2022-12-05 理化学研究所,サントリー生命科学財団,徳島大学,東京大学,京都大学
理化学研究所(理研)生命機能科学研究センター タンパク質機能・構造研究チームの山形 敦史 上級研究員、白水 美香子 チームリーダー、公益財団法人サントリー生命科学財団 生物有機科学研究所 統合生体分子機能研究部の村田 佳子 特任研究員、徳島大学大学院 医歯薬学研究部(薬学域)の難波 康祐 教授、東京大学大学院 農学生命科学研究科 応用生命工学専攻の寺田 透 准教授、京都大学大学院 理学研究科化学専攻の深井 周也 教授らの共同研究グループは、イネ科植物が土壌中のムギネ酸鉄[1]を吸収する機構を、トランスポーター[2]の立体構造解析に基づいて解明しました。
本研究成果は、全陸地の約3分の1を占めるアルカリ性不良土壌[3]の改善に向けた、ムギネ酸[1]やその類縁体を用いた次世代肥料の開発に貢献すると期待できます。
植物は成長に必要な鉄を根から吸収しますが、アルカリ性不良土壌では鉄は水に溶けにくい三価鉄[1]として存在するため、鉄の吸収が著しく阻害されます。一方、イネやムギは根からムギネ酸と呼ばれるキレート剤[4]を分泌し、これが三価鉄と結び付いて水溶性となったムギネ酸鉄を吸収します。ムギネ酸鉄の吸収は根の細胞膜にあるYellow stripe1(YS1)[5]と呼ばれるトランスポーターが担いますが、ムギネ酸鉄を運搬する仕組みはこれまで分かっていませんでした。
今回、共同研究グループはクライオ電子顕微鏡[6]を用いて、YS1とムギネ酸鉄の複合体や、YS1とムギネ酸類縁体・鉄イオンの複合体の立体構造を解析しました。さらに、分子動力学シミュレーション[7]により、YS1がムギネ酸鉄を認識して結合し、根の内側へと輸送する機構の一端を明らかにしました。
本研究は、オンライン科学雑誌『Nature communications』(11月23日付)に掲載されました。
ムギネ酸による鉄獲得戦略とムギネ酸鉄を運搬するトランスポーターYS1の構造
背景
現在、全陸地の約3分の1は植物の生育に適さないアルカリ性不良土壌です。アルカリ性不良土壌では、鉄は水に極めて溶けにくい三価鉄として存在するため、植物の根からの鉄吸収が著しく阻害されます。鉄は全ての生物に必須であり、アルカリ性不良土壌における鉄の吸収阻害が植物の生育阻害の主たる原因の一つと考えられています。
ムギ、イネ、トウモロコシといった主たるイネ科の作物は、根からムギネ酸と呼ばれるキレート剤を分泌します。ムギネ酸は日本人研究者によってムギの根から単離されたもので、英語でもmugineic acidと表記されます。ムギネ酸は三価鉄と結び付いてムギネ酸鉄となり、三価鉄を水に溶かし出します。溶かし出されたムギネ酸鉄を根から吸収することで、植物は鉄を効率よく吸収できます(図1左)。ムギネ酸の散布によってアルカリ性不良土壌におけるイネの生育が著しく回復することも証明されており(図1右)、次世代肥料としてのムギネ酸の実用化が期待されています。
ムギネ酸が結合した三価鉄の吸収は、根の細胞膜タンパク質であるYellow stripe1(YS1)と呼ばれるトランスポーターが担っています(図1左)。しかしこれまで、YS1がどのようにムギネ酸鉄を認識し運搬するのかは分かっていませんでした。
図1 ムギネ酸による鉄吸収の仕組みとDMAおよびPDMAによるイネの生育改善
(左図)イネ科の植物はムギネ酸を根から分泌し、ムギネ酸鉄をYS1トランスポーターから根の細胞に取り込むことにより、鉄を吸収する。
(右図)アルカリ性不良土壌にムギネ酸の一種である2′-デオキシムギネ酸(DMA)と鉄を散布すると、鉄のみの場合に比べて著しくイネの生育が改善する。また、ムギネ酸類縁体であるプロリンデオキシムギネ酸(PDMA)と鉄では、さらに優れた効果が得られる(写真提供:愛知製鋼株式会社の鈴木基史博士)。
研究手法と成果
共同研究グループは、まずクライオ電子顕微鏡を用いてオオムギ由来のYS1の立体構造を決定しました。その結果、YS1は、二つのYS1分子が脂質であるコレステロール類似物質の仲介で結合した二量体を形成していることが明らかになりました(図2A)。
次に、YS1とムギネ酸鉄の複合体の構造解析に着手しました。構造解析に十分な品質と量のムギネ酸を天然から得ることは困難でしたが、ムギネ酸の一種である2′-デオキシムギネ酸(DMA)の効率的な化学合成に成功し、この問題を解決しました。得られたYS1と2′-デオキシムギネ酸鉄(Fe(III)-DMA)の複合体の立体構造より、YS1が鉄と結合したムギネ酸を特異的に認識している部位が明らかになりました(図2B上)。
ムギネ酸を肥料として散布するには、高い合成コストやムギネ酸が土壌中で不安定であることが課題でした。共同研究グループの難波康祐教授らは、より安価で安定なムギネ酸類縁体を開発し、2021年にプロリンデオキシムギネ酸(PDMA)を発表しました注)。PDMAは土壌中での適度な生分解性とDMAよりも優れた成長促進効果を示し、実際のアルカリ性不良土壌でもPDMAの投与によってコメが収穫できたことから、次世代肥料として期待されています。
今回、鉄と結合したPDMA(Fe(III)-PDMA)とYS1の複合体の構造解析にも成功し、Fe(III)-PDMAがFe(III)-DMAと全く同じ場所に結合していることが明らかになりました(図2B下)。このことは、PDMAがDMAと同じ機構で機能することを示しています。
さらに、YS1がトランスポーターとして働く仕組みを、分子動力学シミュレーションを用いて解析しました。その結果、YS1に水素イオンが結合して起きるYS1の構造変化が、ムギネ酸鉄を細胞の外から内へと運搬させる機構の一端であることが示されました(図2C)。
図2 YS1トランスポーターの構造と輸送機構
A)クライオ電子顕微鏡が捉えたYS1トランスポーターの構造をリボンモデルで表した。コレステロールヘミコハク酸(コレステロールの類似物質)が二つのYS1分子を仲介し、二量体を形成している。
B)YS1トランスポーターにおける、ムギネ酸鉄(Fe(III)-DMA)結合部位の構造と、合成ムギネ酸類縁体と鉄の複合体(Fe(III)-PDMA)結合部位の構造。
C)分子動力学シミュレーションにより明らかになったYS1の輸送機構。YS1二量体は二量体形成ドメイン(濃い緑)を足場として、ムギネ酸鉄結合ドメイン(薄い緑)が動くと考えられる(上)。分子動力学計算より、三つのアスパラギン酸(D446、D490、D494)に水素イオン(H+)が結合すると、輸送のための構造変化が起きることが示唆された(下)
注)Suzuki, M. et al. Development of a mugineic acid family phytosiderophore analog as an iron fertilizer. Nat Commun 12, 1558 (2021).
今後の期待
2022年11月15日、世界の全人口は80億人を突破し、今後12年間で10億人の人口増加が予想されています。近い将来、深刻な食糧難が危惧されており、穀物の安定的な供給は喫緊の課題です。全世界のおよそ30%は耕作に適さないアルカリ性不良土壌ですが、これを耕作地に転換できれば食糧問題の解決が大きく前進します。ムギネ酸やその類縁体は、アルカリ性不良土壌の改善を可能にする画期的な次世代肥料として注目を集めています。
本研究は、山形敦史上級研究員と村田佳子特任研究員の11年に及ぶ共同研究による成果であり、ムギネ酸鉄がどのように植物の根に吸収されるかを詳細に解明しただけでなく、合成ムギネ酸類縁体であるPDMAがムギネ酸と同様の機構で働くことを証明しており、PDMAの今後の実用展開を後押しするものです。
さらに、本研究で明らかとなったYS1の立体構造情報は、新たなムギネ酸類縁体をデザインするための基盤となるものであり、次世代肥料の開発が飛躍的に進むものと期待できます。
補足説明
1.ムギネ酸鉄、ムギネ酸、三価鉄
ムギネ酸は、「麦の根から分泌される酸」が名前の由来であるアミノ酸の一種。イネ科植物が根から分泌する天然のキレート剤であり、難溶性の三価鉄(酸化数+3の鉄)と結合したものはムギネ酸鉄と呼ばれ、水に溶けやすくする。また、二価鉄やコバルト、銅とも結合して水に溶けやすくすることが知られている。アルカリ性不良土壌の改善を目指した次世代肥料として注目を集めている。
ムギネ酸の化学構造式
2.トランスポーター
生体膜に存在する膜タンパク質で、生体膜を横切って物質の輸送を行う。生命機能の維持に必須な重要なタンパク質である。
3.アルカリ性不良土壌
pHが7以上のアルカリ性の土壌の総称であり、石灰質土壌や塩類集積土壌などが相当する。鉄分が溶けやすい酸性土壌とは異なり、アルカリ性土壌では鉄分が溶けないため植物が吸収できずに鉄欠乏となる。
4.キレート剤
特定の金属イオンを立体構造中に挟み込むように結合する物質で、金属とキレート剤が結合した化合物は錯体と呼ばれる。錯体となった金属は、水溶液中でも沈澱せずに可溶化状態を維持する。レモンに含まれるクエン酸もキレート剤の一種として知られている。
5.Yellow stripe 1 (YS1)
特定の金属イオンと結合したムギネ酸やその類縁体(デオキシムギネ酸など)を特異的に輸送するトランスポーター。2001年にトウモロコシの根から同定された。このタンパク質を欠損すると鉄の吸収が阻害され、葉緑体の形成に不全が生じる。その結果、葉や茎が黄色の筋状に変色するYellow stripeという表現型を示す。
6.クライオ電子顕微鏡
急速に凍結した試料を液体窒素温度(-196℃)で観察する電子顕微鏡。低温で観察することにより、電子線による試料の損傷を防ぐことができるだけでなく、生体分子を本来機能する場である水や水溶性分子を含んだまま観察できる。近年、直接電子検出器の利用や画像解析技術の向上によって、特に生体分子の高分解能での構造解析が可能となり、2017年にノーベル化学賞の対象となった。
7.分子動力学シミュレーション
コンピュータを用いた分子シミュレーション法の一つ。分子を構成する各原子の間に働く力を、経験的に定められたポテンシャルエネルギー関数を用いて計算し、その運動をニュートン方程式F = maに基づいて数値的に解くことで、分子の動きを予測し解析する方法。
共同研究グループ
理化学研究所 生命機能科学研究センター タンパク質機能・構造研究チーム
上級研究員 山形 敦史(ヤマガタ・アツシ)
チームリーダ 白水 美香子(シロウズ・ミカコ)
公益財団法人サントリー生命科学財団 生物有機科学研究所
統合生体分子機能研究部
特任研究員 村田 佳子(ムラタ・ヨシコ)
徳島大学大学院 医歯薬学研究部(薬学域)
教授 難波 康祐(ナンバ・コウスケ)
東京大学大学院 農学生命科学研究科 応用生命工学専攻
准教授 寺田 透(テラダ・トオル)
京都大学大学院 理学研究科 化学専攻
教授 深井 周也(フカイ・シュウヤ)
研究支援
本研究は、理化学研究所運営交付金(生命機能科学研究)で実施し、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(B)「クライオ電顕を用いた鉄錯体輸送体の基質認識と輸送機構の解明(研究代表者:山形敦史)」、同基盤研究(C)「ムギネ酸類・鉄錯体を輸送するアミノ酸トランスポーターとその哺乳動物における役割(研究代表者:村田佳子)」、同基盤研究(A)「沙漠緑化剤ムギネ酸類の次世代研究:他種生物によるムギネ酸利用の分子機構解明と応用(研究代表者:難波康祐)」「てんかん関連複合体LGI1-ADAM22-PSD-95とその制御因子の構造解析(研究代表者:深井周也)」、日本医療研究開発機構(AMED)生命科学・創薬研究支援基盤事業 創薬等先端技術支援基盤プラットフォーム(BINDS)「統合的構造解析に向けた高難度複合体の生産支援と高度化(代表者:白水美香子)」「分子シミュレーションによる生体高分子の機能の予測と解析(代表者:寺田透)」、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)研究成果最適展開支援プログラム(A-STEP)「高活性生分解性キレート鉄肥料の実用化研究(研究責任者:難波康祐)」による助成を受けて行われました。
原論文情報
Atsushi Yamagata, Yoshiko Murata, Kosuke Namba, Tohru Terada, Shuya Fukai, Mikako Shirouzu, “Uptake mechanism of iron-phytosiderophore from the soil based on the structure of Yellow Stripe transporter”, Nature communications, 10.1038/s41467-022-34930-1
発表者
理化学研究所
生命機能科学研究センター タンパク質機能・構造研究チーム
上級研究員 山形 敦史(ヤマガタ・アツシ)
チームリーダー 白水 美香子(シロウズ・ミカコ)
公益財団法人サントリー生命科学財団 生物有機科学研究所
統合生体分子機能研究部
特任研究員 村田 佳子(ムラタ・ヨシコ)
徳島大学大学院 医歯薬学研究部(薬学域)
教授 難波 康祐(ナンバ・コウスケ)
東京大学大学院 農学生命科学研究科 応用生命工学専攻
准教授 寺田 透(テラダ・トオル)
京都大学大学院 理学研究科化学専攻
教授 深井 周也(フカイ シュウヤ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
公益財団法人サントリー生命科学財団 生物有機科学研究所
統合生体分子機能研究部 村田佳子
徳島大学 総務部未来創造課広報係
東京大学 農学部・農学生命科学研究科 事務部 総務課 総務チーム 総務・広報情報
京都大学 総務部 広報課 国際広報室