2022-02-04 東京大学
池上 花奈(日本学術振興会 特別研究員PD)
馬谷 千恵(生物科学専攻 助教)
岡 良隆(生物科学専攻 名誉教授)
発表のポイント
- 遺伝子改変したメスメダカの脳を丸ごと用いて神経活動を解析する(注1)ことで、脳内GnRH1ニューロン(注2)の高頻度の活動が規則的排卵を起こすことを発見しました。
- 成熟卵巣から出されるホルモン信号と朝夕を知らせる何らかの時間信号がGnRH1ニューロンに伝わることで、このニューロンが活性化されることを明らかにしました。
- 規則的排卵を起こす脳内のしくみは哺乳類以外の多くの脊椎動物に共通すると考えられ、今回の発見により、脊椎動物の排卵を調節する脳内のしくみの理解が進むと期待されます。
発表概要
一般に脊椎動物のメスでは、卵巣が成熟する時期になると排卵を規則的にくり返すようになりますが、このタイミングは生体内のさまざまなホルモンと脳のはたらきによって精密に調節されています。卵巣が成熟してくると、卵巣から性ホルモンが分泌されるようになります。性ホルモンが脳に作用し、脳内のGnRH1ニューロンで作られたGnRHが脳下垂体で放出されることで脳下垂体から生殖腺刺激ホルモンLH(注3)が一時期に大量放出される(LHサージ)(注4)と、排卵が生じることが知られています。しかし、脳内のどのようなしくみで排卵に必要なGnRH・LHの大量放出が生じるのかについては、多くが不明でした。
東京大学大学院理学系研究科の研究グループは、遺伝子改変によりGnRH1ニューロンを標識したメダカの脳を丸ごと用いてこのニューロンの電気活動を記録し、性ホルモンが及ぼす影響を詳細に解析しました。その結果、卵巣から分泌される性ホルモンであるエストロジェン(E)(注5)を介するシグナルと時間を伝えるシグナルの両方がGnRH1ニューロンに伝わることで、排卵に必要なGnRH/LHの大量放出が生じる、というしくみを発見しました。今回の発見により、今後、脊椎動物のメスで正確な排卵を調節する脳内のしくみの理解が進むと期待されます。
発表内容
最も重要な生命現象の一つである生殖を行うことにより、動物は子孫を残します。多くの脊椎動物のメスでは、卵巣が成熟し生殖できる体の状態になると、卵巣では卵胞の成熟と排卵がくり返し起きるようになり、この周期を生殖周期と呼びます。生殖周期は生体内のさまざまなホルモンと脳のはたらきによって精密にコントロールされています。卵胞の成熟にともない卵巣から放出される性ホルモンが脳内に作用する結果、脳の視床下部とよばれる部位にあるGnRHニューロンで作られたGnRHが一定の周期で脳下垂体に大量放出され、そのシグナルにより脳下垂体からLHの一時的な大量放出が起こり、排卵に至ることが一般に知られています(図1)。
図1:脊椎動物において排卵を調節するしくみ
脳に存在する生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)ニューロンからのGnRH放出(GnRHサージ)によって、脳下垂体からの黄体形成ホルモン(LH)の放出(LHサージ)が起こります。LHは血液の流れにのって卵巣に運ばれ、排卵を誘導します。成熟したメスでは、この一連の現象が規則的に起こることで、生殖周期が形成されています。
これまで、生殖を制御する脳内のしくみについては哺乳類を中心に多くの研究が展開されてきましたが、近年、脊椎動物全体の中でも哺乳類はやや特殊な生殖制御のしくみをもつことがわかってきました。そのため、脊椎動物全般において、排卵に必要なLHサージを生じさせるようなGnRHニューロンの活動昂進を起こさせるしくみについては、謎が多く残されていました。
そこで本研究グループは、卵胞が発育したことを脳で検知するしくみの鍵として、卵巣が成熟すると血中に分泌される性ホルモンEに着目しました。これは、メスの血中E濃度が日内変動を示すという本研究グループの先行研究の結果に着想を得ています(文献1)。そして、遺伝子改変が容易な上、毎朝規則的に産卵するなど、生殖神経内分泌学の実験上多くの利点をもつメダカを材料に、遺伝子改変によりGnRH1ニューロンを標識したメダカの脳を丸ごと用いてニューロンの電気活動を記録することで、Eの作用について詳細な解析を行いました。また、Eが脳内のどこに作用するかについての組織学的な解析も行いました。
まず、メダカの丸ごとの脳を用いて、遺伝子改変により蛍光タンパク質GFP(注6)で標識したGnRH1ニューロンの神経活動(電気信号)を記録した結果、GnRH・LHサージの誘起に必要とされる毎秒6回以上の高頻度な神経活動(文献2)が、朝より夕方に多く生じることを見出しました。また、卵巣除去したメスでは、夕方のGnRH1ニューロンの神経活動が低下しましたが、卵巣除去したメスにE含有餌を与えて血中E濃度を上げたところ、神経活動が回復しました(図2)。
図2:卵巣から放出されるエストロジェンがGnRHニューロンの神経活動に及ぼす影響
(A)朝において、GnRHニューロンは卵巣除去したメス、卵巣除去したうえでエストロジェン含有餌を与えたメスとともに、対照群同様の低い神経活動を示しました。一方、夕方には、GnRHニューロンの神経活動は、卵巣除去すると低下し、エストロジェン含有餌を与えると回復しました。(B)生殖周期が1日である(毎日排卵が起こる)メダカにおいて、卵巣からのエストロジェンが夕方にのみGnRHニューロンを活性化させることがわかりました。これが規則的な排卵の誘起につながっていると考えられます。
一方、卵巣除去してもE含有餌を与えても、朝方のGnRH1ニューロンの神経活動は変化しませんでした。この結果から、メスにおける卵巣由来のEの作用は夕方だけに生じることが明らかとなりました。また、一日を通して血中E濃度が低いオスを用いてE含有餌を与えた同様の解析では、メスで見られたような神経活動の変動は見られなかったことから、上記の現象はメスに特異的であることが明らかとなりました。
さらに、Eが脳内のどこに作用しているのかを明らかにするため、Eの結合する受容体が脳内のどの領域のニューロンで作られているかを解析しました。その結果、メダカにおいて3種類が知られているE受容体のうち、Esr2aと呼ばれるタイプがGnRH1ニューロンで作られ機能していることが示唆されました。
さらに、Eが脳内のどこに作用しているのかを明らかにするため、Eの結合する受容体が脳内のどの領域のニューロンで作られているかを解析しました。その結果、メダカにおいて3種類が知られているE受容体のうち、Esr2aと呼ばれるタイプがGnRH1ニューロンで作られ機能していることが示唆されました。
以上の結果から、メスメダカでは、卵胞成熟にともなって卵巣から放出されるEのシグナルが、時間を伝えるシグナルと共にGnRH1ニューロンに伝えられることで、GnRH1ニューロンの神経活動を昂進することが明らかとなりました。このしくみにより、脳は卵胞が成熟したことを感知していると考えられます。すなわち、正確なタイミングでGnRH1ニューロンを興奮させるためには、卵巣からのEに加え、時間を伝えるシグナルも必要であることを見出しました。また、先行研究より、排卵を起こすには複数種類のE受容体が必要であると示唆されていることから、GnRH1ニューロンの神経活動を昂進するためには、(図3)で示したような脳内の経路が関与している可能性が考えられます。今回の発見により、今後、脊椎動物の正確な排卵を調節する脳内のしくみの理解が進むと期待されます。また、本研究成果を足がかりとして、新たな水産増養殖法の開発に向けた研究につながることも期待されます。
図3:エストロジェンシグナルと時間シグナルがGnRHニューロンを活性化させるしくみに関する作業仮説
エストロジェンと結合する受容体は、真骨魚類では3種類が知られています。このうち、エストロジェン受容体(Esr)2aのみがGnRHニューロン自体に発現していることがわかりました。また、Esr1をもつ近傍のニューロンがGnRHニューロンに直接神経突起を伸ばしていることも報告されています(文献3)。3種類のEsrをそれぞれ1種類ずつ機能喪失したメダカは排卵できることから(文献4)、これらのうち2種類以上のEsrがGnRHニューロンの活性化に関与していると考えられます。エストロジェンの効果が夕方のみ、みられたことから、時間シグナルも規則的な排卵の誘起に必要であることが明らかとなりましたが、その正体や脳内のしくみについては今後の研究課題です。
参照文献
1. Kayo D., Oka Y. and Kanda S. Gen Comp Endocrinol 285 (2020): 113272.
2. Hasebe M. and Oka Y. Endocrinol 158 (2017): 2603-2617.
3. Zempo B., Karigo T., Kanda S., Akazome Y. and Oka Y. Endocrinol 159 (2018): 1228-1241.
4. Kayo D., Zempo B., Tomihara S., Oka Y. and Kanda S. Sci Rep 9 (2019): 1-11.
発表雑誌
- 雑誌名
Journal of Neuroendocrinology論文タイトル
Estrogen upregulates the firing activity of hypothalamic gonadotropin-releasing hormone (GnRH1) neurons in the evening in female medaka著者
Kana Ikegami, Sho Kajihara, Chie Umatani, Mikoto Nakajo, Shinji Kanda, Yoshitaka Oka*DOI番号
10.1111/jne.13101
用語解説
注1 丸ごとの脳から神経活動を解析する
小型魚類の脳の特長を活かして、全脳をディッシュに取りだし人工脳脊髄液中に保って実験することにより、生きた動物脳と同様の神経回路を保ったまま、さらには、脳と脳下垂体の機能的結合を保ったまま厳密な神経生理学的実験を行う解析手法。当研究室が世界に先駆けて開発した方法であり、マウスなどの実験動物では実施困難な実験が可能になる。
注2 GnRH1ニューロン
GnRHは生殖腺刺激ホルモン放出ホルモンGonadotropin-Releasing Hormoneの頭文字を取ったホルモンの略称。GnRH1ニューロンは、GnRH1を作り放出する神経細胞を指す。脊椎動物では主に進化の過程で生じた gnrh1~3 の3種の遺伝子が存在するが、メダカなどではgnrh1 がコードする GnRH1が脳下垂体で放出され、それが脳下垂体からの生殖腺刺激ホルモン放出を促進することで、排卵が起きることが知られている。
注3 生殖腺刺激ホルモン
脳下垂体から分泌され、全身の血液循環を介して生殖腺の発達や排卵などを引き起こすホルモン。黄体形成ホルモン(LH)と濾胞刺激ホルモン(FSH)の2種類があるが、脊椎動物一般に、LHの大量放出により排卵が生じることが知られている。
注4 GnRH・LHサージ
LHが一時的に大量に放出されることをLHサージとよび、LHサージが卵巣で排卵を促す引き金となることが脊椎動物一般で知られている。一方、GnRHニューロンの神経突起末端から放出されるGnRHが脳下垂体のLH産生細胞に向かって放出されることによりLH放出が促進されるため、LHサージを引き起こすためのGnRHサージも存在すると考えられている。
注5 エストロジェン(E)
一般に、女性ホルモンともよばれる性ホルモンの一種。主にメスの卵巣でコレステロールからつくられる。血液循環を介して全身に運ばれ、エストロジェンが結合する受容体(エストロジェン受容体)を介してメス特有の二次性徴を引き起こす。脳内にもエストロジェン受容体をもつニューロンがあり、エストロジェンはそのニューロンに特有の反応を引き起こすことが知られている。
注6 GFP
下村脩博士のノーベル賞受賞で有名になった、オワンクラゲがもつ蛍光タンパク質 green fluorescent protein の頭文字を取った略称。この遺伝子を宿主の特定の遺伝子のプロモーターの下流に組み込み、宿主に導入・発現させることにより、特定の遺伝子を発現する細胞だけにGFPを作らせ、蛍光標識することができる。