もあり、河口地域での海水の流入などによる塩害が頻発しています。日本でも海水の流入という点では、東日本大震災時に津波による塩害で東北地方では稲作がしばらくできなかったことは記憶に新しい出来事です。このような問題を解決するため、世界中で塩害に強いイネ品種の開発が求められています。
研究の経緯
畑で起こる塩害と水田で起こる塩害は、植物に対する作用のしくみが少し異なります。畑では、土中の高濃度の塩そのものが植物細胞にダメージを与えるのに対して、水田では、そのような塩自体の害に加えて、塩に由来する過剰なナトリウムイオン(Na+)によって土壌が緊密化するなど物理的な性質が悪化し、土壌が酸欠状態となりa)b)根腐れなどの生育不良を起こします(図1左)。従来のイネの耐塩性研究や品種改良では、塩による直接的な害のみが対象となっており、土壌の酸欠状態には対応できませんでした。
われわれのグループでは、これまでに根を深くする遺伝子を特定し、干ばつ時に土壌下層の水を利用できるイネの開発を進めてきました。根の形を改良し、土壌中の環境ストレスをうまく避けることで生産性を改善するという発想の品種改良は、非常に独自性の高い研究成果です。今回、われわれは干ばつ対策とは逆に、比較的酸素の多い土壌表面近くに張る根(地表根)を主体にできれば、塩害水田で起こる土壌の酸欠の害をイネが回避できるのではないかと考えました(図1右)。
われわれはインドネシアの一部の水稲が地表根を形成することを過去に発見していました。しかし、これらの品種が塩害水田で栽培されているとの報告はありませんでした。本研究では、これら品種の持つ地表根に関与する遺伝子を特定し、塩害水田でのコメ生産の改善に利用しようと試みました。
図1.塩害水田のストレス環境と根の形との関係(イメージ図)
塩害水田での稲の生育不良の主な原因は、塩による直接の害とともに土壌の物理性の悪化で起こる酸欠です。酸欠状態の土壌でも地表面には酸素があることから、地表根を形成する水稲では、一般的な水稲に比べて多くの根に酸素が供給されるため、塩害水田における被害が軽減されると考えられます。
研究の内容・意義
- イネ地表根遺伝子(qSOR1遺伝子)の同定
遺伝学的な手法により、地表根を形成するインドネシアの水稲(品種名 Gemdjah Beton)から地表根形成に関わる「qSOR1遺伝子」を同定しました。この遺伝子は根の先端で働き、重力方向への根の伸長(重力屈性1))に関与します。Gemdjah Betonではこの遺伝子が機能しないため、根が重力方向に伸長せず、土壌表面に根が張ることが分かりました。また、Gemdjah Betonを含むインドネシアの一部の品種群のみがこのような遺伝子を持つことも明らかになりました。 - 地表根を形成するイネは塩害水田で収量低下を軽減
DNAマーカー選抜育種2)により、ササニシキ(地表根を形成しない一般的な水稲)のqSOR1遺伝子をGemdjah Beton由来の機能しないものと入れ替えました(図2上段)。Gemdjah BetonのqSOR1遺伝子を導入したササニシキは地表根を形成しました(図2下段中央)。つぎに、このイネとササニシキとの収量を塩害水田(塩水濃度0.4%)と通常の水田(塩処理なし)で4年間にわたって比較しました。塩水処理は東北大学大学院生命科学研究科・湛水生態系野外実験施設の水田に塩を含む地下水をくみ上げて行いました。その結果、通常の水田では両者の収量に差はありませんでしたが、塩害水田ではGemdjah BetonのqSOR1遺伝子を導入したササニシキの方がササニシキより15%以上の増収(粗玄米重、4年間の平均)となりました(図3)。本成果から、Gemdjah BetonのqSOR1遺伝子が通常の水田では生育に影響しないものの、塩害水田では根の酸欠を回避し生育を改善できることが明らかとなりました。 - qSOR1遺伝子と似た働きを持つ遺伝子の同定
遺伝子配列解析の結果、イネでqSOR1遺伝子に最も似た遺伝子配列を持っている遺伝子はわれわれが過去に同定したDRO1遺伝子でした。DRO1遺伝子はqSOR1遺伝子と同じように根の形を変える働きを持っています。そこで、DNAマーカー選抜育種により、2つの遺伝子を組み合わせ、いろいろな根の形にイネを改良しました(図4)。2つの遺伝子が共に働くイネでは根が最も深く、両方の遺伝子が機能しないイネでは根が最も浅くなることが分かりました。このように、2つの遺伝子を組み合わせることで、イネの根の形を浅根から深根まで自由に変えることが可能になりました。
図2.qSOR1遺伝子導入による地表根形成
qSOR1遺伝子は、12本あるイネの染色体の7番目にあります。ササニシキの機能するqSOR1遺伝子を交配によりGemdjah Betonの持つ機能しないものに入れ替えると、土壌表面に根が発達することが分かります。(A)イネの染色体イメージ図、(B)水田落水時の土壌表面における根の発達状況。写真中の黄色矢頭:地表根。
図3.塩害水田での地表根形成による増収効果
(A)通常水田と塩害水田での収穫前のイネの様子。通常水田では両品種間に目立った生育の差はみられません(左写真)。一方、塩害水田ではササニシキの葉が茶褐色になっているのに比べ、qSOR1導入系統の葉色は通常水田での状態に近くより健康的であることが分かります(右写真)。(B)塩害水田で育てた際の収量の比較。データは2015年から2018年の4年間の平均収量を表します。塩害水田でqSOR1導入系統が約15%増収していることが分かります。
図4.qSOR1とDRO1遺伝子が根の形へ及ぼす影響
各写真の下の遺伝子名の横の括弧内の記号は、プラスは対象遺伝子が機能することを、マイナスは対象遺伝子が機能しないことを表します。水稲品種IR64において、DNAマーカー選抜育種法により、それぞれの遺伝子の種類(機能型/非機能型)を変えて根の形を比較しています。
今後の予定・期待
今回新たに同定した地表根遺伝子は塩害水田で起こる根の酸欠の回避に有効であり、塩害水田向けのイネの品種改良に利用できることが分かりました。この遺伝子をササニシキに導入した場合、塩害の無い通常の水田栽培において、収量や草型への影響がほとんどなく、倒伏しやすくなるなどの栽培上のデメリットは認められませんでした。なお、この地表根遺伝子はインドネシアの一部の品種しか持っておらず、他地域の水稲にはまだ利用されていない新しい素材と言え、日本を含めて世界中のほとんどのイネ品種で新たな育種利用が期待できます。
本遺伝子は、国内では高潮などによる塩害の被害軽減に役に立つほか、重粘土水田や老朽化水田、排水不良水田、春に稲わらをすき込んだ水田など、酸欠になりやすい水田における根腐れ防止にも役立つことが期待できます。また、海外においてはバングラデシュやベトナムをはじめ多くの沿岸部の湿地帯で頻発する塩害による減収の軽減に本遺伝子が寄与できると考えられます。さらに、鉄過剰などさまざまな原因によっておこる酸欠土壌でも本遺伝子は稲作生産の安定化に役立つことが期待されます。
また、イネには、本遺伝子の仲間が複数存在することが分かりました。これらの遺伝子を組合せることで、地表根のように塩害水田に適した根から干ばつに適した深根まで、さまざまな栽培環境に最も適した根の形に品種改良することが可能です。このような根の改良は、今後ますます不安定化する国内外の栽培環境での稲作生産の安定化に寄与することが期待できます。
さらに、qSOR1遺伝子の仲間はイネ以外の多くの作物にも存在することから、国内外の水はけの悪い農地でのダイズやトウモロコシなどの畑作物の耐湿性改善にこれらの遺伝子は有効であると思われます。
発表論文・引用文献
発表論文:
Kitomi Y, Hanzawa E, Kuya N, Inoue H, Hara N, Kawai S, Kanno N, Endo M, Sugimoto K, Yamazaki T, Sakamoto S, Sentoku N, Wu J, Kanno H, Mitsuda N, Toriyama K, Sato T, Uga Y. Root angle modifications by the DRO1 homolog improve rice yields in saline paddy fields. 米国科学アカデミー紀要
https://www.pnas.org/cgi/doi/10.1073/pnas.2005911117
引用文献・引用サイト:
a) 農林水産省農村振興局, 農地の除塩マニュアル. 2011
b) 日本土壌肥料学会, 津波関連情報(1):津波・高潮による塩害(1). http://jssspn.jp/info/nuclear/post-23.html
用語の解説
- 1) 重力屈性
- 植物の芽や根が重力に対して決まった方向に伸びる性質のこと。芽は重力に対して反対方向に伸びようとするのに対して、根の先端は重力と同じ方向に伸びようとします。これは、植物が土壌中にある水を獲得するのに必要な性質です。
- 2) DNAマーカー選抜育種
- イネの品種間には、DNAの塩基配列に少しずつ違いがあります。この違いを目印(マーカー)とすることで、交雑育種で得られた数多くの個体の中から目的の遺伝子を持つ個体を選抜することができます。この方法を用いて行う育種をDNAマーカー選抜育種といいます。従来の交配育種と比較し、品種開発期間を短縮できるメリットがあります。