2022-02-28 京都大学,徳島大学,基礎生物学研究所
京都大学大学院農学研究科 大出高弘 助教、徳島大学バイオイノベーション研究所 三戸太郎 教授、基礎生物学研究所 新美輝幸 教授の共同研究グループは、フタホシコオロギの翅づくりの過程を調べることで、昆虫の翅進化の謎に迫りました。昆虫には、始祖鳥のような翅進化の中間段階を示す決定的な化石が見つかっておらず、翅の起源をめぐる議論は150年以上続いてきました。提唱されてきた仮説は背板起源説/側板起源説/複合起源説の3種類に収斂しますが、いずれの説も決め手を欠く状況です。本研究は、祖先的な発生様式を示すフタホシコオロギの翅づくりの過程を調べることで、この状況を打破することを目指しました。研究グループは、ゲノム編集や外科手術などの手法を駆使することによって、側板ではなく、背板の細胞がコオロギの翅づくりに主導的な役割を果たすことを明らかにしました。さらに、背板を爆発的に肥大化させる細胞の成長シグナルを特定することに成功しました。これらの成果は、祖先無翅昆虫の背中の縁が、成長シグナルの活性の変化によって肥大化することで翅が進化したという背板起源説に近い進化シナリオを支持します。
本成果は、2022年2月21日(現地時刻)に英国の国際学術誌「Nature Communications」にオンライン掲載されました。
1.背景
100万以上の種数を誇る昆虫は、記載されている動物の70%以上を占める地球上最大の動物群です。その現生する昆虫の99%は有翅昆虫であることから、進化の過程で翅を獲得したことはその後の昆虫の大繁栄をもたらす重要なイノベーションであったと考えられます。それでは、昆虫はどのように翅を獲得したのでしょうか?この謎は、実に150年も前から議論が続いているにも関わらず、未だに結論が出ていません。前肢の変形である鳥やコウモリの翼とは異なり、昆虫の翅は肢とは独立した「天使型」をしています。これは、進化の過程で新奇に現れた形質で、単純な形態比較からは起源の特定が困難です。これまでに提唱されている翅の進化を説明する代表的な仮説は3種類に分類できます。昆虫の背側と側方部を構成する部分をそれぞれ背板、側板と呼びます。古典的には背板起源説と側板起源説の二大仮説を巡った論争が続いてきました。それぞれ背板と側板という体の異なる部分を起源として想定しているため、両仮説の主張は相容れず、決着がつかなかったのです。特に、昆虫の翅の進化については、始祖鳥のように進化の中間段階を示すような化石がほとんど見つかっていないことにより、議論が長引いていました。
そんな中、発生生物学や分子生物学分野の進展と、それに伴う遺伝子解析技術の発展により、1990年代から、現存する生物の発生を分子レベルで比較することで生物進化のしくみの解明を目指す進化発生学という分野が生まれました。最近20年の進化発生学の研究から、昆虫の翅の起源としては、古典的な2つの仮説の両方が部分的に正しいとする複合起源説が提唱され、議論は三つ巴の状態となっていました。翅の進化を理解する上で、化石証拠に頼ることができない状況の中で、進化発生学によるアプローチは非常に有効です。しかし、従来研究のモデルとして使用されていた昆虫は、昆虫の系統において派生的な完全変態昆虫(注1)に偏っていました。しかしながら、最初に翅を獲得して空を飛んだ昆虫は、より祖先的な発生様式を示す不完全変態昆虫(注1)であったことに疑いはありません。蛹の段階を経て成虫へと変態する完全変態昆虫と、成虫によく似た姿で生まれてくる不完全変態昆虫との間では発生のしくみに大きな違いがあります。翅の進化機構を理解するためには、翅を持たない祖先的な昆虫と比較して不完全変態昆虫の翅づくりのしくみを知る必要があります。そこで本研究では、不完全変態昆虫であるフタホシコオロギ(図1)をモデルとして、翅がどこからどのように作られるのか、そのしくみを明らかにすることを目指しました。
2.研究手法・成果
本研究では、他の昆虫の研究から明らかにされていたマーカー遺伝子(注2)の発現を調べることでコオロギの翅がどこで形成されるのかを調査しました。その結果、翅のマーカー遺伝子はコオロギの背板と側板の両方で発現を示したため、両者のどちらが翅を作る上で重要なのかわかりませんでした。そこで遺伝子発現をさらに詳しく調べるために、ゲノム編集を利用して特定の遺伝子発現にしたがって緑色蛍光タンパク質を発現するレポーターコオロギを作出しました。その結果、マーカー遺伝子を発現する側板の細胞は筋肉を、背板の細胞は翅を作ることに寄与することが明らかとなりました。背板細胞の翅形成における重要性は、他にも遺伝子ノックアウト実験や、さらには外科的な実験からも支持されました。例えば、幼虫期に背板の側方領域をはさ みで切り取ってしまうと、成虫の翅形成がほぼ完全に阻害されるのです(図2)。このようにコオロギの翅は背板の側方領域に由来することが明らかとなりました。
それでは、背板はどのように大きな翅を作るのでしょうか?本研究では、高速シークエンサーを用いた解析によりコオロギの翅が由来する背板の側方領域で発現する遺伝子群を明らかにしました。特に3種類の細胞間シグナル経路を構成する遺伝子群が背板側方領域で高い発現を示し、実際にこれらのシグナル経路の働きを抑制すると成虫での翅の形成が著しく阻害されました。
以上の研究から、(1)コオロギの翅が背板側方領域に由来すること、(2)背板側方領域の肥大化には3種類の細胞間シグナル経路が大きく関与すること、の二点が明らかになりました。
興味深いことに、翅を獲得する以前に分岐した無翅昆虫を用いた先行研究の結果を考え合わせると、コオロギと無翅昆虫の背板は相同であると考えられます。従って、本研究の結果は、無翅昆虫の祖先の背板側方領域が肥大したことが翅の進化をもたらしたという背板起源説的な進化シナリオを支持します。さらに本研究で示された3種類の細胞間シグナル経路がこの祖先無翅昆虫の背板の肥大化の鍵となったであろうことを示唆します。
3.波及効果、今後の予定
本研究により、不完全変態昆虫の翅がどこからどのようにできるのかが明らかになりました。これによりいよいよ、無翅昆虫の発生がどのように変化することで翅が進化したのか、という150年来の問題の核心部に取り組む準備が整いました。無翅昆虫は有翅昆虫と相同な背板を持ちながら翅を形成することがありません。これはおそらく両者の背板細胞の間で、遺伝子発現状態に違いがあることが要因となっているでしょう。現存する無翅昆虫と有翅昆虫を比較することで、この遺伝子発現の違いをもたらすゲノムの違いを特定することが今後の大きな課題です。本研究で示された背板の肥大化に機能する3種類のシグナル経路はこの課題に取り組むヒントになるでしょう。なぜなら、これらのシグナル経路の活性を変化させるようなゲノムの変化が翅の進化をもたらした可能性があるからです。
4.研究プロジェクトについて
本研究は、京都大学大学院農学研究科 大出高弘 助教、徳島大学バイオイノベーション研究所 三戸太郎 教授、基礎生物学研究所 新美輝幸 教授の共同研究グループにより、日本学術振興会科学研究費助成事業(16K18825「昆虫翅獲得の鍵となった発生機構変化の解明」、16H02596「昆虫翅の起源と多様化の進化機構の解明とその応用」、19H02970「昆虫の局所的な変形を制御する発生機構とその進化」)の助成を受けて行われました。
<用語解説>
注1 完全変態昆虫・不完全変態昆虫
昆虫の発生様式は大きく無変態・不完全変態・完全変態の3種類に分類できる。完全変態昆虫は、幼虫から蛹を経て成虫へと成長する。チョウに代表されるように、成虫は幼虫とは大きく異なる姿を示すことが多い。一方、不完全変態昆虫の幼虫は成虫によく似た姿で孵化し、蛹の段階を経ずに成虫へと成長する。無変態昆虫と不完全変態昆虫の違いは翅の進化の前後いずれに分岐したかによる。すなわち、不完全変態昆虫は幼虫脱皮の過程を通じて徐々に翅を形成するのに対し、無変態昆虫は生涯翅を形成することはない。
注2 マーカー遺伝子
ここでは、異なる系統間で共通祖先に由来する相同な細胞を特定するために用いられる遺伝子のことを指す。ある細胞型において特徴的な発現を示す遺伝子が用いられることが多い。
<研究者のコメント>
約4億年前の地球上で初めて昆虫が空を飛んだ瞬間を想像すると、とてもワクワクしませんか。クモやムカデのように陸上に進出した節足動物は他にもいる中で、どうして昆虫だけが空を飛ぶのでしょうか?代わりにクモが空を飛び回る世界もあり得たのでしょうか?コオロギが教えてくれたことが、数億年という時間軸の中での偶然と必然を感じるきっかけとなったら嬉しいです。(大出)
<論文タイトルと著者>
タイトル:A hemimetabolous wing development suggests the wing origin from lateral tergum of a wingless ancestor(不完全変態昆虫の発生が示す祖先無翅昆虫の背板側方領域からの翅の進化的起源)
著 者:Takahiro Ohde, Taro Mito, Teruyuki Niimi
掲 載 誌:Nature Communications DOI:10.1038/s41467-022-28624-x
<お問い合わせ先>
大出高弘(おおで たかひろ)
京都大学大学院農学研究科・助教
<報道・取材に関するお問い合わせ先>
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徳島大学バイオイノベーション研究所事務室
基礎生物学研究所 広報室