感覚機能障害治療への応用に期待
2019-09-06 国立精神・神経医療研究センター
国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター(NCNP、東京都小平市、理事長:水澤英洋)神経研究所(所長:和田圭司)モデル動物開発研究部の窪田慎治研究員、Sidikjan Gupur研究員、および関和彦部長と京都大学霊長類研究所(所長:湯本貴和)神経科学研究部門統合脳システム分野の井上謙一助教と高田昌彦教授らの共同研究グループは、光遺伝学(光によって活性化するタンパク分子を遺伝子導入技術を用いて特定の神経細胞に発現させ、その神経細胞の活動を光刺激により制御する技術)を用いて、触覚や筋感覚に関わる感覚神経の活動を選択的に活性化させることに成功しました。
私たちは運動することによって、様々なものを感じることができます。物体の温度、形状など身体の外部の情報だけでなく、自分が動いているということも感じることができます(自己運動感覚)。これは、皮膚や筋肉にあるセンサーが、身体の外部(温度・圧力・摩擦力など)や身体の内部(筋肉の収縮度、動き、腱にかかっている力)の状態を感知し、脳に伝達されているからです。身体外部の感覚は私達が知覚することができるため、心理学的な実験などで神経機構の多くがすでに解明されています。一方、身体内部の状態は通常、個別に知覚することができないため、センサーからの感覚情報が私達の行動制御に果たす役割は多くが不明のままでした。この感覚機能が障害された患者さんは、身体の動きの制御が不可能になりますから、その重要性は分かっていましたが、それを検証する方法がありませんでした。なぜなら自己運動感覚は自分の動きで引き起こされるため、温度などのように実験的に操作することが不可能と思われてきたからです。本研究では、この自己運動感覚を実験的に操作する方法の開発に、世界で初めて成功しました。
本研究の成果により、私たちの巧みな運動の制御を可能にしている神経機構の理解や運動の感覚関わる感覚神経の機能障害に対する治療法の開発が進むことが期待されます。具体的には、脊髄損傷や脳損傷などで鈍化した触覚を正常レベルに戻すなど、新たな遺伝子治療に展開することが期待されます。
本研究成果は、欧州現地時間2019年8月28日にJournal of Physiologyオンライン版に掲載されました。
■研究の背景
パラリンピックの1種目にブラインドサッカーがあります。選手たちは全盲でありながら巧みにボールを操って、パスやシュートを行うことができます。これは、視覚情報がなくても皮膚や筋に多数存在するセンサー(関節の位置や角度を伝えるセンサー)から脳に送られてくる情報をもとに、自分の手足の時々刻々の位置や変化を瞬時に認知し(自己運動感覚)、それによって自分の運動をさらに制御するという繰り返しによって実現しています。これはパラリンピック選手に特別なことではなく、私達が身体を動かすときに無意識に用いられている大切な脳の機能です。このような自己運動感覚は新しい運動技能を習得する上で重要な役割を果たしますし、神経障害などによりこの機能が障害されると、協調的に手足を動かすことが困難になります。
このように自己運動感覚の重要性は広く認知されていますが、神経科学的な証明はされていませんでした。そのためには、感覚情報を人為的に変化させてその際の神経活動を調べる必要がありました。しかし、自己運動感覚は運動に付随して身体内で自動的に生まれるため、外的に操作することが不可能だったからです。私達は、これに挑戦しようと考えました。
これまでに、運動に関連した感覚を活性化する手法としては、神経細胞の種類やそれが伝える感覚の種類に関わらず、ある部位の神経全体を電気で刺激する方法が広く用いられていました。しかし、それでは他種類の感覚神経が同時に刺激されるため、自己運動感覚のみを活性化したり、過度な活動を抑制したりすることは困難でした。
私たちは、電気ではなく、光で末梢感覚神経の活動を制御できないかと考えました。最近、光を用いて神経細胞の活動を制御する「光遺伝学」が様々な生命科学の分野で用いられています。これは、標的とする神経細胞のみに光感受性タンパク分子を遺伝子導入し、光刺激によりその神経細胞の活動を自在に制御するという画期的な方法です。私たちはこの方法を自己運動感覚に応用しようと考えました。そのためには、脊髄後根神経節にある異なった種類の感覚神経細胞の中から、自己運動感覚を伝える神経細胞のみに遺伝子が導入され、光刺激に対して十分に応答するような最適な条件を探索しなければなりません。私たちは、様々な条件の組み合わせを網羅的に調べることで、自己運動感覚に関与する神経細胞を標的に光感受性タンパク分子を遺伝子導入し、その神経細胞の活動を選択的に制御する手法を世界で初めて確立しようと試みました。
■研究の内容
ラットの感覚神経細胞に遺伝子導入を行うため、蛍光タンパク遺伝子を組み込んだアデノ随伴ウイルス(AAV)ベクターを末梢神経(座骨神経)に注入しました(図1A)。AAVはそのタイプに応じて異なった組織や細胞に指向性を持つことが知られていますが、今回はAAV6とAAV9を用いました。すると、目的どおり感覚神経細胞に遺伝子導入されていることが確認されました(図1B)。AAV6およびAAV9それぞれの指向性を確認した所、AAV6では小型の感覚神経細胞に指向性を持ち、AAV9は中型から大型の感覚神経細胞に指向性を持つことが確認されました(図1C•D)。感覚神経細胞の中でも、小型の細胞は主に痛みなど痛覚に関与し、中型から大型の細胞は触覚や筋感覚に関与していることが知られています。したがって、AAVのタイプを選択することで、感覚の種類に応じて選択的に感覚神経細胞に遺伝子を導入することが可能であることが示されました。
しかし、AAV9を用いて遺伝子導入した感覚神経細胞を光刺激しても、予想に反して神経細胞の反応を引き起こすことはできませんでした。つまり、AAVベクターは標的とする神経細胞に高い割合(80%以上)で感染しているにもかかわらず、そこに同時に導入されたはずの光感受性物質(チャネルロドプシン)を光で刺激しても反応が誘発できないのです。そこで、我々はウィルスベクター濃度と感染期間の組み合わせが光刺激反応に及ぼす影響について、多数の組み合わせを網羅的に調べました。すると、光遺伝子の末梢感覚神経細胞への導入には、ベクター濃度と感染期間について最適な組み合わせがあることを発見しました。その組合せ以外では、チャネルロドプシンの毒性が細胞に悪影響を及ぼしていることがわかったのです。この最適な組み合わせ条件を用いると、電気刺激に相当する神経活動が感覚神経細胞の軸索より記録されました。(図2)。光刺激に対する感覚神経細胞の応答の特徴から、主に触覚や筋感覚を支配する神経細胞が選択的に刺激されていると考えられました。そして、誘発された感覚信号は、脊髄内の神経回路を介して運動神経を興奮させることが示されました(図3)。感覚情報は、末梢神経を介して伝導する感覚信号が脊髄から脳幹や大脳などに伝わり神経細胞を活動させることで触覚や筋感覚、すなわち運動の感覚として知覚されます。したがって、光刺激によって活性化された感覚信号は、これら運動に関連した感覚を選択的に活性化することが可能であることが証明されました。
■今後の展望
触覚や筋感覚に関わる感覚神経細胞の活動を選択的に制御することが可能となることで、脊髄損傷や脳損傷に伴う機能障害の病態の理解並びに感覚障害に対する治療法への応用が期待されます。具体的には、運動に関連した感覚機能の低下により協調運動が阻害されている場合には、筋感覚などを活性化させることにより、運動機能の再獲得が促進される可能性があります。中枢神経損傷後に見られる痙縮と呼ばれる手足の不随意運動・筋肉のこわばりが見られる場合には、筋肉からの過剰な感覚入力を選択的に抑えることで、その症状を改善することが可能となります。触覚や筋感覚などの過剰な入力は、痛みの感覚神経の感度を高めることが指摘されているため、運動だけでなく疼痛治療にも発展する可能性があります。また、運動中に運動に関連した感覚神経細胞の活動を活性化させたり抑制することにより、我々がどのように運動の感覚を利用して身体を動かしているのかを明らかにすることが可能となります。
今回我々が開発した手法を応用することにより、自己運動感覚に関わる感覚神経細胞への選択的遺伝子導入が可能になり、身体運動の制御に関する神経機構の研究に大きく貢献します。また、この感覚細胞腫選択的な遺伝導入や活動操作は、自己運動感覚以外への応用も期待されます。例えば、自己運動感覚を正常に保ったまま、痛み感覚のみを抑制するような、新たな慢性疼痛治療などに発展する可能性があります。
図1:感覚神経細胞への蛍光タンパク分子の導入とその導入効率
A)末梢神経に蛍光タンパク分子を組み込んだAAVベクターを注入することで、感覚神経細胞へ遺伝子導入を行う。B)感覚神経細胞の遺伝子導入例。感覚神経細胞(NeuN,中図)と神経細胞への遺伝子発現を表す蛍光マーカー(GFP, 左図)との重ね合わせにより、AAV6およびAAV9ベクターともに蛍光タンパク分子が神経細胞に導入されているのが分かる(右図,白矢頭)。C)遺伝子が導入された神経細胞のサイズの分布を見ると、AAV6では小さな神経細胞に多く遺伝子導入されているのに対して(三角印はAAV6の中央値)、AAV9はサイズの大きな神経細胞に多く遺伝子導入されている(矢印はAAV9の中央値)。D)感覚神経細胞をその細胞のサイズから小型、中型、大型とグループ分けを行うと、AAV9では大きな細胞に対する遺伝子導入効率が高いことが分かる。
図2:光刺激により誘発される感覚神経の活動
A)感覚神経細胞を光刺激により活性化させ、その活動を感覚神経の軸索で記録。B)光刺激強度に応じた感覚神経活動の例。感覚神経の活動は、光刺激に対する反応の特徴から主に触覚や筋感覚を司る感覚神経が活性化されていると考えられた。
図3:光刺激により誘引される脊髄反射活動
A)実験の説明図。末梢感覚神経を光刺激し、その刺激効果を運動神経で記録。運動神経で記録される神経活動は脊髄内での神経回路の活動を反映している。B)感覚神経を光刺激することにより、運動神経で興奮性電位が記録され(赤色波形)、その後、感覚神経を脊髄付近で切断し感覚信号を遮断することで、運動神経で記録された興奮性電位が消失することが確認された(灰色波形)。このことにより、感覚神経細胞を刺激することで、感覚神経からの信号が脊髄内の神経回路を活動させることが示された。
■用語解説
・脊髄後根神経節:
末梢の感覚受容器からの信号を中枢に伝達する感覚神経細胞の集合体。温痛覚、触覚、筋感覚など異なった種類の神経細胞が集まる。感覚神経の軸索(細胞体から延びる細長い突起)が脊髄に入る手前に位置する。
・光感受性タンパク質:
自然界に存在する緑藻植物や古細菌から発見された、光に応答するタンパク質。神経細胞の細胞膜に移行することで標的とする神経細胞の活動を光刺激により制御することが可能となる。タンパク質の種類に応じて神経細胞を活性化させる働きを持つもの(チャネルロドプシン)と、抑制させる働きを持つもの(ハロロドプシンやアーキロドプシン)がある。
・アデノ随伴ウイルス(AAV)ベクター:
遺伝子治療への応用が期待される遺伝子導入ベクター(遺伝子の運び屋)の一つ。非常に弱い免疫反応しか引き起こさず、病原性は持たないとされている。神経細胞などに効率よく遺伝子導入でき、遺伝子発現が長期間持続するという特徴を持つ。また、AAVのタイプに応じてそれぞれ異なった組織に対する指向性を持つことが知られている。
■原論文情報
・論文名:”Optogenetic recruitment of spinal reflex pathways from large-diameter primary afferents in non-transgenic rats transduced with AAV9/Channelrhodopsin 2”
・著者:窪田慎治、Sidikjan Gupur、工藤もゑこ、井上謙一、梅田達也、高田昌彦、関和彦
・掲載誌:Journal of Physiology
・DOI:10.1113/JP278292
・URL:https://physoc.onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1113/JP278292
■助成金
本成果は、主に以下の研究助成を受けて行われました。
• 文部科学省科学研究費助成金 JP26250013, JP17J05310
■お問い合わせ先:
【研究に関するお問い合わせ】
国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター
神経研究所 モデル動物開発研究部 関和彦(せき かずひこ)
【報道に関するお問い合わせ】
国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター 総務課 広報係