2022-03-30 理化学研究所
理化学研究所(理研)脳神経科学研究センター思考・実行機能研究チームの宮本健太郎チームリーダー、脳機能動態学連携研究チームの節家理恵子研究員、高次認知機能動態研究チームの宮下保司チームリーダー(脳神経科学研究センターセンター長)(研究当時)の研究グループは、脳の前頭葉の別々の部位で評価される、記憶のなじみ深さに対する自信と新しさに対する自信の情報が後部頭頂葉[1]において融合し、統合された内省意識を生み出すことを発見しました。
本研究成果は、内省に起因する精神疾患に対する器質的作用に基づいた生化学・薬理学的治療法の開発や、来るべきデジタルトランスフォーメーション(DX)[2]化社会において重要な基幹技術となる、脳のメタ認知[3]の仕組みに着想を得た効率の良い人工知能・機械学習アルゴリズムの構築に貢献すると期待できます。
今回、研究チームは、記憶への確信度[4]に基づいたギャンブル課題[5]遂行中のマカクサル全脳活動を機能的MRI法[6]によって計測しました。さらに神経活動の薬理学的不活性化実験を組み合わせることで、後部頭頂葉が、互いに相補的な既知の経験に対するなじみ深さへの自信と未知の事象に対する新しさへの自信を統合して、内省に基づいた適応的な意思決定を行うために欠かせない役割を果たすことを発見しました。
本研究は、科学雑誌『Cell Reports』(3月29日付)に掲載されました。
なじみ深さと新しさに対する自信が大脳皮質後部頭頂葉で統合され、内省が生じる
背景
自分自身の思考や知覚などを認知し、主観的に評価する能力を「メタ認知」といいます。メタ認知の中でも、特に自信に基づいた内省はヒトの理性や想像力の基本となる能力です。例えば、文字のかすれた自分の日記を解読するときには、目の前の日記に書かれた文字から読み取れる不確かな情報と、過去に日記を書いたときの不確かな記憶の情報への自信をそれぞれ適切に評価し、組み合わせる必要があります。このような内省におけるメタ認知の統合的な過程はとりわけ重要です。
近年の脳機能イメージング技術の進歩により、知覚への自信判断、記憶への自信判断など、メタ認知的判断の対象となる認知機能によって神経中枢が異なることが分かってきました。一方、脳において分散して処理された自信に関わる情報が脳内で統合されるのか、もし統合されるのであれば、それがヒトの少ない経験や情報をもとに学習・推論を行う能力とどのように関わるのかは分かっていませんでした。
デジタルトランスフォーメーション(DX)化の進む現代社会において、効率の良い人工知能・機械学習アルゴリズムの構築は急務であり、そのためにヒトのメタ認知と内省の脳神経メカニズムの解明が待たれていました。また、このメカニズムが解明されれば、内省に起因する精神疾患に対して新たな治療法を確立できる可能性があります。しかし、ヒトを対象とした研究のみでは適用可能な実験手法が限られ、検証が困難だという課題がありました。
そこで研究チームは、ヒトと近縁で高い知能を持つマカクサルのメタ認知能力を測定する認知行動課題を開発し、機能的MRI法による全脳機能イメージングと神経活動の薬理学的不活性化実験を組み合わせて、神経回路におけるメタ認知の統合過程を検証することにしました。
研究手法と成果
研究チームは、マカクサルがメタ認知に基づく行動を示すかどうかを調べるために、記憶課題を課した後、記憶課題への自らの回答に対する確信度の判断を要求しました。メタ認知に従う確信度の評定には、ギャンブル課題(意思決定後賭けパラダイム:post-decision wagering)を用いました。具体的にはまず、サルは提示される図形がなじみ深いか新しいかを回答し(記憶課題フェーズ)、その後、その回答に対する確信度を判定します(確信度判断フェーズ)(図1)。確信度判断フェーズでハイリスクハイリターン選択肢(高リスク選択肢)を選ぶと記憶課題フェーズに正解だった場合に多量の報酬がもらえるが、不正解だった場合には報酬は全くもらえない、一方でローリスクローリターン選択肢(低リスク選択肢)を選ぶと、正解あるいは不正解にかかわらず少量の報酬がもらえるように設定しました(図1)。
実験の結果、正解のときのほうが不正解のときよりも多く高リスク選択肢を選んだことから、サルは記憶に対する自信、すなわちメタ認知能力に基づいて、適応的な意思決定を行う能力を持つことが確かめられました。
図1 マカクサルの確信度判断課題
サルは、まず画面に連続されて提示される4枚の図形リストを覚えた。その後、画面に提示されるテスト図形が先行して提示された図形リストの中に含まれていた(なじみ深い)か含まれていなかった(新しい)かを回答した(記憶課題フェーズ)。その直後に、サルは記憶課題で正解していたか不正解だったかをギャンブルによって回答した。記憶課題での確信度に従って、もし正解したという自信があれば正解のときのみに報酬がもらえるハイリスクハイリターン選択肢(高リスク選択肢)を、自信がない場合は正解不正解に関わらず報酬がもらえるローリスクローリターン選択肢(低リスク選択肢)を選べば、最終的にもらえる報酬の量が最大になった(確信度判断フェーズ)。
研究チームは過去の研究で、記憶課題遂行中、サルの背側前頭葉[1]が記憶のなじみ深さに対する自信の読み出しに、前頭極[1]が新しさに対する自信の読み出しに欠かせない働きを果たすことを発見していました注1、2)。そこで、サルの背側前頭葉と前頭極それぞれにGABA-A受容体アゴニスト(ムシモール)[7]を微量注入して、その神経活動を一時的に不活性化しました(図2左)。すると、それぞれ、記憶のなじみ深さと新しさの正しい確信度判断に対して特異的に障害をもたらしたものの、確信度判断フェーズの応答時間が長いときほど、不活性化の影響を受けていない方の領域の働きにより、機能低下の一部が補償されてその障害の程度が小さくなることが分かりました(図2右)。
これらの結果から、サルにおいても並列化して処理された複数の自信の情報が統合されることと、その統合により、確信度判断を行うための統一的な内省意識が生じる可能性が示されました。
図2 統合的な内省による自信の読み出し障害に対する補償
前頭極にムシモールを注入すると、新しさに対する自信の読み出しが障害され、記憶課題の正誤に対応した最適な確信度判断を行う成績が低下したが、確信度判断フェーズの応答時間が長いほど、障害の程度が緩和した。不活性化を施していない背側前頭葉で読み出されたなじみ深さに対する自信の情報の参照に基づく、時間のかかる統合的内省プロセスが働いていることが示唆された。
そこで、サルの課題遂行中の全脳活動を機能的MRI法によって測定しました。すると、後部頭頂葉の下頭頂小葉が、記憶課題のフェーズから確信度判断のフェーズまで一貫して、実際の記憶課題成績の正誤に応じて適切に確信度評定ができたときに活動し、メタ認知成績が良いときほど、自信の読み出しに関わる背側前頭葉や前頭極との間の機能的な結合を強めることが分かりました。さらに、確信度判断中にギャンブル課題のリスク選択の決定に関わる前帯状皮質[1]に働きかけることも示されました(図3)。
図3 サルの課題遂行中の機能的MRI法による全活動の測定結果
機能的MRIによる全脳マッピングにより、記憶課題フェーズから確信度判断フェーズにわたり、サルが適応的な確信度判断をしたとき(正解-高リスク、不正解-低リスク)に、不適応的な判断をしたとき(正解-低リスク、不正解-高リスク)に比べて、後部頭頂葉の活動が上昇することが分かった。後部頭頂葉は、確信度判断フェーズに前帯状皮質に働きかけ、前帯状皮質は、高リスク選択時に低リスク選択時よりも強く活動した。
以上の結果により、後部頭頂葉が、既知の経験に対するなじみ深さへの自信と未知の事象に対する新しさへの自信を融合し、統合された内省に基づいた適応的な意思決定を行うために欠かせない役割を果たすことが明らかになりました。
注1)Kentaro Miyamoto et al. Causal neural network of metamemory for retrospection in primates. Science, 357(6352) 687-692 (2017)
注2)Kentaro Miyamoto et al. Reversible Silencing of the Frontopolar Cortex Selectively Impairs Metacognitive Judgment on Non-experience in Primates. Neuron, 97(4) 980-989.e6 (2018)
今後の期待
本研究は、適応的な行動の生成に重要な内省が、脳内に局在するメタ認知評価のシステムからの情報の統合により実現されることを、実験的に初めて証明しました。本研究の成果は、従来もっぱら対症的に処置されてきた内省に関わる精神疾患に対する、器質的作用機序に基づいた生化学的治療法の開発につながります。
ヒトはコンピュータによる機械学習のアルゴリズムと比べて少ない情報を基に学習する能力に長けていますが、その能力の基盤の一つは、本研究で解明された、既知の情報と未知の情報の確からしさを評価し、統合して判断する脳の仕組みにあると考えられます。本研究の成果は、来るべきDX化社会において重要な基幹技術となる、効率の良い人工知能・機械学習アルゴリズムの着想と実装に貢献すると期待できます。
さらに、本研究によって明らかになった後部頭頂葉における統合的な内省を担う神経中枢の存在は、近年、理論神経科学の分野で提唱されている、意識の情報統合理論[8]のアイデアを実験的にサポートするものです。そのため、脳神経科学研究の最も重要な問いの一つである「意識」が生じる仕組みの理論的解明への貢献も期待できます。
補足説明
1.後部頭頂葉、背側前頭葉、前頭極、前帯状皮質
後部頭頂葉は、とりわけヒトとサルを含む霊長類でよく発達した脳の頭頂部の領域で、感覚情報と記憶の統合・動作への出力を伴う高次認知機能に関わると考えられているが、その役割は他の脳領域と比べて十分に解明されていない。脳の前方部の前頭葉外側部に位置する背側前頭葉(9野)、前頭極(10野)は、それぞれ、なじみ深さ、新しさに対する自信が高いときほど活発に活動することが研究グループの過去の研究により分かっている。前帯状皮質は前頭葉の内側部に位置し、複数の行動が選択可能なときに、行動の切り替えに対して重要な働きを果たすことが知られている。
2.デジタルトランスフォーメーション(DX)
デジタル技術の浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させるという理論。その基幹となる人工知能・機械学習技術の直面する問題の一つとして、膨大な量の教師学習データの必要性が挙げられ、それを解決するための効率の良いアルゴリズムの開発が望まれている。
3.メタ認知
自分自身の認知活動(主に思考や知覚など)を認知し、主観的に評価する能力。メタ認知能力に基づいて、ヒトはより効果的な学習を実現していると考えられ、近年、教育分野でも重要な能力の一つとして注目されている。
4.記憶の確信度
記憶のなじみ深さに対する自信と新しさに対する自信の度合い。確信度の判断には、自分の認知活動の一つである記憶を主観的に評価するメタ認知能力が必要となる。
5.ギャンブル課題
言語による報告のできないサルの記憶想起課題における確信度を知るために、意思決定後賭けパラダイムと呼ばれるギャンブル課題を用いた。ギャンブルによってサルが手に入れる報酬(ジュース)の量は、先行する記憶課題において、サルが正解したか、不正解だったかによって決定されていた。サルが正しく記憶の想起ができたに違いないと判断したらハイリスクハイリターン選択肢(正解の場合のみに多量の報酬がもらえるのに対し、不正解のときは報酬がもらえないだけでなく課題のできない長い待ち時間が課せられる)を、正しく記憶の想起ができたか分からないときはローリスクローリターン選択肢(正解・不正解に関わらず少量の報酬がもらえる)を選ぶと、最終的にもらえる報酬が最大されるように設定されていたため、このギャンブルによるサルの選択を介して、サルの記憶に対する確信度を知ることができた。
6.機能的MRI法
MRI(磁気共鳴画像装置)を使って、脳の血流反応を計測することにより、脳の活動を非侵襲的に測定する方法。機能的MRI(fMRI)法の基礎となっているBOLD法(Blood Oxygenation Level Dependent法)は、小川誠二博士(現東北福祉大学特任教授)によって発見されたもので、世界で広く用いられている。
7.GABA-A受容体アゴニスト(ムシモール)
脳内の主要な神経伝達物質の一つであるγアミノ酪酸(GABA)と構造が類似し、GABA-Aサブタイプ受容体を活性化して神経活動を抑制する薬物。注入した場所から数ミリメートルの範囲の脳活動のみを、数時間程度、可逆的に抑制できるため、神経生理学研究において広く用いられている。
8.意識の情報統合理論
神経科学者のGiulio Tononiによって提唱された、脳の神経ネットワークの中で単純化できない多様な情報が統合されることで意識体験が生じるという理論。
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究(S)「光遺伝学と磁気共鳴機能画像法の融合による大脳記憶機構の解明(研究代表者:宮下保司)」、理研・研究データ利活用推進支援課題(研究DX化推進ファンド)「覚醒・睡眠・麻酔下の霊長類全脳機能画像データベースの構築(代表者:宮本健太郎)」等による支援を受けて行われました。
原論文情報
Kentaro Miyamoto, Rieko Setsuie, Yasushi Miyashita, “Conversion of concept-specific decision confidence into integrative introspection in primates”, Cell Reports, 10.1016/j.celrep.2022.110581
発表者
理化学研究所
脳神経科学研究センター 思考・実行機能研究チーム
思考・実行機能研究チーム
チームリーダー 宮本 健太郎(みやもと けんたろう)
脳機能動態学連携研究チーム
研究員 節家 理恵子(せついえ りえこ)
高次認知機能動態研究チーム
チームリーダー(研究当時) 宮下 保司(みやした やすし)
(脳神経科学研究センター センター長(研究当時))
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当